第三章『ハクと黒歴史──参──』
第28話「闇の集い:光」
花火大会での騒動が解決してから、早二週間。火の国の第二王子、フィーマを仲間に迎えた一行は、現在、次の目的地を目指して夜の結界外を歩いていた。
「クロ、本当に大丈夫かい?」
「心配しすぎだって。見てのとおり、完全復活よ」
(そう見えないから言ってるんだけどな……)
確かに、クロの傷は完全に癒えている。交戦しても問題ない状態になるまで、体を休めることができたのだろう。
だが、顔色がそれに追いついていない。花火大会での騒動以来、彼が暗い顔を見せる頻度は多くなっていた。
(いったい、何があったんだ……?)
何度尋ねてみても、はぐらかされるばかり。自身の考えすぎかと思わされそうになる程だ。
(…… 話してみるべき、なのかな)
クロが何か抱えているのは間違いない。それを明かさないのは、彼からの信頼が不足しているためか。
信頼されるには、自身が信頼していることを伝え、証明しなければならない。そのために、ここまで伏せてきた情報を明かすべきかと考えたが、ハクはすんでのところで踏み留まった。
(いや、今じゃない)
今、クロの精神が安定しているとは言い難い。この状態で秘密を曝け出せば、レマイオの懸念が現実のものとなることだろう。
それだけは、なんとしても避けなければならない。
「ハクこそ顔色悪いけど、大丈夫か?」
話を逸らすという魂胆が見え見えの言葉。だが、クロのそれが出任せではないということを、ハクは理解していた。
自身の体調もまた、芳しくなかったためだ。
ここしばらく、夢を見る夜が続いている。
例の、失った過去が映し出されていると思われる夢。それが毎晩のように瞼の裏を支配することで、眠りが浅くなり、疲労回復に支障を来たしていた。
睡魔が常に襲ってきているわけではないが、万全な状態からは程遠い。
「まあ…… 大丈夫だよ。少し眠いだけさ」
嘘はついていない。そんな屁理屈を思い浮かべた自分に嫌気が差しながらも、微笑で誤魔化すことしかハクにはできなかった。
「あら、寝不足はお肌の大敵よ。気をつけなくっちゃね」
おどけるようなフィーマの言葉により、この場の雰囲気が僅かに和らぐ。王子故に育まれた処世術か、それとも天性のものか。いずれにしても、彼のその振る舞いにハクは救われた。
「…… あそこが、次の国か」
進行方向上に存在する広大な森林を見て、クロがそんな声を漏らす。
「木の国。自然を守り、自然に守られる地。結界範囲、実際の国土面積共に最大規模を誇る国だね」
「そういえば、結界の範囲って何で決まってるんだ? 番人の強さとかか?」
「違うと思うわよ。結界が張られた当初から、範囲が変化したこともないみたいだし。どうして各国でまちまちなのかは…… 張った本人のみぞ知るってところね」
「…… そもそも、誰が結界を張ったんだ?」
「あら、知らないのね。割と有名な話だと思うけど」
「記憶喪失なもんでね」
最早恒例となった、クロによるやり取り。
相手に気を遣わせそうなことがハクには気がかりだったが、フィーマがそのような反応を見せることはなかった。気まずそうにしているわけでも、面白がっているわけでもない。彼は、ただ事実を受け止めただけのようだった。
「フランは知っているかい?」
「もちろん!」
ハクから話を振られたフランが、三人の前方に回り込んでその瞳を輝かせる。
「冥王の瘴気が広がるのを感知したとある大魔導師様が、咄嗟に自分の魔力を各国に分け与えたのが始まりなんだって!」
「へえ」
「それぞれの結界に使われてる魔力の属性が違うのも、大魔導師様が色んな属性の魔力を使えたかららしいよ」
「…… フランも、意外と色々知ってるよな」
「一言余計っ!」
「あだっ」
眉間を人差し指で突かれ、クロの体が仰け反った。
何故、反感を買うようなことをするのかとハクは疑問に思ったが、同じ轍を踏むことになりかねないため、胸の内に留めておく。
「アタシとの接し方と言い、乙女の扱いがなってないわね、全く」
「お前男だろうが」
「男、兼乙女よ」
「へいへい…… その大魔導師とやらも、冥王を相手したのか?」
「うーん、そこまではわかんないな」
フランが、困ったようにハクの方へと視線を向ける。一般的に知られている話ではないからだろう。
それを受けて、彼は頷いてから口を開いた。
「文献に残されている限りでは、冥王との交戦はなかったようだね」
「…… 英雄と一緒に戦ってれば、冥王を倒せて、今頃、瘴気も蔓延してなかったんじゃないか?」
「どうかな。戦闘に参加しなかったから、瘴気への対応を迅速に行えた、という見方もできる。それに、魔法に精通していることと、高い戦闘能力を有していることは、必ずしも同義であるとは限らないからね」
「まあ、確かに」
そこで興味が尽きたのか、クロは深掘りすることなく口を閉じる。他の二人が食いつくこともなかったため、話題は流れることとなった。
「それにしても、徒歩ってのもなかなか面倒ねぇ」
一つの話が終了してからの、僅かな沈黙。それを破ったのは、フィーマの猫撫で声だった。
「本当に
「わからない。けど、四死生霊が僕らに干渉してきたのは、いずれも結界外にいるときだった。だから、恐らく今回も何かしらの形で接触してくると思っているんだけど……」
「そんな存在、アタシは初耳だけどね」
「フィーマでも、あいつらの情報はないんだな」
「アタシどころか、お兄様やお父様の耳にも入ってないみたいよ」
「王国軍でさえ尻尾を掴めない程に、四死生霊は隠密行動に徹しているみたいだね」
「でも、俺たちには普通に名乗ったりしてるんだよなあ」
「ま、細かいこと考えても仕方ないわ。見つけたらぶっ飛ばす。それだけよ」
「…… フィーマ、本当に王子?」
出会った当初から、王族とは思えない立ち振る舞いが目立つ。ただの変人というわけではなさそうなのだが、血の気が多いのは確からしい。
「残念ながら、ね」
含みのある言い方だ。彼自身、王族であることを良くは思っていないのかもしれない。あまり触れない方がいい話題だろう。ハクがそう思った、その瞬間。
背筋が凍りついた。
後ろに、何か、いる。
「っらあっ!」
一斉に振り向き、距離を取った。
ただ一人、フィーマ以外は。彼は炎を噴出させながら対象に近づいていき、短剣を振るった。
「こりゃまた随分と威勢がいいのを引き入れたもんだ」
そこに立っていたのは、水色の髪を後方に撫でつけた長身の男。
ヒョウだ。
フィーマが繰り出した左の短剣は、それまで何も握られていなかったはずのヒョウの右手に突如として現れた、氷の剣によって受け止められる。
「氷属性!?」
驚きから声を上げるハク。
「あいつ、闇属性の魔力を持ってるんじゃなかったのか……?」
そんなクロの声を耳にしたあたりで、ハクはようやく思い至る。
稀でこそあるものの、数種類の属性の魔力を宿すことは、不可能ではないということに。
「アタシの国に魔物を差し向けたのは、あんた?」
「そうだと言ったら?」
「ぶっ飛ばす」
フィーマが続けて右の短剣を振るうも、同様に二本目の氷の剣で防がれる。
「それで抑えたつもり?」
短剣が赤い炎に包まれた。
「『
氷の剣から、水滴が落ちる。炎に熱されて溶け始めているのだ。
脆くなった自身の得物が瓦解する瞬間、ヒョウは後方に跳んだ。フィーマも踏み込んでそれを追おうとしていたが。
「凍てつけ」
ヒョウが伸ばした両腕。その掌の先に現れた魔法陣が、瞬く間に空気を凍らせていった。それはあまりにも速く、フィーマの体をもたちまち氷漬けにする。
だが、一連の流れを他の三人が黙って見ているだけのはずもない。
氷の影から、クロが飛び出した。その後に続いて、フランも。
(さて……)
凍りついたフィーマの影に、ハクは一人隠れる。
透けて見えないことはないが、凝視しない限り、ヒョウの位置から動作を確認することはできないだろう。そう考え、彼は死角からの攻撃を試みることにした。
(少し待っていてね)
魔力反応から、フィーマの生存は確認できている。
まだ、もうしばらくは耐えられるだろうということも。
ハクは杖に魔力を流し込むことで、その両端を伸ばした。魔法の威力、射程、精度を向上させるためだ。
「『ペネトレイティング=レイ』」
光の槍を山なりの軌道で放つことで、ヒョウの頭上から攻撃する。氷越しではハクからも相手の位置が見えづらいが、魔力反応に集中すれば狙えないことはない。
(防がれたか……)
策が通じなかった、ということすら知覚できる。ハクはその後も魔法の発動を続けていたが、突如、目の前の氷塊が破裂したことでそれを中断させられた。
「どきなさい!」
フィーマだ。氷を内側から破壊することで、自力での脱出に成功したらしい。
彼は炎を噴出させて飛行を始めると、凄まじい速度でヒョウの頭上あたりまで辿り着いた。
「焦がれろ」
ヒョウに向けた掌から、極大の炎が放たれる。その攻撃による風圧で、辺り一帯に土煙が舞った。
「ぐっ、くっ……」
最も離れた位置にいるはずのハクが、目を閉じて四つん這いになることしかできない。それ程までに、フィーマの攻撃は強力なものだった。
しばらくして、衝撃が収まる。炎の放出が止まったのだろう。
恐る恐る、ハクは目を開く。
まだ煙が晴れていなかったため、戦況がどうなっているかすぐに確認することはできなかった。
(どうだ……?)
あれ程の攻撃を間近で受けて、無事でいられるはずがない。決着とはいかずとも、有効打にはなっているだろうと考えた。
徐々に煙も晴れ、一つの影が鮮明になってくる。視界を完全に取り戻したとき、ハクは驚愕した。
「そんな……」
そこに立っていたのは、ヒョウだ。その更に向こう側に、フィーマの姿も見えた。攻撃を放った後、移動したのだろう。
「いやあ、今のは焦ったぜ」
衣服は焼け焦げ、彼の肌が露わになっている。攻撃は確実に直撃していたはずだ。だが、ヒョウ自身はまるで効いていないと言わんばかりの笑みを浮かべていた。
「そそるわね……」
そんな声を漏らすフィーマ。だが、その表情は引き攣っている。
彼の攻撃が全力だったことは、ハクにもわかった。それが、決して弱いものではないことも。
だからこそ、この結果は絶望的だった。
「意外と楽しめたが、こんなもんか。困るなあ。もっと強くなってもらわねえと」
ハクも、彼以外の三人も、攻撃を仕掛けることができない。どうすれば、相対する男に一矢報いることができるのか、わからなかった。
「番人はちゃんとお務め果たしてんのかよ、ったく…… さて、飽きてきたし、そろそろ帰るとするかな」
おっと、と、ヒョウはわざとらしく手を叩く。
「クロ!」
ヒョウはそう呼んでから、自身の左の太腿を軽く叩いた。
「ここ、見ておけよ」
「…… は?」
「んじゃ、また────」
別れの挨拶を済ませようとしたのだろう。だが、ヒョウの言葉は中断された。
突如として上空から飛来した、黒い斬撃。殺気の塊とも呼べるそれが、彼を狙っていたためだ。
「おいおい、今回は随分来るのが早えんじゃねえか?」
攻撃を躱したヒョウの近くに、誰かが飛び降りてくる。
黒い鎧をその身に纏い、同色の兜で顔を隠しているその存在に、ハクは見覚えがあった。
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