第27話「火祭り」

 むせ返るような煙の匂いと、腹の底に響く轟音が、風によって運ばれる。

 以前から話に上がっていた花火大会。その開催日である今日、ハクは一人、人混みの中に潜伏していた。

 当然ながら、ただ見物に来ているわけではない。薬を調達する際に赴いたルカの居宅にて抱いた、違和感の正体を探るためだ。

 彼が何か企んでいる場合、それを実行するとしたら、人が大勢集まる今日なのではと予想していた。


(いつだ……? いつ仕掛けてくる……?)


 ルカの所在は把握済みだ。だが、彼は実際の打ち上げにも携わるらしく、関係者しか立ち入れない場所で待機しているため、遠い位置から眺めることしかハクにはできない。


(何事もなく終わってくれればいいけど……)


 杞憂で終わればいい。だが、そうはならないだろうと薄々気がついていた。

 胸騒ぎを、今も尚感じていたためだ。

 ここに来てから、時間が経つごとにそれは強まっている。これがただの思い過ごしや気のせいだとは、到底思えなかった。


(…… そろそろか)


 十分程経過してから、再び闇夜に静寂が舞い戻る。だが、これで終了したわけではない。

 街を横断するようにして流れる川。待機場所であるその岸から漕ぎ出した小舟の上に、ルカの姿があった。どうやら、最後に打ち上げる花火が、彼の製作したもののようだ。


『皆様ご存知、ルカさんによる直々の打ち上げです!』


 ごくり、とハクは唾を飲み込む。

 司会からその名を呼ばれたルカが、打ち上げ準備をしようとした、その瞬間────やはりと言うべきか、事態は急変した。


「あれは……!」


 点火される前の花火玉が、ひとりでに浮遊を始めたのだ。

 数は四つ。それらは次第に高度を上げ、先程まで花火が爆発していた位置にまで到達する。

 演出だと思っているらしい人々から呑気な声が上げられるが、ハクは既に気づいていた。

 遠く離れていても感じられる、闇属性の魔力。

 あれは、魔物だ。

 被害が出る前に討伐しようと杖を構えたが、直後、緑色の輝きが地上から魔物に向けて放たれたことで、彼は動きを止めた。


(今のは……)


 いや、まさか。

 即座に思考を切り替え、再び魔物へと意識を向ける。

 魔物の周囲に突如として炎が現れたかと思うと、それは四つの花火玉を包み込むように流動し、攻撃用の魔法と思われる輝きを焼き尽くした。


「シューティング……」


 魔法を発動しようとしたハクだが、寸前で、軌道の修正を余儀なくされることとなる。

 炎が人のような形に変わり、その身を弾けさせるようにして、全方位に炎の弾丸を放ったからだ。これを放置すれば、被害が一気に大きくなることは想像に難くないだろう。


「レイ!」


 ハクは光の球体を放ち、降り注ぐ炎の相殺を試みる。

 それに加えて、どこからか、闇の球体と、水色の輝きと、魔物のものとは異なる火球が飛来した。非常事態であることをすぐに察知した者が、他にもいたということだ。

 そして、その人物たちは恐らく。


(待っててって言ったのに……)


 約束を破られたために怒りが芽生えたが、それが増幅することはなかった。

 四種類の魔法をもってしても、魔物の攻撃を防ぎきることはできなかったからだ。撃ち漏らした分が、次々に落下していく。


「駄目か……!」


 それらがただの演出でないと人々が理解したときには、もう遅かった。

 容赦なく降り注ぐ、炎の弾丸。

 幸い、ハクの周辺では攻撃を直接受けた者はいなかったが、着弾点が燃え上がり、身動きを取りづらくされてしまった。


「あれは……」


 上空に視線を戻すハク。炎を噴射しながら魔物目掛けて飛行する人影を、その瞳が捉えた。暗いため、顔はよく見えない。

 その人物は魔物の近くまで到達すると、炎の噴射を一旦止めた。そしてすぐ、同じものを魔物に向けて放つ。

 花火と呼ぶには荒々しすぎるそれを、魔物は四方に分裂することで回避した。そのまま東西南北の方向に、花火玉がそれぞれ一つずつ、逃げるようにして飛んでいく。

 攻撃した人物は再び炎を噴射し、その推進力を利用して建物の屋根に着地した。


「自警団は避難誘導! 戦える奴は西か南に向かえ! 北は番人、東は俺だ! 王国軍が来るまで持ち堪えろ!」


 響き渡る大声。ハクはようやく、その主の正体がわかった。


(…… フィーマか)


 この国の第二王子、フィーマだ。緊急事態故か、普段のおちゃらけた口調は鳴りを潜めている。そんな彼の指示に、人々も迅速に従った。

 こういった非常事態に対応するための民間組織、自警団。その構成員とおぼしき人々が、一般人の避難誘導を始める。動揺を鎮めるには至らないが、混乱によって身動きが取れないという最悪の事態は避けることができていた。


(僕も行かないと)


 この場に来ているであろう仲間のことが心配ではあるが、合流はしない。クロの怪我は確かに酷く、万全の状態とは決して言えないが、自衛と避難程度なら問題なく行えるだろうと踏んだからだ。


(行くなら西、だけど……)


 魔物の逃亡先と自身の現在地を考えれば、迷わず西に進むべきだった。だが、その前に確認しなければならないことがあると気づき、川を見下ろしてある人物の姿を探す。


(よし。ルカさんは大丈夫そうだ)


 花火玉が魔物と化して暴走しただけで、製作者が意図して引き起こした騒動とは断定できない。それでも、現時点ではルカが最も怪しいことに変わりないため、身柄を拘束しておこうと考えた。

 だが、運営を行う人々が自発的にルカの身を捕らえていたらしい。避難こそしているものの、一人で逃亡されるようなことはないだろう。そう判断し、ハクは魔物が逃げ去った方へと体を向けた。


(魔法を使って移動しないと、追いつけそうにないな……)


 先程感じた魔力反応が、急速に遠のいている。噴出する火の勢いを利用することで、空中を凄まじい速度で移動しているのだろう。ただの全力疾走では、とても追いつけない。

 とは言え、未だ避難が完了しない地上を、魔法で駆け抜けるわけにもいかなかった。

 ならば。


「僕が飛べないと思ったら……」


 ハクの体が、輝きを帯びる。


「大間違いだよ」


 純白の光を身に纏ったハクは、一歩駆け出して斜めに跳躍すると、重力を無視するかのように空中を自在に飛行し始めた。


「『シャイニング=レイ』」


 使っている魔法は同じ。ただ、魔力の流れを制御し、浮力が発生するように変化させただけ。それだけで、これ程の機動力を手に入れることができた。


(一気にけりをつけないと……)


 飛行を可能にすると、魔力の消耗が今まで以上に早くなる。持続時間は数十秒にも満たないだろう。限界が訪れる前に魔物を発見し、その息の根を止めなくては。


(…… 追い、ついた!)


 炎を操る花火玉が、急激に近づく。相手も、光属性の魔法程、速く移動することはできなかったようだ。


「『バインディング=レイ』!」


 ハクは飛行しながら杖を構え、その先から光の紐を放出する。それは、確かに相手の身を捕らえたように見えたが。


(焼き消された……!?)


 魔物の炎に触れた瞬間、その熱に溶かされるようにして光の紐は消滅してしまった。どうやら、炎はあくまで魔力から生み出されたもので、そこに実体があるわけではないらしい。


(なら…… うわっ!?)


 続けて魔法を発動しようとしたが、魔物から放たれた濃い灰色が視界を覆ったことで、それを中断させられる。


(これは、煙……)


 どのような作用があるのかわからない以上、吸い込まないに越したことはない。すぐに脱出したいところだが、闇雲に進んで相手の術中にはまることだけは避けたかった。

 ハクは減速し、周囲の魔力反応に意識を集中させた後、すぐさま真上へと飛行を再開する。


「逃がさない」


 罠を張り巡らせて待ち構えている、などということはなく、魔物はただひたすらに逃げ続けていた。少しでも時間を稼げればいいと考えていたのかもしれない。

 だが、それは無駄なことだった。

 先の妨害を受けても尚、ハクは余力を持って相手の前方へと先回りすることができていたのだから。


「貫け!」


 ハクが光の槍を放つ。

 それとほぼ同時に、炎で再現された魔物の指先がちぎれ、硬貨のような形に変化するとともに回転しながら彼へと飛来した。槍が先に到達し、魔物の頭部である花火玉を貫いたが、攻撃が中断されることはなくそのまま彼に迫り続ける。


「くっ……」


 包囲するように射出されたことで、回避先がない。魔法で相殺することは可能だが、万が一攻撃を弾いてしまった場合、街への被害を拡大させかねないだろう。

 逡巡の後、ハクは杖を引き寄せて、唱えた。


「守れ」


 光の壁が球状に展開され、迫っていた攻撃を次々に防ぐ。懸念していたとおり攻撃を弾いてしまいそうになったが、その瞬間、ハクは更に動いた。


「包め」


 壁が破れ、ハクの言葉に従うかのように回転物を個別に包み込んでいく。一つも漏らさずに収めたことを確認してから、彼は仕上げに入った。


「呑みこめ」


 光が圧縮され、回転物を潰していく。

 いくつもの甲高い音が増幅されていったが、やがて減衰していき、それが聞こえなくなる頃には内部の回転物ごと光も消滅していた。

 花火玉自体が核となっていたようで、それを破壊された魔物も既に消滅している。どうにか、魔力が切れる前に決着を付けることができた。


「終わっ、た……」


 気を抜いた瞬間、純白の輝きまでもが消える。

 それにより、ハクの体に再び重力の枷が取り付けられ、固い地面へと吸い寄せられていった。


(ま、まずい……!)


 魔力は残っているが、先程の魔法を再び使える程ではない。攻撃用の魔法で衝撃を和らげつつ上手い具合に受け身を取るしか、ハクが生き残る術はなかった。


(やるしか、ない!)


 杖の先を下方に向け、衝突する寸前まで魔力を練り続ける。そして、視界のほとんどが地面によって埋め尽くされるその瞬間に、動いた。


「集まれ!」


 衝撃を感じると同時に、視界が白く染まる。痛みはあるが、意識を手放す程ではなかった。

 とは言え、まだ安心はできない。ハクの体は依然として宙を舞っているのだから。


(いけるか……!)


 視界が復活したとき、ハクはまたしても地面すれすれの位置にいた。それに気がついた瞬間、彼は身を捻り、衝突すると同時に地上を転がろうと試みる。

 だが、やはり衝撃が大きすぎたらしい。転がりながら何度も地面に叩きつけられ、かなりの距離を移動してから彼の体はようやく静止した。


「…… 生き、て、る?」


 ぼやける視界。幸い、時間の経過とともに良好になっていった。

 ハクは杖を頼りに立ち上がり、無茶な挑戦の結果をその目で確認する。全身が痛むが、自分でわかる範囲には大きな負傷はない。どうやら、ただの打撲で済んだようだ。


「助かった……」


 大きなため息を吐いてから、そう呟く。

 不慣れな魔法がここまでの窮地を生み出すことになろうとは、想像もしていなかった。普段、二人の無理を注意する立場にいるが、自分までもがこうでは偉そうな口は利けないと自省する。


「他の魔物が気になるけど……」


 視線を落とした先は、自身の左手。震えるそれは、どれだけ力を込めても上手く動かすことができなかった。


「もう、限界かな」


 手当てもなしに、これ以上戦い続けることは不可能だ。ならばせめて、避難誘導の手伝い等、今の自分でもできることを行わなければ。

 歯痒さを感じながらも、ハクは燃え盛る街中を駆けるのだった。

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