第19話「憶測」

 何百年もの間、冥王の瘴気から人々を守り続けている、結界。それを張ったのは、たった一人の魔導士だという。

 その魔導士は五つの属性の魔力を宿し、かつそれらの魔法を存分に振るえる程の魔力量を有していた。

 当時も今も、魔法において右に出る者はいない程、規格外な存在。それでも、蔓延する冥王の瘴気をこの世から消し去ることはできなかった。

 故に、自身の肉体と魔力を犠牲にして、世界中を結界で包み込む選択をしたらしい。各国で結界に使われている魔力の属性が異なるのは、その風土に適したものを選別したからだろうと考えられている────


(…… やっぱりない、か)


 ため息を吐きながら、一冊の本を棚に戻すハク。

 アイアに帰還してから初めて実践的な修行に取り組んだこの日、空き時間ができたことで彼は書物の間を訪れていた。

 一見しただけでも、世界中に出回っている全ての本が揃っているのではないかと思える程の蔵書数。ここでなら自身の望む情報を得られるかもしれないと考えていたが、当てが外れてしまった。


(アイアに番人がいない理由…… 憶測ばかりで、信憑性の高い記述がまるでない)


 他の結界と連動しているため。結界に使われている魔力が無属性であり、証が証として機能せず、試練を課す必要がないため。番人にふさわしい存在が、未だに現れていないため。

 それらが、レマイオの手によってハクの脳内に予め刻まれていた知識。棚の端から端まで読み漁ったことで確認できた資料の情報とも、一致している。

 だが、それでも腑に落ちなかった。


(アイアの結界や番人について、意図的に秘匿されているとしたら……)


 数百年に渡り番人がいないというのにもかかわらず、これといった騒動が起こらない理由。番人であっても不思議ではない実力を有する存在。秘密が本当にあるとして、それを明かさぬ理由。

 それらから考えてハクは自分なりの解答を導き出したが、確証がない以上、あまりに突飛な発想だと言わざるを得なかった。

 そんなあやふやな思考は、僅かな刺激で霧散することとなる。


「…… ん?」


 どこからか、呼吸の音が聞こえてきた。喧しいという程ではないが、静寂に包まれることが常のこの空間では、やけに響いて聞こえる。

 恐らくは、寝息だろう。

 この場にいるのは、ハク以外に一人だけ。そのため、寝息の主が誰なのか彼にはすぐにわかった。

 ゆっくり眠らせておきたい気持ちはあったが、風邪を引かれても困るため、とりあえず声をかけに行こうと動き出し、ふと気づく。


「…… もう、こんな時間か」


 窓から射していたはずの陽光はいつの間にか消え、代わりに暗闇がのっぺりと張りついていた。

 もうすぐ夕飯の時間だ。尚更起こさなくてはと、ハクは早歩きで彼女のもとへと向かった。


「フラン」


「ん、んう……」


 部屋の隅に設置された椅子の上で眠るフランの肩を、ハクは優しく叩く。

 だが、彼女は起きる気配を見せず、壁にもたれかかったまま幸せそうに寝息を立てていた。


「フラン」


「ん…… ハク……?」


 声を大きくし、叩く力もやや強める。

 二度の呼びかけで、フランはようやく意識を取り戻した。寝ぼけ眼を擦りながら、ハクの方を見つめている。


「あれ、私……」


「こんな所で寝ていたら、風邪引くよ」


「…… そっか。いつの間にか、寝ちゃってたんだ」


 まだ眠そうではあるものの、徐々にフランの意識は鮮明になっているらしく、問題なく会話できる程度には回復していた。


「フラン、最近無理していないかい?」


 ハクは、ただの世間話のつもりでそう尋ねたわけではない。

 レマイオによる修行を終えた後、フランが寝る間も惜しんで自主的に勉強や特訓に励んでいることは彼も既に知っている。口を出すのは野暮かと思い黙認していたが、彼女の限界が近いと気づいたため制止することにした。


「ううん、大丈夫。いい天気で眠くなっちゃっただけだから」


 そう言ってすぐに立ち上がり、フランが笑顔を見せる。心配をかけまいと思っての行動なのだろうが、ハクの心労を和らげるには至らない。


「本当に、無理は駄目だよ。最近、夜遅くまで起きているんだろう?」


「心配かけてごめん。でも、大丈夫だよ。修行もしっかりやるからさ」


 そう返す彼女の笑みは、どこかぎこちなく感じられる。声にも、前程の張りがない。疲労が蓄積され続けているのは、明らかだった。


「それより、クロはまだ戻ってきてないの?」


「う、うん…… そうみたいだね」


 強引に話を逸らされ、ハクは面食らう。ただ、その流れを無視してフランへの追及を続けることは憚られた。

 クロの帰りが遅いことも、充分、今憂慮すべきことだったからだ。


「私、探してこようか?」


「いや、僕が行ってくるよ。フランはお師匠様と一緒に、夕食の準備を進めておいてくれるかな」


「わかった。それじゃ、クロのこと、よろしくね」


 足早に、書物の間を後にするフラン。長居すると、先程の話を掘り返されると思ったのだろう。

 そんな彼女の背中を見送ってから、ハクは玄関の方へと向かう。


(フラン……)


 本人のことは、本人にしかわからない。彼女が大丈夫と言うのなら、きっとそうなのだろう。

 ならば、止めることはできない。

 この努力は、必要なことなのだ。

 彼女が旅を続けるために。三人で共に歩み、使命を果たすために。

 そう自分に言い聞かせることしか、ハクにはできなかった。


「ただいま」


 あと数歩といったところで、ハクの正面にある扉が開く。突然の来訪者、ではなく、門限ぎりぎりに帰宅する問題児の姿が、そこにはあった。


「おかえり、クロ。遅かったね。もう少しで探しに行くところだったよ」


「悪い悪い。意外と時間がかかってな」


「…… 修行をしていたわけではないよね?」


 クロは汗だくになって息を切らしている。

 こんな所にも無理をする人物がいたのかとハクは頭を抱えそうになったが、どうやらそういうわけではないらしいと、続く言葉を聞いて理解した。


「まさか。急いで帰ってきただけだよ。魔法学校を見に行ってたんだ」


「そっか。そういえば、説明したことはなかったね」


「見回りの教員が色々教えてくれてな。また少し世界が広がった気がするよ」


「それは良かった」


 どちらからともなく、二人は歩き始める。


「なあ。一つ気になったんだけど、ハクもフランも、学校には行かなくていいのか?」


 同じ境遇でもハクがその疑問を抱かなかったのは、知識をまとめて詰め込まれたからだろう。多くのことを新鮮に感じられるであろうクロのことを、彼は少しだけ羨ましいと思った。


「学校は、名家に生まれた子供に教養を身につけさせるためだったり、学者とか研究者とかそういった役職に就かせたりするために、保護者が通わせるものだからね。普通の家庭では、通わせることはまずないよ」


「ふーん…… そういえば、ハクの両親のことって聞いたことないけど、どこにいるんだ?」


 心臓が、大きく跳ねる。


「…… 僕が幼い頃に、亡くなったらしい。物心ついたときにはお師匠様にお世話になっていたから、想い出も何もないけど」


 前もって考えていた台詞を、噛むことなく言い終えた。本当は辛そうな表情を浮かべるべきなのだろうが、そこまで演技できる程ハクは器用ではない。


「…… 悪い。嫌なこと聞いちまったな」


 幸い、怪しまれずに済んだらしい。クロの反応を見てハクは罪悪感に苛まれたが、それを誤魔化すかのように微笑んだ。


「気にしてないよ。それより、魔法学校では何か収穫はあった?」


「なんとなくだけど、学校に、通ってた気がする……」


 クロの語気が、尻すぼみになる。言いながら、自信がなくなってきてしまったのかもしれない。


「記憶の手掛かりが得られそうになると、不思議な感覚に襲われるんだ。学校に行ったら…… 正確には、鐘の音を聞いたら同じような感覚がきて……」


 記憶の手掛かり。ハクも時折、それらしきものを夢に見る。

 見た光景や感じたことを互いに共有できれば、記憶を取り戻す可能性も上がるのだろうが、自身が記憶喪失であることを隠している今、それはできない。


「そっか。でも、学校に通っていたなら、行方不明の届けが出ていてもおかしくないと思うけどね」


「そう、だよな……」


 そもそも、記憶を刺激することすらレマイオに止められている。今は、クロの行動を制限しなければならない。

 だが、ハク一人で情報を収集する分には問題ないはずだ。


「もしかしたら、公にできない理由があるのかもしれない。今後、それとなく探ってみよう」


「ああ。頼む」


 学校に通っていたところで、それはこの世界のものではない可能性が高い。

 ただ、万が一ということもある。結果をすぐに伝えることはできないが、できる限り調べてみようと決意しながら、ハクはクロと共に食事場所へと向かうのだった。

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