第18話「和解:光」
「明日も早いというのにすまんのう」
「いえ」
クロと衝突した日の夜。食事の後、就寝準備を手早く終えたハクは、約束どおり応接室へと足を運んでいた。
「早速、本題に入るとしよう」
いつになく真剣な表情のレマイオ。
内容が内容だからだろう。前置きなどない方がハクとしても都合がいいため、わざわざ指摘することなくただ頷いた。
「お主の記憶のこと、出自のことは、まだ伝えておらんな?」
「ええ。前々から言われていたとおり、伏せていますが……」
冥王の瘴気を祓うという使命については、レマイオ宅到着時に伝えている。だが、それ以外の情報はほとんど二人に明かしていなかった。
「なら、問題ない。今までどおり、それらについては秘匿を続けるように」
「…… 互いが、互いの記憶の手掛かりになり得るのに、ですか?」
それは、ただの希望的観測などではない。
先日、クロには『言語を翻訳する』魔法がかけられていたと判明した。そして、その魔法を一時的に解除したことで、彼本来の言葉を耳にすることもできている。もっとも、彼自身は未だそのことを知らないが。
「クロが本来使っていた言語が判明したことで、確かに、お主らが同じ世界から来たであろう可能性はぐんと高まった」
その時の言葉を、ハクは正確に聞き取ることができた。この世界の言語しか知らないであろうフランには、言葉として認識することができなかった、それを。
「記憶喪失になる以前、二人はなんらかの関係があったやもしれん。お主の今の境遇を知れば、クロが何か思い出すことも考えられるじゃろう」
「なら」
「じゃが」
ハクの声を遮り、レマイオは続けた。
「今、クロの記憶を取り戻させるわけにはいかん」
「…… それは、彼が闇属性の魔力を宿しているから、ですか?」
水の国マクアの番人、ヴェロットから認められたことで、クロの心の中に悪意や害意といったものが存在しないことはある程度保障されている。同様の存在とそれなりに親交があるらしいケミーも、特に言及していなかったため、クロが危険人物である可能性は低いだろう。
それでもハクがそう口に出したのは、それ以外に理由が思いつかなかったからだ。
「お主の気持ちはわかる。わしの目から見ても、クロは優しき心根の少年じゃ。何か裏があるようには到底思えんが…… それはあくまで、『今』のクロの話。過去がどうかまでは、わからんじゃろう?」
「それは……」
「記憶を取り戻したとして、もし過去のクロが悪人だったのなら、今ある善性を塗り替えられてしまうやもしれん。そうなれば、お主の命が狙われることも充分考えられるじゃろう」
「そう、ですが……」
自分がクロに殺められるようなことがあれば、当然、冥王の瘴気を祓うという使命は果たせなくなる。それだけでは済まず、共に行動しているフランまでもが命を落とすことになるかもしれない。
自身の甘さが他人を傷つけることに繋がりかねないと理解したハクは、閉口せざるを得なかった。
「記憶関連で、クロに刺激を与えるのも厳禁じゃ。話は以上。早く寝て、明日に備えなさい」
「…… はい」
何を言い返すこともできず、ハクは部屋を後にする。
落ちる視線。やけに遅くなる歩み。尚も巡り続ける思考。レマイオの忠告が至極真っ当なものだと理解できているが故に、最善の行動が何かという結論は変わらず、彼の気分が晴れることはなかった。
だが。
(だとしても、僕は、彼を信じたい)
ハクの中に芽生えていた想いもまた、変わることはない。
仲間の過去が、信用するに値しないものだと言うのなら、それらに呑み込まれることがない程に強靭な心を、『今』に確立してしまえばいい。
時間と、密な経験。そして、悪に染まらない環境が必要であり、そう易々と成し遂げられることではないだろうが、それでも、諦めるという選択肢はない。
大切な友に、仲間に。『信じている』と、胸を張って言えるように────そこまで考えてようやく、ハクはあることに思い至った。
(クロに、謝らないと)
それは、走り込みでの一悶着のこと。
確かに、件のクロの発言は許し難いものだ。だが、自身もまた、怒りに任せて余計なことを言い放ってしまったと、ハクは今更ながらに反省した。
(もういるかな……)
自室の前に辿り着いたハク。既にクロが眠ってしまっていたときのことを考え、ゆっくりと扉を開いたが、暗がりの中に彼の姿は見えなかった。どうやら、まだ戻ってきてはいないらしい。
(…… 少し待とう)
用でも足しているのか、あるいは書物の間で勉強に励みでもしているのかもしれない。なんにせよ、そう時間はかからないだろう。
もう夜も遅い。明日も修行があることを考えれば、そろそろ眠らなければならないはずだ。
入れ違いになっても面倒だと判断し、ハクは自身の布団に潜り込んでクロの帰りを待つことにする。
(あ、まずい、眠い……)
今日の修行では変に気を張ってしまったため、いつも以上に疲労が蓄積されていた。それにより、急激な眠気に襲われる。
瞼が重くなり、完全な暗闇と対面しそうになった、その瞬間。
「ハク、いるかー?」
扉の開閉音とともに、声が聞こえる。それにより、ハクの意識は急激に覚醒した。
どうやら、クロが戻ってきたらしい。
「しまった、もう寝ちゃってたか」
すぐに返事をできなかったためか、クロはハクが眠っているものと判断したらしく、それ以上話を続けることなく彼もまた自身の寝床へと移動した。
(…… 早く、謝らないと)
こういうことは尾を引くと面倒なことになると、己の勘が告げている。
明日でいい、という悪魔の囁きには耳も傾けず、ハクはクロに背を向けたまま口を開いた。
「クロ」
「のわっ!?」
クロから、奇妙な叫び声が上がる。眠ってしまったと思っていた人物から急に話しかけられたのだから、無理もないだろう。
「なんだ、起きてたのか」
「…… ごめんね」
「いや、別に謝ることねえけど」
「そうじゃなくて、修行中のこと」
「…… え?」
理解が追いつかないようで、一瞬の間が開く。
「悪いのは俺だろ」
「いや、あのとき、僕は少し苛立っていたんだ」
「ハクが……?」
「うん。僕も、気持ちばかり急いてしまっていてね…… それを、クロにぶつけてしまった。お師匠様を侮辱された、というのを言い訳にして八つ当たりしたんだ」
自分のことながら、ハクは情けないと感じていた。いっそ笑いすら覚える程だったが、勘違いされぬよう胸中に留めることにする。
「俺も、ごめん」
「悪いのは僕だよ」
「元はと言えば俺が悪いだろ」
「いや、僕が変に反応したから」
話は平行線で、このままでは埒が明かない。どうするべきかとハクが考えた矢先に、クロが口を開く。
「わかった。じゃあどっちも悪かったってことで終わりにしようぜ」
「…… そうだね。このまま口論になっても不毛だし」
「言えてら」
二人は共に笑い声を漏らした。重い空気は鳴りを潜め、普段どおりの雰囲気が戻る。
「そういえば、なんでハクまで修行を受け直してるんだ? 証集めの旅に出る前に、修行は受けてなかったのか?」
「受けてたよ。でも、ある程度だけさ。今考えれば充分とは言えなかったね」
「どうして……」
「胸騒ぎがしたんだよ。一刻も早く、動かなければならない気がしたんだ」
「…… そっか」
その胸騒ぎのおかげで、ハクは屋敷での一件に間に合った。そのため後悔はしていないが、だからと言って今の実力不足を看過することはできない。
早く、強くならなければ。
「恋愛についてでも語るか?」
「どうしたんだい? いきなり」
クロの突拍子もない発言に対し、ハクは呆れつつそう言い放った。
「よく考えたら俺、ハクのこと全然知らないと思ってさ。こんな夜には、おあつらえ向きだろ?」
「とは言ってもね……」
「そんな難しく考えなくてもいいって。好みの女性の特徴とかさ」
無邪気に笑いながら、クロがしつこく尋ねる。夜も更けてきたからか、妙に気分が高揚しているようだった。
「実は、今まで異性と深く関わったことがなくてね…… だから、あまり考えたことないんだよ」
記憶喪失であることを隠している弊害が、思わぬところで現れる。怪しまれないよう、ハクは当たり障りのない返事をした。
「意外だな。もっと経験豊富かと思った。顔いいし」
「お世辞はいいって」
「…… 過度な謙遜は皮肉に聞こえるからやめた方がいいぞ?」
「えっ」
「…… じゃあ、フランのことはどう思ってる? 恋愛対象に入るか?」
「また答えづらいことを聞くね……」
すぐに話題が変化していく。一つに対して深掘りされないことはありがたかったが、未だ迂闊なことを言えない状況が続いていた。
「ちなみに俺は違うぜ? いい仲間ではあるけど、残念ながら範囲外だ」
クロが、冗談めかしてそう告げる。彼の余裕を崩してやろうと、ハクは反撃に出ることにした。
「その割に、クロは何かとフランのことを気にかけてるよね」
「…… 本当、よく見てるよな」
鎌にかけたわけではない。クロがフランを気にかけているのは明らかだった。特別観察しなくとも、わかる程に。
「俺の好みはもう少し大人びた女性だからな。フランを気にかけるのは別の理由だよ」
「聞いてもいいかい?」
「…… フランには感謝してるんだ。俺は、あの屋敷であいつと出会わなかったら、死ぬか、闇に堕ちるか、まあどっちにしても碌なことにはなってなかっただろうから」
記憶喪失になってから初めて出会った相手に対し、思うところがあるのだろう。その気持ちはハクにも理解できた。
「もちろんハクにも感謝してるぜ?」
「どういたしまして」
「…… やっば。結構恥ずかしいな、これ」
そう呟くクロの頬は、きっと紅潮していることだろう。もっとも、この暗闇でそれを拝むことはできないが。
「で、結局ハクはどうなんだよ」
「あれ、はぐらかされてはくれないか」
「あったりめえよ」
自分だけ恥ずかしくなるのが納得いかないのか、クロがしつこくハクを問いただす。
「本当に、恋愛感情かどうかわからないんだけど……」
「とりあえず言ってみろよ」
「そうだね…… 強いて言葉にするなら、『守りたい』かな」
「それだけか?」
「多分。今のところは」
嘘ではない。少なくとも、恋愛感情らしきものを抱いている自覚はなかった。
ハクの中でのフランという存在の認識は、友人や仲間といったもの。だがそれは、クロとて同じことだ。
そこから更に踏み込んだ表現があるとすれば。そう考えて絞り出したのが、先の言葉だった。
「じゃあ俺は? 俺のことはどう思ってる?」
「…… え。もしかして、クロってそっちの気があるのかい?」
「あほか。この際だから根掘り葉掘り聞きたくなっただけだよ」
「びっくりしたよ…… うーん、そうだなあ」
信頼している、止まりの回答では駄目だろう。それでは、フランと変わらない。ただ、色々と秘密を抱えている都合上、すぐに答えを出すことができなかった。
記憶の手掛かりや闇属性の魔力に関すること以外で、何かしらの強い想いを抱いているはずなのだが、それを上手く言語化することができない。
「俺は、ハクに憧れてる」
「え?」
痺れを切らしたのか、誰に促されたわけでもなくクロが語り始める。
「尊敬、って言うと大袈裟かもしれないけどさ。ハクみたいになりたいって、見習いたいって思ってるんだ。すげー強いとことか、頭がいいとことか、優しいとことか、色々」
「クロ……」
「あれ? さっきから俺ばっかり恥ずかしくなってない?」
そんなことはない。今の言葉を聞いて、ハクもまた、こそばゆくなっていた。クロの反応が面白く感じられたため、それを伝えることはなかったが。
「クロに対しても、なんというか、説明し難いんだよね」
「わかんないことだらけじゃねえか。自分のことだろ」
「うーん…… 強いて言うなら、『共に在りたい』かな」
「なんじゃそりゃ」
「ごめん。やっぱり自分でもよくわからないや」
「そっか」
そう返した後、クロは大きなあくびをした。それによって緊張が解けたからか、ハクにも眠気が一気に襲いかかる。
「明日も早いし、もう寝よう」
「ああ……」
瞼を閉じると、意識は即座に薄れ始めた。
そんな状態で浮かんだ言葉を、ハクはふと声に出す。
「追い求め続ければ、いつか、憧れの存在になれるかもしれないね」
「そう、かな……」
半ば生返事気味のクロ。もう眠気が限界に近いのだろう。
それはハクも同じだった。意識を失いそうになるなか、最後に伝えるべき言葉を辛うじて振り絞る。
「お休み、クロ」
返事を聞くこともできないまま、ハクは深い眠りに落ちるのだった。
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