第二章『ハクと黒歴史──弐──』
第17話「衝突:光」
魔法学校。その名のとおり、魔法に重きを置いて学ぶための施設。世界最大級の規模のそれがある国に、多くの名だたる魔導士たちが出入りするのは当然と言える。
故に、この国は魔導士の国とも呼ばれている────というのが、アイアという国についての簡潔な説明だ。他に特筆するべき点があるとすれば、結界を形成している魔力が無属性であることと、番人が存在しないことぐらいか。
いずれも重要な情報なのだが、今のハクが同じ質問をされれば、きっと別の答えを出すことだろう。
(この国は…… どうして、こう、傾斜が多いんだ……!)
息を切らしながらも、懸命に坂道を駆け上がるハク。衣服を肌にへばりつかせる汗の気持ち悪さに苛まれながら、内心で愚痴を吐いた。
アイアに到着して、早一ヶ月。実力不足を痛感していた一行は、レマイオの下で修行に精を出していた。
こうして街中を走り回るのも、その一環。基礎体力は充分についていると思っていたため、この修行の意図がハクには理解できなかったが、何か考えがあってのことだろうと自分に言い聞かせてレマイオの指導に従っていた。
「着い、た……」
上り坂の終点、頂上に辿り着き、足を止める。膝に手をついて、低い姿勢のまま目一杯空気を吸い込み、そして吐き出した。
数秒程経ってから、顔を上げる。
アイア全体を一望できる場所であり、修行開始から数日間は、日光に照らし出される街並みに感動を覚えて気力の回復に繋げられていたものの、今では見慣れた景色程度にしか思えない。
「…… そろそろ行かないと」
まだ、折り返し地点だ。今度は坂道をひたすら下って、レマイオの住まいへと帰還しなければ。
そう思って歩き出そうとしたが、後方から近づく足音と乱れた呼吸に気がついたことで、ハクは足を止めて振り返った。
「お疲れ、クロ」
僅かに遅れる形で到着したのは、クロだ。
後方に、フランの姿は見えない。どうやら、かなり引き離してここまで来たようだ。
ハクが近づいて労いの言葉をかけるも、クロは呼吸するのに手一杯らしく、返事をすることはなかった。膝に手をつき、肩で息を繰り返している。
つい先程までの自分と全く同じ姿勢になっていることに気がつき、ハクは微笑んだ。だがその直後、表情を更に変えることとなる。
「あ、き、たああああ!」
突如、クロが街全域に響き渡る程の大声で叫んだ。息切れから復活したばかりとは思えない程の声量だ。
「ク、クロ、どうしたんだい?」
ハクは耳を押さえながら、奇行の真意を問う。鼓膜への突然の攻撃にさすがの彼も怒りを覚えたが、疲労が蓄積していることは察せられていたため、なるべく穏やかな声色で尋ねられるよう努めた。
「どうしたもこうしたもねえよ。かれこれもう一ヶ月もこんなことばっかりやってるんだぜ?」
「確かに、面白みがないのはわかるよ。だけど、体力作りや肉体作りは重要だからね。すぐに効果が出るわけじゃないからこそ、しっかりやらないと」
宥めてこそいるが、ハクもクロと同様の不満を抱いている。両者の違いは、それを口に出したか、否かだ。
「そんなの、実戦形式でやってればついでで効果が出るだろ」
ハクも、当初は実戦形式での修行が始まるのだろうと思い込んでいたが、実際は走り込みや筋力増強のための運動にばかり取り組まされている。他に取り組んでいることと言えば、魔力向上のための瞑想ぐらいだ。
当然、成長を実感できてはいない。実力不足による焦燥感は、拭えるどころか日々肥大化していたが、それでも彼がレマイオに物申すことはなかった。
「ったく。頭ぼけてんじゃねえのか、あの人」
口をついて出たであろう、クロの言葉。それが、ハクの怒りを買った。敬愛する師を侮辱されたのだから、当然だ。
それでも、普段の彼なら笑って受け流すか、あるいは多少の苦言に留めることができただろう。だが、この日ばかりはそうではなかった。
「…… 聞き捨てならないね」
「え?」
呆気に取られた様子のクロ。その赤い瞳を、ハクは対照的な青い双眸で睨みつける。
悪しき存在と、相対したときのように。
「お師匠様を侮辱することは許さないよ」
込み上げてきた怒りを、ハクは一切の躊躇なく吐き出した。そうすることが正しいのだと、信じて疑わずに。
「いや、そんなつもりじゃ……」
「自分の努力不足を棚に上げてそんなことを言うなんて、尚更ね」
「…… あ?」
努力不足。その言葉がクロの苛立ちを促進させたのだろう。彼もまた眉間に皺を寄せ、鋭い眼光を返す。その態度により、ハクの神経は更に逆撫でされた。
今にも激突せんばかりの空気が、二人の間に流れる。ただ、それを破ったのはどちらでもなかった。
「はあっ、はあっ、おーい、二人ともー!」
不意に声をかけられ、ハクはふと我に返る。
クロの後方から、フランの姿が見えていた。遅れていた彼女が、ようやく追いついたのだ。彼女は二人に近づいて立ち止まり、膝に手をつく。肩で息をしながら、顔だけを二人の方に向けた。
「二人とも、速いよおっ……」
「…… 休憩しすぎたかな。僕はもう行くよ」
ハクは急に気まずさを覚え、振り返って走り始める。フランからの呼びかけが再度聞こえたが、背中で受け止めたそれに反応することなくその場を後にした。
(…… 少し、言いすぎたかな)
かぶりを振り、ふと浮かんだそんな思考を吹き飛ばす。
自らの努力不足を棚に上げて他人を貶す暇があるのなら、修行に身を入れるべきだ。自身の現状に焦りを覚えているのなら、尚更。
だから、間違えてなどいない。
今、坂道を全力で駆け下りているのも、己の限界を超えるためだ。決して、逃げているわけではない。過ちから、目を逸らしているわけではない。
そう自分に言い聞かせながら、風を切って走り続けたことで────疲労に思考を上書きされる頃には、ハクはレマイオの居宅へと到着していた。
「この後は……」
今日の修行は、まだ終わりではない。他にもやるべきことが残っているのだが、次の修行をすぐに思いつけない程度には、ハクは心身ともに疲弊していた。
「ハク、少しいいかのう」
「わっ!?」
廊下にて、背後から声をかけられたことでハクは飛び上がる。振り向いた先には、お師匠様ことレマイオの姿があった。
「そこまで驚かんでもいいじゃろうに」
「お、お師匠様…… すみません」
レマイオの眉が、八の字を描く。怒ったり呆れたり、というよりは、元気をなくしたかのような表情に感じられた。
「まあ良い。それより、二人はどうした?」
「…… もう少ししたら、帰ってくると思います」
先程の衝突を思い出し、僅かに返答が遅れる。観察力が高いレマイオにはそれだけで見抜かれてしまうかとハクは懸念したが、幸い、追及されることはなかった。
「そうか」
「では、僕はこれで」
「ちと待て」
ただの世間話かと思って手短に済まし、歩き出そうとしたハクだったが、呼び止められたことで再びレマイオの方を向く。
「どうかなさいましたか?」
「これからの方針について、二人だけで話し合いたくてのう」
「それならこの間、クロとフランと一緒に決めたはずでは……」
「クロのこと、そしてお主のことに関して、改めて話しておきたい」
そこまで聞いてようやく、ハクはレマイオの言わんとしていることを理解した。
普段のハクであれば、二人の所在を聞いた上での提案というだけで推測することができたはずだが、それができなかったのはいつになく疲労が蓄積されていたためだろう。
決して、心に余裕がなかったからではない。
「…… わかりました。早速始めますか?」
「いや、就寝前で良い。とりあえずは、日課を終わらせてきなさい。他の二人には、わしの方から上手く言っておこう」
「わかりました。ありがとうございます」
「うむ。ではのう」
レマイオが去るのを確認し、ハクも再び歩き始める。心身の疲労を少しでも取るために次の修行場所へゆっくり向かおうとしたが、二人分の忙しない足音が玄関の方から聞こえてきたことで、歩く速度を僅かに上昇させるのだった。
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