第15話「雷の試練」
しばし時は流れ────クロの救出に成功してから、二日後のこと。ハクとフランの二人は、ヴィオーノでの試練を受けるべく、番人ケミーのもとを訪れていた。
「顔色が優れんようだが…… また日を改めるか?」
「いえ、大丈夫です」
つい先日も世話になったばかりの寺院。その地下に用意された広間にて、二人はケミーと向かい合う。万全な状態から程遠いことは、彼ら自身が一番理解していた。それでも、休んでなどいられない。
クロを救出し、誘拐事件に関わった人間のほとんどを拘束したことで、一行がこの国で命を狙われる危険も去った。これ以上ない結果と言えるが、悩みの種が全て解消されたわけではない。
自分が、心身ともに未熟だということ。それにより、また同じようなことが起こるかもしれないということ。そこに自責の念や罪悪感といったものが混ざり合うことで、ハクは眠れない夜を過ごしている。
それはフランも同様らしく、彼女の目の周りには泣き腫らした痕や隈が見受けられた。
「ご心配をおかけしてすみません。本日はよろしくお願い致します」
二人同時に、頭を下げる。
このような状態だからこそ、進まなければならない。
大切なものを守るため。使命を果たすため。失ってしまったものを取り戻すため。一日でも早く成長する必要があった。
「そうか……」
諦めたように呟き、瞼を閉じるケミー。数秒程経過してから、口とともに再びそれを開いた。
「では、早速始めるとするか」
その言葉の直後、二人の足下に魔法陣が広がる。恐らくは、ケミーが出現させたものだろう。
「今から現れる敵を全て倒すことができれば、合格とする」
「敵……?」
「すぐにわかるさ」
フランの問いに、ケミーは不敵な笑みを返した。
その真意を確かめる間もなく、魔法陣から広がった光が二人の体を包み込む。全身が痺れるような微弱な痛みに耐えながらも、ハクは光が収まるのを待った。
「────ここは」
瞼を開くと、先程までとは全く違う景色が目に飛び込んでくる。既に何度も同じ経験をしているためそれ自体に驚きはしないが、気がかりなことがあった。
「夜……?」
「今、まだお昼前のはずだよね」
心配そうに確認するフラン。
彼女の認識に間違いはない。二人がケミーのもとを訪れたのは、午前中だ。気分にそぐわぬ陽光の中を歩いたことが、未だはっきりと思い出せる。
「うん。しかも、この場所……」
「結界の外、だね」
現在地からは、黄色の輝きに包まれるヴィオーノが見えた。結界が雷のようにほとばしっているのを、遠目に見ても確認できる。
「それに……」
見覚えがある、と続けようとしたが、魔力反応を感じたことでその言葉を飲み込んだ。
数は六つ。二人を取り囲むかのような位置だ。
ケミーの言っていた『敵』が現れたのだろう。そう思いながら視線を向けたハクは、相手の姿を確認したことで目を見開いた。
「こいつら、人攫いの……!」
クロを攫い、更には二人の命まで狙おうとした、人攫いの六人組。リペルの働きによって拘束されたはずの彼らが、そこには立っていた。
「ど、どうして……」
フランが肩を震わせる。心の傷は癒えるどころか、じわじわと広げられているようだった。
動揺を隠せないのはハクも同じだ。だが、相手の様子をしばし観察していたことで違和感に気づき、冷静さを取り戻した。
「フラン、落ち着いて聞いて」
彼女の肩に手を置き、できるだけ優しく語りかける。
「あれは多分、作り物だ」
「作り物……?」
「彼らだけじゃない。この空間そのものが、魔力によって構成されているんだよ」
そう気づけたのは、意思疎通を図る様子が相手になかったからだ。
彼らは、無言で、無表情で、無感情で、微動だにせずただそこに立っている。生物の在り方とは、到底思えない。
「僕らの記憶から再現しているんだろう。そう考えれば、結界外にいるように思えることにも、夜になっていることにも説明がつく」
だから、とハクは続けた。
「怖がる必要はないよ。安心して」
予想外の出来事でこそあるが、異常事態が発生したわけではない。
あくまで試練。これから起こることは、人攫いの件とはなんの関係もないのだ。
「…… そっか」
そう呟いてから、フランが深呼吸をする。ゆっくりと瞬きをした後の彼女の眼差しに、迷いは見られなかった。
「ごめん、もう大丈夫。ありがとう」
「気にする必要はないさ。それより、準備はいいかい?」
「いつでもいけるよ」
恐怖を抱き、絶望を覚え、未熟さに嘆き、涙を流しても、彼女は折れない。その心の強さが、ハクは何よりも頼もしく感じられた。
「じゃあ…… 始めようか!」
二人が武器を構えると同時に、相手も動き出す。前方から剣士、左後方からは大槌使いが迫ってきた。
「守れ!」
簡略化した詠唱で、右後方に光の壁を展開する。相手の接近がない代わりに、魔力の弾丸を撃ち込まれていたからだ。
甲高い音が、連続して響く。即座に壁を破壊されることこそなかったものの、この調子では数秒程度しか銃撃を持ち堪えられないだろう。
だが、数秒あれば充分だ。
「撃ち抜け!」
杖の先から、光の球体を正面方向に連射する。そのほとんどが相手の剣によって斬り裂かれたが、織り込み済みだ。
狙いは、剣士の奥に佇んでいる、これまた杖を持った魔導士。彼女による魔法の妨害が始まれば、前回の二の舞になってしまうからだ。彼女を倒すことが、ハクにとって現時点での最優先事項だった。
「縛れ!」
光の球体が剣士の攻撃を潜り抜けたその瞬間、別の詠唱を行う。直後、光は紐のように変形して魔導士の体に絡みつき、たちまちのうちに対象を拘束した。
だが、それだけでは終わらない。
「弾けろ!」
詠唱に呼応するかのように、光は輝きを増していき────やがて、爆発した。
土煙が上がり、相手の姿が見えなくなる。魔力反応からして無力化できた可能性が高いが、確認する暇はない。
大槌使いが、すぐそこまで迫ってきている。
(図体の割に、速い……!)
フランが矢を放って減速を試みていたようだが、相手は自身の武器を進行方向に構えることでそれを防いでいた。
ハクの魔法が剣士の挙動に若干の影響を及ぼしていたこともあり、大槌使いが先に己の間合いへと辿り着いたらしい。
「伏せて!」
向かって左から、鉄塊の如き大槌が振るわれる。
まず受け止められる威力ではないため、回避するしかないのだが、下手に動けば死角から狙撃されかねない。その後の戦闘への影響を考慮した結果、姿勢を低くして自分たちの頭上に大槌を通過させることにした。
ハクの言葉に疑問を抱く様子なくフランも従ったため、期待どおりに事が進む。だが、二人の窮地は尚も過ぎ去ってはいなかった。
「上から……!?」
大槌使いを踏み台にして、短剣使いの女が二人のもとへ飛びかかる。
回避、防御、反撃────二人は姿勢を崩してこそいるものの、次の行動が間に合わなくなる程ではない。ただ、少しでも選択を誤れば、付近で様子見をしている剣士の一撃に泣かされることになるのは想像に難くなかった。
「縛れ!」
即座に身を起こすハク。地に膝をつけた状態で左腕を真上に伸ばし、掌から光を紐状にして放出した。魔導士のときのように短剣使いを縛り上げるが、まだ爆発は起こさない。
「いっ、けえ!」
光は未だ、ハクの制御下にある。それを操作することで、彼は捕らえた相手を遠隔で振り下ろし、剣士の頭に叩きつけた。
(もう限界か……!)
ふと、光の壁に目を向ける。亀裂が全体に広がっていて、今にも崩壊しそうだった。ハクはそれの補強を行わず、隣に新たな壁を展開する。
「フラン、こっちに!」
いつの間にか、フランも体勢を整え終えていたらしい。ハクは向かう先を指し示しながら、彼女と共に後方へと移動して新たな安全地帯に逃げ込む。
「弾けろ!」
それからようやく、短剣使いの拘束に回していた光を爆発させた。
魔力反応が、同時に二つ減る。一つは、短剣使いの女。もう一つは、彼女のすぐ近くにいた剣士、ではなく、大槌使いの男だった。
どうやら、伏せた直後からフランが集中して矢を放っていたらしい。一撃で仕留めることこそ叶わなかったようだが、大振りの攻撃によって生じた隙を突いたことで撃破に成功したのだろう。
(次は……)
二回目の爆発によって舞い上がった土煙。その中から感じられる気配に、ハクは照準を合わせた。
「『ギャザリング=レイ』!」
杖の先から、特大の光が放出される。それが土煙を貫くと同時に、魔力反応はまた一つ減少した。
あと、二人。
同一方向にいる彼らの方へと、ハクは視線を動かす。またしても光の壁が破壊されかけていたが、今度は魔力を込め直して補強した。
「ハク、どうする?」
残るは、盾使いの男と、狙撃手だ。相手から距離を詰めてくることがないため、光の壁を展開し続けることで時間は稼げるが、先に魔力が尽きるのはハクの方だろう。
それでも即座に動き出せないのは、盾使いがひたすら守りに徹しているからだった。
彼の盾は、魔法を跳ね返すことができる。条件や制限等の詳細は不明だが、無闇に攻撃を仕掛けて自滅させられては敵わない。
あともう少しで勝利できるからこそ、慎重に考えなければ。
「…… 壁を展開したまま、前進する。ある程度接近したら合図をするから、同時に壁を出て、左右から相手を挟み込もう」
「そしたら、攻撃すればいい?」
「いや、多分大丈夫。上手くいけば、僕の魔法で仕留められるから。ただ、二つだけ気をつけてほしい」
「二つ?」
「相手から視線を外さないようにすること。相手に近づきすぎないこと」
ハクは人差し指と中指を順に立てて説明する。着弾の音に阻まれぬよう、僅かに声量を上げて。
「わかった」
「それじゃあ、まずは接近するよ」
再び光の壁を補強すると、ハクはそれを押し進めるようにして相手との距離を詰めていく。そんな彼の後に、フランも続いた。
二人の接近は視認されているはずだが、相手の動きにこれといった変化は見られない。
余裕の表れか、それとも、他に手がないだけか。なんにせよ、彼が歩みを止めることはない。
これ以外に、相手を出し抜く方法はないのだから。
「────今!」
合図とともに駆け出し、ハクは左から、フランは右から相手に向かっていった。
「『ダウンポウリング』」
ハクは詠唱を始めつつ、相手の動きに注視する。
視界に映っているのは、盾使いの男だけ。狙撃手はその裏に隠れて見えなくなっている。
つまり、相手の射線上にフランが立っているということだ。
「『レイ』!」
構えられた盾に向け、杖を伸ばす。
だが、その先端からは何が放出されることもなかった。
面食らいながらも、ハクの攻撃を警戒し続けているのだろう。相手は、盾を一切動かさなかった。
既に魔法が発動されているとも知らずに。
「…… よし」
突如として降り注いだ光に、盾使いの姿と、その背後に隠れていたであろう狙撃手が呑み込まれる。数秒程経過すると、魔力反応が二つ減少したことを確認できた。
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