第14話「暗黒、到来」
寺院の地下に設けられた、とある広間。まさに土の中という表現が正しい空間にて、ハクは一人座っていた。
瞼を閉じ、背筋を伸ばす。全神経を研ぎ澄まし、自身の体内を絶え間なく流動する魔力に意識を集中させていた。
だが、後方から足音が聞こえてきたことでそれを中断する。正体に気がついていた彼は、話しかけられるより先に口を開いた。
「そろそろ眠った方がいいよ、フラン」
「ハクこそ」
近づいてきたのは、フランだ。彼女はハクの左側まで辿り着くと、腰を下ろしてから微笑んだ。
だが、その表情はどこかぎこちない。
「僕は、日課をこなしてるだけだから」
瞑想。魔力量を増加させたり、魔力の質を向上させたりするために必要な修行だ。すぐに効果が出るわけではないため、毎日地道に行う必要がある。
クロの救出を依頼して、早五日。彼がいないことによる寂しさを抱えつつも、ハクは自己研鑽に励んでいた。
「無理、してない?」
「…… どうだろうね」
甘えようとは思わなかったが、強がることもできず、フランからの問いかけに曖昧な返事をする。
ハクは、寂しさを埋めるかのように修行に没頭していた。だが、心ここにあらずといった状態で行っているからか、その成果は芳しくない。それが焦りを生み、更に質が低下していくという悪循環に陥っていた。
それでも彼が胸中を曝け出せなかったのは、彼女も同様の悩みを抱えているはずだと察せられたからだ。
だからこそ、先程の問いをしたのだろう、と。
「フラン、最近眠れてないんじゃないかい?」
「え、そ、そんなことないよ……?」
「わかるよ。日に日に元気がなくなってるし」
「あ、あはは……」
誤魔化すように、フランが笑う。他人に心配をかけまいと思ってしまうのは、人間の性なのかもしれない。
そう考えながらも、彼女を放っておくことはハクにはできなかった。
「本当に、気に病む必要はないんだよ」
「え……?」
「あの日、人攫いから逃げ切れたのは、フランのおかげなんだ」
「どういう、こと……?」
その言葉は、気休めでもなんでもない。少なすぎる情報を基に、ハクが長い時間をかけて導き出した答えだった。
「あのとき、フランは魔力の矢を放っただろう? あれが、魔法になっていたんだよ」
「でも、私、そんなつもりは……」
「恐らく、君の強い願いや想いといったものに、魔力が応えたんだろう」
「願い……?」
ハクの言葉も耳に入らなくなる程に追い込まれていたあの状況で、フランが声に出してまで願っていたこと。
「拒絶、かな」
「あ……」
「そこから作り出された魔法は、本来、相手を転移させるものだったんだろう。発動者から、危険を遠ざけるために」
ただ、とハクは続ける。
「相手の盾に弾かれて、その魔法が僕らに跳ね返ってきたんだ。転移先が、偶然この寺院に設定されていたことで、ケミーさんに助けを求めることができた…… と、僕は考えてる」
憶測が多いが、他にもっともらしい理由づけはできない。消去法で、今話した内容こそが、あの日起こった出来事の真相なのだろうとハクは結論づけていた。
「だから本当に、自分を責めるようなことはしないでほしい。君がいなければ、今頃は、僕も……」
想像しただけで気が滅入り、ハクは言葉を濁す。
せめて、少しでもフランの心を軽くすることができればと考えていたが、事はそう上手くはいかないようだった。
「…… でも、私がもっと強ければ、二人を危険な目に遭わせずに済んだことに、変わりないよ」
「それは、僕にも言えることで────」
「違う」
一際大きな声が、ハクの言葉に被せられる。
「私が、弱すぎるんだよ…… いつもいつも、足引っ張って……」
「フラン……」
抱えた膝に、頭を突っ伏すフラン。彼女に対してこれ以上何をすることも、ハクにはできなかった。
「…… そろそろ、寝ることにするよ。フランも、途中まで一緒に戻ろう」
「うん……」
どちらからともなく立ち上がり、歩き始める。寝室は個別に用意されているが、ここからの方向は同じだ。
万が一の襲撃に備え、できるだけ近くにいられるようケミーが配慮してくれたのかもしれない────そんなことを考えた瞬間、ハクは死角から恐ろしい気配を感じ取った。
「フラン、下がって!」
咄嗟に振り向き、臨戦態勢に入る。未だ状況を飲み込めていないらしいフランを遠ざけるようにしながら、ハクは『それ』を睨み続けた。
(なんだ、あれは……)
視線の先で、黒い何かが蠢いている。
いや、それが魔力だということは既に理解できていた。更に言うなら、闇属性のものだろうということまで。
問題は、何故、この場所に、なんの前触れもなく現れたのか、だ。
魔物、ヒョウ、人攫い────ハクが答えに辿り着くよりも早く、目の前の闇はあるものを形作った。
「見慣れない顔だな」
それは、人だ。闇が広がり続けた結果、黒い鎧を身に纏った騎士のような存在が、その場に現れた。
「…… 貴方は、何者ですか?」
警戒を続けたまま、ハクは尋ねる。相手の顔は兜によって隠されているが、知人ではないだろうとすぐにわかった。
今も尚、空気を伝って肌から感じられる程の、圧倒的な魔力量。過去にこのような存在と対峙したことは、彼にはなかった。
「他人にものを尋ねる態度には見えんな」
男性のものと思われる声が、鎧から発される。兜と、淡々とした話し方のせいで、思考や感情が全く感じ取れなかった。
「まあ、無理もないだろうが」
溢れ出る禍々しい気配とは裏腹に、男は一向に動く様子を見せない。だからと言ってハクが警戒を緩めることはなかったが、少しばかり思考に余裕が生まれていた。
「見ているんだろう。とっとと出てこい」
男は一切身動きを取らずに、そう告げる。見えないだけで、兜の下ではぐるりと視線を動かしていたのかもしれない。
「そうかっかするな」
「うわっ」
ハクとフランが、揃って間抜けな声を上げる。地面から急に人が生えてくれば、無理もないだろう。
「これからの時代を担ってく若者たちの交流を見届けようとしただけだ」
地面から現れ、そのまま二人と男の間に立ったのは、頭の禿げ上がった老人、番人ケミーだ。彼は悪びれる様子もなく軽口を叩いている。
「ケミーさん、この人って……」
二人の関係性を、フランも疑問に思ったらしい。そうそう感じることのない魔力量に怯えているのか、ハクの背に隠れるようにしながらも彼女が尋ねる。
「ああ、紹介がまだだったな」
安心させるかのように笑みを浮かべてから、ケミーが続けた。
「こいつはメア。今回の件で動いてもらう予定の、『もう一人』だ」
「この人が……?」
ハクは視線をケミーから鎧の男、メアへと動かす。番人の知人だとわかったために警戒心は薄れたが、未だ疑問は残っていた。
「心配するな。闇属性の魔力を宿してこそいるが、悪い奴じゃない。きっと、二人の力になってくれるはずだぜい」
「勝手に話を進めるな」
張り上げられた、メアの声。それにより、フランが身を縮こまらせる。疑う必要性が低くなったとは言え、そう簡単に恐怖心は拭えないのだろう。
「まだ、協力すると言った覚えはない」
「まあまあ、とりあえず話だけでも聞いてくれや」
相手がそれ以上言葉を紡がないとわかると、ケミーは咳払いをしてから再び口を開いた。
「こいつらの仲間に、クロって名前の小僧がいるんだが…… どうも、人攫いに連れてかれたようでな。その救出に向かってほしい」
「断る。何故俺がそんなことをせねばならん」
「そいつもまた、闇属性の魔力を宿しているからだ」
メアの即答に対し、ケミーもまた同じように返す。
「ただ、記憶喪失らしくてな、お前さんの探している手掛かりを握っているとは思えんが……」
「…… 今回の件、『奴ら』が裏で糸を引いているかもしれない、ということか」
奴ら。その言葉がいったい何を指しているのかハクは疑問に思ったが、二人の間に割って入ってまで尋ねることは憚られた。
「いいだろう。だが、敵の潜伏場所に見当はついているのか?」
「問題ない。夕方頃、リペルが情報収集を終えたところだ」
「本当ですか!」
食い気味に、ハクとフランが揃って尋ねる。クロの救出を依頼してからというもの、その進展が一切耳に入っていなかったからだ。まさか、滞りなく進んでいるとは思いもしなかった。
「結界拡張塔。そのうちの一つ、修理中で立ち入り禁止になっている塔の地下に、クロは運び込まれたらしい」
「どうして、そんな所に…… そこは確か、国の管轄では?」
その名のとおり、結界の範囲を拡張するために建設された塔。数は四つで、いずれも国の管理下に置かれている。
修理中とは言え、人攫いの集団がその地下に忍び込むことは容易ではないだろう。ならば何故、クロはそこにいるとされているのか。
「管理関係者のうちの誰か、あるいは全員が、人攫いと繋がってる可能性があるってことだろうな。まだ、推測でしかねえが」
下手をすれば、国家ぐるみの犯罪かもしれないということだ。ケミーに相談して正解だったと、ハクは安堵した。
もし国営の機関に相談していれば、今頃二人も捕まっていたかもしれない。転移先がこの寺院であったことで、その未来を回避することができた。
「了解した。すぐに向かおう」
「待ってください」
魔法が発動される兆候を感じ、ハクは咄嗟にメアの腕を掴む。
「僕も、連れて行ってもらえませんか」
「引っ込んでろ。足手まといだ」
鎧と擦れ合う音を立てながら、兜がハクの方へと向いた。その奥に隠された双眸は、彼の青い瞳を射抜いていることだろう。
「お願いします。自分の手で、クロを助けたいんです」
「くどい。とっとと手を放せ」
「わ、私も!」
反対側の腕に、フランがしがみつく。
「もう、これ以上じっとしてられない…… 私も、クロを助けるために動きたいです!」
「貴様ら、いい加減に……」
「まあまあ、そう言ってやるなよ、メア」
闇属性の魔力が高まっていくのを感じられたが、ケミーの声によってかそれは徐々に収まっていった。
従順、とまではいかないが、彼の話であればメアは耳を傾けるらしい。
「こいつら程度の実力で、どうにかなる相手なのか?」
「その点は確かに不安だが…… 連れてってやってもいいだろう。お前一人行ったところで、クロが取り合ってくれるかわからねえからな」
仮に単独で救出に成功したとしても、彼を怪しんだクロが逃亡してしまう、と言いたいのだろう。
「…… わかった」
兜の中でため息を反響させてから、メアが呟いた。
彼程の実力があれば、抵抗を許さずに連れ帰ることができるはずだ。それでも同行を許可したのは、二重の意味で面倒だと判断したからだろう。
「俺が先に転移して、見張りを片付けておく。貴様らは数分経ってから、そこの番人に送ってもらえ」
「…… ありがとうございます」
手を放し、一礼する二人。再び視線を戻したときには、既にメアの姿はなかった。
「根はいい奴なんだ。悪く思わないでやってくれ」
「ケミーさんとメアさんは、どういった関係なのですか?」
「…… 昔、色々あってな」
珍しく、ケミーの表情が曇る。ほんの一瞬だけだったが、ハクはそれを見逃さなかった。
「少なくとも、俺っちの口から言えるようなことじゃない。時が来たら、あいつが自分から言うかもな…… それまでは、詮索しないでやってくれるか」
「…… 失礼しました」
闇属性の魔力の持ち主。クロと何かしら関係しているかもしれないと思ったが、それ以上聞くことはできなかった。
「いや、気にしないでくれ…… さて、お喋りはこのへんにして、準備してきな。転移先は敵陣のど真ん中だ。メアが一通り片付けてるとは思うが、交戦する可能性は充分にあるからな」
「わかりました」
武器は各々の寝室に置いたままだ。
メアという強力な助っ人がいるとは言え、さすがに素手で敵地に赴くわけにはいかない。万全の状態で臨むべく、二人は準備を進めることにした。
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