第13話「夜の寺院」

「────あ、れ?」


 次第に、光が弱まっていく。

 痛みどころか、衝撃にすら襲われなかった。故に、ハクは依然として意識を保ち続けている。


「フラン、大丈夫……?」


 背後には、変わらずフランの姿があった。一目見て彼女の無事を確認し、安堵したのも束の間、ハクは自分たちを取り巻く環境が一変していることに気づく。


「ここは……」


 つい先程まで二人は結界外で交戦していたはずだが、いつの間にか薄暗い屋内空間へと移動していた。

 周囲に、先程の請負人たちの姿はない。彼らによる仕業かと思ったが、見覚えのあるこの場所と彼らの繋がりを感じられず、原因は別にあるのだろうと判断した。


「ここ、ケミーさんのお寺だよね」


 雷の国の番人、ケミー。禿げ上がった頭部が特徴的な、背の低い老人だ。

 ハクたちが一週間前に訪れた彼の寺院にある応接室と、今いる場所の内装は寸分違わず一致していた。そのことに、フランも気づいていたらしい。


「そのようだね。でも、いったいどうして……」


「それは俺っちの方が聞きたいんだがな」


 そんな声が聞こえると同時に、部屋の照明が点灯する。暗闇が一気に取り払われたことで、声の主がハクたちの前に姿を現した。


「ケミーさん……」


「夜分に忍び込んだ侵入者…… ってわけじゃあなさそうだな。いったい何があった」


 自身が管理する敷地内に突然足を踏み入れられたというのに、ケミーは冷静さを欠くことなく尋ねる。

 そんな彼を見て、ハクは蹲って自らの頭を床に叩きつけた。


「無礼を承知でお願いします」


「ハク!?」


 驚いたような声を上げるフラン。彼女を他所に、ハクは地面に向けて言葉を紡ぐ。


「クロが…… 僕の友人が、何者かの陰謀によって連れ去られました」


 どれ程滑稽に見えても構わない。体面など気にしている余裕はない。この行いが無駄である可能性が高いことは、百も承知だ。


「番人のお手を煩わせるようなことではないと、頭では理解しているつもりです」


 国家転覆といった一大事でもない限り、番人は動かない。つい先日クロに伝えた言葉が、今になって己の脳内で響き渡る。


「それでも、今の僕には、貴方を頼るより他に打てる手がない」


 故に、こうして額を地につけるしか、ハクにはできなかった。


「友人を助けるため、お力を貸していただけないでしょうか」


「わ、私からもお願いします!」


 フランの声が、間近に迫る。

 視線をそちらへと向けると、彼女もまた、同じように姿勢を低くしているのがわかった。


「クロは、いつも私を助けてくれて…… でも、私は今日、クロを助けられなくて……」


 声と体を震わせながら、フランが胸に抱えたものを吐露していく。


「お願いします。私に、私たちに、力を貸してください……!」


 仲間を連れ去られた悔しさは、フランも同じだろう。いや、もしかしたら、自分以上に責任を感じていたのかもしれないと、ハクは思い直した。


「お願いします。どうか……!」


 二人揃って、頭を下げ続ける。

 それを見て何を思ったか、ケミーはしばしの沈黙の後、その口を開いた。


「顔を上げろ」


 恐る恐る、従う二人。その瞳に映るケミーの表情から、胸の内を探ることはできなかった。


「いいだろう。なんとかしてやる。俺っちが直接動くことはできんが…… 色々と伝手があるしな」


「…… 本当ですか?」


 頼んだのはハク自身のはずだが、思わずそう尋ねてしまう。


「悪趣味な嘘はつかねえよ。それより、話の詳細を聞かせてくれるか」


「あ、ありがとうございます!」


 立ち上がってから、再度頭を下げた。フランもまた、それに続く。ハクは彼女の方を向いて頷くと、一歩前に出てから口を開いた。


「今日、魔物退治の依頼を合同で受けていたのですが…… 依頼を終えて結界内へと戻る前に、他の請負人たちに襲撃されたのです」


 苦い想い出。だが、できるだけ鮮明に脳裏へ描き出しながら、整理して言葉を並べていった。


「結果、クロは連れ去られ…… 僕たちはこうして、命からがら逃げ出してきました」


「なるほどな……」


 何故、この場所に辿り着けたのか。確証はないが、時間が経過したことでハクは薄々その理由に気づいていた。それでも口に出さなかったのは、クロを救出するという点において、そこまで重要ではないと判断したからだ。

 もっとも、尋ねられれば答えるつもりではあったが、ケミーはその件に触れることなく話を先へと進めた。


「巷を騒がす人攫い集団に目をつけられたんだろうな。そして、その狙いは恐らく……」


「闇属性の、魔力」


「…… まあ、さすがに気づいてるわな」


 相手の口から直接聞けたわけではないが、クロが狙われる理由など、他に思い浮かばない。


「目的次第じゃ、既に殺されてるかもしれんが……」


「それは、ないと思います」


 食い気味に、ハクはそう答えた。


「奴らは何者かに、クロの生け捕りを依頼されていたようです。楽観視はできませんが…… すぐに殺されることはない、と思います」


「ふぅん……」


 物珍しさから手元に置いておくにしても、実験材料として使うにしても、すぐに殺されることはないだろう、とハクは推測している。願望がふんだんに盛り込まれていることは否めないが、フランにこれ以上の心労をかけることは気が引けたため、少しでも希望を持てるようにしていた。


「まあ、裏に誰がいるのかはわからねえが、兎にも角にも、まずはその請負人とやらをとっ捕まえねえとな」


「ええ。特徴は……」


「おっと、言わんでもいい」


 ケミーが掌を突き出し、ハクの言葉を制止する。


「リペル、話は聞いてたな」


「もちろんです、お爺様」


 ハクの背後から、声。

 振り向いた先には、一人の女性が立っていた。


(いつの間に……)


 目を見開くハク。姿を見るまで、女性の気配を一切感じ取れなかったからだ。

 いつからいたのか。どのようにして現れたのか。この部屋はそれなりに広く、出入り口まで数十歩程はあるため、自らの足で移動したとは考えづらいが、かと言って魔法を発動していたようにも思えない。


「ハク様、フラン様、お初にお目にかかります。私、番人ケミーの孫娘、リペルと申します。以後、お見知りおきを」


 スカートを摘んで一礼する、形式的な挨拶。それにより、地面と垂直方向を軸にして巻かれた長い茶髪が揺れる。


「よ、よろしくお願いします」


 浮かんだ疑問を解消できないまま、ハクはフランと共に頭を下げた。


「リペル、早速頼む」


「承知致しました」


 リペルが二人の方へ数歩近づき、その額に手を当てる。


「お二方、少々失礼致します」


(なん、だ……?)


 直後、ハクは奇妙な感覚に襲われた。

 意識を明確に保ちながらも、別の光景を流し込まれる────いや、引きずり出されるような、およそ日常生活で経験することはないであろう現象だ。

 快、不快で言えば、間違いなく後者なのだが、協力を要請している手前、愚痴は漏らせない。なるべく表情を歪めないよう努めながら、それが終わるのを待った。


「…… はい、完了致しました」


 手を離されると同時に、謎の現象が終了する。未だ頭痛が続いているが、ハクはそれを堪えながら前後に立つ二人を交互に見た。


「今、のは……」


「リペルの魔法は記憶系統に特化していてな。他人の記憶を読むぐらいは造作もない」


「記憶を……」


「心配なさらずとも、個人的なことに踏み入るような真似はしておりませんよ」


 まさか。そんな思考が顔を強張らせていたのか、リペルに注釈を入れられる。


「い、いえ。そのようなことは……」


 誰しも、他人に触れられたくないことの一つや二つあるだろう。だが、ハクは秘匿しなければならない情報が多すぎる。少しでも露呈すれば面倒なことになりかねないと彼は危惧していたが、どうやら敏感になりすぎていたらしい。


「では、私は準備を進めて参りますね」


「ああ、頼むぞ」


「よろしくお願いします」


 今日何度目かもわからない礼をすると、リペルはすたすたと歩いていき、扉の向こうへと去っていった。魔法を用いた移動でないあたり、やはり来たときも徒歩だったのかもしれないとハクは結論づける。


「さて。もう一人、声をかけておくとするか」


「もう一人?」


 背を向けるケミー。左耳に手を当ててから天井へと視線を動かした彼の周囲で、魔力の流れが僅かに変化した。


「おい、聞こえてるな。俺っちだ」


「え……?」


「手伝ってもらいたいことがある。お前さんにも関係するかもしれん話だ。大至急、寺院まで来い。いいな」


 フランが声を挟んだが、ケミーは耳を傾けることなく話し続け、やがて沈黙する。それから再び二人の方へと振り返った。


「今のは……?」


「念話だ。俺っちからの一方通行だがな」


 フランの呟きが、今度こそ拾われる。

 どうやら、『もう一人』に対し連絡を取っていたらしい。一方通行という言葉が気がかりではあったが、今考えるべきことではないと、ハクはかぶりを振る。


「あの、私たちは、どうすれば……」


「お前さんたちは、しばらくここで身を潜めてろ。面が割れてる以上、無闇に出歩くのは危険だ」


「でも……」


「心配するな。お前さんたちの仲間は、必ず助け出してみせる」


 クロのために動きたい気持ちは、ハクにもあった。だが、ケミーの言葉が至極真っ当であることもまた理解している。故に、フランのように食い下がることはできなかった。


「今から地下室に案内しよう。滞在中はそこを自由に使ってくれて構わない。何かあれば、その辺にいる従者に声をかけてくれ」


「ありがとう、ございます」


 礼を述べ、フランと共にケミーの後に続いて歩き始める。重い沈黙を破ることはできず、ただただ歩を進めた。

 もっと、強ければ。

 人知れず、ハクは拳を握りしめ続ける。

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