第11話「謎の男と猿と雉:光」

 その男と出会ったのは、夜。馬車を利用して次の目的地、雷の国ヴィオーノに向かう最中のことだった。


「へえ、お前ら試練を受けてるのか」


 クロの向かいに座ってそう尋ねた彼の名は、ヒョウ。後方に撫でつけられた水色の頭髪と、寒色系の彩りで構成された制服のような上着が特徴的な男だ。


「はい! って言っても、まだ一つ突破しただけなんですけど」


 人見知りをしない性格なのか、フランは既に打ち解けているようで、会話を弾ませている。対してハクはというと、口数が少なくなっていた。

 彼は、ヒョウに不信感を抱いている。相手から、クロと同じ────いや、それ以上の、禍々しい気配を感じていたためだ。


(この男、闇属性の魔力を宿しているのか……?)


 仮にそうだとして、必ずしも悪人であるとは限らない。それは、クロの存在が証明している。だが、だからと言って初対面の相手を全面的に信用できるはずもなかった。


「クロ、どうしたの? 元気ないけど」


「そ、そうか?」


 クロの活気が鳴りを潜めているのは、体調不良によるものではないだろう。彼もまた、ヒョウのことを警戒しているのだと考えられる。

 意識的に感じ取ることができていないとは言え、自身のそれと同じ魔力を宿しているであろう相手との接触は、彼にとって少なからず刺激になっているようだ。

 それが良いことか悪いことかまではわかりかねたが、自分以外にもヒョウを怪しむ人間がこの場にいることで、ハクの心は僅かに軽くなった。


「寝不足じゃないかな。三人旅が始まってから、こうして夜に活動するのは初めてだし、慣れないのも無理はないよ」


「眠いなら寝とけ? 若いうちに寝ねえと、背が伸びねえからな」


 冗談混じりに言うヒョウ。

 奇抜な服装とは言え、高い身長と男前な顔のおかげか、どこか様になっていて、総合的に見れば頼れるお兄さんという風貌だ。もっとも、それは見た目だけの話だが。


「…… そうですね」


 警戒対象から気遣われたところで、いつもの調子には戻せないだろう。それでも、相手に悪い印象を与えないようにと考慮することはできたのか、クロは目を逸らしつつも当たり障りのない言葉を吐き出した。


「…… ところで、クロ。一つ聞いてもいいか?」


「なんですか?」


「お前、剣はどうしたんだ?」


「剣?」


 なんのことかわからなかったようで、クロがヒョウの顔に視線を戻す。その時には既に、ハクは臨戦態勢に入ろうとしていた。


「屋敷に置いてあった剣だよ。あのぼろいやつ」


「ああ、あれは折れちゃって…… え?」


 ようやく、違和感を覚えたらしいクロ。だが、彼がその理由を口に出すよりも速く、ハクは杖の先端をヒョウへと向ける。


「クロが持っていた剣のことも、ましてや屋敷の件についても、貴方には話していない。それなのに、貴方は知っていた。いったい、何者ですか?」


「落ち着けよ。こんな場所で魔法なんて使ったら、客車が吹き飛んじまうぜ?」


 その言葉を受けてハクは杖を引くが、視線はヒョウから動かさずに警戒を続けていた。相手が妙な動きを見せた瞬間、すぐに対応できるよう準備する。


「どういう、ことなんだ……?」


「その顔、やっぱりお前面白いわ」


 その言葉が、きっかけだった。


「ぐっ……!?」


 突如、クロが頭を抱えて苦しみ始める。


「クロ、大丈夫!? クロ!」


 フランがクロに近づき、容態を確認した。ハクも彼が心配ではあったが、意識を向けることはできない。


「クロに何をした!」


「…… なるほど、こういう反応か」


「答えろ!」


 怒りを隠そうともせず、ハクは力強く杖を握りしめる。

 クロの頭痛が偶発的なものとは思えない。目の前の男による現象だと、彼は信じて疑わなかった。


「何もしてねえよ。あまりにもお前らが鈍いんで、少しからかってみただけだ。ま、さすがにもう気づいてるよな」


 ヒョウが立ち上がり、クロに向けて左手をひらひらと振る。


「俺が、お前を屋敷へと運んだ張本人だよ」


「お前、が……?」


 鋭く睨みつけるハクの瞳には、薄気味悪い笑みを浮かべた男の横顔が映っていた。


「客人! 外に出てくれ!」


 緊張した空気に、御者の声が響く。


「魔物だ! 討伐を頼む!」


「こんなときに……!」


「ほらほら、早く行かねえと馬車がおじゃんになっちまうぜ?」


「くっ…… フランはここでクロを見ていて!」


「でも、ハク一人じゃ危険だよ!」


「俺なら、大丈夫、だ……」


 クロが立ち上がって、声を振り絞った。


「三人で、戦おう」


「…… わかった。だけど、無理はしないでね」


「おいおい、俺は頭数に入れちゃくれねえのかよ」


 ヒョウが冗談混じりに呟く。そんなことはお構いなしに、三人は馬車を降りた。

 馬車の前方で、一匹の猿が陣取っている。全身の毛が逆立っていて、殺気立っているのが明らかだった。


「見た目は確かにただの野生動物だな」


「油断しちゃ駄目だよ。凶暴なだけじゃなくて、身体機能が大幅に上昇しているからね」


「でも、猿一匹なら馬車で逃げきれると思うんだけど」


「魔物はそいつだけじゃない!」


 御者の声に、三人はすかさず周囲を窺う。だが、他の魔物の姿はない。そんななか、ハクはふと顔を上げた。


「上だ!」


 ハクの声により、他の二人も視線を動かす。三人の瞳が捉えたのは、空高くを舞う一羽の雉が翼を振るい、強風を繰り出すその瞬間だった。


「きゃあっ!?」


 砂埃が入らぬよう、全員が目を閉じる。その状況で、ハクは気配の接近を感じた。

 魔力反応だ。数は二つ。地上からと、空中から。それらの正体は、言わずもがなだろう。

 防御および反撃をするべく魔法の準備を進めたが、発動する方向は空中のみに絞った。迫りくる地上の相手に対し、向かっていく魔力反応が感じられたからだ。


「『シューティング=レイ』!」


 瞼の裏に広がる暗闇を見つめたまま、ハクは光の球体を数発放つ。正確な位置を捉えることができていないせいか、命中させることは叶わなかったようだが、接近を妨害することはできたと魔力反応が示していた。

 やがて風も止み、視界が良好になる。予想どおり、クロが猿の魔物を相手取っていた。


「こっちは俺が引き受ける! 二人は飛んでる奴をなんとかしてくれ!」


「了解!」


「気をつけてね!」


 二人はクロから離れ、雉が飛んでいる方へと向かう。


(滞空性能が高いな……)


 他の鳥類に比べ、雉はさほど飛行には長けていない。だが、頭上の敵はそのような様子を微塵も見せていなかった。

 魔物と化して身体能力が高くなっているためだろう。それを活かして、再び突風を巻き起こそうとする素ぶりが見られた。


「クロの邪魔はさせない!」


 言いながら、再び光の球体を放つ。

 数は六つ。撹乱するかのように操作して相手を牽制することはできたが、容易く躱されてしまった。追尾を試みるが、遠距離ということもあり、ハクの魔法はすぐに減衰して消滅する。


(僕の魔法じゃ駄目か……!)


 広範囲の魔法が当たらないとなれば、残る手は速度に特化した魔法を放つのみ。だが、この距離では仮に命中したとしても減衰して大した威力にはならないだろう。今、雉の魔物を討ち取る術を、ハクは有していなかった。


「フラン。君の矢なら威力を落とさずに届かせられるかい?」


「風を起こされなければ、いけると思う」


「なら、僕は牽制に専念するから、隙を見て攻撃をお願い」


「了解!」


 作戦会議を手短に済ませ、各々の役割を果たすための行動を開始する。先程と同様に、ハクは光の球体を放って雉の動きを抑え続けた。

 数秒程経って、緑色の輝きが空中へと伸びていく。

 フランが射った、魔力の矢だ。狙いすまされたそれは見事に雉の翼へと命中したが、風穴を開けるには至らなかった。


「ご、ごめん!」


「気にしないで。それより、来るよ!」


 雉が、鳴き声を上げながら急激に高度を下げ始める。飛行能力に異常をきたした、というわけではなさそうだ。恐らくは、今の一撃で激昂したのだろう。相手は自らの意思で二人との距離を詰めているようだった。


「と、止まって!」


 フランが連続して矢を放つ。それらは全て命中しているものの、雉の飛行速度は一向に落ちない。


(…… 狙いは、僕か)


 相手の進行方向に重なっていたのは、ハクだった。このまま何もしなければ、鋭い嘴によって身を貫かれてしまうだろう。そうならないよう、彼は思考を巡らせた。

 どの魔法を、どのように、いつ発動するか。瞬間的にその答えを導き出したが、すぐには動かない。


(ぎりぎりまで引きつける!)


 魔力を集中させ、その時を待つ。相手は加速しながら迫ってきているはずだが、ハクには時間の流れがやけに遅く感じられた。

 一歩間違えれば、死ぬ。その恐怖からくる緊張が、数秒を無限に引き伸ばしているのだろう。

 殺すか、殺されるか。彼に訪れた結末は、そのどちらでもなかった。


「な……!?」


 ハクへと肉迫する直前、雉が急激に軌道を修正し、地面と平行になるようにして飛行を再開した。故に、彼の寿命は伸びることとなったが、安堵してはいられない。

 相手の向かった先には、クロがいる。


(まずい!)


 そう思った瞬間、ハクは動き出した。逡巡している間に、取り返しのつかないことになると直感したためだ。

 杖の先から光を三つ、槍のようにして放つ。それらは凄まじい速度で進むが、雉の身を貫くことはなかった。


「縛れ!」


 雉の前方へと回り込んだ光。それらは速度を保ったまま変形して複雑に絡み合った後、雉の体に纏わりつき、ハクの言葉に従うかのように相手を縛り上げた。


「間に、合った……」


 光の縄によって身動きを封じられ、地へと落ちた雉の魔物。それを、すぐ前方でクロが不思議そうに眺めていた。


「あれ? なんでこんな近くにもう一匹…… いや、一羽か、がいるんだ?」


 クロの付近で、猿の魔物も倒れ伏している。どうやら、ちょうど戦闘を終えたところだったらしい。


「ごめん。牽制するのに失敗してね。危うくクロの邪魔をされるところだった」


「大丈夫? 怪我してない?」


 クロのもとへ、二人が駆け寄る。全員、大きな怪我はしていないようだった。


「結果なんともないから、気にするなよ。それより、こいつらはどうする?」


「猿の方は気を失ってるみたいだし、もう暴れる危険はないんじゃないかな。雉の方は…… まあ、見てればわかるよ」


 二人に見つめられながら、ハクは雉に向けて杖を翳す。その先から光の縄へと魔力を込め、輝きを増幅させていった。

 拘束されながらも雉は抵抗する様を見せていたが、次第にその動きは静まっていき、やがて停止する。それにより、強まっていた輝きも元の状態にまで落ち着いた。


「何やったんだ?」


「光属性の魔法で、沈静化したんだよ。魔物は闇属性の魔力を付与されているから、光属性の魔法が効果的なんだ」


「なるほどな」


 正気に戻ったことを確認できたハクが、魔法による拘束を解く。すると、雉はゆっくりと羽ばたいて夜空を飛んでいった。


「猿は…… このままにしておくしかないね。連れて行くわけにもいかないし」


「そっか……」


 フランが憂いのある表情を見せる。恐らく、猿に対して罪悪感のようなものを覚えたのだろう。


「そうだ、それよりあいつ!」


 クロが客車へと駆け込んでいく。ヒョウを問い詰める必要があると判断したためだろう。ハクも後を追おうとしたが、すぐにクロが出てきたことで足を止める。


「おじさん! さっきの男は!」


「いないのか? そんな馬鹿な……」


 聞こえてきた会話からして、客車の中にヒョウの姿はなかったのだろう。

 外にも客車にも、人が隠れられるような場所はない。つまり、ヒョウは一瞬にしてどこかへ消えてしまったということだ。


「ハク、これも何かの魔法なの?」


「こういった魔法がないわけじゃない。けど……」


 その知識もまた、脳内に刻まれている。だが、それを口に出すことをハクは一瞬躊躇した。


「こんな魔法を使えるってことは、あの人は多分、僕たちよりも遥かに強い」


 少なくとも、ヒョウは味方ではないだろう。これ程の実力者が敵対関係にある可能性が高いという現状を、ハクは受け入れ難かった。

 その場の空気が重くなったのは、他の二人も同じ気持ちを抱いたためだろうか。


「…… あいつがどれだけ強かろうが関係ねえ」


 沈黙を破ったのは、クロだった。


「次見かけたときには絶対逃がさねえ。何がなんでも、俺について知ってること全部吐かせてやる」


 クロの記憶喪失について、ヒョウが何か知っている可能性は高いだろう。クロと関係しているであろう自分に対して、これといった反応を見せていなかったことがハクには気がかりだったが────考えても埒が明かない。

 元より、情報が少なすぎる。

 ヒョウという男を追えば、新たな手掛かりを得られるかもしれない。今言えることはそれだけだ。


(もし、また会うことになったら……)


 ヒョウの戦闘能力は確認できていないが、今戦って勝利できる確率は限りなく低いだろう。

 もっと、強くならなければ。進展があったところで、ハクのやるべきことは変わらなかった。


(…… 進まなきゃ)


 夜風が、火照った体を撫でる。嫌に冷たく感じながら、ハクは足早に客車へと乗り込むのだった。

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