第10話「水の証:光」

「ん、ううん……」


 硬く冷たい感触によって、暗闇の底から意識を引き戻される。どうして、このような劣悪な睡眠環境に身を置いているのか────上体を起こして数秒程経ってから、ハクはようやくその答えに辿り着いた。


「やっと起きたか」


 右方から、声。振り向いた先には、ヴェロットの姿があった。彼女は胡座をかきながら、自身の膝の上で頬杖をついている。


「…… 試練への挑戦は失敗、ということですか」


 周囲では、クロとフランも倒れていた。先のヴェロットの魔法を受け、ハクと同様に気絶してしまったのだろう。

 敗北。その文字が、痛みとなって彼の体に深く刻み込まれている。

 試練の結果は明白だと思ったが故の呟きだったが、相手から返ってきた言葉は予想外のものだった。


「いや、合格だ」


「え……?」


「だから、合格。三人ともな」


 再度ヴェロットから告げられたことで聞き間違いではないとわかったものの、ハクは納得することができない。


「何故ですか? 僕たちは、なす術なく敗れたというのに……」


 先の戦い、三人はまるで歯が立たなかった。醜態を晒したと言っても過言ではない。あの結果の何を評価して合格としたのか、ハクにはわからなかった。


「二人が目を覚ましてから教えてやるよ。それより、今のうちに話しておきたいことがある」


 大したことでもなさそうに、ヴェロットが話を流す。

 疑問を解消したい気持ちはあったが、他の二人が目を覚ます前に聞いたところで相手の面倒事を増やすだけだろうと納得し、ハクは黙して続きを待った。


「お前が抱えてた悩みの種だけどな。心配する必要はないと思うぜ」


「悩み……?」


「そいつのことだよ、そいつの」


 抽象的な言葉だったために復唱してしまったが、ヴェロットがクロの方へ向けて顎をしゃくったことで、ハクもその意味に気づく。


「…… 今、その話をしても大丈夫なのですか?」


「ああ。こうして二人だけで話せるように、魔法の威力を調節したからな。もうしばらくは気絶したままだろ。嬢ちゃんの方もな」


 気づかないうちにクロが目覚め、二人の会話を耳にすることをハクは危惧していたが、杞憂だったようだ。自分とは比べ物にならない程の実力を有する相手の言葉を、彼は信用することにした。


「それで、心配する必要がないとは、どういう……」


「そいつが闇属性の魔力を宿してるのは間違いないが…… 悪意とか、殺意とか、そういったもんは一切感じられなかった」


「そう装っているだけ、という可能性は?」


「ないとは言い切れねえが…… 長年このお役目を続けてると、相手がどんなことを考えてるのか、大体わかるようになってくるんだよ。そんな風に培われてきたアタシの勘では、クロは悪人じゃねえって判断してる」


「勘、ですか……」


 不確定要素が大きいが、その言葉を信じるしかないだろう。嘘や沈黙が許されない状況を作り出したり、思考を読み取ったりできなければ、クロの本心を探ることはできないのだから。そういった力を番人が持っていないのなら、やはり勘に頼らざるを得ない。


「番人の勘は、信じられないか?」


「いえ、そんなことは」


「それとも、まだクロのことを信用できないのか?」


 図星を突かれた気がして、ハクの心臓が跳ね上がる。

 信用したいのか、疑いたいのか。仲間や友人だと思っているのか、警戒するべき存在として見ているのか。自分のことながら、わかっていなかった。

 これまでに得ていた情報と、つい先程の試練での言動を踏まえて、彼は今一度考え直す。

 クロについて、どう思っているか、どう思いたいのか。どんな事実を、望んでいるのか。

 考えに考えてから、彼は再び口を開く。


「信用したい…… いや、疑いたくないと、思っています。だからこそ、潔白を証明しておきたいんです」


 やはり、クロが悪人だとはどうしても思えない。だが、第三者の視点では彼が怪しく見えてしまうことも、深く理解していた。

 故に、彼が良き友人であると、悪事に加担するような人間ではないと、胸を張って言えるための『何か』が、ハクは欲しかったのだ。


「…… なるほどな」


 意味ありげな笑みを浮かべつつも、ヴェロットが追及することはなかった。聞かずとも察せるからか、それとも、知る必要がないからか。二択のうちのどちらなのかすら、ハクにはわからなかった。


「ま、お前にはお前の考えがあるってこったな」


 そういえば、とヴェロットは何か思い出したかのように続ける。


「お前、一ヶ月前は────」


 そこまで言って、彼女は口を閉じた。

 もう一人、意識を取り戻そうとしている者がいることに気づいたからだろう。


「あれ、私、いったい……」


「…… もうそんなに経ってたか」


 続いて目を覚ましたのは、フランだ。きょろきょろと周囲を見回し、状況の把握を試みている。そこから数秒程経過して目を見開いたかと思うと、勢い良くハクへと迫っていった。


「ハク、怪我してるじゃん! 大丈夫!?」


「問題ないよ。フランこそ、平気?」


「まだあちこち痛むけど…… 多分、二人程じゃないよ。手加減してもらってたみたいだから……」


 他二人に比べ、フランの負傷は軽微なものだった。と言っても、ハクとクロが重傷を負っているわけではないが。


「ごめんね。私、足引っ張っちゃって……」


「そんなことないよ。君がいてくれなければ、あそこまでの善戦はできなかった」


「でも、挑戦は失敗しちゃったし……」


「いや、合格らしいよ」


「え!?」


 下がっていたフランの視線が、一気に持ち直された。説明を求めるかの如く、彼女は勢いそのままヴェロットの方へと向かう。


「本当ですか!?」


「嘘ついてどうする」


「で、でも私たち……」


「説明はクロの目が覚めてからだ。理由が気になるなら、その間に自分たちで考えな」


 そう言うと、ヴェロットは近くに置いてあった大槍を自身の方へと引き寄せて手入れを始めた。どうやら、彼女こそが本来の持ち主だったようだ。


(合格した、理由……)


 ハクは顎に手を当て、黙々と考え始める。

 合否に勝敗が関係ないのであれば、先程の戦いではいったい何を試されていたのか。

 身体能力、思考力、適応力、他者との連携、魔力量、魔法の練度────どれも、求められるであろう水準に、自分の実力が達しているとは思えなかった。

 大槍を振るったクロの一撃。フランとの連携によって命中させられた一撃。それらは多少評価されるかもしれないが、それだけで合格できる程、試練は甘くないだろう。

 他に、考えられるとすれば。


「────はっ!?」


 突如として飛び起きた三人目。彼の声により、ハクは泥沼となった思考から引きずり出された。


「よし、これで全員起きたな」


 幸い、クロも動けない程の負傷ではないとわかり、ハクは安堵する。フランの方に視線を向けると、彼女も同様の表情を浮かべていることが確認できた。


「負けたのか、俺たち……」


 悔しさからか、クロが拳を握りしめる。

 無理もない。三人とも全力で挑んだが、それでもヴェロットにはまるで届かず、無力さを思い知らされたのだから。


「もう一回!」


 挑戦は失敗に終わった。クロの言葉は、そう思ったが故のものだろう。


「駄目だ」


「な、なんでですか!」


「わざわざもう一回受ける必要がないだろ」


「俺、もっと強くなります! だからもう一度、もう一度だけでも挑戦させてください!」


 食い下がるクロを見て、ヴェロットは大きくため息を吐く。


「合格してるのになんで試練を受け直すんだよ」


「だって…… え?」


 一瞬、クロの動きが硬直した。思いもよらぬ言葉を耳にして、思考が停止してしまったのだろう。


「ごうかく?」


「そう、合格だ。早とちりしすぎなんだよ」


「でも俺たち、ヴェロットさんに勝てなかったじゃないですか」


「お前らが束になったところで、アタシに勝てるわけねえだろうが」


「え、ええ……?」


「どんな困難にぶつかっても、諦めずに戦い続ける。それを証明することが今回の試練の突破条件だ」


 腑に落ちない様子のクロを横目に、ハクは一人納得する。

 戦闘を行うからといって、戦闘能力だけを見るとは限らない。疲労や動揺のせいもあるだろうが、そんな当然のことに今の今まで気づけなかったのかと、彼は自嘲した。


「よし、じゃあ証の譲渡を始めるか。ほら、全員立ちな」


 ヴェロットに促され、三人は腰を上げる。


「指輪をはめてる方の手を出してくれ」


 ハクとクロは手の甲を上にして、フランは手の甲を自身の方に向けて腕を伸ばした。ヴェロットが自らの腕を突き出すと、その握り拳が水色の輝きを纏い始める。そしてその光は伸びていき、三人の指輪へと繋がった。


「わあっ……!」


 幻想的な光景に感動したのだろう、フランが声を漏らす。そんな彼女に共感しつつも、ハクは何も言わずにただ輝きを眺め続けていた。


「これで完了だ」


 光が消えると同時に、ヴェロットが腕を引き戻す。


「今のは?」


 何が起きたのかわからない、といった様子のクロ。試練に関することのほとんどをハクは彼に伝えていなかったため、当然と言える反応だった。


「お前それすら知らねえのか? ハクもちゃんと教えておけよ」


「すみません。知らないことを一気に教えても、困惑させてしまうと思いまして」


 その言葉にため息を返すと、ヴェロットは頭を掻いてからクロの方を向く。


「試練を突破した証、それを渡したんだよ。証があれば、自分の魔力をその国の結界に運用している魔力と同じ属性に変換できる。この国なら水属性だな」


「じゃあ、俺もさっきのヴェロットさんみたいなことができるようになるんですか?」


「まあ、いずれはできるんじゃねえか? それはお前次第だ。それと、証があれば夜間でも国の出入りができるようになるからな」


「へえ。証が一つあるだけで、随分とできることが広がるんですね」


 自身の指輪をまじまじと見ながら、クロはそう呟いた。


「それだけ、試練を突破するのは難しいということさ」


「…… でも、本当にいいんですか?」


「なんだよ。いらねえのか?」


「いや、そうじゃないですけど!」


 短いやり取りのなかで、フランは表情をころころと変えていく。


「試練を突破した実感がなくて…… あんな結果だったから、余計に」


 合格の理由を聞いても、やはり結果には納得できていないらしい。ハクもまた、同様だった。


「…… 証ってのはな、何もアタシが独断で譲渡してるわけじゃねえ」


「じゃあ、他に誰が……」


 そう尋ねたのはクロだったが、ハクも同じ疑問を抱いていた。恐らくは、フランも。

 この場には、番人と、試練の挑戦者しかいない。第三者がなんらかの方法で試練の様子を確認し、合否判定を出していたとでも言うのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


「魔力だよ。結界に運用している魔力。そいつに認められねえと、証の譲渡はできねえ」


「…… 冗談ですよね?」


「冗談じゃねえよ。魔力には意思が宿る、って昔話で聞いたこと…… あるわけねえか。悪い」


 ヴェロットが手を顔の前に出し、軽く謝った。どうやら、記憶喪失のことを失念していたらしい。


「まあ、人間みたいに明確な考えを持ってるわけじゃないんだが…… とにかく、そういうことだからよ、気にせず持っていけや」


「…… らしいぜ?」


「わ、わかりました!」


 魔力には意思が宿る。

 この世界で古くから言い伝えられている言葉だ。レマイオが口癖のように発していたことも、記憶に新しかった。


「ところでハク、少しいいか?」


「どうしました?」


「…… お前、一ヶ月前は何してた?」


 一ヶ月前。それはちょうど、ハクがレマイオに拾われた時期だ。


「お師匠様のもとで、修行していましたが」


 何を思っての問いかけかはわからないが、事実を正直に打ち明けられるはずもない。クロという人間の安全性を保障されたとは言え、まだ全てを曝け出すことはできないのだ。せめて、レマイオの許しを得なければ。


「……そうか」


「一ヶ月前に何かあったんですか?」


 考えるような表情を浮かべていたヴェロットに対し、フランが尋ねた。


「なんでもねえよ。んなことより、とっとと帰って次の国に試練を受けに行くんだな。ここが初回なら、次はヴィオーノか?」


 頭をぼりぼりと掻きながら、そう返す。追及するつもりも、疑念を広めるつもりもないらしい。

 ヴェロットの真意を確認したい気持ちもあったが、余計なことを口走らないようハクは掘り返さないことにした。


「はい、そのつもりです」


「アタシはこの部屋軽く掃除してから戻るから、お前ら先に帰んな。道はわかるだろ」


 ヴェロットが振り返り、三人から遠ざかっていく。そんな彼女に、ハクは一歩近づいた。


「ヴェロットさん」


「ん?」


「ありがとうございました!」


 ハクは深々と頭を下げる。他の二人も同様に続いた。


「おう。まあ色々大変だろうが、頑張れよ。お前らなら大丈夫って、アタシは信じてるからな」


 そう言って、にかっと笑う。


「さあ行った行った! 時間は有限だ。励めよガキ共!」


 急かされた三人は、来た道を戻ることにした。三人分の足音が、地下階段に響く。


「試練、突破できてよかったな」


「ありがとう。二人のおかげさ」


「そんなことないよ。助けられてばっかりで、全然役に立てなかったし」


「…… それを言ったら、俺だってそうだ」


 暗がりで顔を見ることができずとも、二人の気分は落ち込んでいるように感じられた。力不足を実感しているのだろう。

 それは、ハクも同じだった。

 ヴェロットが試練で重要視していたのは、どんな逆境でも諦めない心。精神力だ。だからこそ三人は証を得ることができたが、戦闘の内容はお世辞にも褒められるものではなかった。

 もっと、強くならなければ。


「試練はあといくつあるんだ?」


「全部で五つだから、次に受けに行くヴィオーノを入れて、残り四つかな」


「大変そうだな……」


 他人事のようにクロが呟く。それもそのはず。彼の視点では、次回以降の試練を受ける理由が存在しないからだ。


「次の試練もすぐに突破して、アイアに行けるようにするよ」


 多くの番人から認められればクロの安全性がより上昇するため、ハクとしてはこれからも励んでほしいと考えている。どうしたものかと考えながらも、勘づかれないように当たり障りのない返事をした。


「俺の都合は気にすることねえけど…… 必要なら、いつでも力を貸すぜ」


「もちろん私もね!」


「二人とも……」


 信頼を寄せてくれているのだろうと、声だけでわかる。それが、未だ情報を伏せているハクに嬉しさと苦しさという異なる感情を抱かせた。


「ありがとう。そのときは、頼むよ」


 それでも、明かすことはできない。

 今は、まだ。

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