第9話「水の試練:光」

 水路を挟んだ向こう側に、煌びやかな装飾を施された大槍が突き刺さっているのが見える。現在、マクアに存在するとある教会の地下にて、三人は一人の女性と相対していた。

 浅葱色の髪が特徴的な彼女の名は、ヴェロット。この国の番人だ。

 三対一で彼女と戦うこと。それが、今回受ける試練の内容だった。


「…… 来いよ。相手してやる」


 指で挑発するヴェロット。余裕の表れだろう。それが慢心などではないことを、ハクは交戦する前から感じていた。


(雰囲気が、変わった……!)


 ほんの一瞬で、場の空気が支配される。

 纏った祭服から伸びるしなやかな肢体が。激流のように巡る魔力が。獲物を見つめるかのような鋭い眼差しが。ハクを尻込みさせる要因となっていた。


「先手必勝!」


 それを知ってか知らずか、クロが先陣を切る。木剣を大きく振りかぶって、ヴェロットに斬りかかった。

 だが。


「なっ!?」


「軽い剣だな」


 木剣はヴェロットの左手に掴まれ、全く動かなくなってしまった。刃がないからこそできる芸当だが、それにしても筋力差がありすぎる。クロは両腕で全力を込めているようだったが、相手はそれを片腕だけでいとも容易く受け止めていた。


「真剣だったらどうするんですか……!」


「お前じゃアタシは斬れねえよ」


「なら……」


 木剣を放し、その場に屈むクロ。そして、右の拳をヴェロットの腹部に思い切り打ち込んだ。


「硬っ!?」


 痛みを感じたのか、クロが手を引っ込める。

 殴られた側のヴェロットは、表情一つ変えていない。魔力の流れからして、魔法によるものではなさそうだ。

 祭服の内側に何かしらの細工がされているのか、または、鍛え抜かれた腹筋によるものなのか。


「拳ってのは……」


 ヴェロットは自身の後方に木剣を放り投げた後、拳を引いて握りしめた。


「こう打つんだよ!」


 クロの顔面に、強烈な一撃。彼の体は大きく吹き飛ばされた。戦闘開始時の位置に戻る形となったが、残りの二人は既にそこにはいない。

 フランとハクはそれぞれ左右に分かれて走りながら、ヴェロットから距離を取っていた。


「『ブライトライト』!」


「あん?」


 ハクの言葉に反応したヴェロットのもとに、光の球体が揺らめきながら飛んでいく。彼女の間合いへ入る前にその球体は弾け、より一層強い輝きを放った。

 目眩し。彼女は顔を手で押さえているが、動きが止まっている。有効だったようだ。


「この魔力…… 間違いない。あのときのは、お前だったのか」


(…… あのとき?)


 ヴェロットが、何やら呟いていた。その意味はわからなかったが、深く考えている暇はない。

 相手の隙を見逃すことなく、フランが魔力の矢を射る。移動しながらであるために連射の速度は遅いが、一本一本を的確に命中させていた。元々、連射より狙い撃ちの方が得意なのだろう。相手の肉体を射抜く程の威力はないものの、動きを牽制することができているようだ。

 それを利用し、ハクもまた次なる一手を打ち始めていた。少し移動してから杖の先端を相手へと向け、そこに魔法陣を展開する。

 ただ、目を封じられたはずのヴェロットは、真っ直ぐハクの方へと向かっていた。


「な……!」


「空気や魔力の流れ。それに僅かな音。目が見えなくなろうと、位置捕捉の方法なんざいくらでもあんだよ!」


「くっ」


 ハクから魔法を放たれても、ヴェロットはものともしない。移動速度を落とすことなく彼の身を掴むと、勢い良く放り投げて反対側の壁に叩きつけた。


「がはっ……!?」


 背中から、強い衝撃。受け身を取ろうとしたが、上手くいかなかった。意識を保つことこそできているものの、全身に激痛が走っている。


「ハク!」


「次はお前だ」


 フランが驚いている間に、ヴェロットは彼女に接近していた。

 恐怖から目を閉じてしまった少女に対し、容赦なく右の拳が振るわれる────かと思われたが。


「あうっ」


 フランの額が、指で弾かれる。その微弱な衝撃により、彼女は尻餅をつかされた。


「…… 殺気が消せてないぜ!」


 木剣を拾い直したクロが背後からヴェロットに斬りかかるが、またも掴まれる。


「そうそう、今度はちゃんと掴んでおけ、よっと!」


 木剣ごと、クロは放り投げられた。大きな音を立てながら、水路の中へと落ちていく。


「ぐ、ああっ!」


 間髪入れずに、ハクは駆け出した。

 その動きは、ヴェロットの瞳に捉えられている。どうやら、先程の目眩しで封じられていた視界が早くも復活したようだ。もっとも、初めから効いていなかったため、ハクたちにとって大した問題にはなり得ないが。


「『シューティング=レイ』!」


 ハクは杖から光の球体を六発放出する。今度は弾けることなく、円弧を描くような軌道でそれぞれヴェロットの方へと向かっていった。


「数撃ちゃ当たるたぁ限んねえぜ?」


 光は様々な方向から飛び交うが、一向に相手を捉えることができない。相手を包囲しているというのに、有利な状況にはなっていなかった。

 それでいい。

 ハクの狙いは、別にあるのだから。

 彼もまた、ヴェロットを取り巻く包囲網に参加し、杖を扱った接近戦へと移行する。


「はっ。近距離もいけるってか」


 七対一。依然としてヴェロットの余裕が崩れ去る気配はないが、さすがの彼女も反撃には出られないようだった。

 とは言え、指折りの実力者であろう相手に、たったそれだけでハクが優位に立てるはずもない。互いに決め手に欠けたまま、この状態が続くことになるだろう。

 そう思わせることこそが、真の狙い。


「集え!」


 ハクのその言葉に呼応するかのように、光の球体が各方向から一斉にヴェロットへと襲いかかる。

 互いの位置関係。重心移動。視線。全てを計算に入れたうえで導き出した絶好の機会が、今だった。


「甘い」


 僅かな隙間を縫うように、ヴェロットが包囲網を抜け出す。常人には不可能であろう身のこなしだったが、それもまだ、ハクの計算の範囲内だ。

 ある一方向への回避。彼女がその行動を取った後の、一秒にも満たない瞬間。黄緑色の矢が、彼女の右側頭部に命中した。


「がっ……」


 フランによるものだ。ハクが相手を撹乱している間、彼女も適宜移動しながら魔力を練り続けていた。

 作戦を伝える暇などなかったが、互いの役割を正確に認識できたことで最善の行動を取れたのだろう。

 彼女がそうしてくれることを、彼は信じていた。それもまた、要因の一つかもしれない。


(勝てる……!)


 ヴェロットの体が、横方向に大きくぐらついた。その隙を逃す手はない。

 光の球体は消滅してしまったため、ハクは自ら距離を詰めて相手に追撃を仕掛けようと試みる。

 だが。


「だから…… あめえよ!」


 ヴェロットは強引に体を引き戻し、流れるような動きで跳躍してハクへと向かっていった。

 無理な姿勢から繰り出されたとは思えない程の速度と、勢い。彼はそれに対応するどころか、思考する暇すら与えてもらえないまま顔面を殴りつけられた。


「ぐああっ!?」


「ハク!」


「心配してる場合か」


 地を転がるハクが痛みに悶えている間に、フランにも容赦ない一撃が叩き込まれる。ほんの一瞬で、形成逆転されてしまった。

 いや、初めから相手の掌の上で踊らされていたのかもしれない。そう思い至った彼は、つい先程までの自分を恥じた。


(負けられ、ないのに……!)


 脳を揺さぶられたからか、平衡感覚に異常が発生している。立ち上がることができず、意識を保つのがやっとの状態だった。

 どれ程動けと念じても、体は応じない。

 悔しさと羞恥が心の内で芽生えて大きくなっていったが、突如として唸り声のようなものが聞こえてきたことにより、それらは一気に霧散した。


「お前、どこにそんな力があんだよ!」


 ヴェロットの視線の先に、ハクも顔を向ける。その瞳に映ったのは、水路の向こう側にて、小柄な体格に不相応な大槍を引き抜いたクロの姿だった。いつの間にか、自力で水路から這い上がっていたらしい。

 四人のうち、最も身長の高いヴェロットよりも大きな槍だ。彼女に力負けするクロが持ち上げられるはずはないのだが、彼はそれを携えたまま、幅の広い水路を飛び越えてみせた。

 向かってくる相手に対し、クロは叫びながら大槍を振るう。だが、ヴェロットの瞬発力は凄まじく、槍の柄よりも先に彼女の拳が彼の頭部に打ち込まれた。


「ぐぬぬぬぬ…… があっ!」


 クロは倒れず、一歩引いてから無理やり大槍の柄を命中させてヴェロットの身を吹き飛ばす。

 彼女は両足と片腕による地面との摩擦で急停止した。そしてすぐ反撃の体制を取って、やめる。

 クロが大槍を落として、地に膝をついたからだ。これ以上、戦うことはできないと判断したのだろう。


「もう終わりか?」


 三人が全力を発揮しても、相手の足下にも及ばない、絶望的な状況。それでも、諦めることはできなかった。


「…… まだだ」


 立ち上がったのは、ハクだ。

 杖を握りしめながら、力強い眼差しをヴェロットに向ける。彼の心は、まだ負けていない。


「どうして諦めない」


 茶化すわけでもなく、馬鹿にするわけでもなく、ヴェロットが真顔でそう尋ねた。


「…… それが、僕の使命だから」


 試練を乗り越えて成長し、ゆくゆくは、冥王の瘴気を祓う。それを諦めることなど、できはしない。

 世界の平和を取り戻すため。師への恩を返すため。記憶を失ったことによる心の空白を埋めるため。その他に、できることがないため。

 理由はいくつも考えられたが、結局は、ただ一つに尽きる。

 そうせずには、いられないからだ。

 だから、負けられない。


「…… 諦めたら、かっこ悪いよな」


 諦められないのは、ハクだけではなかったらしい。

 ふらつきながらも、クロが立ち上がっていた。軽口のようにそう呟いたのは、満身創痍であることを誤魔化すためか。


「…… 私も、まだ」


 そんな二人につられるようにして、フランも立ち上がった。

 諦めの悪い、三人の少年少女。それを見て何を思ったか、ヴェロットが手を叩く。


「よし、試練はここまで!」


「…… は? 俺たちは、まだ!」


「あー、うるせえうるせえ」


 わざとらしく、ヴェロットは自身の耳を手で押さえた。


「で、でも!」


「よしわかった。それじゃあほんの少し、ほんのすこーしだけ本気見せてやる。それで本当に終いだ」


 ヴェロットが左腕を上げると、その掌の先に魔法陣が展開される。空気の震えが、ハクは肌から感じられた。

 彼女は水を生成しながら、更に水路の水をも取り込んで、激流を作り出す。


「アタシの世界で、眠りな」


 振り下ろされる腕を見たのが最後、ハクは意識を手放した。

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