第8話「木剣と老婆:光」

 フラン宅を訪れた後、この国の番人、ヴェロットと試練について話し合ったハク。その翌日、彼はクロと共に街へと繰り出していた。

 フランは家の手伝いをするらしく、この場にはいない。二人で出かける旨を伝えると、案外あっさりと了承していた。


「ふんふんふふーん」


「振り回したら駄目だよ? 危ないからね」


「わかってるって」


 ハクの前方で、鼻歌を歌いながら陽気に歩を進めるクロ。その手には木剣が握られていた。他でもない、試練に備えて購入したものだ。

 試練の内容については未だ明かされていないが、もし戦闘面を確認されることになった場合、彼一人を素手で戦わせるのは酷だろう。

 魔力の流れを自覚していない人間であれば、尚更。


(…… やっぱり、嘘をついているようには見えない)


 以前聞いた話では、クロもまた、魔力について知らないようだった。闇属性の魔力が宿っていることを悟られないようにするための虚言、という可能性もあるが、奔放に振る舞う彼がそのような企みをしているようには思えない。


(魔力を知らないのが本当なら、クロも……)


 自分と同じように、別の世界から来たのだろうか。そう考えたが、断定はできなかった。

 クロは、この世界の言語を流暢に扱っている。二日前に目覚めたらしい彼には、知識や情報を得る暇はなかったはずだ。ハクと同じ境遇にあるのなら、今、読み書きに困っていなければおかしい。


(考えすぎかな…… でも、少なくとも、僕の記憶の手掛かりではあるだろうし……)


「代金はちゃんと返すから、心配すんなよ」


 いつの間にか振り返っていたクロが、そう告げた。考え込んでいるハクの表情から察しての言葉なのだろうが、的外れだ。


「…… そのくらいなら、気にしなくてもいいけどね」


 聡いのか、鈍いのか。微笑を浮かべながらハクは言葉を返す。

 木剣の購入代金はハクが負担した。クロが通貨の類を持っていなかったためだ。ハクもまた金銭に余裕があるわけではないが、誰に援助を申し出るわけにもいかなかったため、止むを得ず支払うことにした。


「駄目だ駄目だ。こういうのはちゃんとしておかないと」


 記憶がなくとも、最低限の常識は理解できているらしい。クロのその在り方は好ましく思えたが、問題が一つ。


「…… でも、お金を稼ぐ当てはないでしょ?」


「うっ」


 クロの顔が、ばつの悪そうなものへと変化した。どうやら、肝心の手段を全く考えていなかったようだ。


「ごめんごめん、冗談だよ」


 相手の慌てる様を見て、ハクはくすりと笑ってからそう告げる。


「次訪れる国に、個人で依頼を受注できる場所があるんだ。僕もそこで旅の資金を調達するつもりだったから、一緒に行こう」


「次の国…… ヴィオーノって言ったっけか。それって、子供でも大丈夫なのか?」


「成人していることが望ましいけど、試練を乗り越えていれば年齢は関係なく受けられるはずさ」


「なるほど」


 クロが試練を受けることになった真の理由を、当の本人は知らない。故に彼は乗り気ではなかったが、試練を突破しなければならない理由が彼個人にも発生したことで、それも解消されるだろう。

 もっとも、それを見越して木剣の代金を立て替えていたわけではないが。


「…… ごめん。少し寄り道をしてもいいかな?」


「うん? 別にいいけど……」


 理由を答える前に、ハクはとある方向へと足早に進んでいく。不思議そうにしながらも、彼の背中をクロも追いかけた。

 二人が向かった先にいたのは、一人の老婆だ。彼らより一回りも二回りも小さいその体で、多くの荷物が詰められているであろう風呂敷を背負い、懸命に歩んでいる。だが、足腰が悪いのかちっとも前に進まず、左右へふらついていた。


「お婆さん」


 ハクは正面に回り込んでから老婆へと話しかける。死角から声をかけたら驚かせてしまうかもしれないと危惧したためだ。

 万が一に備えてか、老婆を支えに行ける準備をクロがしていたようだが、その必要はなかった。


「私に何か用かい?」


 微笑みながら、老婆が穏やかに尋ねる。どこからともなく現れた初対面の相手に対し、過度に驚いたり気分を害したりはしていないらしい。

 問題ないことが確認できたためか、クロも同様に回り込んでハクの隣に立った。


「荷物、大変そうですね。どちらまで向かわれるんですか?」


「買い出しから家に戻る途中だよ。大して遠くはないんだけど、ちょっと買い込みすぎちゃってねえ」


「良ければ、荷物をお持ちしますよ」


「本当かい? でも、迷惑だろう?」


「いえ、暇を持て余していたので」


「じゃあ、甘えちゃおうかねえ」


 巧みに話を進めると、ハクは老婆の荷物を代わりに背負った。


(重っ……)


 ハクは決して力が弱い方ではないのだが、それでも重く感じられる。見た目相応の重量物だった。


「…… 手伝うか?」


「いや、大丈夫。お婆さんのことを見ていて」


 荷物を下ろしたというのに、老婆は変わらず前傾姿勢のまま腰を後ろに突き出している。本格的に足腰が悪いらしい。普通に歩いていても、転倒する恐れがあった。

 有事の際、この荷物を背負いながら機敏に動くことは困難だ。そのため、老婆の安全をクロに任せることにした。彼の片手は木剣で埋まっているが、問題ないだろう。

 ハクは老婆の前方、数歩前に。クロは老婆の左側、その半歩前に位置してから、徐に歩き出した。


「この近くにお住まいなんですか?」


 そう尋ねたのは、ハクだ。荷物が重いが心情を声に出さないよう努めながら、先を急ぐことなく老婆の歩幅に合わせる。


「そうよ。道なりに進んで、五つ目の角を右に曲がってすぐのとこ」


「近いんですね」


 この通りで、大きな建物はそうなかった。曲がり角をはっきりと視認できる程近くはないが、歩けない距離ではない。


「だけど、荷物が重くて全く進めなくてねえ。本当、助かるわ」


「いえ、お気になさらず」


「…… あら? その指輪」


 振り向いたハクの手元を見て、老婆は彼が指輪をはめていることに気づいたらしい。


「あなた、試練を受けるの?」


「ええ」


「懐かしいわあ。私のお兄さんも、試練に挑んだことがあったのよ」


「そうなんですか?」


「あの人、才能だけは無駄にあったからねえ。珍しい属性の魔力を宿していたらしいわよ。確か…… 氷属性だったかしら」


 属性。

 初めて聞くはずのその言葉を受け、クロはどのような反応を見せるのか。確認したいのは山々だが、下手に動くと警戒されてしまう恐れがあったため、断念せざるを得なかった。


「実力は示せたみたいだけど、態度が生意気だったせいで番人に認めてもらえなかったって聞いたわね」


「へえ」


 強いからといって、試練を突破できるとは限らないようだ。予想どおり、精神面も合否判定に深く関わってくるらしい。


「その人は今どこに?」


 クロによる質問。

 何か真意があるのかと勘繰るのは、さすがに神経質だろう。そう思い、ハクは深く考えることなく老婆の回答を待つことにする。


「試練の後、旅に出てから帰ってきてないから…… もう死んでてもおかしくないわねえ」


「…… ごめんなさい」


 そう謝罪したクロの声色が、どことなく暗いものだったように感じられた。

 故に、知人の非礼を詫びるためというよりは、彼が抱いているであろう罪悪感を共に背負うために、ハクも同じ言葉を口に出そうとしたが、老婆の笑い声によって遮られてしまった。


「気にしなくていいわよ。昔のことだもの」


「すみません。友人が、とんだご無礼を」


「まだ若いのに、しっかりしてるのねえ。あなたたちの爪の垢を煎じて、孫に飲ませてやりたいくらいだよ」


 たった今、粗相をしたばかりだが、皮肉ではなさそうだ。そのことに安堵しつつ、ハクは会話を続ける。


「お孫さんがいらっしゃるんですか?」


「ええ。歳はあなたたちよりも少し上だと思うんだけど、これがまた生意気に育っちゃって────」


 そこからしばらく、老婆による愚痴が続いた。クロの相槌が減るにつれ、ハクが言葉を返す割合が増えていったが、特に負担には感じていない。

 ただ、このままではいずれ完全に沈黙してしまうのではないか。ハクが立てたそんな予想は、すぐに外れることとなる。


「────本当、困っちゃうわよねえ」


「…… お孫さんのこと、嫌いなんですか?」


 老婆の話が一段落ついたところを見計らってか、クロが口を開いた。


「そんなわけないだろう。どれだけ生意気でも、可愛いに決まってるさ。家族だもの」


 老婆のその言葉が、ハクの心に引っかかる。

 家族。忘れてしまったもの。忘れてはならないもの。

 自分の家族は、今どこで、何をしているのだろう。


「でも、あの子はどう思っているかわからないねえ。私、つい口うるさくなっちゃうから……」


「…… あなたがそうであるように、お孫さんもまた、お婆さんのことを大切に思っているはずですよ」


「そうだといいねえ」


 ハクの言葉に頷いた後、老婆が立ち止まる。先程言っていた角を曲がって、すぐのことだった。


「ここで大丈夫だよ」


「わかりました」


 ハクは荷物を落とさないよう、慎重に老婆へと手渡す。クロも木剣を一旦置いて手伝った。


「本当にありがとうねえ」


「いえ。当然のことをしたまでです」


「こんな老いぼれの話に付き合ってくれる子も、最近は少ないからねえ。久しぶりに楽しかったよ」


「喜んでもらえて何よりです。それでは」


「お孫さんと仲良くしてくださいね!」


「ふふふ。ありがとうねえ」


 ハクが会釈をし、クロは手を振る。老婆が家の中に入ったことを確認してから、二人も歩き始めた。

 来た道を引き返しながら、ハクは先程の会話を思い出す。


『どれだけ生意気でも、可愛いに決まってるさ。家族だもの』


(僕にも、きっと……)


 自分のことを心配してくれる人。

 帰りを待ってくれている人。

 フランの両親を見たことで、自分にもそんな存在がいるのかもしれないと考え始めていたが、今回の件を経てその思いは更に強くなった。


(でも、今は……)


 元の世界に戻る方法も、記憶を取り戻す手掛かりも、見つかっていない。

 隣で歩いている、クロを除いては。


(…… 今は、冥王の瘴気をどうにかしないと)


 手掛かりがほとんどないのなら────いや、仮に、解決できる目処が立ったとしても、与えられた使命を全うしたい。ハクはそう思っていた。

 自分の帰りを待ち侘びている人がいるはず。その考えから、目を逸らしながら。


「…… ハク?」


「え? ああ、ごめん。なんだっけ?」


 いつの間にか下がっていた視線を、クロの方へと向ける。どうやら何か話しかけられていたようだが、聞き逃してしまったらしい。


「いや、大した話じゃないけど…… 大丈夫か?」


「うん。ちょっとぼーっとしちゃって」


「ふうん」


 相談できることではない。特に、警戒を続ける必要がある相手には。

 幸い、それ以上聞かれることがなかったため、ハクは平静を装いながらクロと歩幅を合わせて共に帰宅するのだった。

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