第7話「闇と悪」

 そこは、とある広場だった。

 あちこちから楽しげな声が聞こえる、憩いの場所。見覚えはないがどこか懐かしさを感じさせるその場所に、かつての彼が立っている。


(これは…… 記憶……?)


 現実でないことは、すぐに自覚できた。目線の位置が普段より低いことから、自身の肉体が幼児程にまで退行していると考えられる。恐らくは、遠い過去の自分にでも憑依しているのだろう。


(声が、聞こえる……)


 声は二つ。男性のものと、女性のもの。

 その声が、自分に向けられたものだと確信できる。だが、なんと言われたのか理解できない。

 一つだけわかるのは、その声が安らぎを与えてくれたということ。少なくとも『この時』の自分は、その声をかけられることで嬉しさや幸せを感じられていたということだ。


(貴方たちは、いったい……)


 自分のものらしき声も聞こえる。ただ、当時の自分が何を伝えようとしているのかはわからない。また、言葉を思いどおりに発することもできないでいる。

 答えを求めるかのように手を伸ばすが、その瞬間、眩い輝きが辺りを照らし出し、彼の視界を奪い去ってしまった。


「────夢、か」


 一瞬黒く染まった後、視界が復活する。

 否。ハクの意識は、今ようやく覚醒したのだ。隣のベッドで尚も眠り続けている黒髪の少年に視線を向けてから、彼はため息を吐く。


「夢を見る程ちゃんと眠るつもりは、なかったんだけどな……」


 昨晩、結界外の集落に辿り着いたハク、クロ、フランの一行は、宿にて夜を明かすことにした。年頃の男女が一部屋に集まるのは良くないと判断し、二人だけがこうして同じ部屋になっている。

 窓からは、既に陽光が射していた。宿の営業時間を考えれば、そろそろ動き出す必要がある。


(それにしても、さっきの夢は……)


 ハクはベッドから降り、身支度を始めながら今し方見た夢について考え始めた。

 大抵の夢は、時間の経過に伴ってその内容が徐々に色褪せていくだろう。だが、今回見た夢はそんな気配もなく彼の脳と心に深く刻み込まれている。

 もっとも、そう思い込んでいるだけかもしれないが。


(僕が失った記憶、なのかな…… でも、どうして急に)


 これまでに同様の夢を見たことはない。助けを求めるあの夢は記憶の手掛かりでこそあるかもしれないが、失った記憶そのものではないだろう。

 何故、今、自身の記憶とおぼしき夢を見たのか。単なる偶然か、あるいは。


(くっ……)


 クロを一瞥した直後、こめかみに痛みが走る。

 体調を崩してしまったかと思い、自身の額に手を当てて発熱の有無を確認しようとした瞬間、続けて声が聞こえてきた。


『ハクよ。聞こえておるか?』


「お、お師匠様?」


『声に出さずとも良い。念じるだけで意思の疎通ができるからのう』


 声の主は、レマイオだ。どこにも姿が見えない彼の声が、ハクの頭の中で確かに響いている。

 突如として発生した現象に驚いたハクだが、いつまでも取り乱しているようなことはない。この世界では、何が起こっても不思議ではないのだから。


(魔法の一種、ということですか)


『うむ。お主が送ってくれた手紙を読んだのでな、手早くやり取りを行えるようにこうして念話を試みた次第じゃ』


 昨晩、他の二人に気づかれないよう、ハクはこっそりと手紙を出していた。現在地からレマイオのいるアイアまでは海を越える程に距離が遠いが、魔法の存在する世界だからか、思っていた程時間はかからなかったようだ。


(お師匠様は、どう思われますか? この少年、『クロ』のこと)


 部屋の壁に背を預けながら、ハクは視線を三度クロに向ける。口に出していないため聞かれることはないとわかっているものの、一応警戒していた。

 それがいらぬ心配と思える程、当のクロは盛大にいびきを立てていたが。


『ふぅむ。まずは、お主の見解を聞いてみたいところじゃのう。夜が明けて、考えもまとまったじゃろうし』


(胸騒ぎの原因は、恐らく彼です。彼も記憶喪失であるようですし、僕の記憶の手掛かりになり得る存在だと思うので、旅に同行させたい気持ちはあるのですが……)


 魔物を退けた後の会話ではクロの同行が決定していたが、それを覆す必要があるのではとハクは危惧していた。


(…… 彼からは、魔物と同じ気配がします。昨日は、魔物と交戦した影響かとも思ったのですが、今も変化が見られなくて)


 禍々しい邪気。クロ自身の意思とは思い難いが、彼の体からは確かに魔物のそれと同一のものを感じられる。見て見ぬふりができない程に、強く。


『恐らくじゃが、その少年は闇属性の魔力を宿しておるのじゃろう』


(闇属性…… 人間が、ですか?)


『何事にも例外はあるじゃろうて』


 冥王の瘴気が蔓延して以降、闇属性の魔力を宿す人間は現れなかったという。隠匿されていれば話は別だが、少なくとも、以前ハクが詰め込まれた知識では、今の時代にそのような人間は存在しないことになっている。


(悪しき者の手先、ということでしょうか)


 魔物が宿すものと、同じ属性。

 警戒するべきだろう。クロの経歴が不明な以上、尚更だ。ただ、そんな言葉を伝えながらも、ハクは正反対の考えに至っていた。


『そうとは限らんじゃろうが、楽観視もできんな。魔力の属性も含め、一度会ってみないことにはわしにも判断のしようがないからのう』


(では、やはり試練を受けずに一旦そちらへ戻った方がよろしいですか?)


『いや、まずは、クロとやらにも番人の試練を受けさせてみるべきじゃろう』


「試練を?」


 あまりに意外な発言だったため、ハクは思わず声に出して聞き返す。背筋を凍らせつつクロの挙動を見守るが、特に変化は見られず胸を撫で下ろした。


『その少年が本当に闇属性の魔力を宿しておるのなら、他の者も気がつくじゃろう。そして何より、警戒するはずじゃ』


(あ……)


 思い起こされるのは、昨晩の出来事。原因こそ明らかにできていないようだったが、受付の女性もクロから生じている邪気を感知している様子だった。


『仮にその少年が悪人でないとしても、今のままでは余計な問題に巻き込まれかねん』


(…… そうならないように、番人のお墨付きをいただく、というわけですか)


 番人から認められたとなれば、たとえクロが闇属性の魔力を宿していたとしても、第三者が下手に動くことはできないだろう。彼の安全を確保するという点でも、彼の試練への参加は必要不可欠ということだ。


『番人であれば、試練を通して悪意の有無程度は確認できるじゃろうしのう。なんにせよ、必要なことだと思うぞ』


(しかし、試練に挑戦するには指輪が必要なのでは? 見たところ、彼はそれらしき物を所持していないようですが……)


『それも番人に相談すればなんとかなるじゃろう。その少年を直接会わせれば、試練に挑ませる必要性を向こうも理解するはずじゃ。闇属性の魔力が宿っている人間を見かけておいて、放置するわけにもいかんじゃろうて』


 傍から見れば、クロは魔物と同じ気配がする異端者だ。結界の維持という重要な役目を負っている番人が、そんな存在を放置するとも思い難い。むしろ、多少強引な手段になってでも彼を試そうとするだろう。それを踏まえれば、指輪の件は心配する必要がなさそうだ。


(わかりました。では、そのように)


『うむ。くれぐれも、無理をせんようにな』


(お気遣い、感謝します)


『また何かあれば連絡するように…… ではのう』


 再度、こめかみに痛みが走る。それから数秒以上レマイオの声が聞こえなくなったことで、念話が終了したとハクも判断した。


「…… 呑気だね、全く」


 尚も起きる気配のないクロ。そんな彼を見て、ハクは笑みをこぼした。

 それからふと、フランの言葉を思い出す。


(命懸けで助けようとした、か……)


 ハクがその場面を見たのは、僅か数秒程。だが、それだけでもクロの覚悟はひしひしと伝わってきていた。故に、クロが悪しき者であるとは、どうしても思えなかったのだ。


「…… 私情を挟むわけにはいかないね」


 読み違えている、という可能性もある。特に、自身の記憶の手掛かりを有している存在かもしれないという考えが、判定基準に影響を与えているのは否めない。

 胸騒ぎの正体を確かめることはできた。当分の目標は、冥王の瘴気を祓うための準備を進めることに切り替えるべきだろう。

 その使命を果たすには、過ちは許されない。ハクは気を引き締めつつ、そんな心情はおくびにも出さずにクロを起こすことにした。

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