第3話「光の奥に」

 つい先程まで、目が眩むような色彩の応接室にて座っていたはずだ。だが、気づけば少年の周囲には見渡す限りの荒野が広がっている。そこにいるのは、彼とレマイオの二人のみ。


「ここは……?」


「わしの魔法で作り出した空間じゃ」


「そんなことまで……」


 立ち上がろうとした覚えもないが、少年は二本の足で大地を踏み締めていた。伝わる感触は、本物となんら変わりない。魔法の利便性を、彼は早くもその身で実感した。


「さて。まずは初歩の初歩。己の体に流れる魔力を、感じ取れるようになってもらおうかのう。集中して、内なる力の流れに意識を向けてみるのじゃ」


「わかりました」


 少年は瞼を閉じ、全神経を研ぎ澄ます。

 そこからしばらくの間、暗闇と向き合い続けていたが、心臓の鼓動と呼吸の音が聞こえてくるばかりで、魔力の流れらしきものは一向に感じられなかった。


「上手く、いきませんね……」


「空気や血液と同じように、魔力はお主の中で絶えず流動しておる。根気良く探れば、感知できるはずじゃ」


 その言葉を信じて継続するが、大した変化は見られない。深呼吸が、ややわざとらしくなったぐらいだ。

 少年が弱音を吐くことはなかったが、状況が芳しくないことは傍から見ているだけでもわかったのだろう。レマイオが、数秒程唸ってから再び口を開いた。


「魔力の存在を知ったばかりでは、ちと厳しいか」


 なら、と続けるレマイオ。数歩近づき、少年の頭に手を乗せた。


「一目瞭然になるまで、引き出してしまうか」


 直後、純白の輝きが発生する。

 光源は、少年自身。それなりの光度があるようだが、当の本人は何故か目を開けていても眩しく感じていなかった。


「その輝きが、お主の魔力じゃ。今は、わしが強制的に放出させておるが…… 流れは感じ取れておるか?」


「外に向かっているのは、なんとなくわかりますが……」


「その状態でも、体内での流動は続いておるのじゃが…… まあ、それはこれからわかるようになれば良い」


 レマイオは手を引き戻し、数歩後ずさる。


「放出している光を、内側へ引き戻すように強く念じてみよ」


「念じる……?」


「難しく考える必要はない。お主の思考に、想いに、願いに。魔力は応えてくれるはずじゃ」


「…… やってみます」


 右の掌。広がる光を見つめつつ、そこへと意識を集中させる。

 内側に、内側に。ただそう念じ続けた。

 そんな少年に呼応するかのように、ゆっくりとだが着実に光が収束していく。手全体を覆うような状態から、指一本一本の輪郭を描き出すまでに至らせることができた。

 だが、そこから更に内側へと引き込むことが、できない。どれ程強く念じても、光は頑なに動こうとはしなかった。


「…… 未知の力が、怖いか?」


「怖い……?」


 レマイオから告げられたのは、思いもしなかった言葉。自分のことながら、少年は首を傾げる。


「初めてのことに戸惑う気持ちはわかる。じゃが、恐れる必要はない。その力は、お主の助けとなってくれるものなんじゃからな」


 そう言われ、少年はようやく気がついた。

 自分が、魔力に対して恐怖を抱いていたということに。

 未知の、それでいて強大な力。自分に扱える代物だとは、思えなかったのだ。

 恐れているが故に、目を向けることができない。怯えているが故に、受け入れることができない。潜在意識が邪魔をして、思考とは真逆の結果を生んでいた、ということだ。


(怖がる必要は、ない……)


 気がついたとしても、すぐに払拭できるものではない。だが、意識して改善することはできる。

 少年は恐怖を認め、それすら受け入れることで、自身が帯びていた光を完全に体内へ引き戻すことに成功した。


「でき、ました……」


「うむ、上出来じゃ。体内での魔力の流れは、感じ取れるようになったかのう?」


「はい。まだ、はっきりとではありませんが…… 先程よりは、鮮明にわかります」


 白い光────少年の魔力は、消滅したわけではない。肉体に浸透し、その内側を駆け巡っているのだ。

 空気や血液と同じように。今、レマイオの言葉の意味を、彼はその身で理解していた。


「ならば、次は自分で魔力を体の外に放出してみい」


 少年と見つめ合っていたレマイオが、体を真横に向ける。直後、その視線の先に的のようなものが現れた。

 空中に浮遊する的。これもまた、魔法によるものなのだろう。少年があえて尋ねることはなかった。


「まずは手本じゃ」


 そう言って、レマイオが左腕を的へと伸ばす。


「掌の先に魔力を集め…… 放つ」


 言葉どおりの動作が、ただ行われた。

 中央部を射抜かれた的は、役目を終えたと言わんばかりに消滅する。それと入れ替わるようにして、新たな的が同じ位置に出現した。


「魔力の流動に意識を向け続けること。強く念じること。この二点に気をつければ、できるようになるはずじゃ」


「わかりました」


 自身の正面に的が来るような位置に動いてから、少年は瞼を閉じて深呼吸する。雑念を暗闇へと放り投げた後、目を開けて先にある的を見据えた。


「魔力を集めて……」


 右腕を伸ばし、掌の照準を合わせる。

 体の内側だけで完結していた魔力の流れを広げ、外側へ。球体の形を想像しながら、掌の先に魔力を集中させていく。

 思い描く理想と目の前の現実が一致したその瞬間、少年は強く念じた。

 撃ち抜け、と。


「…… お見事」


 中央部から僅かに右へ逸れたが、確かに的へと命中している。初の挑戦にしては、充分すぎる結果と言えるだろう。


「魔力の放出も、魔法の一種じゃからな。基礎的なことではあるが…… 練度を高めれば、それだけで戦闘能力が飛躍的に向上する。日々、精進を心がけるように」


「承知しました」


「お主、いちいち堅苦しいのう…… もっと砕けた口調でもいいんじゃぞ?」


「いえ、そういうわけには」


 行き場のない自分を拾い、親切にしてくれる恩人。それが、レマイオに対する少年の認識だ。

 そんな相手に、失礼な態度を取るわけにはいかない。その接し方は、彼にとってごく自然なものだった。


「…… まあいいわい。では、最後に模擬戦と行こうかのう」


 またしても的が消える。次に現れたのは、全く別の形状をした何かだった。

 見たところ、人間に近い。だが、目や鼻といった顔の部位が存在せず、衣服も纏っていなかった。少なくとも、生物ではなさそうだ。


「これはわしの魔法で作った人形じゃ。自律的に稼働するこの人形から一本取ることができれば、今日の修行は終了とする」


「えっ、一本って……」


「頑張るんじゃぞお」


 言うだけ言って、レマイオは姿を消してしまった。魔法で応接室まで戻ったのだろう。この場には、少年と人形だけが取り残された。


「戦い方なんて教わって────」


 今日初めての愚痴を漏らそうとした少年。だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 突如、人形が接近し、腕を大きく振りかぶったからだ。


「なっ……!?」


 大振りの一撃。不意を突かれたものの、少年は身を捻ってなんとか回避した。

 だが、それだけでは終わらない。人形は尚も彼へと迫り続け、殴打を浴びせんとしていた。


「あぶ、ない…… なあ!」


 少年は身を屈めて人形の攻撃を回避した直後、がら空きの腹部に反撃の拳を叩き込む。確かな手応えを感じられたが、相手の姿勢を崩すまでには至らず、ただ両者の距離が広がるのみだった。


『伝え忘れとったが、ちゃんと魔法で仕留めるんじゃぞお』


 どこからか、声が響く。

 レマイオのものだ。外部から少年の様子を観測し、語りかけているのだろう。

 であれば、少年の声もまた、相手へと届くはずだ。突然戦闘が始まったことに対して小言を吐きたいところだったが、彼はぐっと堪えた。


「魔法で仕留める……」


 右腕を伸ばし、人形に掌を向ける。覚えたばかりの動作を、早くも実戦形式で使うことを余儀なくされていた。

 先程の一撃で開いた距離。それを詰められるまでの僅かな時間で、少年はなんとか光の球体を形成して発射した。

 だが、直線的な軌道を描いたそれは難なく躱されてしまう。


(そう易々と倒させてはくれないか……)


 またしても、人形の猛攻が始まった。慣れない魔法によって生じた隙を、容赦なく突いている。

 劣勢に立たされているはずだが、少年は焦りを覚えてはいなかった。

 相手の動きが単調であることに、気づいていたからだ。故に、いつ隙が生まれるかも容易に予測できていた。自身の魔力の流れにも意識を向け、虎視眈々とその時を待つ。


(ここだ!)


 人形の攻撃が空振りに終わった直後、少年は相手の背後に回り込み、光の球体を放った。

 死角からの一撃。

 今度こそはと期待したが、どうやらそう上手くはいかないらしい。軌道上に光の壁のようなものが発生したことで、球体を防がれてしまった。


(こいつも魔法を使うのか……!)


 レマイオの魔法で作られた存在。それが魔法を使えたとしても、なんらおかしくはない。

 だが、魔法を使われることはないという先入観があった少年にとっては、予想外の出来事だった。

 故に、動揺が生まれる。

 その好機を、相手が逃すはずもない。


「ぐっ……!?」


 顔面に、手痛い一撃。少年の体は後方に大きく吹き飛ばされた。

 重力に引き寄せられて、背中を地面に強く打ちつける。全身に走る痛みを堪えながらも彼は立ち上がったが、次なる一手が既に迫っていた。


「がはっ……!」


 今度は、腹部を殴られる。

 このままでは、されるがままだ────痛みのなかでも思考を巡らせられた彼は、自身の腹部にめり込む相手の右腕を左手で掴み、相手の腹部に自身の右手を突き当てた。

 直後、人形が背面方向へと吹き飛んでいく。

 殴ったのではない。密着した状態で、少年が魔法を発動したのだ。


「これなら、壁は、張れないだろう……?」


 咳き込みながらも、少年が微笑を浮かべる。

 人形は体勢を大きく崩したものの、倒れてはいなかった。それでも彼の表情が暗くならなかったのは、その一撃だけで決着を付けられるとは初めから考えていなかったためだ。

 少年は相手の周囲を注意深く観察し、魔法の準備を進めながら接近する。そして、壁が現れるであろう瞬間に光を放出した。

 球体ではなく、槍の形で。


「これで、終わりだ」


 力が一点に集中した、光の槍。それは、予想どおりの位置に出現した壁と、その先にある人形の胸部を容易く貫いた。

 壁は甲高い音を立てて砕け散り、人形は事切れたかのように倒れ伏す。


『そこまで』


 レマイオの声が聞こえた瞬間、少年は光に包まれ────再び、元いた応接室へと帰還した。


「まさか、これ程早く達成するとは思わんかったぞ」


「自分でも、驚き、です……」


 息も絶え絶えに返事をする。痛み以外に、少年は謎の脱力感に襲われていた。


「約束どおり、今日はここまでじゃ。慣れない魔法を使って疲れたじゃろうし、ゆっくり休むといい」


「そう、させて、もらいます……」


 少年は一礼してから振り返り、部屋を後にしようと歩き出す。だが、レマイオの声が再び聞こえてきたことで、その足を止めた。


「すまんが、一つ問わせてくれ」


「なんでしょう」


「今のお主は、その魔力から何を感じている?」


 激しい疲労に苛まれていたからだろう。少年は深く考えることなく、反射的に声を返した。


「温かさと、優しさ。それから、強さ、ですかね」


「そうか……」


 その回答に何を思ったか。レマイオは自身の髭を揉み込み、主張の激しい天井を仰ぎ見てから、少年の方へと視線を戻した。


「引き止めてすまんかった。また、食事時にのう」


「いえ、それでは」


 退室し、扉を閉める。

 一人になったことで、少年はレマイオからの問いかけについてもう一度考えてみようと思い至った。

 先程の返答に、嘘はない。

 だが、言語化できていない何かがあるように思えてならなかった。廊下を進み、自室に辿り着いても尚、その答えは出ない。


(この、魔力は……)


 ベッドに体を預け、胸に手を当てながら考える。答えを出せないまま、少年の意識は深い眠りの底へと落ちていった。

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