第77話 混乱する街

「逃げろ、急げ!!」

「早くしろ!! 潰されるぞ!!」


 イスヴァールの街は混乱していた。

 コボルトたちは怒号や悲鳴を上げながら、無我夢中で逃げ回っている。

 当てもなく走り回る彼らの後ろから現れたのは、黒い鱗に覆われたドラゴン。

 周囲の建物より一回り大きい巨躯は、何もかも押しつぶしてしまうかのようだ。

 そしてその裂けた瞳には、おぞましい狂気と殺気が宿っている。


「グルウウォオオオッ!!!!」


 天を仰ぎ、咆哮するドラゴン。

 脳天を貫くような大音響に、コボルトたちはたちまち耳を抑えた。

 周囲を満たす絶望。

 コボルトたちの目が恐怖に染まった時、通りの向こうから大型のゴーレムが次々と姿を現す。

 ――フェイルノートⅡ型。

 フェイルノート型を改良した遠距離攻撃用のゴーレムだ。

 体格が一回り大きくなり、亀のような背中に装備されたバリスタは大人五人がかりで引かなければならないほどの張力を誇る。


「撃てっ!!」


 ギリギリと引き絞られた弓が、一斉に解放された。

 ――ビュウッ!!!!

 風が唸り、ミスリル製の鏃が空を切る。

 一直線に飛んだ矢は、瞬く間にドラゴンの巨躯へと殺到した。

 しかし――。


「グルルルォッ!!」

「効いてない!?」


 必殺を期して放たれた矢は、いずれもドラゴンの外皮に弾かれた。

 黒く濁ったように見える鱗は、驚異的な硬度を誇るらしい。

 ミスリル製の鏃が弾かれたことに指揮をとっていたコボルトたちは動揺するものの、すぐさま第二射を命じる。


「撃てっ!! ……むっ!?」


 いきなりドラゴンが背中を見せた。

 ――もしや逃げるのでは?

 コボルトたちがそう思ったのも束の間、ドラゴンはその長い尾を天高く振り上げる。


「撤退、撤退!!」


 悲鳴を上げながら、全速力で撤退するコボルトたち。

 ――グォンッ!!!!

 ドラゴンの尾が、周囲の建物ごとフェイルノートⅡ型の列を薙ぎ払った。

 たちまちすべてが瓦礫と化し、轟音とともに崩れ落ちる。

 街の一角が、ほぼ一瞬にして消滅してしまった。

 その事実に呆然とするコボルトたちをよそに、ドラゴンは一層暴れはじめる。


「グオオオオオォッ!!」


 再び咆哮を上げるドラゴン。

 周囲の建物を破壊しながら、そのまま通りを驀進し始める。

 

「まずい、領主さまの館が!!」


 ドラゴンの進む先には、領主の館兼役所があった。

 このイスヴァールの中心ともいうべき施設である。

 ――そこだけは壊されるわけにはいかない。 

 コボルトたちは自ら武器を取りドラゴンに向かっていくが、歯が立たない。


「しまった!」


 槍を持って突撃したコボルトの一人が、うっかり瓦礫で転んでしまった。

 逃げ遅れてしまった彼に、ドラゴンの足が振り落とされようとする。

 お世辞にも強いとは言い難いコボルトにドラゴンの体重がかかれば、骨まで木っ端微塵だろう。

 ――死ぬ!!

 コボルトがそう直感し、目を閉じた瞬間であった。

 朗々とした声が響き渡る。


「いま助けるであります!!」


 次の瞬間、ドラゴンの巨体がにわかに浮いた。

 何者かの拳が、山のような巨体を吹き飛ばしたのだ。


「もう大丈夫でありますよ」


 やがて姿を現したのは、ツヴァイであった。

 コボルトは差し出された彼女の手を握ると、ゆっくりと立ち上がるのだった。


――〇●〇――


「なんだ、あれは……!!」


 イスヴァールの街から、少し離れた高木の上。

 そこから望遠鏡を使って事態の成り行きを見守っていた魔人族の男は、突然の出来事に目を剥いた。

 これまで順調に街を破壊していたドラゴンが、いきなり吹き飛ばされたのだ。

 何事かと思って目を凝らせば、軍服のような服を纏った少女が目に留まる。


「あの者が……いやまさか、今のシェグレンは準王級だぞ」


 屍人王の血によって、シェグレンは完全なドラゴンと化していた。

 それもただのドラゴンではない。

 かつて世界を支配したとされる古代竜である。

 その力は六王に準ずるほどで、王以外で倒せる存在などいない。

 少なくとも、この魔人はそう確信していたのだが――。


「信じられん……圧倒している……!」


 さながら宙を舞うように、周囲の建物やドラゴンの身体を蹴って飛び回る少女。

 ――ズゴゥンッ!!

 その拳が鱗にめり込むたびに、重々しい音が響く。

 そして微かに、ドラゴンの口からうめき声のようなものが漏れた。

 完全に、少女がドラゴンを上回っている。

 さらに――。


「掴んだ!?」


 尻尾を掴み、ドラゴンの巨体を持ち上げてしまう少女。

 いったい、その小さな身体のどこにそれほどの力があるのか。

 呆れる魔人をよそに、少女はそのままドラゴンを思いっきり地面に叩きつける。

 ――ズゥン、ズゥン!!

 それはさながら、子どもがぬいぐるみを振り回すかのようだった。


「……やむを得ん」


 このままでは、銀色の怪物が現れる前にドラゴンが敗北してしまう。

 そう判断した魔人は、仕方なくドラゴンに術を掛けることにした。

 彼は慎重に戦場へと近づいていくと、指先から魔力の糸を伸ばす。

 そして――。


「よし!」


 魔力の糸がドラゴンの身体と接続された。

 そこから送り込まれた魔力が、ドラゴンの筋力をさらに増大させる。

 ――魔操術。

 魔力を使って操る対象の肉体を活性化させ、より強い力を引き出す術だ。

 ただし、ドラゴンを操るとなれば命を削るほどの膨大な魔力を消費するため、魔人としてもできれば用いたくなかった最終手段である。


「グルウウオオオオッ!!!!」

「のわっ!?」


 高まる力によって、少女の身体を振り払ったドラゴン。

 戦いはまだ、これからのようであった――。

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