閑話 その頃の伯爵領5(修正)

「聞けば聞くほど信じられないな」


 賢者エリスの一行が、アルファドの街を発ってからおよそ数か月。

 猫の工作員からの報告を今か今かと待っていたヴィーゼルの耳に入ってきたのは、まったく予想だにしない情報であった。

 商人のサルマトが街へ戻って来て、遠征の成功を喧伝しているのだという。

 サルマトが言うには、ヴィクトルは大樹海の中で無事に生き残り、さらに亜人族の首長に成り上がって彼らの街を治めているらしい。


「生きているだけならまだしも、どうやって凶暴な亜人を手懐けるというのだ。どんな手段を用いた!」


 秘書からの報告を聞いて、顔をしかめるヴィーゼル。

 亜人族について、彼はとにかく凶暴な存在ということしか知らなかった。

 エンバンス王国においては、ある意味で一般的な認識である。

 すると同席していたラポルトが告げる。


「……私も信じられませんが、多少の真実は含まれているかと。街に戻って以降、サルマト商会は大量の塩を買い付けておりますので」

「塩だと?」

「ええ。しかも、多少割高でも構わず買っております。恐らくは、大樹海との交易に使うのかと」


 ふーむと考え込むヴィーゼル。

 サルマトという商人について、彼もいくらか面識はある。

 冒険者から身を立てて、たった二十年ほどで中堅商会を築いた傑物だ。

 それが大きく動いているというのだから、やはり何かある。


「何にしても、もっと情報がいる。なぜサルマトが戻って来たのに猫は戻ってこないのだ?」

「そう言われましても、まだ帰ってきていないとしか……」

「金貨三百枚も使って、最も腕のいい工作員を手配させたのだろう? まさか、途中で金を抜いたのではあるまいな?」

「そ、そんなことは!」


 全力で首を横に振るラポルト。

 実のところ、彼は受け取った金貨三百枚のうち二百枚を抜いていた。

 しかし、灰被り猫の中で最も優秀な工作員を用意してもらったのは本当である。

 腕試しにグレイス商会で雇っていたBランクの冒険者三名と戦わせたが、たった数秒で全員倒してしまったのだ。

 相手が賢者であろうと、あれがそう簡単に負けたとも思えない。


「……まあいい。行先はあの大樹海だ、事故でも起こったのかもしれん」

「ええ、そうですな」

「しかし、まずいことになった。もしヴィクトルが大樹海の開拓に本当に成功したならば、有力な後継ぎ候補になるぞ」


 大樹海を開拓するなどという無理難題をやってのけたとあれば、ディロンはヴィクトルの評価を改めるだろう。

 ひょっとすると、ヴィーゼルたちを差し置いて跡継ぎとなるかもしれない。

 それだけは、何が何でも避けなければならなかった。

 お世辞にも兄弟仲は良いとは言い難い状態なのだ。

 最悪の場合、粛清されてしまう恐れもある。


「なんとしてでも、それだけは防がねばなりませんな」

「ああ。ひとまず、お前はグレイス商会の力を使ってサルマトの物資調達を邪魔しろ。特に塩だ」

「……かなりの経費が掛かりますが、よろしいので? それに塩関連となると、場合によっては他の貴族が口出しをしてくる場合もありますぞ」

「今はそれを言っている場合ではあるまい。貴族についてはこちらで抑えるから、何とかしろ」


 そうは言われても、塩は重要な戦略物資である。

 それを扱う商人は軒並み大店で、そこに圧力をかけるとなるとグレイス商会の力をもってしてもかなりの負担だ。

 流石に、この場ではいと首を振れるようなことではない。

 ラポルトが渋っていると、ヴィーゼルが言う。


「お前の商会、我が街への派遣でかなり潤っているようだな?」

「いえいえ、そのようなことは……」

「嘘をつくな。知っておるのだぞ、こちらが用意した給金の半分近くを抜いておるそうではないか」

「いろいろとこちらで負担している経費もございますから」


 それらしいことを言って誤魔化そうとするラポルト。

 しかし、実際のところグレイス商会は莫大な利益を上げていた。

 使用人の給金を中抜きするのはもちろんのこと、領主館の改修費用から騎士団の武具の調達費用に至るまで、ありとあらゆるところから金を抜いていたのだ。

 流石のヴィーゼルも、そのことには薄々と勘づいていたのである。


「勘違いしているようだが、私は何も咎めようとしているのではない」

「……そう申されますと?」

「ヴィクトルつぶしが上手くいった暁には、父上にとりなして伯爵領の他の街でも同じ方式を取り入れてもらおう。そうなればお前の商会は、王国でも指折りの規模となるであろうな」


 ヴィーゼルにそう言われて、ラポルトはすぐに脳内でそろばんを弾いた。

 するとここで、さらにヴィーゼルが言う。


「もしそのままの流れで私が当主となれば、お前が一代貴族になれるように取り計らっても良い。お前たちのような商人にとっては夢なのだろう、爵位は?」

「それは……」

「王都の上流街に屋敷を構え、他の商人どもを見下ろすのはきっと気持ちが良いぞ」


 ヴィーゼルにそう言われ、ラポルトは夢想する。

 上流街に大きな屋敷を構え、そのテラスから他の平民たちを見下ろす自身の姿を。

 それは彼のような権力欲の強い人間にとって、麻薬のような想像だった。


「……かしこまりました。我がグレイス商会が総力を挙げて、サルマトの物資調達を阻止してみせましょうぞ」

「うむ! 恐らく、ヴィクトルたちはサルマトにかなり依存しているだろう。やつさえ潰してしまえば、いずれは干上がるに違いない」


 こうして、ヴィクトルたちを少しでも妨害するべく動き出すヴィーゼルたち。

 これがさらなる破滅を招くとは、まだ彼らは知らないのだった――。

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