閑話 猫の旅

「とうとう見えてきたわね……!!」


 ヴィクトルたちがクロウラーの群れと戦っている頃。

 賢者エリスの率いる一行は、とうとうサリエル大樹海へとたどり着いた。

 出発地であるアルファドからここまでは、馬車でおよそ二週間。

 途中に大きな街もなく、ひたすらに何もない街道をゆく険しい道のりであった。


「ここからは馬車じゃ無理ね。みんな、荷物を担いで!」


 かつての開拓地へと続く小道。

 地図の上では細いながらも立派な道として記されているそれであったが、実際のところは獣道のような有様だった。

 とても馬車では通れないと判断したエリスは、人力で荷物を運ぶことを決断する。

 そのことを見越して、既に一行には専用の荷役が何人もいた。


「……面倒」


 チリもまた、一行に荷役として雇われた少女であった。

 彼女はぶつぶつと不満を漏らしながらも、次々と荷物を背負い込んでいく。

 そして一行が雇った荷役の中で一番小柄だったにもかかわらず、一番多くの荷物を背負った。


「いつ見てもさすがだな」


 食料や水の入った、ずっしりと重いザック。

 それを軽々と持ち上げたチリを見て、サルマトは満足げな顔をした。

 顔なじみの商人からの紹介ということで彼が雇い入れた少女であったが、思った以上の拾い物だった。

 彼女一人で、普通の荷役の三人分ぐらいの仕事はしてもらっている。


「高いお給料もらってるから」

「ははは、そうだったな。頑張ってくれたまえ」


 そう言うと、チリの肩をポンポンと叩くサルマト。

 するとチリは露骨に不満げな顔をする。


「……おっと、女の子の身体に触るのは良くなかったか」

「別にそう言う訳じゃない」

「なら、いいんだがね」


 そう言うと、サルマトは一団の先頭へと向かっていった。

 こうして十分に距離が離れたところで、チリはやれやれとため息をつく。

 彼女が不機嫌な理由は、サルマトに触られたからなどではない。

 サルマトの印象に残ってしまっていること自体が理由であった。

 

「私が荷役は無理がある」


 彼女の正体は『灰被り猫』の送り込んだ工作員であった。

 ゆえに本来ならば、もっと目立たない形で一行に潜り込むはずだった。

 しかし、準備日数が不足していたため荷役しか枠がなかった。

 おかげで見た目は非力そうなチリが荷役として働く説得力を持たせるため、身体強化魔法の使い手という少々目立つ”設定”を入れるしかなかったのだ。


「……でも、仕事の遂行に支障はない」


 この二週間、街道を行く途中で何度かモンスターとの戦闘があった。

 その中でチリは、一行の面々の戦闘力をおおよそ把握していた。

 まず、最大の懸念材料であった賢者エリスは意外と弱い。

 上級魔法を難なく使いこなすが、チリの眼から見ると戦闘経験が不足していた。

 もともと研究畑の人間で、あまり戦いを得意としていないのだろう。


 続いてエリスに雇われた冒険者たちだが、これもまたチリの脅威とはなりえない。

 一流どころを揃えたようだが、突出した怪物はいなかった。

 全員をまとめて相手にすれば流石に手間がかかるが、一人ずつ処理していくことは容易だ。

 モンスターの襲撃にでも乗じれば、数分で壊滅させる自信がある。


 最後にサルマトだが、意外なことに彼が一番厄介であった。

 冒険者としての活動は十年近く途絶えていたそうだが、チリが見たところあまり腕は衰えていない。

 巨大なハンマーを振り回し、襲ってきた狼の群れを一撃で返り討ちにしたのは圧巻だった。

 おまけに、商人として生きてきたせいか勘も良い。

 仕掛けるのならば、まず真っ先に彼を行動不能にする必要がある。


「……止まって!」


 こうして、かつての開拓地を目指して森の中を歩くこと小一時間。

 急に先頭を歩いていたエリスが一行を制止した。

 厄介なモンスターの気配でも察知したのだろうか。

 にわかに場が静まり、緊張が高まる。

 チリもまた、懐に忍ばせたナイフに意識を向けた。


「蠢く魔力の気配がする。いったい何なの、これ……!」

「大丈夫ですか!?」


 すっかり色を失い、倒れそうになるエリス。

 その身体を近くにいたサルマトが支えた。

 彼の腕の中で、エリスはうわごとのようにつぶやく。


「す、すごい数……! わけわかんない……!」

「賢者様、しっかりしてください!」


 必死にエリスに呼び掛けるサルマトだが、彼女はなかなか正気に戻らない。

 ――参った、もしここで戻ることになったら終わり。

 チリは前方の様子を伺いながら、困ったなと思案を巡らせる。

 ここまできて、何の成果もなく戻ることは彼女の立場的にまずい。

 せめて、ヴィクトルの生死ぐらいは確認しなければならなかった。


 ――バレるリスクはあるが、エリスに魔法を使うか?

 チリがそう考え始めた瞬間であった。

 遠くから何やら地鳴りのような音が聞こえてくる。

 

「なんだ……? 誰か、木に登って様子を見てくれ!」

「私が行く」


 チリは急いで木に登ると、音がした方向を見た。

 すると遥か彼方で、何か黒いものが蠢いている。

 よく目を凝らしてみると、それは数えきれないほどの虫であった。

 ――クロウラーだ!

 とっさにチリは何が起きているのか理解するが、ここで彼女の予想を超えた出来事が起こる。


「えっ!? 何か食われた!?」


 銀色の何かが、クロウラーの群れを押しつぶし始めた。

 そのあまりに異様な光景に、チリはたまらず眼を疑うが間違いない。

 おびただしいほどの数がいたクロウラーの群れが、未知の何かによって食いつくされている。


「……大樹海、やばすぎ」


 灰被り猫の工作員チリ。

 血濡れの異名を持つ彼女が、初めて仕事を引き受けたことを後悔した瞬間だった。

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