第33話 小鬼王の覇道

 サリエル大樹海の南方に広がるゴブリン族の縄張り。

 一国に匹敵する面積を誇るその中心部に、小鬼王の城はある。

 大岩を削り出して作られたその城は、鬼の貌を思わせる厳めしい姿をしていた。

 その最上層、額に相当する部分にある岩の玉座に一人のゴブリンが座っていた。

 大樹海を統べる六王の一人、小鬼王である。

 その身体は見上げるほどに大きく、ただならぬ覇気を纏っている。

 さらに頭蓋から伸びる三本の角。

 捻じれて天を衝くそれは、彼が王であることをはっきりと示していた。


「オークどもは北へ逃げたと?」

「はい。我が軍が攻め込むとすぐに拠点を放棄しました」


 侵略軍を任せていたゴブリンロードのス・ログ。

 その報告を聞き、小鬼王は満足げに笑う。


「やはり今代の豚人王は弱いな。王権の移譲が上手くいかなかったという噂は真実らしい」

「王よ、これは好機です。このまま一気に滅ぼし、縄張りを併呑いたしましょう」

「いや、それはしなくて良い。やつらの縄張りを手に入れたところで、得るものはさほどないからな。オークの雌ではさほど強い子は産まれぬ」


 小鬼王には一つ、悍ましい能力がある。

 それは人型の生物であれば、ほぼすべて子を産ませることができるというもの。

 しかも、生まれてきた子は母親の種族的な特性などを引き継ぎつつもすべてゴブリンとなるのだ。


 この能力を利用し、小鬼王が他種族に産ませた子はすでに数百以上。

 いずれも通常のゴブリンにはない特性や能力を持つ強力な駒として活躍している。

 ――信頼のおける手駒となる子を増やす。

 それが小鬼王にとって、今回の侵攻における最大の目的の一つであった。

 

「あくまでも狙いはエルフどもだ。やつらの魔力を何としてでも我が物に」

「ええ。あの力と我らの数が合わされば、樹海の覇権も近づくでしょう」

「それでメ・ナウよ、虫の具合はどうなのだ?」


 そう言うと、小鬼王は窓際へと眼を向けた。

 そこには黒いローブを纏った老年のゴブリンが立っていた。

 皺の目立つ身体は王と比べるとあまりに小さく、曲がった腰は老いを感じさせる。

 しかしそのぎょろりとした魚のような眼は、異様な威圧感を放っていた。

 彼の名はメ・ナウ。

 魔法を扱うゴブリンとしては最上位のゴブリンウィザードである。


「既に、虫の一部が地中から現れつつあります。あとひと月もすれば、天を覆うほどの群れが生まれるでしょう」

「素晴らしい。従属魔法も効いているか?」

「無論です。いやぁ、いい物を手に入れましたわい」


 そう言うと、メ・ナウは懐から黒い表紙の魔導書を取り出した。

 ひどく年季の入ったそれは『とある集団』から譲り受けたものである。

 この魔導書に記されている禁術こそ、今回の計画の要であった。

 ゴブリンの魔法技術でこれを再現するには、実に数十年もの歳月が必要であったが……。

 その甲斐は間違いなくあったと言える。


「虫どもの制御は完全です。エルフどもの国だけを狙い撃ちに出来るでしょう」

「ははは、あの高慢な連中が虫に追い回されるのが楽しみですな」

「かの森人王も今はなかなか動けまい。騎士団のいくらかを落としたら、お前たちにもたっぷり雌を回してやろう。ははははは!」


 虫に襲われる魔導王国の街並みを想像し、愉悦に顔を歪ませる小鬼王。

 その掌の上で、髑髏の器になみなみと注がれた酒がちゃぷんっと水音を立てた。

 するとここでス・ログが小鬼王に対して提案する。


「……そう言えば、エルフどもの国の近くにグ・ザウを倒したコボルトの集落がありましたな。エルフたちを攻める前に、まずそこを攻撃しては?」

「グ・ザウ?」

「十年ほど前にロードとなった者です」

「ああ、あやつか……。倒されたとか言っておったな」


 実のところ、グ・ザウを倒した連中に小鬼王はさほど興味を持っていなかった。

 ゴブリンロードと言っても、グ・ザウは十年ほど前に進化したばかりの新参者。

 力も弱く、経験も浅い。

 兵力も大した数を預けていなかった。

 ゆえに小賢しいコボルトどもが何かしら策を弄して、上手く倒したのだろうとぐらいにしか思っていなかったのだ。

 

「いいだろう。コボルトどもの集落を虫の餌にしてくれる」

「……そうですな、できればコボルトどもは捕らえて下され」

「あの犬どもをか?」

「ええ。やつらは我らゴブリンと性質が近い種族ですからな。魔法薬の実験などにちょうど良いのですよ」


 爬虫類を思わせる顔で、気持ちの悪い笑みを浮かべるメ・ナウ。

 それを見たス・ログはたまらず顔をしかめた。

 メ・ナウの行う実験がどれほど冒涜的なものかを、彼はよく知っているからだ。

 分かっているだけでも、既に数十のゴブリンがメ・ナウの犠牲となって死よりも恐ろしい苦行を受けている。

 それでもメ・ナウが許されているのは、ひとえに小鬼王が末端のゴブリンにさほど興味が無いから過ぎない。


「良かろう。好きにするがいい」

「ありがたき幸せ」

「ただし、何匹かは逃がしてやれ。虫の恐怖を森中に広げさせるのだ」

「それは良いですな。エルフたちが震えあがる様が目に浮かびます」

「我が覇業も近いな。はははっ!!」


 高笑いをすると、酒を一気に飲み干す小鬼王。

 森を呑み込む災厄の発生は、いよいよ間近に迫っていた――。

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