漆黒の眼
押見五六三
全1話 これは、あなたにも起こり得る話……
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
まただ……。
夢から覚ても暫くは感触が消えない。
あれからというもの、夢にまでヤツが現れ魘されてしまう。
あの悍ましい感覚が、忘れたくても忘れられないのだ。
今も思い出すと背筋に冷たいものが走る。
夢の中でもヤツは、あの漆黒の眼を私に向けて来る……そして……。
これは昔、私が実際に体験した蒸し暑い真夏の夜の出来事です……。
当時私は、二十四時間営業のお店で働いておりました。まだ元気で若かった私は、夜勤手当が欲しくて夜中に働く事が多々あったのです。
そのお店の他の従業員は夜中に自ら進んで働く方は少なく、お客様も殆ど来ない事もあり、深夜帯は所謂ワンオペで働く事が多かったのを覚えています。
あの日も私は夜中の二時から六時までを一人で働く事と成り、お客様が居ない時は店の中の掃除を中心にせっせと働いておりました。
二十四時間営業の店は、ノーゲストでも結構やる事が多いんですよね。
なので私は熱帯夜の中を一人汗だくに成って頑張っていました。
そしてそれは、来客も完全に途絶えた深夜四時位の事です……。
“ピンポーン”
私が俯いて掃除をしている最中、突然チャイムが鳴りました。
「いらっしゃいませ!」
私は顔を上げ、入口の方を見ながら元気よく挨拶をしたのですが……。
「あれ?」
人影はありませんでした。
店の中全体を見渡しましたが、誰も居ません。
そもそも扉が開いた形跡がありませんでした。
前に出て、真っ暗闇の外の様子もガラス越しに伺いましたが、見える範囲に動く物の気配は一切ありませんでした。
「おかしいな……チャイムの誤作動かな……」
私はちょっと嫌な予感が頭に過ぎりましたが、なんとか気に留めないようにして再び掃除を始めました。
しかし……。
“ピンポーン”
再びチャイムの音が鳴りました。
入口の扉はやはり開かない。
今度は顔を上げていたので、誰かが入口付近に居たのならば、絶対に見逃すはずは無かったのです。
私はエアコンの風で扉付近の何かが舞っていて、それにチャイムのセンサーが誤反応しているのだと思い……いや、そう自分に言い聞かせて恐る恐る扉付近に近づきました。
その時です__
サッと一瞬、店内に黒い影が横切りました。
居る。
何かが居る。
見間違いではない。
チャイムのセンサーは誤作動ではなく、確かに何者かを感じ取って反応していたのです。
明らかに店の中には、私以外の何者かが潜んでいる。
そう確信しました。
そして私は後ろから視線を感じ、振り返りました。
其処には__
「やはり……お前の仕業だったのか……」
居た。
やはり居た。
ヤツが……。
真っ白な壁に、其処だけ異空間に繋がるブラックホールを開けたのかと思うくらい、真っ黒なものが……。
ヤツはその体色と同じぐらいの漆黒の眼を、こちらに向けていました。
食品を扱う店の……いや、人類の天敵、
ヤツは「お前如きなぞ怖くはない」と、言わんばかりに堂々と壁に張り付いていました。
まるで食品を扱っている店は殺虫剤を使用できないのを知ってるかのようです。
そうなんです。
万が一かかってはいけないので、食品を扱う店はむやみに殺虫スプレーを使用する事ができないんです。
凍らすタイプならまだ使用可能なのですが、当時はまだ有りませんでした。
つまり、ヤツを倒す方法は手掴みしかないのです。
気の弱い方ならココでギブアップでしょう。
ですが私は小学生の時【昆虫博士】と言われるぐらいの虫好きで、ヤツにも一歩も臆すことはなかったのです。
しかもヤツを倒す事に長けていた為、仲間内では【Gハンター】という異名をもらうほどのGキラーでした。
私はペーパータオルを取り、息を殺しながらヤツに近づきます。
勝負は一瞬。
ココでヤツを逃がせば二度と私の前には現れないだろう。
ヤツの漆黒の眼を見ながら、ヤツがどう動くかを計算し、手を振り上げます。
そしてヤツが油断した瞬間__
「今だ!」
手応えあり。
ペーパータオルでしっかり掴んだと思った私は、そのまま紙を丸めてゴミ箱へ捨てました。
ですがこの時、自分の能力を過信して確かめなかったのは失敗でした。
私はそのまま仕事を続けたのですが、暫くすると背中に違和感を感じます。
「なんだ……この背中を擦る、ツルツルした感触は……ま、まさか……」
ヤツだ。
ヤツの翅の感触だ。
ヤツが服の中に居る。
どうやらヤツは、私の捕獲を難なく逃れ、いつの間にか私の後ろ襟から背中に入り込んでいたのです。
この時の私は、暑いのでワンサイズ大き目のユニフォームを着ていた為、襟首や背中に余裕が有り、ヤツの侵入に気付けなかったのです。
「は、早く取り出さないと!」
ヤツはどんな菌を持っているか分かりません。
早急に背中から出さないといけない。
ですが、ここで更なる悲劇が起こります。
“ピンポーン”
そうです。
お客様が来たのです。
従業員は私一人。私が対応しなくてはいけません。
仕方なく背中にヤツを入れたまま接客をします。もし、ヤツが背中に居る事がバレたらお客様はパニックを起こすでしょう。
私は気づかれないよう笑顔で対応します。
ヤツを背中に入れたまま……。
このお客様が帰るまでの我慢。お客様が帰ったら直ぐに取り出そうと、思ってたのですが……。
“ピンポーン”
“ピンポーン”
“ピンポーン”
運悪く続く来客。
私は為す術なく接客を続けます。
その間、私の背中はヤツの遊技場と化していました。
あの例えようのない悍ましい感触は、一生忘れる事ができないでしょう。
この八大地獄の罰ゲームみたいな苦しみは、私の精神を貪りながらひたすら続きました。
次の従業員が来るまで…………。
あれから数年、今でも背中を這いずる『ヤツ』の感触は、忘れようにも忘れられません。
だからこうして何度も何度も夢に現れては、私を苦しめます。
それほどまでにトラウマは大きく、普段起きてる時も、ふと視線を感じる時が……。
ヤツは何処かで私を見てるのだろうか……あの漆黒の眼で……。
〚完〛
漆黒の眼 押見五六三 @563
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