突撃、遠めのかえでんち
「それじゃ、よろしくね」
「はい、ありがとうございました」
後部座席から出ると、いつもバスの中から見ていた景色にわたしは立っていた。ガラス越しのフィルターを通さずに、直接見るとまた印象が違う。
かえでの家は大きくて、ちょっとした砂利の駐車場がある。車一台ぐらいは止まれそうだ。
肝心の親御さんは出稼ぎに行っているらしいけど。
「玄関が閉まってても、裏口の方は開いてると思うからそっから入って。それでもダメだったら、前の店のおじちゃんに聞いてみてね」
「……はい」
「むむ、なんだいせっかく送ってあげたのに。それにお土産だって準備してあげたんだぞ〜?」
途中でドラッグストアに寄ってきて、冷えピタとか風邪薬とか、色々買ってもらった。経費とかじゃないだろうに、どうして先生はそんなにかえでに良くするのだろう。
友達と友達、といった関係では無いけれど、深くかえでと関わっているのが伺いしれて、心が曇る。
かえでの相談とか受けている、ってことなんだろう。かえでのより、深いところに触れている人。
「本当にかえでに詳しいんですね」
「……中々嫉妬するほうだよね、あきくんは。まあ、嫉妬するぐらいかえでのことを気にしているならば、尚更安心だけど。かえでによろしくね」
言外にどうしてそんなに詳しいのか、今まで何回訪問しているのか、とか。なんでもいいからかえでとの関係を聞きたくて、そう聞いたつもりだったけれど、上手いこと流されてしまって答えてくれない。
手を窓からフラフラと振って、行ってしまった。
「……まあ、いいか」
はてさて、と。片手にビニール袋を引っ提げて玄関の前で立ちつくす。表札には確かに『沖野』の文字。この中にかえでがいると思うと感慨深いような、そうでもないような。
一応ベルを鳴らしてみるけれど、中から誰かが来る気配はない。先生は普通に入っていいよ、と言っていたけれど、それはそれで抵抗があった。
田舎では人が勝手に入ってくるなんて、よくある事だけど。わたしの実家だってそうだったし。
「……し、失礼しまーす」
ドアに手をかけるとあっさり扉は開いてしまう。
ドアを開けると見えるのは玄関と階段。
かえでの小さな靴が適当に脱ぎ捨ててある。
意外と大雑把。
「か、かえで〜? 上がるからねー?」
控えめに声を出してかえでに問う。やっぱり返事は無いけれど。
「お邪魔します……」
一応かえでの靴も揃えて中へ上がる。カバンを階段の前に置いて、そこら辺を歩いて回る。
かえではどこで寝ているのか。
玄関から左の扉を開けると大きなお部屋が見える。多分応接間とか。
大きな机にラックが置いてあって、椅子は二つ。
ただ、その机の上には制服が脱ぎ捨ててある。
半ば反射的に制服を畳んで、机の隅に置いた。
もう既に生活力の無さを感じているのだけれど、本当に一人でやって行けてるんだろうか。
「かえで〜?」
引き続き声を上げながら探索していく。
応接間は外が見える縦長の廊下に、大きなキングサイズのベットが置いてある部屋、それに居間へと繋がっている。
縦長の廊下には物干し竿がかけてあって、一応は衣類が干してある。心当たりのある柔軟剤の匂いがして、確かに洗濯はしているらしい。
……けど、数が多い。これ、取り込んでないのでは。他には大きなクローゼット。その上におもちゃ箱が置いてある。
かえでが居るとしたらベットのある部屋だろう。
見切りをつけてベットのある部屋へ足音を立てず入っていく。
しかし、中には誰もいなくって、ベットの上には雑に布団がかけられていた。周りを見渡すと見えるのは肖像画……のように見えるけど、写真だこれ。青みがかかっていてホコリを被っている。随分年季が入っている。
かえでの両親だろう。
その近くには雛人形の入ったショーケース。
おばあちゃん家にあるやつだ。
「かえでー?」
まさか居間にはいないと思うけど、しらみつぶし的に一応覗く。居間には低いテーブルと座椅子、テレビやプリンター、ルーターといった機械類が置いてある。テレビのスクリーンにはほこりが見えるし、プリンターも同じ様子。ここしばらく使われた痕跡は伺えない。
そこからダイニングへと続いていて、冷蔵庫やトースター、魚焼きなど基本的なものは置いてある。
一応キッチンのシンクを覗いてみると沢山のお皿が水につけてあった。汚すぎる訳では無いけれど、決して綺麗な訳では無い。
「これ、人の住んでる家……?」
まるで空き家にいるような気分だった。
掃除がなされた痕跡もなく、生活感が感じられない。
なのに、洗濯や食事の痕跡は残っていて、不気味さが際立っている。
こんなに大きな家なのに。……だからこそか。
一人で住むには、広すぎる。
居間から廊下を通ると玄関に繋がっているらしい。
途中、更に下へ繋がっているのであろう扉があるけれど、一旦それはスルーする。
これは単純に偏見だけど、ここまで一階を探して見つからなければ、恐らく二階にいるのだろう。
子供部屋らしきものは見当たらなかったし。
どこも子供部屋は二階にあるものなのか。
ギシギシと音を立てる階段をゆっくり上る。
手すりにはホコリが着いておらず、日常的に使われているらしい。壁にはうっすらと落書きが書いてあって、沢山の星が書いてあった。昔のかえでが書いたのかな。
二階の階段を登ると部屋が二つ見える。
一つは空き部屋になっているみたいで、特に何も置いていない。ただ、小学校の教科書やランドセル、中学校の教科書が乱雑に置いてある。申し訳程度に布団が隅に追いやられていた。恐らく元は客間なのだろう。
教科書に至ってはもはや置いてある、と言うよりは投げ捨ててある、と言った方が正しいかもしれない。
お母さんとかお父さんとか、何も言わないのだろうか。
もう一つの部屋へと向かって歩く。恐らくこっちが本命。ドアをノックして一応声をかける。
「かえで〜……?」
元から期待なんてしてないけれど、やっぱり返事は帰ってこない。中にいるといいのだけれど。
ここまで来ると他人の家のドアを開けるのも慣れてくる。空き巣犯とかこんな感じなのかな。
扉を開けるとまずベットが目に付いた。
人一人寝れるサイズの普通のベット、夏にも関わらず冬用の厚い毛布を被ったかえでが寝ている。
寒いのかと思ったけれど、扇風機を回しているからそうじゃない。アンバランスな光景だ。
床は意外にも綺麗な状態で、寝転がることすらできそうだ。
学習机の上はそれなりに整えてあって、体温計とその他もろもろ。かえでを起こさないようにゆっくり歩いて、体温計を拝借する。
ボタンを指で軽く押すと、ピッと電子音を上げて起動する。前回の測定結果は38.8。
「重症じゃん……!」
とりあえずビニール袋を机に置いて、冷えピタを取り出した。かえでの近くに寄って貼りつけようとしたけれど、額は汗で湿っていてとても出来そうにない。呼吸は荒く、喘ぐような息をしている。
布団を少しめくると薄着のかえでが目に入る。
普段なら動揺していたかもしれないけれど、今回ばかりはそんな場合じゃない。わたしの危機感は正しく機能していた。
布団もしっとり湿っていて、この調子じゃシーツもダメだろう。下に大きなベットがあったから、一旦そっちで寝てもらうべきか。
「かえでっ! かえで、起きて」
かえでは黒のキャミソールに下は下着だけ、とかなりラフな格好をしている。普段家に人がいないから大して気にしてない感じだろコレ。
……それはともかく。
「かえで? 起きて」
汗で湿った小さな肩をゆする。しばらくすると、んん、っと苦しそうな息をかえでが漏らした。
「お母さん……?」
薄く開いた目は虚ろで生気がない。わかりやすく弱ってしまっている。何か常備薬を飲んだ様子もうかがえない。そもそもあるのかすら伺わしい。
家の様子もそうだけれど、全く一人で生活出来ていないじゃないか。
とても危険な状況だ。保健室の先生もそりゃ定期的に様子を見に来るわけだよ……!
「あきだよ、あき! かえで一旦起きよ!」
かえでは「んぅ」と唸るだけで起きそうにない。
時々、「お母さん」と心無く呟くだけだ。
「なんでこんな状態のかえでを放置してるんだよ……!」
かえでから漏れる声を聞く度に、心が痛むのと同じくらい腹が立つ。家の事情はあるのだろうけど、かえでを放っておく理由にはならないだろ。
かえでを起こすのは諦めて、上体を起こして壁に背をつけさせる。扇風機を弱めに設定しかえでに向けて、必要なものを取りに部屋から飛び出した。
目指すは浴室。せめて何かタオルが欲しい。
一階にはなかったから恐らく下の階。
慌てて階段をおりるとそこは半ば地下室のようになっている。
地上と比べて明らか涼しい。
こっちで寝ていた方が良かったのでは、と思うけれど、階段の下にあるベットの上は乱雑に散らかっていて、これじゃあまともに寝れそうにない。
他には目立つ仕切りが天井から吊るしてあって、恐らくこれが浴室なのだろう。
その仕切りの中の棚にバスタオルやらが畳んで置いてある。制服とかは脱ぎ散らしてあったのに。
年一とは言え定期的には帰ってきているんだろうか。もしくは誰かが様子を見に来ているのか。
まさか保健室の先生がそこまで面倒を見ている訳では無いだろう。
バスタオルとハンドタオルを二つとって、一つをお湯で濡らして絞る。そのままかえでの部屋へ向かったけれど、扉を開けてから忘れ物に気づいて引き戻る。
「着替えがない……」
今度は一階を目指して物干し竿へ。
やっぱり洗濯物は干したままだったのか、どれも既に乾いている。肌着を適当に見繕って足元にある洗濯カゴへ入れた。ついでに干してあるシーツを見つけてそれも持っていく。何度目かわからない階段を上ってようやく準備は完了だ。
「あき……?」
扉を開けて荷物を置くと、虚ろな目をしたかえでと目が合った。
ようやく覚醒してきたのか、わたしのことを認識出来たみたい。だけど、まだ半覚醒と言ったところで、自発的な行動に期待はできないだろう。
それに出来たとしても体の方がついてこなさそうだ。
「かえで、こっちおいで」
体を優しく支えながら、ベッドに座らせる。
壁に寄りかからせなくてもとりあえずは大丈夫そうだ。
「ごめんね、脱がすよ」
まるで色々直前の恋人みたいなやり取りをこんな形でする事になるなんて思っていなかった。
今はそんなこと考えている場合でもないけれど。
着替えを取りだしてかえでの隣に置く。
脱がしたキャミを横によけて、まずかえでの顔をタオルで拭う。そのまま冷えピタをおでこに貼っつけて、背後へまわる。
次に背中をお湯で濡らしたタオルで拭きあげて、後ろからそのまま腕も拭く。背中だけならともかく、それ以外もとなると、いくら同級生とはいえ躊躇いがある。
「そうこう言ってる場合じゃないか……」
ごめんね、と断ってかえでの前に回り、首、胸、お腹と拭き上げた。
下半身は流石に遠慮があって、脚だけ丁寧に吹き上げる。
持ってきた肌着を上から着せて、とりあえずは一旦OK。
とはいえこのままこのベッドで寝かせる訳にも行かないな。
「隣に……布団、あったよね」
隣の部屋から布団を運び、床へ敷く。持ってきたシーツを被せて、寝るところはとりあえず大丈夫。
ビニール袋の中から、一応買ってきた氷枕を取り出してタオルを巻いた。
これは先生の慧眼の賜物だ。
伊達に保健室の先生していない。
布団と一緒に置いてあった枕を持ってきてその上へセット。問題は上に被せる毛布なのだけど、かえでは小さいからバスタオルでおそらく事足りると思う。
「かえで、持ち上げるからね」
お姫様抱っこでかえでを抱え、布団の上へ。
かえでは軽く、非力なわたしでも簡単に持ち上げられた。不安になる軽さだ。
かえでをゆっくり下ろして頭を枕に載せる。
不安要素はバスタオルだったけれど、これも案外大丈夫そう。
「ふぅー……」
深呼吸して伸びをした。
とりあえずはこれで大丈夫か。
かえでの様子を見てみると、まだまだ苦しそうではあるけれど、さっきよりは断然マシに見える。
わたしがそう思いたいだけかもしれないけれど。
「……お母さん」
「……さっきはあきって言ってたのに」
机の前の椅子に腰かけて、ビニール袋の中を漁った。そこから薬と生理食塩水を取り出して、かえでを起こして飲みこませ、普段より血色の悪い唇を拭う。
「これで本当に終わりかな」
かえでの寝顔を代金に拝んで部屋を出る。
やり遂げたぜ。
玄関で靴を履こうとしたところでスマホの震えに気がついた。
『着信:母』
『今どこにいるの?』
『何かあった?』
「んあっ!」
スマホのディスプレイに表示された時刻は午後七時。いつもならとっくに家に着いてる時間。
夏とはいえ既に外は暗がりに包まれている。
当然街灯なんてないし、山道だから歩くのも危険。
「……やってしまったかもしれない」
慌てて母へ電話した。
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