かえでがいない 後編

 コツコツ、と靴音が反響する静かな廊下を歩いて保健室へ向かう。保健室は昇降口の前にある。周りには自販機と下駄箱ぐらい。 

 特筆するものは特にない。


「先生」

「あきちゃん。どうかした?」


 ノックしてから扉を開けると難しそうな本を読んでいる先生と目が合った。茶髪を後ろで結んでラフな格好。ほぼ私服と言っても変わりない。


「聞きたいことがあって」

「せめて体調不良とかで来てよ」


 苦笑しながら立ち上がって前のテーブルへ促された。何気利用するのは初めてかも。


「んーと……建前上欠席カードは書かないといけないんだよねぇ。授業中だよね? 誰先生?」

「坂本先生です」

「授業から抜けだしてきた感じ? ここに来るって伝えてあるよね?」

「大丈夫です」


 形式的なやり取りを終えると、先生はカードに色々なにかを書き始める。こういう感じなんだ。


「あ、一応熱測ろうか」

「はい」


 仮病で来ているのだからもちろん熱は無い。

 体温計に表示された平熱を先生に見せると、とりあえずいいかな、と手を合わせた。


「はい、それで何が聞きたいのかな? 何かで悩んでる?」

「かえではどうしたんですか」

「ん? あっ……えっと。今日おやすみのかえでの話? だよね?」


 先生は眉毛を下げて困惑しつつも答えてくれる。

 おやすみなのか。


「お休みなんですか」

「朝連絡が来てね、風邪ひいたみたいって」

「……そっか風邪か」

「あきはかえでと友達なの?」

「トモダチです」


 へー、とどこか面白そうだ。珍しいものを見る目でわたしを見ている。


「そっかそっか。でもわざわざそれ聞くために仮病?」

「はい、なのでもう戻りますね」

「いやいやいやいや、不審すぎるでしょ! もうサボっちゃいなって」

「……そんな事しませんよ普通」


 というか仮にも先生がそんなこと言ったらまずいだろう。


「普通は仮病使ってまで友達の欠席確認しに来ないと思うけどな!? 連絡返ってこないの?」

「……連絡先持ってません」

「あらレトロ。今どき珍しい」


 そうかあ、かえでだもんなあ、と先生が呟く。


「自分から攻めないとダメだよ、かえでは」

「……でも話しかけてきてくれますよ」

「そうじゃなくって、あの子変なところ抜けてるから、連絡先とかは自分から聞かないと永遠手に入らないよ」

「……妙にかえでに詳しいんですね」

「嫉妬するなよお」


 ハハ、と少し上を向いた先生が笑う。

 物理的に見下ろしてくる。ちょっとむかつく。


「そんなんじゃないし」


 嘘つけ、とまた笑う。軽い雰囲気の先生だ。

 先生、と言うよりは世代が近いお姉さん、って感じ。近所に住んでいる気心がしれたお姉さん、みたいな。人気があるのも頷ける。


「今日暇かい?」

「ナンパですか」

「そうじゃないって。もし良かったら、かえでんち、行ってみない?」


 唐突な家庭訪問のご提案。いきなり突拍子もない話が出てきて面食らう。

 行きたいか行きたくないか、で聞かれたら正直行きたい。だけど、色々と謎がある。

 この先生、妙にかえでに入れ込んでいる気がするのだ。並々ならぬ関係なのかもしれない。

 かえでからはそんな話聞いたこともないのに。


「……いや、なんで? 先生も?」

「んーん。あきがいるなら私はむしろお邪魔かな。お見舞いに行こうよ。私もかえでは心配だし。帰りはさすがに送ってけないけどさ」

「結構遠いですよ」

「あれ、家知ってるんだ? 連絡先は知らないのに?」


 ナチュラルに痛いところをついてくる。

 本人に悪気はなさそうなところが質が悪い。


「通学中ずっと一緒なので。バスから全部一緒です」


 それにかえでの家はわかりやすい。

 なんたってバス停のすぐ近くに住んでいるから。

 それ故か、いつもかえではギリギリでバスに乗る。バスの中から家から出てくるところが見えるぐらい。

 たまに遅刻しそうになるけれど、大抵の場合バスの後ろを走ってきて、運転手さんが止まってあげて乗ってくる。

 運転手さんによっては、出てくるまで一分ぐらいなら発車せずに待っていることもある。

 都会だったらありえない光景だ。

 

「だから仲良いんだ」

「別にそれが理由じゃないですけど」


 食い気味に否定すると、ふーんと流し目でこちらを見てくる。なんかヤらしい。


「それなら帰りも大丈夫そうかな? 家近いんだよね?」

「歩いて三十分ぐらいだと思います」

「なら丁度いいね。かえでんちまで乗せてってあげる」

「……随分かえでのこと気にしてるんですね、色々詳しいし」

「そんな事ないよ、生徒はみんな等しく大事。もちろん君もね」


 下手くそなウインクをして先生が言う。

 胡散臭さが増すだけだ。


「……嘘くさい」

「ハハハ」


 乾いた笑いだ。建前と本音を隠すつもりもないらしい。なんでそんなにかえでに入れ込んでいるんだ。


「それにかえでは色々複雑だからね」

「……複雑?」 


 先生はキョトンとした顔をして、手遊びをやめる。そこからわたしを一瞥して、何かを考えているのか少し黙る。

 複雑って何。いつも寝ているから、とかだろうか。


「……あー、そっか。てっきり……。どうしようやっぱやめにするか」

「いやなんでですか。行きますよ、もちろん。というか親御さんに確認とか大丈夫なんです?」


 あー、なるほどね、と先生が天を仰いだ。

 そこから立ち上がって伸びをして、何故か私の隣の椅子に座る。私の目をじっと見て、真剣な顔をしている。なんなんだ。


「……そっかぁ。あきさ、かえでと仲良くしてあげれる?」

「突然なんですか。仲良く……したい、ですよ」

「歯切れ悪いなあ、……まあいいか。かえでの両親は遠くに働きに行っててね、帰ってくるのは年に一回だけなんだ」

「えっかえで一人暮らしなんですか?」

「そっ、詳しくは本人から聞いたほうがいいかもね。……だからまあ、色々寂しい思いしてるんだと思うよ。友達がいるって知ってちょっと安心した」


 かえでが、一人暮らし。あんな大きな家に。

 ……想像もできない話だった。

 まだ、彼女は高校生じゃないか。

 それにかえでの家の近くにお店があるとはいえ、決して大きなお店ではない。買いだめとかはできないだろう。

 ちゃんとご飯は食べられてるんだろうか。

 ――かえでのお昼ご飯は小さなおにぎり、二つだけ。


「……尚更、行きます」

「そ? それじゃあ十六時、昇降口で」


 はい、と返事をして保健室を出る。

 そのまま教室に戻って授業を受けていたけれど、まるで耳に入ってこない。板書をする手も動かなくって、先生から声をかけられたぐらい。

 かえでは今一人で、不安に震えてたりしないだろうか。

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