――不思議な夢を見た。

 心地良くて、どこか懐かしさを覚える、そんな夢。悪夢はいつまでたっても忘れられないのに、温かい夢はすぐ忘れてしまう。

 いっそ夢から覚めなければいいのにな。

 記憶に残っているのは、最後の方の一欠片。

 お母さんが私の頭を優しく撫でて、何か語りかけて、そして白い光が視界を覆った。


「――お母さん?」


 自分の声にハッとして目が覚めた。

 寝起きで頭が鈍い、その上頭が痛くて寝る前の記憶にモヤがかかっている。

 確か学校に電話して、そのまま寝たんだったか。

 おでこが妙にぬるくて顔に手のひらを当てる。

 顔はじわっと汗でべったりしていて、まだ熱はありそうだ。

 おでこには記憶にない冷えピタが貼ってある。先生か、おばさんか。

 誰か来てくれたらしい。

 

「迷惑かけたなあ……」


 またお世話になってしまった。

 今度あったら菓子折りとか持っていこう。

 スマホに連絡とか来ていないのかな。

 スマホを枕の下から持ち上げ……ようとしたけれど。


「あれ、ベットじゃない」


 上半身を起こして当たりを見渡す。

 確かに私の部屋だけれど、何故か私は床で寝かされている。枕も氷枕になっていて、随分丁寧に看病されていたらしい。

 枕の横にはペットボトルと薬が置いてある。


「こりゃ菓子折りじゃ済まないなあ……」


 感謝の念よりお返しのことを考えてしまう自分が嫌になる。打算的な思考が先に出てくる、そんな自分に。そりゃあ恵んで頂いたらお返しするのは当然だけれど。それは感謝の気持ちが先にあった上でだろう。


 上にかけてあるバスタオル……バスタオル?

 バスタオルをのけて立ち上がる。

 立ちくらみでふらふら倒れかけつつも、どうにか持ちこたえて背筋を伸ばした。

 スマホは場所が変わっていなければ枕の下にあるのだけれど、私のベットは素っ裸に剥かれていて、あられもない姿にされている。当然枕もない。


「いつもこんな感じだったっけ……?」


 痛む頭を手で抑えて、スマホを探す。

 幸いにもそれはすぐに見つかって、テーブルの上にある。

 画面をつけると不在着信が先生から一つ入っているくらいで、他に特に連絡はない。

 となると先生か。

 現在時刻は二十一時。随分寝ていたものだ。

 普段熟睡することは珍しくて、体調を崩せば気持ちのいい睡眠ができるのか、と邪推する。

 いやそれって気持ちのいい睡眠なのかな。


 部屋から出て廊下へ出ると、下から光が見える。

 まだ下にいるのか、消し忘れていったのか。

 だるい体で階段を降りると玄関には知らない靴。

 いや見覚えはある気がするけれど。


「誰の靴だ……?」

 

 白いスニーカー。サイズは大して大きくなさそうだ。先生の靴では無さそう。

 そんなことを考えているうち、ぐう、っとお腹が鳴る。……お腹減った。

 居間へ向かうと鼻唄と生活音が耳朶をつく。

 音の出処はキッチン。

 何か作っているらしい。誰だろう。


 ガラス扉を横にずらして開けると、そこに居たのは最近よく見るようになった顔。

 彼女は制服姿のまま、キッチンにたっている。


「えっあき?」

「かえで、起きたんだ。調子どう?」

「あーいや……悪くは無いけど」

「とりあえず座ってよ。ご飯食べよ」


 席に促されて、そのまま座る。

 実に自然な流れだった。


「えっというか、あきがどうして?」

「先生……えっと保健室の先生に連れられて」

「小坂先生?」

「そんな名前だっけ、あの先生」


 へへ、っと背を向けたままあきが笑う。

 そっか先生か。……他に聞きたいことはまだまだあるけど。


「あきが、やってくれたの?」

「んーと……ま、まあ」

「……そっかあ」


 そうか、あきがか。

 色々面倒をかけてしまった。 

 なんで家にいるのか、何を作っているのか、疑問は未だたえないけれど。


「ありがとね」

「どういたしまして」


 でも、とあきが続ける。


「わたし、かえでが一人暮らしだなんて知らなかった。それに連絡してくれたら行くのに……連絡先、知らないけど」

「……先生から聞いたの? 家の事」

「うん、ご両親、年一で帰ってくるんでしょ?」

「年一……?」

「あれ、先生そう言ってたけど」


 ……年一で帰ってくるってどういう事だ。

 うちの親は帰ってこない。

 何をしようと、絶対に。


「もうすぐ帰ってくる、とも先生言ってたよ」


 あんまり悪く言いたくないけど、かえで一人置いてくなんてどうかしてるよ、とあきが口を尖らせる。……もうすぐ、帰ってくる。


「ああ、そういう事か」


 真相に気づいて乾いた笑いが喉からこぼれた。

 確かに、そろそろ帰ってくる時期だったか。

 先生も上手いこと言うなあ。


「……何かあった?」

「んーん。何でもない。ほんとにありがとね、あき」

「……? いつでも呼んでよ」


 ふふん、とあきが胸を張る。背中越しだからわからないけど、多分張ってる。


「というか時間遅いけど、あきは大丈夫?」

「……その話なんだけど」


 はいお待ち、とあきがうどんの入った鍋を机に乗せる。料理とか出来るんだ。

 うどんからは湯気が沢山、ネギや卵、人参が入っている。うちにそんな食材あったっけ……?


「その、かえで、調子は?」

「ん? んーまあ、明日も休んじゃおっかな、位かな、今のところ。さすがの私もこの後ぐっすり寝れるとは思えないし」

「かえでならぐっすり寝れるとは思うけど。まだあんまり調子……良くないよね」

「まあ、そうかな……」


 誘導尋問でもされているのだろうか。あきのことだから意図してのことではないのだろうけど、まだ私は体調が悪い前提で話を進めたがっているように聞こえた。


「……まっちゃおうかな、なんて」

「ん、なんて?」


 あきがうどんをお茶碗によそって渡してくれる。

 箸もそのまま手渡されて、いただきますと手を合わせた。


「と、泊まっちゃおうかな……なんて」


 あきが俯きながら、そう呟く。

 泊まる、泊まる。……うちにか。


「まあ、いいんじゃない?」


 だってあきだし。

 別に知らない人って訳じゃないんだ。

 むしろ私の知人の中では結構深く関わっている方だとすら思う。

 他は二人しか思いつかないけれど。

 それにきっと、私の身を案じての行動だと思うから。

 あきは基本、いーヤツなのだ。


「えっほんと? ほんとに!? いいの?!」

「……でも、着替えとか、ないし。明日学校でしょ?」

「わ、わたしもなんか風邪っぽいような気がしてきた……」


 麺をすすりつつあきの様子を伺うと、あきはごほっごほっと、わざとらしくむせた振りをする。

 学校を休む気まんまんのその言動に思わず笑う。


「あき、風邪引きたいの?」

「い、いや別に……」


 ただ、その、とあきが箸を置いて言う。


「かえでがいない学校はつまらない」


 あきの顔に影が差す。

 そのまま何も無かったようにあきはうどんをすすった。


「……そっか。だったら明日、あき学校つまんないね」

「わ、わたしも風邪をひけば……いい!」

「私の風邪がなおって学校に行くとは思わないんだ?」

「……そしたら行くよ」


 いじけたように顔を逸らしたあきに笑みがこぼれる。

 いつだってあきはわかりやすい。


「……まあ、明日は休もっかな。まだ本調子じゃないし」

「そっか……!」


 なんで嬉しそうなんだろう、この子。

 うどんを食べ終えたあきが皿をシンクに置いてくる。隣にはたくさんの皿が乾かしてあった。

 皿洗いまで、してくれたのか。


「ほんとに、色々ありがとね」

「いつでも呼んでよ。困った時、とか。……だから、連絡先……ほしい……なんて思ってたり」

「別にいいけど。そういや交換してなかったよね」


 はい、とQRコードを表示させたスマホを手渡してあきに渡す。だけど何故かあきは不服そうだ。


「なんか手馴れてる……」

「いやいや……」

「電話とか、かけていい?」

「いいけど。今日は泊まってくんでしょ?」

「あ、うん、……居間で適当に寝るね」

「仮にも恩人をそんな適当に扱えないよ。お母さんの部屋空いてるし、ベット大きいからそこで寝なよ」

「……勝手に使って、大丈夫かな」

「大丈夫、というか」


 ……いいイタズラを思いついた。

 私をだーい好きなあきに効きそうな、良い奴を。

 今までで一番のとっておきだ

 彼女は一体どんな色になるだろう。


「私と一緒に寝る?」

「えっ」

「風邪、ひきたいんでしょ? あのベットおっきいし。二人でも多分大きいかな」

「うっえあい」


 あと「お」があればア行コンプリート。

 語彙がなくなってしまったのか、パクパクと口を開けている。


「あ行でお返事?」

「あっあい」


 ほんとにあ行じゃん、と笑みがこぼれる。

 正面に座るあきを見て、また笑う。


「こんな色かあ」


 見たことないぐらい、それは立派な立派な赤色だった。

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