なんなんだろうねえ
久々に入るお風呂は確かに悪くないものだった。
少し高めの温度で設定されていたのか、はたまたずっと蓋をしたままだったせいか、一瞬火傷してしまうのではないかと思うぐらい熱いお湯だった。
あきは湯船に浸かってはいないようだったから、恐らく両方なのだろう。別にそこまで気を使わなくたっていいのに。
「あきの家のお風呂は温度高めなんだなあ」
そんな、どうでもいいことを思いながら、湯船に浸かる。最初は茹でられているような感覚すら覚えていたけれど、慣れてきた今では中々悪くない。
ただ時折のぼせてしまいそうになって、立ち上がっては湯船に浸かるのを繰り返していた。
今回もまたのぼせそうになって、立ち上がる。
立ち上がるとちょうど窓の枠に顎が乗せられる。
そのまま窓を開けて、外の空気に絆されていた。
足元は温かくて、上半身はいい感じの気温に冷えていく。外はもうとっくに真っ暗で、耳をすませば虫の鳴き声が聞こえてきた。
当たりは真っ暗で何も見えない。遠い山の道路を走る車のライトが唯一の明かりだ。
街灯も少ないこの辺じゃ、電灯なしに外を歩くのは難しい。でもそれゆえに、晴れている日は星がよく見える。
夜、外を歩くのは嫌いじゃなかった。
今日も晴れていて、お風呂の窓からでも星が良く見える。
この後お散歩してみてもいいかもしれない。
せっかくだからあきも一緒に。
「ふぅ……」
もう一度お湯に全身浸かる。
体育座りの姿勢のまま、上下左右、ゆらゆら揺れる。
その内頭も沈めてお湯に溶ける。
そういえば昔はお風呂に潜るのが好きだった。
息をギリギリまで止めて、もう無理、ってなる瞬間に頭をあげる、あの開放感が妙に好きだったんだよな。15になった今も同じようにして、浮上する。
ぷはあっと温い空気を吸って、吐いてまた吸う。
ぼやけた頭が少しは澄んだ様な気がした。
結局いつまでたっても子供のままだ。
「あきにはお世話になりっぱだなあ」
普段の様子はともかく、能力や振る舞いだけで言えば大人びている彼女を思う。
当初は警戒心すら抱いていたものだけれど、今ではむしろお世話になりっぱなしだ。
私は彼女に何かお返し出来ているだろうか。
ぷくぷくと口をお湯に着けてカニのように泡を吹く。
正直、正直だ。
私は人から好意的な感情を向けられるのが苦手だ。
私は良い人は報われるべき、そう思ってる。道徳のある大抵の人はそうだと思うけど。
悪人は別にどうでもいい。
そして、あきは私の中の良い人にあたるわけで、彼女は私に色々施してくれているのだ。
だから彼女は報われて欲しい。何か、返してあげたい。
でも生憎、私は好意の返し方を知らないから。
好意を向けられるのは久々で。
そもそも好意を向けられた経験自体少なくて、何をどうすればいいんだろう。
嫌でもやっぱり。好意……と言っていいのかすら、曖昧で、確信できなくて。
あきほど露骨になって、ようやく私が好きなのかなって、疑い始める。
他人の感情に鈍いことぐらい、自覚していた。
だから変なところで勘違いするし、距離を置きそうになってしまう。電車でセクハラ扱いされて勘違いした記憶も新しいし。
セクハラ、ねえ。
好きって言っても、色々種類があるぐらい、私でもわかる。友愛、親愛、そして恋愛。
あきの好きはどれだろう。セクハラって言うぐらいだし、恋愛的なものなんだろうか。
「……でもなあ」
今一度冷静になって、自惚れてるなあ、と温まった体とは裏腹に冷えた頭で自戒する。
だって、ただあきが優しい人なだけ。
それだけで全て説明がついてしまうから。
今までの動揺しすぎな部分とか、すぐセクハラ扱いしてくるとことかも、全部あきの特性だって言ってしまえば終わりだから。
それでもどうしてあきが私を好きだと思ってしまうのか。
シャワーを水に設定して、顔から打たれる。
物理的に頭を冷やしながら、また考えるけれど。
「優しいからだよなあ」
どうして、どうして。
考えれば考えるほどわからなくなってくる。
なんで親切に接してくれるのか。私以外の友達にもそうなのか。
ただそう勘違いさせる女の子なだけなのか。
……そもそも私たちは女の子同士じゃないか。
今更そんな時代じゃないことはわかっているけれど、大前提として普通はそうだ。
「…………頭痛くなってきた」
考えすぎだ。のぼせたかな。
そもそも私とあきは友達で。
あきは少し変なところがあって、優しい女の子、それだけだ。
たとえ同性でも着替えは見られたくない、とか、間接キスは嫌だ、とかそういうのは珍しくないだろう。
体の距離が近すぎるといや、とか。
うん、そうだろう。
私のただの考えすぎだ。
「いいお湯でした」
タオルを首にかけたかえでがベットに座る。
髪はまだ濡れたままで、水の粒が座った衝撃で飛んでくる。豪快で遠慮のない座り方だ。
「なんで正座してんの」
くすっと笑う顔はお風呂上がりで血色が良くて火照っている。その顔から目が離せない。
こちらを見つめて、奥まで見通すような彼女の瞳。口元は柔和な笑みを浮かべている。
「隣おいでよ」
「あ、うん」
はいはいしながら進もうとすると、足が痺れて顎から崩れてしまう。自分でも気づかないくらい、長い間正座をしていた。思っていたよりかえでが長風呂だったのもある。髪長いから当然か。
「何してんの」
「あっ足が痺れて」
「もしかしてずっと正座してた?」
何も無いのに緊張しすぎだよ、とかえでが笑う。
そのまま頭にぽすっと手を乗せて髪を指で撫でてくる。本当はもうそろそろ動けそうだったけれど、何となくそのまま崩れていた。
「犬みたい」
「…………わん」
「こらっ」
苦笑したかえでが頭をわしゃわしゃ撫でてくる。
犬になりたい。
髪はまだ微妙に乾いていなくて、水玉が顔にまで飛んでくる。
「あき、髪乾かしてないんだ? なんか湿ってる」
「ど、ドライヤー……借りていいかわかんないし、そもそもあるの……?」
いい加減この体勢もしんどくて、のそのさと立ち上がる。体一つ分隙間を開けてかえでの横に座った。
「私の部屋に多分あるよ。取ってこよっか?」
「あ、うん」
「乾かしたげよっか」
「……じ、自分で出来るよ」
「そ? でもせっかくだから私の髪、乾かしてよ」
「別にイイ……けど」
よいしょっ、とかえでが立ち上がる。
ダボッとしたパジャマが如何にも子供らしくて、可愛らしいな、と思いつつ冷静にもなる。わたし、こんな小さな子に何されてんだろう。
階段をのそのそ登る音が聞こえて、背中から真っ直ぐベットに倒れる。
大きなベット。かえでの両親が使っているのだろう。でも、確か地下にもベットがあって、あちらには男物の服が畳まれて置いてあった。
別々で寝ているんだろうか。
そもそも両親揃って出稼ぎとは、一体どういう事情何だろう。
「お待たせ」
「あ、うん。おかえり」
声を聞いて起き上がる。
コンセントを床から伸びている延長コードに繋ぎ、ドライヤーの風を出しながらかえでが寄ってくる。
片手には櫛も持っていた。普段ボサボサなイメージだけれど、梳いたりするんだな。
「私も髪、切ろうかな」
「せっかく伸びてるのにもったいないよ」
「乾かすの楽そうだよね」
「大抵の人がかえでよりはマシだと思うよ」
かえでの髪は背中と腰のちょうど中間ぐらいまで伸びている。ただ前髪はそこまで長くなく、鼻ぐらいまでだろう。切ってるのかな、それでも長いけど。
結んでいるところも見た事がない。本人がただ無頓着なんだろう。
「あきぐらい短いと良さそう」
「わたしもそんなに短い訳じゃないんだけどね」
苦笑しているとかえでからドライヤーと櫛を渡され「やくそく」と私の足の間にすっぽりおさまる。
足に柔らかいぷにっとした感触がして、固まる。
「あ、おあう」
「なんか久々の感じ。人に髪乾かしてもらうの」
かえでが左右に動くと一緒に石鹸の匂いがする。
柔軟剤とは違う、ふわっとした甘い匂い。
鼻腔をくすぐって背中に寒気が走った。
「あき?」
「し、失礼シマス……」
ドライヤーのスイッチを入れ、かえでの髪を乾かし始める。つむじの方から乾かしていく。つむじ二個あるんだ。
「ふふん」
かえでは何やら上機嫌で、足をゆらゆら揺らしている。 足がガツガツぶつかるけれど、かえでは気にしていないようだった。
「昔よくお母さんに乾かしてもらってた」
わたしはもう色々と限界で、うんともすんとも言えなくて、へぇ、とふぅんの間ぐらいの音で返事をしてしまう。かえではへへっとまた笑う。
「なんだかんだ、ちょっとワクワクしてるかも」
「わ、ワクワク?」
「同級生が来てくれるなんて、初めてだからね。それに家に人がいるなんてなんか新鮮、不思議と懐かしい感じはしないけど」
時折髪を梳くとかえではくすぐったそうに左右に揺れて、変な感じ、と笑う。
わたしの方はもうあれやこれと言ったメーターが二週も三週もしてしまっていて、冷静にすらなりつつあった。
「パジャマ、持ってきてくれたの? ちょっとおっきいね」
「あ、うん……私の、色違い」
かえでにはパジャマが大きすぎて、ダボッとしている。家から持ってきてもらったわたしのパジャマ。かえでの家にはパジャマなんてなさそうだったから。
あの格好でうろつかれても色々困るし。
「あげる、それ」
「えっ悪いよ。それにおっきいしさ」
「……成長すればいいじゃん?」
「なんでカタコト? まだ見込みあるかなあ」
かえでは頭を後ろに倒してもたれかかる。思ったよりも遠慮のないその衝撃にやや仰け反る。
もう限界をとっくに超えているわたしは今更動揺することはない。
ない、ない。ぜんぜん。
「うわ」
驚いた声を上げた後、顔を上げて見上げてくる。
おっきいね、とかえでが呟いて、口から火を吐きそうになんて全然ならない。ほんとに、全然。ヘーキヘーキ。
「ア、アリガトウ」
ややトンチンカンな発音をしながら言葉を発する。かえではそんなわたしを気にした様子すらなく、胸をなで下ろしてため息をついていた。
わたしはそんなかえでも可愛いと思うけど。
「これは勝てないや」
「変なとこで勝負しないでっ。……ほら、髪まだ乾いてないよ」
「まだ乾かないのか……、もうあきがばっさり切ってよ、お揃いにしよ」
「だ、ダメ……! もったいないよ!」
「だって乾かすのこんなに時間かかるんでしょ? これからはちゃんと乾かそうなんて思ってたけど、そんな気なくなっちゃった」
「わたしがずっといたら、乾かしてあげられるのにな」
ボソッと呟くと、かえでの耳には聞こえていたのか、んふ、っと笑い声が小さく聞こえた。
「私もあきが家族だったらな、って思ってた」
「……別にそんなつもりじゃないけど」
「嘘だあ、あきは私が大好きだからなあ」
「…………」
「否定してくれないんだ」
ふふっ、と若干困ったようにかえでが零す。
「髪、まだかかる?」
「あと十分は」
「ええ……」
「我慢、して」
「んー……、この後さ、一緒に外歩かない?」
「……お散歩?」
「そ、この時期は星が綺麗に見えるんだ。ね、いいでしょ?」
「別に、いいケド……」
やった、とかえでがころころ笑う。
わたしもかえでがもう一人の妹だったら、と少し考える。
朝起こしてあげて、髪を整えてあげて、一緒にお出かけしたり。
想像するだけでワクワクして、ドキドキして、浮き足立つ。でも、それを実の妹、はるに置き換えるとそうはいかない。
……何なんだろう、この物足りなさ。
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