おはよう

 いつも通りの朝……なんて訪れず。

 当たり前のように隣に座る彼女を流し目で盗み見ていた。

 隣に座られるのが嫌って訳では無いけれど。

 相変わらず黙ったままなのは、少し不気味。


 最近私の周辺には彼女がいつもいる。

 校内ではここまで露骨では無いのだけれど。

 登下校中は隠す気もないのか、いつの間にか後ろか隣にいるイメージが出来たぐらい。

 なんなら家にいてもふと後ろが気になってしまう時がある。まさかそんなわけないのはわかってるけど。 

 こんな具合だから、付けられていると言っても過言では無いだろう。

 ここまで堂々と付け回すやつがいてたまるか、とも思うけど。

 もはや、『いつも通りの朝』が彼女に付きまとわれる事含めて成り立ってきている。


 ちらりと隣を一瞥する。

 隣の彼女は相変わらずだ。

 スマホとにらめっこしているように見えて、チラチラわたしの方に視線を飛ばしてくる。

 視線を隠すのがヘタクソで、ガン見と言っても遜色ない。

 ここまで来ると困惑より恐怖が勝ってきてもおかしくない頃合だ。

 なのに、少し楽しんですらいる私は危機感が欠如しているだろうか。危機感持った方がいいよ。


 そんな様子だから、伊藤さんは全く眠そうに見えないのだけど、不思議なことに電車が動き出すと彼女はそのうち眠ってしまう。

 まるで彼女がやって来る前の私みたいだ。

 一体どう言う吹き回しで彼女はこんな風になってしまったのか。

 いっそ前みたいに何か話しかけてきてくれた方がやりやすいのに。


 それと、そう。私の方の話をする。

 彼女が眠活を始めた一方で、私は電車で寝ることはやめてしまった。

 特に理由は無い。強いてあげるなら、彼女が関わっているのは間違いない……と思う。

 何となく、ただの気まぐれ。


 それに、彼女一人じゃ起きられないみたいだから。

 発射寸前の電車から慌てて飛び出してきた彼女の姿は記憶に新しい。

 私は一人で起きられたのにね。

 


 今日も今日とて、隣で穏やかな寝息を立て始めた伊藤さんを視界に収めつつ、反対側の窓ガラスを見つめていた。

 街から山へ、そしてトンネル。

 景色は次から次へと変遷していく。

 意外と見ていて飽きないものだ。

 少なくとも当分は飽きそうにない。


 ……嘘、実際はもう飽きてます。

 何となく寝ている女の子の顔を見つめるのは気まずくって、彼女の方を見れないだけ。

 他人の無防備な顔を見るのは気が引ける。


 閑話休題、そんなことより。

 伊藤さんの事について考えよう。

 どうして、彼女は私に付きまとうのだろう。

 他に友達はいないみたいだし、懐かれたとか?

 でも大して会話した記憶もない。

 最後に会話したのは彼女のお膝を借りた時。

 あれは確かに良いものだった。

 許されるならばもう一度ぐらい経験したい。

 ……いやいや、何考えてんだ、私。

 関係値の薄いクラスメイトに膝枕とか、正気じゃない。……やったけど。

 

 でも、でもの話をしよう。 

 それでも伊藤さんの執着具合は説明できない。

 だって私たち、同性だし。

 仮に異性にそういうことをされたのなら、勘違いしてしまうのはまだ頷ける。

 けど、私たちはただのクラスメイトで親愛なる隣人。そして、深い関わりがあるわけでもない。

 ましてやあの頃はお互いのことなんてろくに知りもしなかった。……今も別に知らないけどさ。

 

 『……じゃあなんで膝枕なんてしてしまったんだ?』


 最終的に心当たりはここへ帰結する。

 あれだけやたら距離が近すぎる……!

 やってることだけで言えばカップルと全く変わりない。

 浅はかだった。あ、ごめん寝てた。

 その一言で解決出来る事案だったはずなのに。

 起き上がるのがめんどうくさくて、ついつい楽な方へ行ってしまった。

 それに、女の子のスキンシップってこんなもんでしょ、なんてぬるい考えをしてたのもある。

 なんなら伊藤さんも伊藤さんで、受け入れ気味だった気さえする。少なくとも拒絶はされなかったわけだしさ。

 ……痴漢される方が悪い、みたいな事言ってるか、私。や、そういう訳じゃないんだけど。

 一回だけだし、一回だけだったから。

 ……これもなんだか語弊があるか。

 まさかワンナイ的な関係じゃあるまいし。

 

「わはは」


 いやいや、笑止千万。

 まさか、そんなわけないじゃんか。

 だってたかが膝枕だ。電車で寝ていたら、隣に座っていた伊藤さんの膝にウトウトした拍子でたまたま頭が乗ってしまっただけ。偶然、事故。

 それに、私を起こさなかった伊藤さんだってどうかしている。

 私は別に乗り気じゃなかったし。やむなしだったし。全然膝枕なんて気にしてないし。

 あれでもやっぱ膝枕って結構レベル高い――。


 ダメだ。結局膝枕が原因としか思えない。

 無限ループにとらわれていることを自覚した。

 同じところをぐるぐる回って、私が私の背中に指を突き立てている。お前が悪いって。その後ろにも私がきっといるのだろう。さながら万華鏡か。

 これじゃあ何も話が進まない。

 

 別の路線を考えてみる。

 例えば、伊藤さんは私の態度に憤慨していたりする、とか。この筋も無くはない。

 考えてみれば当たり前。いきなり知らない女に膝を使われた上、いいもの持ってますね、なんてセクハラまがいな発言までされたのだ。

 あれ、この説が一番説得力あるまであるな。


「いやいやまさか」


 ねぇ。伊藤さんの寝顔を少し拝見。

 気持ちよさそうに口の端を濡らしながら眠っていた。見るからに人畜無害で、純情そうな感じ。

 寝ているその時ですら、全身から穏やかですオーラが溢れている。

 変な勘違いなんて、するわけない。

 ましてや怒ってなんかいないだろう。

 

「はぁ……」


 考えすぎだ。なにやってんだ私。

 なんで膝枕なんてしちゃったんだろ。

 今更後悔しつつある。


 ……少しだけ、本心と向き合うと、私も私で、別に伊藤さんと会話してあげればいいよなあ、と心のどこかで思っている。

 そうしないのは変な意地が働いているからで。

 私は付きまとわれている側なのに私から話しかけては筋が通らない。なんて、強がっている。

 ……それに。

 ここまで付きまとわれて、『どうしてだろう』と思うぐらい『どうせその内離れていくんでしょう』とも考えてしまう。だって私はめんどくさいから。


 実際、入学直後にも似た事案はあった。

 あちらとは一応それなりに会話をしていたけれど、私は同年代と話すのはやっぱり苦手で。

 盛り上がれる様な共通の話題なんて、一つも知らない。音楽、ファッション、恋愛。

 キラキラしたものばかり。上を見上げることで精一杯で、日陰者の私にはまるで無縁だ。

 彼女たちも気をつかってか、そんな私に話題を色々振ってくれた。

 地元の話とか、流行りのものとか、好きな物とか。上手い返しが出来たら良かったのだけど。

 今でも上手に答えられる自信が無い。


 そうこうしている内、いつの間にか、私とそのほかの女の子といった構図が出来上がる。

 当然の顛末だ。避けられたことでもあっただろう。

 そうならないように、って決心してここまで来たはずなのに。


 そんな自分が嫌で、眠くなる。

 だって何も見たくない。私の心の防衛機構。

 負のループだ、ってわかっていたのに。


 そして、結末はやっぱりやってくる。

 ゴールデンウィーク以降、彼女たちが私のところへやってくることはなかったから。


 それが全て。

 期待してた訳じゃない。

 寂しい、なんて……思っていない。

 上手くやれなかった私が悪いのだから。

 むしろ変なプレッシャーから解放されて安心感すら抱いているぐらいだ。嘘じゃない、本当。

 そんな私に嫌気がさす。

 ……一丁前に罪悪感と後悔だけは抱えている。

 心の隅に苦いものが残っていた。


「嫌な感じだぁ……」

  

 胸から嫌な熱が滾ってくる。

 手で顔を抑えて、天井を見上げて仰け反った。




「伊藤さん、おはよ」

「……あ、うん、おはよう……」


 眠そうな伊藤さんに声をかけ、目的地へ着いたことを告げる。いつもは肩を軽く叩くのだけど。

 今日は何となく声をかけた。

 変な意地を張っていてもいいけれど、自分で自分を傷つける結果になるのは本意じゃないから。

 ほんの数分前まで、そんなこと気づいてすらいなかったけど。


「……んぁ? えっあっ、お、沖野さんっ!」


 目を擦った伊藤さんが座ったまま、私を見上げて固まった。

 目を大きく見開いて、驚いているのがわかりやすい。茶色い瞳が左右に揺れていた。

 全人類、彼女ぐらいわかりやすかったらどんなに関わりやすかったか。少し呆れて頬が上がる。


「おはよう、伊藤さん。寝ぼけすぎだよ」

「あ、あ……ぁうん」

「大丈夫?」

「あ、うん」


 伊藤さんは頬をペチペチ叩いた後、慌てた様子で立ち上がる。そのまま私の横に立ってそわそわとこちらの様子を伺っていた。

 小動物みたいで可愛らしい。彼女の方が私よりずっと大きいのにさ。ふんふん、と鼻息すら聞こえてきそうな様子が実にハートフル。

 というか隣にカバン置いたままだし。


「カバン忘れないでよ」

「か、かばん!」


 伊藤さんは大きな声を上げてカバンを手に取り戻ってくる。

 えへへ、と恥ずかしそうに笑っていた。

 ……変な子、だけど。

 もしずっと、私が声をかけてくるのを待っていたのだとしたら……大したものだ。

 そんな感じ、しないけど。


「お、沖野さん!」

「……なあに、伊藤さん」

「きょ、今日も……あ、あぅ」

 

 舌を噛んだのか、伊藤さんはわかりやすく眉が下がって口をすぼめる。思わず笑ってしまって、彼女の眉が余計下がって。


「ご、ごめん、なんでもないよ。それで?」

 

 何が言いたいのか、なんてわかっている。

 それすらわかりやすいのか、と思わず破顔してしまうぐらい。


「あ、ありがとう!」

「どーいたまして」


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