第5話
昇はトイレで電話をしていた。いや、正確に言えば、かかって来た電話に出たのだ。相手は祖母だ。曰く、妹が言う事を聞かなくて困っている。どうにか、少しで良いから来れないか?という物だ。
と、言うのもこの日は本来であれば妹と一緒に遊園地に行くはずだったのだ。妹には無理を言って此処に来ているのだ。最初は了承してくれたが、とうとう堪えが効かなくなったのである。
「うん、うん。分かった。
婆ちゃんにも言っておいて。直ぐ帰るから。うん。それまでは、お願い」
昇はそういうと電話を切り、席に戻る。
「申し訳無いですが、妹が暴れてるので帰ります。
詳しい話はまた今度」
昇は財布から一万円を置くと、足早に去っていった。
店を出て小走りで家に向かう。家からはガシャンガシャンという音とキャーという悲鳴が聞こえてくる。妹が暴れているのだ。近所の人が外に出て様子を見ているようで、昇は大丈夫ですからと断って家に入る。
「ただいま!」
昇がそう叫ぶと、ドタドタと凄まじい足音がした。手にはミット状の手袋を嵌め、頭にはニット帽を被っている。暴れた際に髪の毛を掻きむしるために所々が髪が抜け禿げてきてしまうのだ。帽子を被らせているのである。また、手袋も同様に暴れて怪我をするし、爪が剥がれるのでそれを防ぐための処置である。
そんな格好の妹が今まで大泣きしていたらしい、鼻水を垂らし、目を腫らした顔でやって来る。
「にいちゃん!おかえり!」
そして、昇に抱き着いた。名前を桜と言う。
「うん、ただいま桜」
昇は普段、誰にも見せない笑顔を妹に向けて、桜を抱き締める。
「にいちゃん、ゆうえんち!」
後からやって来た祖父と祖母。祖母は殴られたのか、頬が赤い。
「婆ちゃん、ゴメン。
殴られたの?」
「うん。でも、大丈夫だから」
少し疲れた顔をした祖母に昇は再び謝った。
そして、桜におばあちゃんに謝りなさいと告げると、桜は小さな声でごめんなさいと告げた。祖母はそれを見て大丈夫よと告げ、遊園地に行く準備をしようかと告げる。祖母は桜を連れと奥に引っ込むと、祖父がその場に残った。
「済まん、昇」
「いや、ボクの方こそ。
本来なら、今日は桜と一緒に遊園地に行くはずだったんだ」
「遊園地ぐらいなら儂等で連れてってやれるんだが、桜がどうしても昇と行きたいって言ってな。
儂が遊園地に行こうって言わなければ大丈夫だったんだ。すまん」
祖父の言葉に昇は済んだことだから良いよと告げ、桜の鼻水が付いた服を変えてくると告げて部屋に戻る。昇の部屋は9畳もあるデカい部屋だ。部屋には少し、大きなテレビとゲーム機、パソコンに漫画と小説が並べられている。壁には何かのアニメのポスターが張ってあるし、棚にはフィギュアとモデルガンが並んでいる。
一見、ヲタクの部屋と言う感じだがよく見れば、どれも殆ど触っていないことが分かる。小説、漫画はひと通り読んだだけで本棚に入れてあるし、ゲームも一度、ストーリーをクリアーしただけで棚に入れてある。
クローゼットを開け、上着だけを脱いで新しい上着を着る。スマートフォンに財布をズボンの後ろとサイドポケットに押し込み、一階に戻る。玄関には手袋とニット帽子を被り、スカートとカーディガンを羽織った桜が祖母と楽しそうに待っていた。
そんな桜を見て昇はお待たせと声を掛ける。桜は速く靴を履こう、速く行こうと告げる。時間は10時を少し廻っている。少し遅くなったが、二人は外に出る。外には紙とスマートフォンを持った礼威が立っており、インターフォンを鳴らす直前だった。
「あ、深見さん……」
「にいちゃん、だれ?」
桜が昇の腕にギュッと抱き着いた。その瞳には恐怖と警戒の色がありありと浮かんでいる。
桜は祖父祖母と昇以外は酷く警戒をする。嘗ての旧友と親友にすらその警戒を見せるのだ。昇はそんな妹に大丈夫だよと、抱き締めながら、桜が自分の顔を見えない様にしてから、それまで浮かべていた笑みを消し、侮蔑を込めた視線を礼威に向けた。
礼威は一瞬で表情が変わった昇に思わず恐怖を覚えた。
「何をしに来た」
「あ、あの、えっと……
柳葉さんに家を教えられて、その、コンビなんだから、仲良くしろって……」
礼威の言葉に昇は暫く考える。それから、家に上がっていろと告げる。3時間ほどで帰ると告げた。そして、家から出てきた祖父祖母に、仕事関係の人だからと告げ、中に待って貰うよう告げると桜と共に遊園地に向う。
遊園地は電車に乗って2駅の所にある小さな場所だ。小さな動物園も有るの小さい子供を連れた家族がよく行くのである。入園料も安く、昇はフリーパスを買って、暇があれば桜を連れて訪れている。
「さ、付いたぞ。
何を見る?」
桜と共に中に入る。休日の午後に近い時間。人は多い。はぐれないように桜の手を確りと握る。桜も人が多いために昇の手を確りと握っていた。
「あ、わんわん!」
桜はこの遊園地のキャラクターで犬を模したきぐるみに走って行く。精神年齢は幼稚園児までに回復している。ここ3年の進歩である。
桜は犬に飛びつくと、犬も桜をギュッと抱きしめて手にしていた風船を渡す。桜は風船をもう一個寄越せと昇を指さした。犬は大きく頷いて昇の元に歩いて行き、大きなモーションで風船を渡す。この遊園地には随所に政府の役人がいる。昇が安心して桜を連れて来れる場所である。
昇がその権限を持って仕込ませたのだ。
「にいちゃん!あっち!」
桜は風船を握った手と反対の手で昇の手を握るとグイグイと引っ張った。アトラクションにはほとんど乗らない。回転木馬や観覧車等に乗ることも有る、それよりも動物園に興味を示すのだ。
「あ、にゃんにゃん!」
この動物園でやっていた世界の猫展と言う色々な猫を展示しているコーナーが有った。昇は桜に引っ張られてそのコーナーに向う。昇は猫について余り詳しくない。ロシアンブルーとか三毛猫とかそう言う名前は知ってるが、どれがどの猫かを言い当てるのは些か難しい。
桜は猫の入っているガラスケースにベッタリと張り付いて指でガラスを突付いたりしている。かなり興奮しているようだ。
「君は猫が好きかい?」
飼育員と思われる男が解説に現れる。このコーナーは余り人気では内容で人が殆ど居ないのだ。
飼育員の登場に桜は慌てて昇の側に駆け寄ってきた。
「すいません。
妹はちょっと」
昇は桜に大丈夫だと告げ、飼育員に告げた。飼育員は了解したと言う風に頷く。
「驚かせちゃったね。
ボクはこの猫達の世話をしてるのさ。君は、猫が好きかな?」
「桜、この人がこの猫の飼い主だよ。
猫について色々知ってるようだから、聞いてごらんよ」
飼育員がニッコリ笑い、昇も桜に大丈夫だと告げる。桜は確りと昇の手を握ったまま、小さくにゃんにゃんすきと答えた。
それから2時間タップリと猫について話を聞く。帰る頃にはスッカリ桜は猫が好きになったのだ。昇は桜の為に子猫を買ってやろうと思い、そろそろ帰ろうかと提案する。昼ごはんを食べ、家に帰る頃には丁度3時間だろう。
二人は手を繋ぎ、駅前の少しおしゃれなカフェに行く。此処も政府の小手入れがあるカフェである。此処には桜の好きな料理が中心にある。
「今日は何を食べる?」
「ハンバーグ!」
桜の言葉に昇は解ったと頷き入店。自分はナポリタンを頼み、桜はハンバーグを頼む。料理が来るまでの間、桜は実に嬉しそうに猫の話をした。桜が初めて、赤の他人と話をしていたのだ。昇は今度、本格的な動物園に連れて行こうと真面目に検討を始めた。
料理が届き、それを食べる。桜は口にいっぱい頬張り、ソースで顔を汚すので、昇がそれを拭きとってやるのだ。
「美味しい?」
「うん!」
桜に合わせて昇はナポリタンを食べる。店中は一般客も居る。店員は常に桜の様子を伺いながらも接客をする。この店には介護資格を持った店員も居るのだ。そして、1時間ほどで食事を終え、会計を済ませる。その間もずっと桜は猫の話をしている。
「桜。桜は猫が欲しいかい?」
「欲しい!」
昇の言葉に桜は大きく頷いた。昇は頷く。
「じゃ、病院の先生に聞いてみて、良いって言ったら猫を飼おう。
ちっちゃい子猫だ」
「こねこ?」
「赤ちゃんの猫さ。
かわいいよ」
昇の言葉に桜はありがとうと抱き着いた。昇は周囲の注目を気にせず病院の先生が良いよって言ったらな、となだめつつ店を出る。その際、はしゃぎすぎた桜が通行人にぶつかった。桜の体重は軽い。身長は160cm超えているのにもかかわらず30kg代前半なのだ。
故に、ぶつかった彼女が吹き飛ばされてしまった。
「イッてぇなコラ!」
しかも、ぶつかった相手は所謂ヤンキーだ。B系と言われるだぶだぶのズボンを履き斜めに被ったキャップが特徴的なラップでもやってそうな感じの服装をしている。
「すいません。
大丈夫ですか?」
昇は厄介な奴にぶつかったなと思いつつ桜を起こす。青年は昇に抱き起こされる桜に目を向ける。桜の見かけは上の上だった。事件後だいぶ窶れているが、それでも上の中は固い。昇はそう思っている。しかし、今回ばかりはそれが仇になった。
青年は下衆な目を桜に向けた。桜は青年達に怯えて、昇の後ろに隠れている。
「おい、お前ごめんなさいの一言もねぇのか?」
「ええ、すいません。
お怪我は、ありませんか?」
青年が桜を執拗に責めるのを避けるべく、青年と桜の間に立つ。
「テメェじゃねぇ!」
青年がそう怒鳴ると桜が錯乱を起こして大声で叫びだす。
「な、何だ此奴!
ガイジかよ!」
「おい、今なんつった、テメェ?」
次の瞬間、青年の一人がもんどり打って倒れる。昇が青年の顎を殴り抜いたのだ。的確なパンチングは一撃で青年の意識を刈取る。自衛隊の上級格闘指導官仕込みの格闘術だ。軍隊の格闘術、世間一般で習える格闘と違うのは敵を如何に効率よく、そして、最小限、最速でダウンさせられるかと言うところにある。
勿論、キメラ相手に人間用の格闘術がどれほど役に立つのかは不明だが、それでも習っておいて損はない。昇の拳は岩のように硬い。碌な鍛え方をしていない青年は顎が外れて、受け身も取れずに顔面から倒れたために鼻も折れただろう。
残った青年が昇が相方を倒したのだと気が付くのに少し時間がかかった。陰気そうな年下が目にも留まらぬ速さで相方を打ち倒した。相方は起き上がらない。身動きすらしない。
「おい、身分証出せよ」
昇の言葉に青年は思わず財布を差し出した。財布から免許証と保険証を抜き取り、写メを取る。倒れている方のも出せ告げ、それも写真をとった。そして、財布の中を覗き、コンビニ言ってアイスクリームと菓子を帰るだけ買ってこいと告げる。
青年は昇の尋常成らざる殺気にただただ怯えて、言うとおりにする。暫くして、大量のアイスクリームとお菓子を抱えて戻って来た。
「こ、これで勘弁して下さい!すいませんした!」
青年がそう言うと昇は謝る相手が違うだろうがどドスの利いた声で静かに告げる。そして、背後に隠れて震えている桜の方を向き、膝を折って視線の高さを合わせた。
「桜、このお兄さんにぶつかってごめんなさいって」
昇は振り返って、笑えと告げる。そして、桜を自分の前に出す。桜は震える声でほんとうに小さな声でごめんなさいと謝った。青年はそれに無理やり笑みを浮かべて、さっきはアイツが怒鳴ってゴメンな?と告げ、大量のアイスと菓子が入ったコンビニ袋を差し出した。
桜はコンビニ袋と昇を交互に見る。
昇はくれるってさとニッコリ笑い、桜にそれを受け取るよう促した。桜がそれを受け取る、昇は青年に顔を寄せ、わかってるな?と脅した。青年は勿論ですと震える声で頷くと、気絶して起きない相方を抱えて大急ぎで逃げていった。
「じゃ、家に帰ろうか」
昇が桜に告げる。桜はうん!と大きく頷き、昇と一緒に家路につく。
この4日後、深見家には一匹の子猫がやって来た。
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