第52話
二人が向かったのは、なんともベタだけれど、病院の屋上だった。
俺がドアを開けると、二人は落ち込んだ表情で振り返った。
「どうしたんだよ恋春。あの子も言っていただろ、頑張てねって。お前の犠牲者なんてどこにもいない。悪いのは全部宇宙人だろ?」
「それは、あの子が小さいからだよ……大人は違う。だから辛いの、なんだかだましているみたいで」
恋春は奥歯を噛みしめながら、指で涙をぬぐった。
「お願い、あさとしくん。やっぱり、お姉ちゃんのサブパイロットに、正式なパイロットになって。わたしには、無理だよ……もうこんな気持ちに、耐えられないよ……」
「ッ……」
反論しようとして、俺は言葉を飲み込んだ。
今の彼女に何を言っても届かないだろう。
恋春の声には、それほどの悲愴感が詰め込まれていた。
「ごめんね恋夏ちゃん、お姉ちゃんわがままで、だけどこれからは、あさとしくんと一緒にやって……」
ごめんね、ごめんね、と何度も謝りながら、恋春は涙を流し、恋夏の胸に泣きついた。
そんな姉を、恋夏は優しく抱きしめた。
「謝らないで。今までわたしのために我慢してくれただけでも嬉しいし、わたしはお姉ちゃんに感謝しかないよ。それに、わたしはお姉ちゃんのこと大好きだよ。パイロットかどうかなんて関係ない。だから、これからはわたしの訓練パートナーとして、そしてあさとしくんのコーチになってあげて。それならいいでしょ?」
「うっ、うぅ、恋夏ちゃん……」
妹の優しさに抱かれながら、恋春はぼろぼろの泣き顔を上げた。
でも、対する恋夏は母親のように優しい、柔和な笑みだった。
「いままでありがとうお姉ちゃん。大好き♪」
そう言って恋夏が額を合わせると、恋春は声を上げて泣き出した。
弱くてごめんなさい。
役に立たなくてごめんなさい。
期待に応えられなくてごめんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
妹に、街の人に、世界に、この世の全てに、彼女は謝罪し続けた。
こんなに優しい子が幸せに生きられない。
その理不尽に、俺は強い憤りを嚙み殺すようにして奥歯を噛みしめた。
◆
あれから一週間。
恋春はパイロット業を無期休止。
俺は正式な恋夏のパートナーパイロットとして登録された。
土曜日の今日は、朝からギュノスに乗り込み、恋春の操縦指導を受けている。
「うん、そう、ここのボタンで数値を調整して、合っているよ。それでね、もしもあさとしくんがメインで操縦する時は席を代わるの」
俺は恋夏と入れ替わり、自転車のサドルのような前部座席にまたがった。
両手でハンドルを握ると、恋春の指示に従いギュノスを動かす。
「ギュノスは脳波で動かすブレインコントロールシステムだから、第三第四の手足があると思って動かしてみて、難しかったらハンドルでも操作できるから……うん、うまいよ。それからブースターとか各種兵装ユニットみたいに、人間の体にない部分もハンドル操作だけど、慣れてきたらこれも脳波だけで動かせるから、がんばってね」
「おう、ありがとうな。素人の俺に教えるの、疲れないか?」
「ううん、そんなことないよ。これがわたしの仕事だしね」
穏やかな微笑を浮かべる恋春は、だけどどこか申し訳なさそうな声音だった。
恋夏に頼まれた通り、恋春はパイロットを休業しても、俺の指導役や、俺が訓練に参加できないときに恋夏の相手をする、サポート役として働いてくれている。
これでいい。
これで恋春は、もう苦しまなくて済む。
今後、銀河帝国がどれほどの犠牲を出しても、それは恋春とは関係のない話だ。
「三人ともお疲れさま~」
銀さんがMR画面を操作しながら登場。
俺の訓練情報にうんうんと頷く。
「ふむ、順調そうだねぇ。ではここからは実戦的な戦闘訓練だ。恋春くんはもう上がっていいよ。午後は好きにしてくれ」
「あ、はい。じゃあね恋夏ちゃん、あさとしくん」
俺らに別れの挨拶をしてから、恋春はすたすたとその場を後にした。
「恋夏、どう思う?」
「う~ん、恋春お姉ちゃん、前よりはリラックスしていると思うけど、まだぎこちないかな。やっぱり戦いから逃げた、みたいな意識はあるんじゃないかなぁ?」
やや心配そうに表情を曇らせる恋夏。
俺も、少し不安になった。
「だよな。でも、人間なんて何を選んでも後悔があるもんだ。同じ後悔をするなら、傷つかないほうがいい」
「あさとしくん、大人だね」
「俺じゃなくて姉さんの言葉だけどな」
「あ~、受け売り……って、日葵先生ってふたつしか違わないじゃん!」
「日葵姉さんも誰かの受け売りなんじゃないのか? 知らないけど」
「うわ、てきとう……」
恋夏はちょっと呆れた。
「どうでもいいだろ、どこの誰が言ったかなんて。大切なのは、それをどう役立てるかだ。恋春が傷つかないなら、それが一番だろ?」
「それも?」
「姉さんの言葉だ」
「シスコン」
「お互いにな」
俺らはジトりと睨み合った。
◆
自由になった恋春は、久しぶりの休日を過ごすべく、街へ出ていた。
大通りを往来する大勢の人々。
ビル群ひとつひとつに詰め込まれた数百種類の店舗。
情報量が多すぎて、恋春はちょっと気圧された。
「そういえばわたし、ひとりで街に来たの初めてかも……」
パイロットになってからは、いつも放課後は訓練だった。
たまの休みや訓練後の自由時間は、いつも恋夏と一緒だった。
活発な恋夏は忙しい中でもいつのまにか遊ぶ情報を収集、予定まで立てている。
休みの日は、いつだって恋夏に引っ張られる形で過ごしていた。
姉なのに、恋春はいつも恋夏のうしろをついていくだけだった。
「うぅ……」
どう過ごせばいいのかわからず、結局、恋春は以前の自分をなぞってみる。
カラオケでは、グループで盛り上がる若者たちを尻目に一人で部屋に入り、最近はやりの歌を歌ってみる。
耳で聞いた時は良い曲だと思ったけど、自分で歌うとあまり良いとは思えなかった。
最近話題の映画を見ようと席に座ると、右の席にはカップルが、左の席には友人同士と思われるペアが座っていた。
映画が終わると、左右では互いに感想を言い合っていて、なんだか身の置き場がなかった。
前に恋夏と回ったコースを順番に回るも、楽しくない。
目的の場所を回り終えても、まだ午後三時を回ったところだった。
「長いなぁ、一日って……」
駅で帰りの列車を待ちながら、恋春は青い空を見上げた。
どうしていつもと違うのか。
当然、恋夏がいないからだ。
今までは、恋夏と喋りながら店で過ごしたし、ひとつ遊び終えるたび、しばらく恋夏とお喋りをしていた。
今日はそれが無い。
一人で黙々と、スケジュールを消化するだけ。
でも、仕方ない。
自分はパイロットをやめたのだ。
恋夏とは、違う道を歩んでいる。
そのことに一抹の寂しさはあるも、自分で選んだ道だ。
恋夏と一緒にいられても、街の人を救えない罪悪感は辛い。
それに、朝や夜は恋夏と一緒にいられる。
むしろ今までの、24時間常に一緒というほうがおかしかったのだ。
そう、自分に言い聞かせた直後、肌が空気の揺らぎを感じた。
「?」
風とは違う、妙な感覚。
それから、ずしーん、という震動が足の裏と鼓膜に触れた。
駅のホームで列車を待っていた人たちもMR画面から顔を上げ、周囲を見渡す。
どうやら、他の人も感じたらしい。
何かの工事か? 列車が近づいている震動ではない。まるで。
「なにか、着地したような……」
ふと、あらためて空を見上げると、恋春の目は空に薄い、人型の輪郭を捉えた。
輪郭はみるみる鮮明になり、テクスチャを張るように色と厚みを得て実体化。
駅のすぐ近くに、かつて死闘を繰り広げたあの漆黒の敵隊長機が佇んでいた。
「アサシン!?」
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