第51話

 その日の夜。

 俺は日葵姉と一緒に、女子寮の恋春の部屋を訪ねていた。

 けれど、インターホンを鳴らして出てきたのは、妹の恋夏のほうだった。

 表情を見れば、なんとなくわかる。


「あさとしくん、それに先生?」

「恋春の様子は?」


 恋夏は静かに首を横に振って、俺らを中に通してくれた。

 リビングに入り、個室のドアを恋夏がノック。


 ドアノブを回して押し開けると、制服姿のままの恋春が、ベッドから起き上がった。


「あさとしくん……」


 そこにあったのは、以前にも目にした、辛そうな表情の恋春だった。


「悪い日葵姉、ちょっと二人にしてくれないか?」

「う、うん。弟君、お願いね」


 真剣な表情で、日葵姉は俺の手を握ってから、恋夏と一緒にリビングに戻った。

 俺は、ベッドの横の床に腰を下ろすと、静かに彼女を見上げた。


「あの女の子は、お前が戦わなかったら死んでいたかもしれない……俺はそう思っているんだけど、どうかな?」


 俺の呼びかけに、恋春は逃げるように視線を伏せた。


「ありがとう。あさとしくんの言うことはわかるつもり……でもね、理屈ではわかっていても、やっぱり辛いんだ……」


 春恋は華奢な指先でMR画面を開いた。

 そこには、直前まで彼女が目にしていたサイトが表示されたままだった。

 それは、ギュノスパイロットへのアンチ掲示板だった。


 戦闘の被害者を名乗る人達が、ギュノスのせいでケガをした、ギュノスが守ってくれなかった、そんな無責任で心無い言葉が数多く書き込まれている。


 感情を抑えられず、俺は怒りで拳を震わせていた。

 一方で、恋春は視線だけでなくまぶたを下ろして、痛みに耐えるようにして話し始めた。


「……ネットでこういう声があるのは、前から知っていたんだ。応援してくれている人もいる。けど、十個の声援よりも一個の悪口のほうが辛いの……」


 泣くのを我慢しているのだろう、まぶたの隙間が、湿り気で光った。


「わたし勝手だよね、悪い子だよね……自分が他人を傷つけたら当事者だけど、他人が他人を傷つけたら傍観者でいられるから、パイロットやりたくないなんて……最低だよね……」


 被害者であるにもかかわらず、恋春は自分を責めた。

 そのあり方があまりにも尊くて、はかなげで、俺は身勝手な世間と無力な自分への怒りが湧いてきた。


 でも、やっぱり俺は何もできなかった。


「俺は無能だな、世間からいじめられる女の子ひとり、元気にしてやれねぇ。俺がお前の親父なら抱きしめて頭をなでてやるんだけどな。けどな恋春、十個の正円よりも一個の悪口が勝るなんて言っておきながらこんなことを言うのもなんだけど、それでもやっぱり、俺はお前に感謝しているぞ」


 閉じたまぶたがわずかに開いて、その隙間に、俺はせいいっぱいの優しい眼差しを注いだ。


「お前が何を言おうと、お前のおかげで助かった人は大勢いる。その人は俺が好きな本の出版に携わっている人かもしれない。俺がよく食べているお菓子の流通にかかわっている人かもしれない。今の社会は、多くの人がそれぞれの仕事をしながら社会を回しているんだ。だから人は知らないうちに他人の世話になっている。これ、姉さんの言葉な。だから、多くの人たちを助けている恋春には、巡り巡って俺も助けられているんだと思う。他の人がなんて言おうと、俺はお前に助けられている以上、俺はお前に感謝しているんだぜ」


「……」


 恋春が思い悩むようなそぶりを見せると、俺はその場から立ち上がると部屋を出た。

 彼女が、俺の言葉で少しでも前向きになれることを祈って。


   ◆


 自分の部屋に戻った俺は、リビングのソファに座ったまま、いつまでもネットの掲示板を睨み続けていた。


 そこへ、温かい紅茶を手にした日葵姉が俺の隣に座ってきた。


「はい紅茶。難しい顔して、どうしたの?」

「ありがと」


 お礼を言いながらカップを受け取ると、一口飲んでから、俺は息を吐いた。


「日葵姉、俺のわがままを言うぞ」

「うんっ」


 日葵姉は力強くうなずくと、身構えた。


「俺は、恋春はパイロットを続けるべきだと思う。だってそうだろ。あいつがどれだけの人を助けてきたと思っているんだ!? なのに、このネットの野郎共は何様だ!? 恋春だって助けられたことを誇っていい! 悪いのは敵で恋春がケガをさせたわけじゃない! あいつに何の責任があるんだ!?」


 腹立ち紛れにまくしたててから、俺は諦めるように息を吐いた。


「でも、それは俺の理屈で、恋春自身が辛いと感じるなら、あいつの気持ちを否定したくない……それは、恋春の想いを踏みにじることになる……」

「前にお姉ちゃん言ったこと、覚えていてくれたんだね、うれしいよ」


 日葵姉は少し表情を緩めて、文字を書くように人差し指の先を虚空に躍らせた。


「感情は無意識に生まれるもの。感じることそのものを否定されても解決できない。だから感情の否定はその人の感性や性格への批判でしかない。言う側は励ましているつもりでも、言われる側はこんな感情を抱く自分はダメな奴なんだって、よけいに辛くなっちゃう」


「ああ。だから俺は、恋春自身が自分を肯定できる気持ちになって欲しいんだ。でも、その方法がわからねぇ。十個の声援よりも一個の悪口が勝るなら、どれだけの応援コメントを集めても、恋春には響かないだろ」


 俺が困り果てて紅茶に逃げると、日葵姉はひらめいたように背筋を伸ばした。


「じゃあ弟君、本人に直接聞いてみようよ」

「本人って、恋春にってことか?」

「ふふ」


 小気味よく笑うと、日葵姉は自分のMR画面を開いて、何かを検索し始めた。


   ◆


 次の土曜日。

 俺と恋春、それに恋夏は、帝都のさる病院を訪ねていた。


 塞ぎこんでいた恋春が素直についてきてくれたのは、ここに彼女が謝らないといけない人がいるからだ。


「ほら、ここだぞ」


 入院患者や看護師とすれ違い、リノリウムの床を歩くこと五分。

 俺らが辿り着いたのは、とある病室だった。


 恋春の覚悟を確認するように振り返ると、彼女は辛い感情を押し殺すような表情だった。


 それから、妹の恋夏の心配そうな表情を一瞥してから、静かに頷いてくれた。

 病室のドアを開くと、ベッドには小学校低学年ぐらいの少女が座っていた。

 額に巻いた包帯が痛々しい。


「お兄ちゃんだぁれぇ?」


 幼い声で首をかしげる幼女に、俺はつとめて優しく声をかけた。


「エリジオン学園のヒーラーだ。今日は君のケガを治しに来たぞ」


 俺が右手に力を宿すと、白い光に幼女は目を輝かせた。


「すごーい、魔法使いなの?」

「まぁそんなもんだ。ほら、頭出してみな」


 彼女は目をつむると、が小さな頭をんっと、突き出してきた。

 その頭にそっと触れると、俺はかつて心愛の背中を治した時のように、命の力を注ぎ込む。


 すると彼女の包帯の下から白いきらめきが漏れ出た。

 幼女は近くの鏡を覗き込み、光の溢れる自分の頭を見て自撮りを始めた。


「わぁいきれい♪ あとでSNSにあげちゃお♪」


 前向きでいい子だと思う。そしてなかなかのいまどきっ子である。


「こっちのお姉ちゃんたちも魔法使いさん?」


 女の子に指をさされて、恋春はぎゅっと身を硬くした。


「うんにゃ、こっちの姉ちゃんはみんな大好き、巨大ロボ・アンドロギュノスのパイロットだ。このピンク色のかわいいやつのな」


 俺は肩から下げたカバンの中から、アンドロギュノスのアクションフィギュアを取り出した。


 銀さんの財源のひとつであり、公式アンドロギュノスグッズのひとつでもある。お値段ひとつ2500円+税の人気商品だ。


「わぁい♪」


 女の子は笑顔で受け取ると、さっそく箱を開封、ギュノスの手足を動かし始めた。


「あの」


 死刑執行を待つことに耐えられなくなった受刑者のように、恋春は口を開いた。


「ごめんね、わたしが、あなたのいるビルにぶつかったせいで」

「悪いのはお姉ちゃんじゃなくてわたしだよ、あの時、ギュノスを操縦していたのはわたしなんだから」


 恋春は目に涙を溜めて謝るも、幼女はきょとんとした。


「え? なんでお姉ちゃんたちが謝るの? お姉ちゃん、あたしを守ってくれたんだよね?」

「「へ?」」


 幼女の反応に、恋春と恋夏は拍子抜けしたように口をぽかんとさせた。


「だからあたし退院したらみんなに自慢するんだー、ギュノスが戦っているの間近で見たよって、証拠動画も撮影したもんね♪」


 幼女が中空を指でタップすると、MR画面開いた。

 そこには、ビルの中から撮影したであろう、幼女視点の動画が再生されていた。


 動画の中には、ギュノスを応援する幼女の声も録音されていた。


 がんばれギュノス、負けるなギュノス、悪い宇宙人なんてやっつけて、そんな言葉のあとに、ギュノスの背中が迫ってきてビルの窓ガラスが破砕。


 動画は天井を映して止まった。


「そうだ、さっきお母さんと一緒に折り紙折ったんだ」


 嬉しそうにテーブルの上に置いてあった、紫色の折り紙で折った紫陽花を手に取り、幼女は恋春に差し出した。


「これお姉ちゃんにあげる。これからも頑張ってね♪」

「おう、よかったな恋春」


 被害者である幼女自身がこうして応援してくれているんだ。

 これなら、恋春も自信を持てるだろう。

 けれど……。


「っっ……」


 にぱーっと笑う幼女の笑顔に、だけど恋春はまるで罪悪感を吐き出すように、息を呑むと、その場から立ち去った。


「お姉ちゃん!」

「ありがとうな、これは俺からお姉ちゃんに渡しておくよ。じゃあ、退院したらいっぱいみんなに自慢してくれよ」


「うん♪ ありがとうお兄ちゃん♪」


 幼女から折り紙を受け取ると、俺は二人の背中を追いかけた。


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転生貴族 鑑定スキルで成り上がる のアニメですが女性陣が全体的にたわわ系なので見ごたえがあります。

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