第10話 もう一人の私とペルソナ
ゲーム会社アトラス社が出しているゲームソフトに「ペルソナ」というヒットゲームがある。実は心理学の言葉としても使われる。
ラテン語を由来としており、役割、キャラクター、仮面と訳される。今回は仮面と訳す。
状況や相手に応じて使い分ける人格(仮面)を、ユング心理学では「ペルソナ」と呼び、 逆に、そうした役割を演じるために普段抑え込んでいる感情や人格を「シャドウ」と呼ぶ。つまり、もう一人の私だ。
仮面をつけて、生きているゆえに、シャドウ、「影」なる、もう一人の私が生まれる。そう心理学では定義されている。
「自分を嫌うな」の著者、加藤諦三さんの本より、記憶による抜粋だが
親に「いい子」と呼ばれ続け、「いい子」というペルソナ(仮面)を被るうちに抑え込まれた「親への怒りと憎しみ」が影となる。
その影は大きくなり、他人に対して「怒り」がぶつけられ続ける。
本来、親へ向けられるべき「怒り」が他人へ。そして他人から糾弾され、悲惨な死を遂げてしまう。
もう一つ。
ある女性(以後Dとする)の前(室内、特定の服装)で「心を許しているのは君の前だけだよ」と、男(以後Sとする)は言っていた。
Dはそれをただ信じて、信頼し、Sへ尽くした。DはSとの結婚も考えていた。
この時、DはSに対して「信頼されている私」というペルソナ(仮面)を被っていたと言うべきかもしれない。
そのペルソナはあっさりと壊れる。DはSの家に食事を作ってあげようと調理器具を持って出掛けて・・・
つい、窓の外からSを見てしまった。Dの家と同じ姿(室内での特定の服装)の「心を許しているS」の姿があった。たったそれだけの事で、あっさりと壊れた。
裏切られた。と、Sは思ってしまったのだろう。
裏切られたゆえに、影、もう一人の私に支配されたDは持ってきた、本来料理を作る包丁でSを・・・。
著者、加藤諦三さんも本の中で、こんな悲惨な事件が現実に起きている。と、書かれている。
タイトル、「自分を嫌うな」はなかなか深い心理学の本だ。
加藤諦三さんによると人がペルソナという仮面を形成するのは「生活への依存」→親などはまさにそうだろう。もう一つはパートナーなどへの「信頼されている、信頼している」という心理的な依存なども挙げられている。
そして共通している事は「憎しみを抱えている。抑圧した何かしらの感情を抱えている。」という事だ。
加藤諦三さんはそういう人間が「幸せ」をつかむには
憎しみを抱えていると、自覚して、生きていく。という感じで説明されている。
それが一番近道だと。
そしてその事は、とてもつらい。
ツライ事だと言われている。
加藤諦三さんはそれを二人の人間を通して表現している。
Aは愛されて育ち、自己肯定感の高い人間。
Bは親に「いい子」と言われて育てられ、親への憎しみを影として抱えている人間。
Aは昼休みの休憩を取った。しばらくぼーっとして、本を取り出して本を読み、睡眠を取って休んだ。休憩後、元気ハツラツに仕事へ戻った。
Bは昼休みの休憩を取った。ぼーっとしていると、親から言われた言葉が甦る。悪魔の自動思考だ。自己否定が繰り返される。
タバコを吸い出しても、止まらない。悪魔の自動思考はますます酷くなっていく。
Bは休憩後、気分を悪くし、他人にぶつかり、喧嘩になり、上司に呼び出され、会社を早退し、明日から来なくていいと言われてしまう。
これは極端な例かもしれない。
ただそれぐらい違うのだ。憎しみを抱えて生きるということは。
もしも憎しみを抱えて生きているなら、それは奇跡なんだ。
存在している事が奇跡なのである。
ドジャースの大谷くんは野球で偉業を成し遂げている。
それと同じぐらい「憎しみを抱えて生きている人間」は生きているだけで
とんでもない偉業を成し遂げている。
悪魔の自動思考に晒され、壊され、それでも生きている。
それは偉業である。そう、加藤諦三さんから同じように励まされた。
正直、嬉しかった。今でも嬉しかった言葉は
「あなたがあなたの神になるしかない。」
当時、初めて読んだとき。
心から感動した。
あなたがあなたの神になるしかない。
ボクはこの言葉を読んで
もう一人の私、影が「世界を呪っている」という事に気づいた。
かつ、母親を深く憎んでいる事も。
そんなもう一人の私をボクはとても愛しいと、感じた。
母の事になると正直、今でも
感情的に大声で話してしまう時がある。
その上、母は今でも
ボクの事を「認めてはくれない」
それでも
「産んでくれてありがとう」
誕生日が近づくと
そう、母親に感謝を述べる事ができるようになった。
母のために、母親を連れて病院に通う事もできるようになった。
憎しみとは「本気で好きで、本気で信頼しているからこそ」というメッセージを隠している。
そう。子どもとして
母を本気で信頼したかった。
それでも母は認めてくれない。
おそらく死ぬまで。
どうしてこんな事が???
そう思った。
前世ワークが役に立った。
フランスで、「母親」をしていたのは誰だったか???
ボクだ。
もう一人の私は三人の母親だった。
偶然にも???
子どもの数も同じだ。
因果とは自ら作りて自ら刈り取る。
腑に落ちた。お腹で考えてみた。
今の母は
ボクそのものじゃないか。
ボクはそういう母親だったのか。
涙が流れた。
だから、あなたがあなたの神になるしかない。
その言葉が身に沁みる。
幸せ
それを感じたいなら
神になるしかない。
だが、神が分からなかった。
西洋哲学は
いちばん有名なニーチェを読んだ。
一見論理的で、ためになる事を言っている。
読み進めるうちに、どこかしっくり来なかった。
「神は死んだ」と言うのが、ニーチェの一番有名な言葉だ。
彼は「神」に頼らなくても、神を越える事が人間はできる、力強い存在である。
そう、結論づけていた。
マザーテレサも自身の詩の中で「空虚な神様」と書いている事がある。
空虚・・・空っぽ。ニーチェの神は死んだ・・・とはそう言うところもかもしれない。
熱心なカトリック信者ほど、その壁に当たるようだ。
神を感じれない。神様はどこにいるのか?
だからニーチェはだったら「神は死んだ」と、いないものとして
目に見える物を拠り所にして、力強く生きた方がいい。
そう、ニーチェは言いたかったのかもしれない。
それはとても左脳的な生き方だ。
だからニーチェは人生の最後、一〇年間、布団に引きこもり、発狂して死んだ。
右脳を動かす運動を拒絶し、左脳の罠にハマって狂って死んだ。同情できない。
ちなみにマザーテレサさんは、日本に来た時、故、渡辺和子さんに言われている。
「シャターを切られている時、その時間と交換していただいているのです。彷徨う魂たちが浄化される事を。」マザーテレサは、自身の嫌な体験を彷徨う魂の浄化に捧げる事で心の平安が訪れると語った。この時の彼女には確固たる神様がいたようだ。
さらに・・・十年前のアメリカの論文で、ニーチェの論理を否定する論文が発表される。人が問題を解決するには?と言う論文だ。
「高次元の存在から導きを得る」と言う
神様を肯定する結論だった。何よりもそれは東洋哲学の分野だ。
そんな感じで、東洋哲学が日の光を浴びる。
だからボクも東洋哲学。それも仏教にのめり込んだ。
お釈迦さまはすごい事を言っていた。
「自分なんてモノは無いんだよ」
心理学の言葉を付け足してみる。
ペルソナ(仮面)なんて被らなくていい。そもそも「自分」なんて呼べる固定概念
そんなモノを作ろうとするから「苦しく」なる。
それを一言で言うと
「自分なんてモノは無いんだよ」になる。(
あなたが感じる自然な「あなた」がお前さんだよ。そう、お釈迦さまは言われている。
そこからお弟子さんたちが、理論を付け足して
自分が無い イコール 虚無(きょむ)ではない。
人は本来全部とつながっている。属性は全属性。
「空の思想」だ。(空の思想はお弟子さんたちの理論だったようです)
あなたが目に見えるすべての存在はあなたと言う垣根を超えて
宇宙という名のエネルギーで、つながっている。
マナと呼ばれていたり、
中国では「タオ」
大いなる何か。
日本では「アメノミナカヌシノカミ」「大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)」
アマテラスオホミカミ。大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)
なんと日本では古事記の中でちゃんと名前をつけている。
名前はどうでもいい。
本来、エネルギーとして、つながっている。垣根は無い。
つまり、目の前に見えるモノは、全て大元は一つのエネルギーとして
つながっている。それが「形」を持って、別の役割をこなしているだけ。
それを確認するために
ボクはある実験をした。
アメノミナカヌシノカミ、お助けいただきありがとうございます。
「アメノミナカヌシカミ→大元のエネルギーの呼び名 イコール 高次元の存在。導きを得たい内容を具体的に。→お助けいただきありがとうございます」
そう、三回唱えて、家を出てから仕事場へ行くまでをイメージ。
一緒に仕事をする相手の顔を思い浮かべる。
仕事を終えて、帰宅するまでをイメージ。
エンジンをかけて、家を出た。
いつも引っかかる信号は、直前で青になった。
どういうわけか、いつも渋滞する場所で渋滞が起こらない。
信号はどういうわけか、青に変わっていく。信号も、道路も、
すべての存在が大元のエネルギーとつながっているのだから
その存在に具体的にどうして欲しいか、伝え、感謝している。
そのおかげか、
一度も止まらずに
職場へ。(毎回では無い。十回に一回ぐらい、一度も止まらないと言う奇跡に巡り合う)
速度はいつもと同じ。
なのに十分も早く辿り着けた。
それに道を譲れる場所では譲れた。
不思議だった。
さて、職場では、いつも怒ってきて、いがみ合う相手と
どういうわけか
お互いに助け合えた。
助け合えた。
何もしていない。いや、顔を浮かべて
アメノミナカヌシノカミ、お助けいただきありがとうございます。と、瞑想はしたけど。
そう、本来、垣根は無い。
どうして助け合えたのか
実はいまだによくわからない。
今でも攻撃はされる。
でも。嫌な感じはない
同じエネルギーを大元に持つ仲間だと認識できるから。
論文は嘘を言ってなかったと、感じた。
高次元の存在から導きを得る。
話を戻して、帰り道も・・・まるで道路が、信号が、現れる人が
自分を助けてくれていた。
ボクという個人を。
信じられない。
そう思うしかなかった。
それでも現実に起きている。
現実に助けてもらったし、
助け合えた。
あなたがあなたの神になるしかない。
神。ボクにとってそれは「空の思想」そのものであり、
信仰そのものとなった。
もしもあなたが、何かの依存からペルソナを被り、シャドウを作り出している場合。
参考にしてください。
参考文献「自分とか、ないから。」 しんめいP著。
京都大学名誉教授鎌田東二監修。
記憶による抜粋。
「自分を嫌うな」加藤諦三著。
加藤諦三さんの著作、あと複数。記憶による抜粋。
古事記。記憶による抜粋。
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