ヨシダ3
端的に言うと、いじめられていたのだそうだ。学校で所属したグループが、一人一人順番にいじめて交代していくタチの悪いものだったそうで、馴染めず、じきに精神科に通うようになったとか。
そんな恐ろしいグループ抜ければいいのに、と思ったが、そうもいかないんだって。既に他のグループが形成されていて、途中から入れるほど器用じゃなかったらしい。
「ニヤニヤしながら言われたの。最近うつ病っぽいけど、どうなの? って。それを聞いてどうするの? って聞いたら、気分を害した顔でよそへ行ったわ」
「うん、うん、辛かったね」
さっきから私の相槌はこれ。うんうん、辛かったね。このセリフ、何度言っただろう。相手は夢見心地らしく、同じ内容も何度も話す。私は完全に疲れ果てていた。
「でもそれって、子供の頃の話じゃない?」
現実のヨシダは大人の女性だ。私は知っている。
「心の病が治らないの……家も辛くて。どこにも居場所がなくて」
「現在の話をしようよ」
「現在……私は……私は……」
私の膝で微睡むヨシダが、ぼやけてかすむ。また現実に戻るらしい。私の膝はヨシダの血でべっとりと濡れていた。ヨシダが消えていく。
さて、彼女が目覚めたこの隙に、この夢から退散するか? 正直、そうしたい。でも、ものは経験だ。雪山の主がそう言っていた。どんなものでも、そこでしか得られない経験だと。それが旅人の性なのだ。せめて彼女から現在まで引きずっている理由でも聞き出して、それから抜け出しても遅くはない。
暗い世界だった。光がなく、異臭のするゴミが高く積み上げられている。私はゲンナリしながらその道を歩き、やっぱり脱出しようかと逡巡する。
ヒビ割れから見えるのは格好いいキャリアウーマン。夢の中がこんなに病んでるなんて見た目じゃわからない。パリッと着こなすビジネススーツ、流れるような営業トーク。保険の外交員をやっているらしい。あれだけ話を聞いてあげたからなのか、こころなしかすっきりした顔をしているように見える。私はカウンセラーじゃないぞ。
道に落ちているゴミがドロドロに溶けていくのを見る。それは人体に有害そうな危険な匂いを残して、蒸発していく。でもまだまだ積み重なっている。逃げ出す。
彼氏に似合わないって言われて捨てた服、本当は気に入ってたの……ってさっき言ってた服が、溶けていく。溶ける前から生ゴミに汚れて着れたものじゃなかったけど。
しかし人って懐柔できるものなんだな。あんなに攻撃的だったヨシダが、私の膝に血を垂らして。糸を切ってあげたのが良かったのかもしれない。糸を切る時の私は、初めてメスを持った研修医のような気持ちだったけれど、やって良かった。血はたくさん出たけど。
……夢の主って、痛覚あるんだろうか? あると思っていたけど、ないのかもしれない。ならば血も流れなければいいのに。スプラッタな夢はもう見たくない。
ヨシダは時々意識を失うように夢の世界に戻ってくる。すぐに帰っていったりもする。ヒビ割れから見える格好いいお姉さんと夢の中の少女が同一人物だと思えなくて、お姉さんを凝視していたら、トイレで吐いていた。どうやら精神科通いは今も続いてるらしい。
ヨシダに同情できるかというと、そんなことはない。なぜ、どこが、と考えるとわからなくなる。いつまでも過去に囚われているから。現在まで引きずる、その理由は何? 現在にも何か抱えているのか? どうすれば彼女を助けられる?
歩いていたら、気がつけば世界の端っこに来ていた。寂れたブランコがある。このまま脱出しようと思えばできる。ここでヨシダを待とう。いつでも出られると思えば、気が楽だ。
「あなたは私の都合の良い夢の友達」
眠りについたヨシダに再会したと思ったら睨まれた。なんで睨むんだ。
「こんなに私が優しくされる理由がないものね」
人間とは、全く! 厄介な生き物だよ!
「ヨシダさん、あなたはもう少女じゃない。学校にも行かなくていい。恋人もいる。もう昔のことはいいじゃない」
「昔のことじゃない、今も……私は……悩んで……」
ヨシダの目からドロドロと黒に近い淀んだ血が流れてきた。精神病って何なのだろう。私には理解できない。理解しようという気持ちはあるのだが、怖いもの見たさだ。
ブランコから後ろに倒れた。世界の隅から外に落ちる。もうお別れだ。嫌な予感がした。
さっきまで私が座っていた場所が槍で串刺しになっていた。私の勘は正しかったようだ。
唐突な攻撃性の爆発、延々とループする過去、記憶、トラウマ、そして思考。被害妄想の強さ。それが精神病……の、一症状なのか。
関わりたくないよ。ごめんね、バイバイ。落ちていく私を上から見下ろしてくる、ヨシダ。その顔の表情は暗く影になってわからなかった。
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