ヨシダ2
ぼんやりと暗い中を何を考えるでもなく歩いていたら、何か踏んだ。柔らかくて気持ちが悪い。私はなぜか素足だった。嫌な予感がして見てみたら、小指ほどもある太さのミミズたちが足の下にいて、蠢いている。
私は普段悲鳴なんてあげないんだけど、慣れていない悲鳴が口から漏れ出た。思わず足が動いて逃げ出す。踏み出した先にもミミズがいる。気付けば辺り一面ミミズ。
気が遠くなったが、人間のように意識を失うことができない。
バランスを崩してミミズの中に転んでしまった。ミミズプールだ。もがけばもがくほど服や口の中にミミズが入ってくる。ぶにぶにとうねうねが最高に気持ち悪い。体中の毛が逆立つ。悲鳴ももう声にならない。
ふいに全ての虫が消えた。学生服のヨシダが目の前に立っている。こちらの顔色を窺うようなおどおどした様子だ。
「大丈夫ですか……?」
私は肌を這い回るミミズの感触も忘れ、突沸した感情をぶつけた。お前の夢のせいだよ! 立ち上がり、言う。
「いつまでも昔のことをクヨクヨするな! いい大人なんだから切り替えろ! 嫌だったことばかり覚えてるんじゃない!」
ヨシダはオドオドしながらも、強い語調で言い返してきた。ここだけは譲れないといったように。
「そ、そんなことができるならもう、そうしてるに決まってる……! できないから悩んでるんじゃないですか!」
もううんざりだ。
「こんな夢見続けるのもう限界だよ! こんな悪夢ばかり見て、平気なの? 私はもうここから出る!」
「……逃げ出せる人はいいですね……!」
ヨシダにひどく睨まれる。早くこの夢を出たい! 悪夢から逃げ出そうと走り出し、……私もさっきのヨシダと同じように逃げているなと思う。
しかしどこまで走っても悪夢が終わらない。酷い匂いのする泥が足元にへばりつく。それでも懸命に走り続ける。息が切れる。暗闇の中、あてもなく走り続けて限界が来て、走るのをやめた。
「私は逃げる場所もないのよ」
いつの間にやらすぐ側に立っていたヨシダが言う。だからって私は関係ないじゃないか。
夢から逃げ出せないというのは、ダカタの時にも経験したが危機だ。旅が終わってしまう。イマイのように死んでしまうのを待つというのは気が遠くなる。
「ヨシダさん、あなたの苦しみはあなたにしかわからない」
「そりゃそうよ……でも、わかってもらいたいの。でも、知ったかぶりは腹が立つ……」
堂々巡りが始まる。ヨシダは力を失ってその場に座り込み、夢から覚めた。
いつの間にか光が差している。その方向に向かって歩いていく。私にヨシダは救えない。私の方がおかしくなってしまう。
ゆっくり歩いて次の世界へ。
「私は頭がおかしいから……私は頭がおかしいから……私は頭がおかしいから……」
ヨシダの声が背後から聞こえる。
いつか救われてほしい。私には救えない。今のうちに脱出を、と思うと足が早足になった。
しかしいつまで経っても光に到達しない。遠くにわずかな光が見えていたはずが、ぽつりと消えてしまった。夢からの脱出に失敗したのだ。なんてことだ! うんざりだ。
「私は頭がおかしいから……私は頭がおかしいから……私は頭がおかしいから……」
ヨシダの声が再び聞こえる。それはやけに耳元で囁かれ、吐息が耳にかかったような気がした。生臭い息の匂いがする。悪夢だ。これは酷い悪夢の世界なのだ。
救ってやらないといけないのか? ヨシダを救ってやらなければこの悪夢から解放されないのか? なんて面倒な。傲慢だ。自分でなんとかできないなんて怠惰だ。これで七大罪の二つだ。全く、嫌になる。自分勝手だ。
私は勢いをつけて振り返った。そちらに気配を感じた。文句はさっき言ったからもういい、脱出だ。ダカタの時のように、問題を解決しよう。振り向いた先には何もいない。
「私は頭がおかしいから……」
声がする方に歩いていく。光はどこにもない。ヨシダは夢に戻ってきたらしい。入眠から覚醒までの間隔がやけに狭い。不眠症なのかもしれない。
道の先に布団がこんもりと落ちていた。ヨシダが中にいるのだろう。正直、もう嫌いになりかけている人だったけど、こんな有様になっている事情でも知れば同情することくらいはできるかもしれない。
「ねえ、助けてあげるよ。悩みを聞いてあげる」
だから心を開いて、そんなに警戒しないで。ゆっくりと布団を捲る。またパジャマ姿なんだろうな。
そう思ったのも束の間だった。彼女は両腕を前に筒のように拘束されて、口と目は赤くて太い糸でがっちりと縫われていた。
私は思わず悲鳴をあげる。衝撃的な光景で、私の目にはそれはとてもグロテスクなものに見えた。痛そうで見てられない。
もう嫌だよ、関わりたくないよ、逃げたいよ。私の本心はそうだ。今すぐにでも背中を向けて走り出したい。でもそれじゃ、この夢からは抜け出せない。
私はハサミを手にした。夢なので、念じれば出る。念じれば消える。そんな都合の良いハサミで、都合の悪い赤い糸を断ち切りにいった。糸はぴっちりと瞼に、唇に強く縫い付けられていて、切るのも勇気がいる。これも経験だ。
どこかの国では女性器を切り取って残りを縫い合わせる儀式があるらしい。それを切り開くのが男性の役目なのだそうだ。ビビっちゃうぜ、そんなの。私は今それをする気分だった。
隙間なく縫われている糸を切る。糸だけを切ることができなくて、皮膚も少し切ってしまった。ヨシダが身をよじる。赤い血がダラダラ、ダラダラと大量に流れ、涙を流しているように見える。嫌だこんな作業したくない。頑張る。痛そうだ。糸を引っ張ってハサミを隙間に押し入れる。
そんな作業を何回か繰り返して、虚ろな目をしたヨシダがようやく口を開いた。その間私はヨシダの両腕を自由にする。拘束衣というやつだ、これ。
「私は、空気が読めないんだって……喋らない方がいいんだって……でも黙っていても怒られるの……」
血の涙を流すヨシダは、うわごとのように言葉を紡ぐ。何かに縋るように、懺悔するように。私はあることに気付いた。
「思考が堂々巡りしてるよ。八方塞がりになっちゃうよ」
だからダメなんだ、という言い方ではいけない。その言い方では伝わらない。
「大丈夫だから、まだ話したいことがあれば聞くから」
「誰も聞いてくれなかった……」
「私は聞くから」
ヨシダは視点をふわふわ漂わせて、最後には私を見た。
「嘘をつかれるのは嫌い」
これには流石にムッとした。
「嘘じゃない」
「嘘だよ」
「嘘じゃない」
繰り返す。語調は段々と強くなる。そう、攻撃的になる。ヨシダは泣き出しそうなクシャッとした顔をして、大きく息を吸って嘆いた。
「嘘だよ!」
ヨシダが私に縋り付く。
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