イマイ3

 スターゲイジーパイを食べながら、会話はイマイによる息子の自慢話、息子による魚釣りの自慢話が堂々巡りした。うんざりだ。息子のことが自慢で、誇らしいのはよくわかったが、どうでもいい。息子はイマイの中にあるイメージでしか喋れないので、堂々巡りも仕方ない。魚釣りの話が耳タコだ。

 そんなに魚釣りが楽しいなら私もやってみたい、と言って、魚釣りに挑戦することになった。自慢話が終わってホッとした。

 釣竿は家にあった。赤く艶のある新品らしき釣り竿を持って、家を出る。息子がここにやってくる前は無かったが、今は家の裏に川があった。元気な川魚が釣れることだろう。

 イマイが小麦粉、にんにく、鰹節で作ってくれた練り餌を針につけた。昔他の釣り人の夢で、釣りといえば餌は虫だと聞いたから少し警戒したが、虫ではない練り餌もあるのだな……。

 私は虫はあまり得意ではない。奴らは多分夢も見ない。私の入り込める領域にない生き物だ。

 三人で黄緑の若い草に腰掛けた。

 水面に糸を垂らす。さっそく何かがかかった! と思ったらゴミだった。長靴って釣れるんだ。

 横の息子は何も喋らない。イマイも釣りはせずにのんびりぼんやりしている。気持ちがくつろいでいく。釣り、ハマりそうだ。時々揺れる水面を眺めるこの時間は、中々良い。いつ魚がかかるかという期待感と、無心になれる……この、のんびりとした穏やかな時間。言葉などいらない。奥が深い、精神の修行みたいだ。と、思った矢先、釣り針が不自然に沈み、とうとう魚がかかった。

 魚が針を引っ張るのをなんとかリールを回して食い止める。怪力な魚ではなかったようで、案外すぐに魚は釣れた。ビチビチと跳ねるその姿に呆気に取られて、どうすれば良いかわからず慌てていた。プランと吊り下げたままにしていたら、息子がああと言う。魚が針を飲み込んでしまった。

 口に引っかかっている間に外すのがいいらしい。飲み込んでしまうと、針を取り出すのに苦労するのだとか。イマイはくすくす笑って、私も全く同じことを前にしたのよ、と上品に言った。

 仕方ないからそのままイマイの家へ持って行った。怖くて魚に触れない。バケツに入った魚の口から私の釣竿につながる糸が伸びる。

 イマイに魚を焼いてもらって、一緒に食べようと思った。

 しかし突然、家の壁が一部崩れてきて、そこから覗く世界の空もぐしゃぐしゃに壊れていく。何かおかしい。こうしているうちにもみるみる崩れていく。

 空も丘も真っ赤だ。クレヨンで塗りつぶしたみたい。イマイ、どうしちゃったんだ? 呼びかけると、家の中でイマイは寝こけている。イマイの息子はどこにも姿が見えなかった。


「起きて! 大変なんだよ!」

 私はイマイを背負うようにして家から運び出す。それなのに、イマイを中心にして世界はおかしくなっていった。家の向こう側に、高層ビルが立ち並ぶ。

 イマイが目を覚さないので、顔が軽く変形するくらい強く何度も叩くと、「次はいつ会えるだろうね、楽しみだ」とうわ言を言う。

 世界の背景がガラガラ崩れていって、バタバタと慌ただしい現実世界のかけらが見える。白いベッド、白い服の人たち、てー、てー、と音が弱くなっていく心電図。

「息子さんは?」

「間に合いません」

 まだ耳が聞こえているというのに、残酷なことを言う。

 イマイの側に寄り添いたかった。しかし、私は夢から出られない。


「夢の終わりに立ち会ったことは?」

 雪山の主に言われた。もちろん夢の終わりなんて知らない。あの頃は知らなかった。

「人が死んだら夢は終わる」

 ふとそう言われたことを思い出した。まるで雪山の主自身が夢の終わりを見てきたかのようだ。私には現実味がなかった。今は違う。

 真っ暗な世界に取り残された。当然、温かい料理も出てこない。それ以上の喪失感を覚える。イマイは死んだのだ。

 でももしかして、また戻ってくるんじゃないかな。まだあの上品な笑顔を、見られるんじゃないのかな。そう思って、しばらく何日か待ってみた。座ったり立ったり、お尻が痛くなったり、何年か経過したような気もした。退屈だったが、この夢の世界から離れがたい。楽しかったから。

 どこまでも闇、闇、暗い世界。ぼんやりと私の姿がある。

 ……イマイは死んだのだ。

 いつか、私にも何らかの形の終わりが訪れるのだろうか?

 人が死ぬのを見たのは初めてだった。

 次にたどり着くのはどんな世界だろう。また、楽しい釣りや、美味しい食事ができるといい。

 私はとろとろと歩き出し、次の世界へと旅立った。

 

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