1.3 ― 霧夜の郊外

 「見ての通り、ヨアヒムは寝込んでいます。…彼はアンデットを見るのが初めてで…。」

「…やはり…そうでしたか。」


 ヨアヒムはアンデットを見て以来、一言も発さず、一口も飲み食いしていない。

…人間は死を目にした時、数日もすれば案外ケロッとするものだ。早く治ると良いが…。


 「…私は農民の出で、動物の死骸には慣れていますが、"アレ"は…」

「言わない方が良いですよ。…思い出しますから。」


 嫌なものを見た時ほど、誰かに自分の体験を共有したくなる。

そしてまた思い出して嫌な思いをする。

…フリッツはまだ何か言いたげだったが、やはり直ぐに口を噤んだ。

「…フリッツさん、一つお願いが。

数日間は彼から離れない様に。…じゃないと彼、自殺しますよ死にますよ。」

…それだけが心配である。


 部屋を出ると、アルブレヒトが "白髭を蓄えたハゲ頭の男" とダイニングテーブルで話をしていた。この男は宿屋の主人で、パン焼きギルドの有力者でもあり、騎士リッターの称号を持つ準貴族である。

 …と言うのも、宿屋や居酒屋を経営するには "ある程度の富" が必要である。

貴族が店を経営すると言うのは、この〈エルリッヒ帝国〉では良くある事であった。


 私はアルブレヒトに、「フリッツの介護もありますが、酷く憔悴しています。

今晩中に熱を出すかもしれませんね。」と言った。

強い精神的ショックを受けると、熱を出す事もある。

水枕を準備してやるべきか…。


 …すると、話を聞いていた宿屋の主人が、「ヨアヒムと言うお方は何処か体調をお悪くされて…?」と私達に尋ねてきた。

「え…っと…その…彼は…人間の死体を見まして…。」

この街の近くでアンデットが出たとなれば大騒ぎになるだろう。

私はあえて言わない事にしたが、主人は何かを察した(恐らく勘違い)様で、それ以上は聞いてこなかった。



 案の定、ヨアヒムは熱を出した。

私は水枕を作ってやろうと思って、宿屋の主人に "余っている内臓・・は無いか" と聞いた所、不思議そうな顔をしながら屠殺業者の家を教えてくれた。

 この街には屠殺を生業とする業者が居るらしい。それぐらい自分でやれば良いのに…。


 山々に隔たれて月光が届かないアーティンゲンであるが、鉱山街であるが故に、市街中心部は灯りが多かった。だが屠殺業者の家は郊外に構えているらしく、歩むにつれ、周囲は闇に包まれていく。


 暫くして、辺りは完全に見えなくなった。

まるで霧中に居るかの様な、暗闇。

 空を見上げても、煌めく星々は見えない。

どうやら霧に囚われたらしい。


 …試しに、魔法で掌上に火を灯してみた。

しかし、現れた火は手元を照らすのみで、辺りの景色は一向に現れなかった。


 " 何かがおかしい "

そう思ったのも束の間つかのま、気付けば目的の屠殺場に到着していた。

…先程の闇は一体何だったのか。分からぬまま、私は明かりが漏れる屠殺場のドアを叩いた。





 「…!おいおいおいおい…!正気か…?!」

アルブレヒトは一体どうしたのだろうか。

寝室に行こうとした私を見て、何故か大声を上げたのだ。

「…何がです?」

「その内臓だよ…!アンデット見て寝込んでる奴に内蔵見せる気か?!」


 …!確かに盲点だった…今ヨアヒムに肉片を見せる訳には…。


「大体な…"それ" 何に使うんだよ?」

……"それ" とは間違いなく、手元の内蔵の事だろう。

「私の地域では病気で熱を出した時、家畜の膀胱に冷たい井戸水を詰めて枕にするんです。ぷにぷにして面白いですよ、触ります?」

「結構だ!」


 この地域で "膀胱の水筒・・" は拒絶されるらしい。

さて、この肉塊をどうすべきか…。

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記憶喪失の女神 赤目のサン @AkamenoSan

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