第5話 驚くほど穏やかで甘い日々

 いつもは目覚ましの音とお母さんの「朝よ!」というワンセットで起きていたのが一変して、コケコッコーーーンと繰り返す朝鳴き鳥の鳴き声で目が覚める。

 鶏そっくりなのに空を優雅に飛び、今日の天気を叫ぶ。たまにラッキーカラーめいた占いを言うらしい。


 私の知っている頃は西の森フェアリーロズと呼ばれていたけれど、今は世界樹を中心にそびえ立つ西大陸を覆うほどの森となっていた。

 エルフの収める世界樹都市カエルラ、貿易都市アルブム、温泉都市のリディスと大きく三つの都市が別れている。ルティ様の家があるのは温泉都市リディスだ。


 そこでルティ様は森の声を聞いて、問題を解決することと薬師として生活している。都市から少し離れた一軒家で、どの家も木の中に家を建てていて、これがなんともファンタジーっぽくて好きだ。幹には苔が生えていて尚良い。


 一日の仕事の始まりは、ルティ様を起こすことから始まる。

 ルティ様は朝に弱く、昼前まで眠っていることが多い。食事を摂ってからは、森の散策と薬草採取、たまに相談事。夕方には買い物をして夕食の後に薬の調合。依頼があるとまた変わってくるけれど、この生活を始めて一ヵ月でだいたいのサークルは把握しつつある。


 今日もハーブの香りのする水で顔を洗い、動きやすいドレスに着替える。それから長い髪を一つに結ぶと一つ上の階にあるルティ様の部屋に向かう。ノックをするが、いつも返事はない。


「ルティ様、朝ですよ」

「……」

「入りますよ」


 そう言って部屋に入るとルティ様はスヤスヤと眠っている。最初は起こさずにいたのだが、「それは困る」と言うことで毎日起こすのが私の日課となった。まあ、それはこの家の置いて貰っているので良いのだけれど……。


「ルティ様、起きてください」

「んんー」


 もぞもぞとしながらも寝返りを打つ。寝顔はあどけなくて幼く見える。それにしても角は危なくないように布で巻いているのね。

 不意に片方の折れている角を見てしまう。ブリジットが死んでその後、なにがあってこうなったのだろう。時々、ふと思うけれど、思うだけだ。

 深入りはしない。今は一緒に暮らしているが、自立できるようになったら出て行くのだから、下手に関わらないようにする。

 そう心がける度に、私の心を見透かしてかルティ様は私の名前を呼ぶ。


「……シズク……」

「ルティ様、起きま──」


 言い終える前にルティ様は私の手を引いて、抱きしめる。毎日寝ぼけて抱きつくのが、この方の癖らしい。寝起きがとんでもなく悪い! 前世ではそんなことなかったはず!? 

 尻尾も出ていて、モフモフが私の体に巻き付く。しかも九尾! けしからん、モフモフ。控えめに言って最高。モフモフには罪はないわ。


「んー、シズク殿は温かいね」

「な、なんで今日は上半身脱いでいるのですか!?」

「着替えようとして……脱いだ?」

「なんで疑問系!?」


 目を開けていても頭は回っていないようで、甘えるように抱きしめて密着してくる。モフモフも素晴らしい手触り……ごほん。


「ちょ、ルティ様! 私は抱き枕じゃないんですよ!」

「シズク殿はどこも柔らかくて、良い匂いがする」

「人の話を聞いてください!」

「ぐう」

「寝たふりしないで!」


 毎朝、寝起きが悪いルティ様と格闘する。これは絶対にわざとだと思う。かといって放置しておくと、この世の終わりみたいな顔で「シズク殿が起こしてくれなかった」と半日ほど凹んで使い物にならないのだ。なにをするにしても「シズク殿が手伝ってくれないと無理」と言い出すので、お客さんも最近は「旦那の気分はシズク殿次第なんだ、頼むよ」と言われてしまう始末。その認識可笑しくない?


『片翼様のお役目ですぞ』

『その通り、《片翼》だからこそ』

『《片翼》がすべきことなのです』


 前世と同じような言い回しをされてもさほど傷つかないのは、たぶん私個人、雫として見てくれているから。どうして今世では生贄のような扱いをしないの?

 やっぱり私がブリジットだと気付かれていないから?


「シズク殿、いつも起こして貰ってすみません……。どうも朝は頭の働きが遅くて……」

「そう思うのなら、寝ぼけて毎回抱きつくのは止めて欲しいです」

「それを止めたら、毎日のなにを楽しめと?」

「そんなことを楽しみにしないでください!」


 心の底から絶望しきった顔をするので、やっぱりわざとだというのが発覚。


「朝、好きな人が起こしに来る……。最高すぎるシチュエーションで抱きつくなと?」

「明日から起こしに来なくても大丈夫そうですね」

「全然大丈夫じゃない……」

「今までどうやって起きていたのです?」

「シズク殿と出会って忘れてしまったよ」


 嬉しそうに笑うので言い返すことができなかった。私に抱きつくのを毎日の楽しみだと良い、慈しむ眼差しで私を見ている。そう言われてしまったら、言葉に詰まってしまう。


「き、今日は薬草を採りに行くのでしょう。早くご飯を食べてしまいましょう」

「うん。今日の朝食はなにかな?」

「白パンと、昨日のシチュー、野菜のテリーヌに、ふわふわオムレツです」

「どれも美味しそうだ。君が来てくれてから三食しっかり食べられるし、美味しいし、ずっとうちにいてくれたら良いのだけれど」

「またそういうことを」


 冗談だ、本気じゃない。そう何度も自分の中で繰り返す。

 都合の良い家政婦兼抱き枕がほしいだけだと、割り切って深く考えない。考えてしまえば、ぐるぐると良くない思考迷路に入ってしまう。そうすると前世の記憶が傷口のようにパックリと開いて、『過去を忘れるな』と前世の自分が囁くのだ。


 所詮私は生贄で、道具だった。《片翼》など聞こえの良い名称だったのは生贄だということを秘匿するため──。

 いずれ私の正体が気付かれれば……。

 だから思考を放棄して、今を楽しむ。


 先送りしたって良いことはないのだけれど、それでも向き合う勇気が今の私にはない。だから過去の出来事に目を閉じて、ブリジットの声に耳を塞いで、口を閉じて笑顔を作る。

 ルティ様との生活は快適で、楽しいのだ。

 今はそれで充分。

 それ以上を望めば、きっと私はここに居られなくなる。そんな気がした。



 ***



 森での薬草採取は結構楽しい。薬草の見分け方もルティ様が丁寧に教えてくれるし、季節によって咲き誇る花を眺めて、散策もできて楽しい。

 森には魔物や獣が出ることもあるけれど、しっかりと武器や待避用転移魔導具を常備していれば大丈夫というか、ルティ様は思いのほか過保護だった。


「ルティ様」

「なんだい?」

「危険があるかもしれないのは分かっているのですが、毎回手を繋ぐ必要あります?」

「私がシズク殿と手を繋いでいると、心から安心するから」

「……まさか自分の心の安定だったとは」

「だってちょっとでも目を離したら、いなくなってしまいそうだからね」


 それは前世のこと?

 それとも──?


「私、そんなに落ち着きがないですか?」

「落ち着きがないとかじゃなくて、好奇心が強くて目をキラキラさせて、突っ走ることあるでしょう?」

「う……」

「この間だってミヅハ通りにできたジェラート屋や、温泉地区の足湯に興味津々だったし」

「なぜそれを……」

「必死で見ないようにしていたから。今日の帰りにどっちも寄ってみようか?」

「え」


 この世界で甘い物は高価だ。女子高生が気軽に買えるような値段ではない。だからルティ様の提案に目を輝かせたのだが、さらなる爆弾を投下した。


「可愛い。そんなに喜んでくれるのなら……家に帰る途中で、毎日甘い物を買ってあげようか」

「甘い物……毎日? 毎日!?」

「うん。その代わり、私と一緒が条件だよ。前にも言ったけれど、元の世界と違って女の子が一人で歩いていたら速攻で連れ去られるからね」

「(異世界の治安性……! 日本って本当に平和で素晴らしい国だったのね。衣食住の水準が高いし……一人歩きだって普通だもの)……もちろんです。お出かけの時はルティ様と一緒です」

「うん、私と一緒だよ」


 ルティ様はとてもご機嫌で、ジェラート屋で好きな物を選ばせてくれた。やっぱり金額を見ると高い! 元の世界でアイスは高くても四百円ぐらいだけれど、この世界でアイスは超高級品で一週間分のパン代って、庶民にとったら高価だわ。

 でもいつかクレープとか甘い物を食べたいって思っていたから、凄く嬉しい!


「私のもシズク殿が選んで、二人でわけっこしようか」

「え、いいの!?」

「ははっ──冗談、え」

「え」

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