第4話 君の名前を教えて欲しい
前世の記憶が鮮明に蘇り、目眩を覚えた。またあの場所、天空都市に戻って来てしまった。
今度こそ逃げられ──?
「大丈夫かい? 転移魔法に酔ってしまった?」
「え、あ……」
過呼吸に陥りそうになったものの、森の匂いと、小鳥の囀りに視界がクリアになっていく。
転移した先は天空都市とは雰囲気が異なる普通の家だった。
「(天空都市……の荘厳さはない?)……ここは?」
「あんな場所ではゆっくり話せないから、私の住まいに連れて来てしまった。驚かせてごめんね」
「え、あ……いえ」
高級感溢れる調度品などはなく、質素ながらも生活感のある部屋でモスグリーンのカーテンに、木の床、焦げ茶のテーブルや椅子が目に入る。
天空都市じゃない?
でも住まいって?
ううん、そんなことよりも今は、私がブリジットの生まれ変わりだとバレないようにしないと!
「あの……どうして……私を……助けてくれたのですか?」
「一目惚れをしたから」
「え」
「変かな? 君を見た瞬間、止まっていた心臓が音を立てたんだ。そんなのは三百六十年ぶりだったからビックリしたし、君を見たら力になりたい、傍にいたいって……ああ、でも人族の、しかも異世界の人じゃ、よくわからないよね?」
「はい……その……すみません」
彼は困った顔で微笑みながらも、私をそっとソファに下ろしてくれた。壊れ物を扱うように丁寧で触れた手はとても温かい。前世の記憶にあるヴィクトル様とは別人のようだわ。表情が豊かで、それがなんだか胸を締め付ける。
「ここはステラソルムと呼ばれて、神々によって様々な種族が生み出され魔法や術式が存在する世界なんだ。私はこの周辺に広がる西の森全域フェアリーロズの管理……というより、守り人として暮らしている森の大賢者ルティという。……君の名前を聞いても良いかな?」
「私は……
「シズク……殿、と呼んでも?」
どうして許可を取ろうとするのだろう?
私の知っているヴィクトル様はそんな許可は取らないし、会話を持とうともしなかった。ただ『私のために、そこに居ればいい』と、結婚したその日に言われた言葉を今も忘れない。あの時から私とヴィクトル様の関係は壊れていたし、歪だった。
ううん、《比翼連理の片翼》だったなら《片翼》を失って長くは生きられない……はず。十六年も耐えた? 別の生贄を使った? よく分からない……。
「……好きに、呼んでください」
「うん。私のことは──ルティ、と……呼んでくれないかな?」
「……名前で?」
「うん」
少し照れくさそうに微笑むこの人は、本当に私の知るヴィクトル様なのだろうか。もしかしたら別の時間軸とか、希望したSF的な展開の世界なのかも?
「シズク殿?」
「あ……いえ。……では、ルティ様で」
「様はいらないのに。……でも、他の誰でもない君に名を呼ばれて嬉しいよ」
反則過ぎる笑顔に、心臓が煩い。この人は誰?
本当にヴィクトル様?
いや生まれ変わった別人だと言われたほうが納得できるわ。
「この世界に来て食事は? なにか口にしたかい?」
「いえ……」
「そうか、よかった。……よりにもよって人族嫌いのエルフの集落に呼び出されるなんて、運が悪かったね。彼らは世界樹の魔力が枯渇すると、生贄を異世界から召喚して補填しようとするから……」
「生贄……じゃあ、《聖女》って」
「うん。生贄のことだね。もっとも召喚に呼ばれるのは、罪を犯した人族らしいけれど……シズク殿は巻き込まれたんだろう」
「(巻き込まれた? それともこの世界に縁があったから引き寄せられた? ううん、前世は生贄だったから、それに条件が引っかかった? エルフにとって《聖女》って生贄って意味の隠語だったのね)……そう、ですか」
伴侶、花嫁、片翼、聖女。他の種族によって、生贄の隠語となる。やっぱり異種族との婚姻や特別な存在は、そういう扱いとなる。今さら驚きもしないけれど。
ルティ様はテーブルに自動湯沸かし器のようなものを出して、いそいそとお茶を淹れる。その姿にも衝撃を受けた。自分でお茶を淹れることなど天狐族はしなかった。いつも狐人族の侍女や給仕に全てを任せていたし、それが当たり前。
そもそもヴィクトル様とテーブルに座って、お茶すら飲んだことはなかった。だからその光景が不思議でしょうがない。慣れた手つきで二人分のティーカップを用意する。
絵柄は高級感あるものではなく、小鳥や四つ葉のクローバーなど可愛らしいもので、色違いだった。
「冬クロモジ茶をブレンドしてみたんだけれど、気に入ってくれたら嬉しい」
「……ルティ様が、作ったのですか?」
「うん。趣味が高じて……。昔飲んだお茶がそれに似ていてね」
昔を懐かしむルティ様の顔は穏やかで、いつも無愛想で無表情だった人とは別人だわ。この方に何があったのか──なんて興味をもったら駄目。よくわからないままこの世界に戻って来てしまった以上、今後の身の振り方を考えないと……。
冬クロモジ茶はローズウッドのような芳醇で華やかな香りだった。とても優しい味で、ホッとする。
「あの……私はやっぱり元の世界には……」
「難しいと思う。こちらからの一歩通行のようなものだから……」
「そう……ですか」
分かっていてももう両親に会えないと思うと落胆した。今世も両親や親族、友人に恵まれて、穏やかで充実していたのに……。
「元の世界に戻すことは……約束できませんが、この世界での生活は私が保証しましょう。私は、貴女の力になりたい」
「どうして……そこまで……」
「言っただろう。一目惚れだと」
私がブリジットだと気付いていない? ううん、この段階で結論を出すのは早いわ。
「……えっと、では……この世界のことを教えてもらって、その自立できるまで……置いて貰えますか?」
「もちろん。自立できても、一緒にいてくれることを選んでくれれば、なお嬉しいですが……。でも今は貴女が私の元から離れようとしないだけでも、満足すべきなのでしょうね」
分かっているのか、分かっていないのか。どっちにも取れる言葉だ。
どちらにしても現状、この世でのことが分からないのに一人で動き回るほど愚かではない。前世の知識があるからこそ、この世界の理不尽さは身をもって痛感している。
「しばらくお世話になります」
そう頭を下げたらルティ様は複雑な顔をしていたけれど、最後には笑って受け入れてくれた。こうして私とルティ様との奇妙な共同生活が幕を上げた。
***
「じゃあ、まずは君の住む場所だけれど……」
早速来たわね。前世では嵌め殺しされた窓と大きめなベッド、椅子とテーブル。それだけの部屋だった。完全に軟禁状態で、窮屈で居心地も悪かった。
今世でそんな部屋を案内されたら、真っ先に文句を言ってやる!
そう息巻いたのだが──。
案内された部屋は螺旋階段を上がった階で、一人部屋にしてはちょうどいい広さだ。淡い碧色のベッドに、勉強机、テーブルとソファ、本棚と一通りの調度品が揃っていた。どれも豪華というよりも愛らしい。
「どうかな?」
「か」
「?」
「かわいいです。すごく! レースのカーテンも蔓草のようにお洒落で、淡い色だけれど温かい感じが凄く好きです」
「よかった。欲しい物や必要な物もあるだろうから、数日後には買い出しに街に出てみようか」
「街!? 行きたいです!」
思わずはしゃいでしまったのだが、ルティ様は目を細めて「うん」と笑みを返す。綺麗な顔立ちの人だったけれど、笑うともっと素敵だわ。
「とりあえず、シズク殿の服を用意した方がいいから、商人を呼んで取り寄せよう」
「商人を……呼ぶ?」
「うん。呼びベルという魔導具があってね。それがあると月の何回は商人を呼び出せるのさ」
「(私が生きていた時代にはなかった物だわ。魔導具の普及も十六年で大きく変わったのね。あれ、でもルティ様は三百うんぬんとか言っていたような?)……うーん」
「シズク殿?」
「あ、いえ……えっと魔導具とは?」
「ああ、君の世界では馴染みがないか。……魔法鉱石というものがあって、それがエネルギーとなってあらかじめ刻印された術式に沿った効果を発揮するんだ。さきほどのポットでお湯を沸かすのもそれかな」
「私の世界では電気が魔法の代わりだったようです。だから置き換えると、なんとなく分かった気がします」
ルティ様との会話は嫌いじゃなかった。どんな質問にも馬鹿にしたり呆れたりせず、ちゃんと答えてくれる。やっぱりこの人は私の知っているヴィクトル様じゃないのだわ。
まだ結論は出せないけれど、よく似た人なのかもしれない。
そう私自身が思いたかっただけだった。でないと私の前世はなんだったのか、と黒い感情が噴き出しそうになる。
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