おおなみ、こなみ

大滝のぐれ

1



   ●


 かつてわたしは神だった。壊してはつくって、つくっては壊して。触れるものすべてが素材で、わたしのやわらかいてのひらにかかれば、それらはあますことなく意味を持った。子供の唾液が染み付いた積み木、日曜日の新聞に挟まっていた色とりどりのチラシ、いつか行った海に広がっていた膨大な量の砂。それらは握られ折られこねられて、退屈な無機物から鮮やかで活気に満ちた生きものや城などに姿を変えていく。そこに、彼らをつくっている間じゅう想像しつづけていた『空想』を流し込むと、血が通っていくように隅々へそれが行き渡っていくのがわかった。生きものがわたしの手を離れうごめき、町の住民がおのおの生活を始め、城には住まうものが放つぱりっとした厳粛な空気が流れ始める。それが、またわたしの頭の中でインスピレーションを爆発させ、彼らのいきいきとした脈動の燃料となっていく。それをもっと見たくて、わたしのてのひらは素材を求め続ける。その繰り返し。誰のものでもない、自分のためだけにつくられた想像物。もちろん、絵空事だというのは幼心にわかっていた。それでも、当時のわたしにとって、作り出したそれはまぎれもない本物だった。この上ない、現実だった。


 が、それらはもう、なにひとつ手元には残っていない。設計図も理論も法則もなしにつくれる。壊すのも簡単、欲しいときにいくらでも呼び出せる。いらなくなったら、跡形もなく消してしまえる。そんなものに、本当の価値やしっかりとした存在感が生まれるわけがなかった。積み木やチラシはどこまでいってもただの木片と紙くずだし、海の砂だって建材にはなりえない。つくったそれをどんなに頑丈なお城です、と言い張ったところで、それはただの人も住めなければ後世に名を残すこともない、ただの砂の塊でしかない。蹴りの一発や波のひとつでもあれば、いとも簡単に崩れてしまう。


「どうぞ、こちらです」

「失礼します」

 後ろをちらりと見やり、わたしはそこにいる存在へ後に続くよううながす。塗料のものらしきつんとしたにおいが鼻の奥へ流れるのを感じながら、三和土たたきで靴を脱いで玄関にあがる。ずっしりとした床板の感触が足に伝わった。体重をかけてもなお、きしみもたわみもしないもの。そこには傷の一つもない。壁際に設けられた小さな出窓から差し込む外の光を受け、濡れたようにてらてらと光っている。


 玄関を抜け、ゆっくりと顔をあげてあたりを見回す。そこにはからっぽのリビングが広がっている。家具も照明も置かれていない、ただの立方体の箱。わたしと『彼女』が足を踏み入れたこの家には、そういった部屋がいくつも点在している。それもそのはずで、ここは二週間前に完成したばかりの二階建ての一軒家だった。引っ越しが始まるのは来週のため、まだここで生活を送っている人間はいない。あたりには顔がひきつるような塗料の香り、木のにおいだけが充満している。


 背後の存在がたてるかさかさとした足音を聞きながら、ここはパッケージなのだ、と思う。血縁ないしは婚姻、あるいはそれ以外の関係性によって結びついた人間が収納される入れもの。そこに一揃いに存在していることが、なにをおいてもたっとばれるときがあるような、そんなもの。

 固く冷えきった床板にいらだちながら、わたしはむかし友達だった子の家にあったドールハウスのことを思い出す。開くと中が見渡せるつくりの赤い屋根の家と、服を着たうさぎや熊の家族の人形がセットになったそれが、わたしはあまり好きではなかった。高く素っ頓狂な友達の演技が人形の台詞を代弁したり、それを手で動かすことで食事や家事などをしているのを表現したりするさまを見ていると、体の奥からなにかがむずむずと這い上がってくるような、そんな感覚がした。〇〇ちゃんもやろうよ。たのしいよ。そう言って友達は人形を差し出してくる。水玉のワンピースの上に白いエプロンをつけたうさぎ。わたしはそれを受け取らなかった。いや、いいよ。いいの? たのしいのに。うん、みてるだけでいい。そう言って、人形や家を操る彼女から距離を取る。わたしが作るものよりもよほど生きものらしくて実物らしいリアルな質感を持ったそれらは、どれだけ見つめても命やいとなみのようなものがゆらめくさまをわたしの目に映してくれることはなかった。


「どうしましたか。大丈夫ですか」

 いつのまにかうつむいてしまっていたらしい。背後からの声に顔をあげ振り返ると、するどくとがったあごと、ぬめりと光る甲殻や複眼が目に入った。触角が、すこしだけ垂れ下がった状態でふるふると震えている。ああ、すみません。そう言ってわたしは彼女に、シロアリを自称する昆虫に向けて笑顔を作る。触角が、震えるのをやめてすっと上向きに戻った。


「いやあ、外から見てる時もずっと思ってましたが、入ってみて確信しました。本当に、すばらしい家ですね」

「あ、ありがとうございます。あの」

「どうしましたか」

「ええと、いつから」

「え? ああ、いつから目をつけていたのか、ということですか。たしか、うちのコロニーの二代前の血族のころからだから……三十年までは行かないですけど、二十数年もの間は観測をしつづけていたことになりますね。いやあ、それにしてもラッキーです。こんな機会に恵まれるなんて」

「取り壊して新しく建て直した家なのに、それでもいいんですか」

「それがいいんですよ。最高です」

 いやあ、一族の悲願ですよ。そう言って彼女はわたしの横をすり抜け、リビングへと躍り出た。二足で立ち上がったらわたしよりも大きいであろうその昆虫が、丸みを帯びた腹や胸を動かし、脚をきゅっきゅっと床にこすりながら動き回る。その付け根にある筋肉がのびちぢみするのを眺めながら、後ろ手に組んだてのひらをぎゅっと握る。採光も兼ねた大きなガラス窓から差し込む光へつられるように視線が動き、その透明なおおいの外にある空をわたしは見てしまう。とても、いい天気だ。まばゆい日光が逆光となり、電線や他の家の屋根や壁を黒くくり抜き、際立たせているのがわかる。


 この家、建て替えることにしたから。最後の仕事だと思って、思い切ってな。父親がかつて口にした言葉を反芻しながら、目の前にいるこのシロアリと出会ったときのことを思い出す。そのとき、ここからほど近い公園で、彼女は子供たちの遊び場と化していた。まったく動かずじっとしていたために、複雑に張り巡らされた手足やなだらかな曲線を描く腹部などを彼らに面白がられ、ジャングルジムやすべり台のように扱われていたのだ。


 そのさまを、遊んでいる子供たち本人はもちろん、すこし離れたところにいる彼らの親や散歩に立ち寄った女性、ベンチで新聞を読む男性やその足元に寝そべるラブラドールレトリバーまでもが、微笑ましいものを見るような目で眺めていた。母親に頼まれた買い物帰りで急いでいたが、気がつくとわたしは足を止めてしまっていた。いい気分になったわけではない。ほっこりしたわけではない。むしろその逆だった。人や空気や時間帯といった、『公園』という場を構成するあらゆる要素が、そこにシロアリを取り込むことであたりに拡散、押しつけている光景。それが、わたしにはちっとも愉快で健康的なものに思えなかった。

 微動だにしないあの虫がなにを考えているのかはわからない。本当は自ら望んで遊具に徹しているのかもしれない。それでも、わたしはその場で足踏みしたくなるような、舌打ちしたくなるような感情を抱いた。久しく見ていなかった、見ずに済んでいたものを眼前に突き出されたような感覚。自分が渦中にいるわけでもないのに、皮膚をつねられたかのような不快感が胸の奥に灯る。冷凍品こそないものの、手に持ったスーパーの袋に収まったジュースのペットボトルが汗をかきはじめていく。それでも、わたしはその場を離れることができなかった。子供たちに乱暴な手つきで触られたり勢いよくのしかかられてもなお、身じろぎひとつしないその姿は高潔でもあり、助けを求めているようでもあった。


 とはいえ、子供たちの間に割って入るなんてことはできなかった。そのため、わたしはシロアリの周りから人が消えるのを待った。どうせもう日が暮れる。人気がなくなるのに、大した時間はかからないだろうと思った。

 橙色をした空が少しずつ色を失っていき、周りにいた子供たちがぽつぽつと親に手を引かれて公園を後にしていく。散歩をしていた女性がペットボトルの中身を飲みきって歩みを再開し、男の人が新聞を閉じて犬と共に大通りへ消えていく。そうして誰もいなくなった薄暗がりを歩き、なおも彫像のように動かないシロアリのもとへ近づいていく。中学の友達にたまたま会っちゃって、話が弾んでるから遅くなる。家でわたしの帰りを待つ母親にはそう連絡を入れていた。実際そのシチュエーションになったら、わたしは目を伏せて視界に入らないようそそくさと逃げ去るタイプだった。


 そこまで考えて、はたと気づく。わたしはシロアリにどうアプローチするつもりだったのだろう。かつての友人からも、その他のことからも、接近を避けて逃げ続けてきた、このわたしが。でもそのことに思い当たったころには、もうきびすを返して立ち去るわけにもいかない距離に近づいてしまっていた。

「あっ、あの、み、見てました、だい、で、大丈夫ですか」

 震えてもつれる声で、なんとかそれだけを口にする。言い終わってもなお、目の前の昆虫は動かない。が、突如としていかつい甲殻や牙をそなえた顔はこちらを向いた。複眼からすこし離れたところに生えた触角が、動けることを思い出した生きもののようにわさわさと動き始める。

「大丈夫ですよ。慣れっこですから」

「そ、そうですか」

「はい」

「あ、さ、寒いですねえ今日、はは」

「そうですね」

 思ったより温度のない声に面食らい、わたしは口をつぐんでしまう。彼女との間に、大きな沈黙が横たわる。なにか話さなきゃ、という気持ちと、こっちが心配して声かけたのにその反応かよ、という気持ちがせめぎ合う。そうこうしているうちに、どこからか醤油や肉が焼けるようなにおいが漂ってきた。最後の悪あがきをしていた夕陽が引っ込んでいき、街灯や家の窓の光が視界の中で存在感を増し始めていく。日光と似ているが明確に質が異なるそれに照らされても、温度のようなものを感じることはできない。


 そういえば、夕食に使うものが足りないからと言われて買い物に出たのに、これではとんだ役立たずだった。帰らなくては。そう思うが、なんとなくここから離れるタイミングを逸してしまっていた。じゃあ、わたし帰ります。せっかく人がいなくなるまで待ったが意外と本人は大丈夫そうだったし、ただそれだけを言って立ち去れば済む話だった。別に、後腐れもなにもない。が、たったそれだけのことがなぜかできなかった。先ほど見た、子供が履く泥だらけの靴に踏まれていたあの姿が頭をよぎる。あたりに広がる暗がりが濃くなっていく。街灯などの光源から遠く離れた足元が、黒くてもやもやしたものにさらわれ、見えなくなっていく。


「あ、私もう帰りますけど。あなたは」

 隣からやけに澄んだ声が放たれる。そこで、嘘のように体が軽くなった。返事を待たず歩き出していた彼女に、追従するよう歩き出す。その間、ようやく彼女はいくぶんか温度のある声で身の上話をしてくれた。自分がシロアリだということ。この近くに何代にも渡り住んでいること。最近の家は薄味で食い出がなく、食事がつまらないこと。

「あ、ここ。わたしの家なんです。今建て直してて」

 そうやって話しているうちに、わたしたちは建て直し中の家の前を通りがかった。それが、他ならぬわたしたち家族の家だった。祖父母の遺産と両親の貯金を元手に、彼らを始めとした数え切れないほど多くの人が関わり制作しているものだった。軽くそれを紹介し、そのままそこを通り過ぎようとする。が、シロアリは道の真ん中で、ふたたび彫像のように固まってしまっていた。なにか声をかけようとした瞬間、触角が勢いあまって飛んでいきそうなほど激しく動き始めた。


「ここ、なんですか。あなたの家」

「ええ、まだ住んでないですけどね」

 彼女の体自体は、あいかわらず微動だにしていない。街灯に照らされた顔が、つやをまとうようにして白く光る。それによったあらわになった複眼のひとつひとつが、こちらへ視線を向けているのを感じる。

 ややあって、触角の動きが収まる。歩みを再開する前に、彼女はやけにあらたまった様子で口を開いた。


「あの、ひとつ頼みがあるのですが」







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