第二十八夜 女郎蜘蛛




とある遊郭で、とても美しいと評判の遊女がおりました。

歳の頃は、16、7というところでしょうか。

名を艶(つや)と申します。

この艶、それはもう、大人気でございまして、何人もの男が艶を目当てに、足しげに遊郭に通っていたのでございます。


街で卸問屋をしております正貴(まさたか)と申します男も、この艶の事を大変、気に入りまして、大金を叩いて、艶を見受けしたのでございます。

見受けの話を聞いた艶は、正貴に、こんな事を言った。


「どんな事があっても、私以外の女に目を向けてはなりませぬ。あなたは、私だけを愛してくれると誓ってくれますか?」


俯き加減に、そう言った艶に、正貴は、優しく微笑んだ。


「当たり前じゃないか。お前以上の女が何処にいるものか。私は、お前を一生、離さないよ。」


「そうですか、分かりました。でも、もし裏切ったら、私は、あなたを……。」


艶の声は小さく、その後は聞き取れなかったが、正貴は、黙って頷いた。




さて、艶と夫婦になった正貴ですが、最初の頃は幸せだった。

美しい妻を娶って羨ましいと言う周りの人々に、気分も良かった。

正貴にとって、艶は、自慢の妻であった。

それほど、艶は、美しかったのでございます。


しかし、そんな幸せな日々も長くは続かなかった。

艶は、美しかったが何一つ出来なかった。

掃除も料理も出来ない。

お使いを頼めば、フラッと出て行ったっきり帰って来ない。

何処へ行ったのかと探してみれば、川岸の草むらの中に、ぼんやりと立っている。

そんな艶に、正貴は、次第に嫌気をさしてきた。


離縁を切り出そうとしたが、艶の細く開いた目で、じっと見つめられると、何も言えなくなる。

正貴は、艶に隠れて、別の女と会うようになり、家を空ける事が多くなった。

その女は、特別、美しくはなかったが気立てがよく、優しい女だった。名をお宮(おみや)。

取引先との話に出掛けると言っては、朝早くから家を出て、そして、夜遅くに帰って来る。

そんな正貴を艶は、黙って、じっと家で待っていた。




ある日の夜。

何時ものように、お宮と会い、夜が更けた頃に帰って来た正貴は、部屋の行灯の前、火をつけ、背中を向けて座っている艶に、声を掛けた。


「すまなかったね、商談が長引いてしまって、遅くなってしまったよ。」


そう言いながら、側に近付いて来た正貴に、艶は、静かに、こう言った。


「お前さん……。女が出来たのかい?」


艶の言葉に、一瞬、ドキッとなったが正貴は、落ち着いた声で言う。


「何を言っているんだ。馬鹿な事を言うのではないよ。」


「……隠しても無駄ですよ。私には、分かるのですから。」


薄暗い行灯の灯りを受けながら、ゆっくりと正貴の方に顔を向けた艶は、ニヤリと笑った。

その唇の端からは、二本の牙が見えている。

それを見た正貴は、驚き、艶の側を離れようとしたが、艶は、素早く正貴の手首を掴み、ギュッと力をくわえた。


「逃がしませぬ。正貴さん、約束を破りましたね?」


「や、約束?」


艶は、目を細め、正貴をじっと見つめる。


「私……言いましたよね?私を裏切ったら、あなたを殺す……と。」


静かな声で、そう言った艶から逃れようと、正貴は、悲鳴を上げ、手首を掴む、艶の手を離そうとした。

艶の手に触れた時、ねちゃと何かが手に付き、正貴は、瞳を震わせ、それを見た。

それは、細い銀色の糸だった。

張り付くように、手にまとわりつく、その糸は、まるで、蜘蛛の糸のようだった。


「た……助けてくれー!!」


叫び声を上げる正貴の身体を糸が何重にも巻き付き、やがて、全身を巻いた。

部屋中にはられた大きな蜘蛛の巣の中心、糸で巻かれた正貴は、しばらくモゾモゾと動いていたが、やがて動かなくなった。

それを見て、艶は、正貴の身体を包み込むように、覆い被さり、バリバリと音を立て食べだした。




何日も、姿が見えない正貴を心配して、正貴の家へ来た、お宮は、部屋の前で、声も出せずに、立ち尽くしていた。

そこには、誰も居なかったが、部屋に張り付いた大きな蜘蛛の巣だけが取り残されていました。







ー第二十八夜 女郎蜘蛛【完】ー

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