第六幕【それは楽な道ではない】

6-1【世界の滲み】

 魔力の瘴気とこの世界の大気がぶつかり合い発生する紫の発光現象。


 それはこの世界が作り変えられようとしている予兆でもあり、俺達に用意された時間が想定よりも短かったことを意味している。


 当然これを放置するわけにもいかず、俺達は再び世界の狭間へと赴くこととなった。



 フィーちゃんが最初に実体化させたあの家に集まり、かつて勇者であった巨人の捜索を行う。


 ……が、俺達からそんなことをする必要はなかった。それはすぐ傍にいたからだ。



「ギリギリ安全な距離にはあるが、ありゃあ完全に停止しておるな」



 庭として作った芝生の上に立つ俺達三人。


 隣に立つリーンシェッテが目を凝らし、額に右手を当てながら遠くの方を見やる。


 その先にある人型の物体は、俺の目にもはっきりと映っていた。



 岩石のような肌を持つ巨人。


 瘴気の源となってしまった人間の勇者が、まるでその場所に留まるかのように動かずにいた。


 最初に見たときは何かしらの流れに身を任せている感じだったはずだが。



「本来ならば狭間の空間には力の流れがあるので、あのように動かずにいることは不自然なのですが」

「そうなの? この家は動いていないように見えるけど」

「それは私が実体化するときに、康介様の世界との境界に固着させたからですね」



 フィーちゃんの説明を受け、なるほどと俺はうなずく。


 つまるところ、目には見えずとも世界にはしっかり境界線があるわけか。



「世界の境界ははっきりとした境目があるわけではなく、私たちが今いるこの空間に対し隣接するようにして存在するんです」

「隣接……じゃあ、逆にフィーちゃんたちの世界の境界も俺達のすぐ傍にあるみたいな感覚なのかな」

「そうですね。世界間の移動に最も必要なのは、自らの傍にある異世界を認知することですから」

「不思議なモンだなぁ」



 自分の隣には常に異世界が存在する。


 フィクションならよく聞く話だとは思うけど、それが実際の事象だと思うと何とも感慨深い。



 しかしそれに浸っている暇はない。


 問題はそんな隣接しあう異世界の狭間にて、あの巨人がなぜ壁を越え影響を及ぼし始めているかだ。


 下手に近づくような真似はできないが、親指大ほどに小さく見える巨人を見ていても何が起きているか分からない。


 リーンシェッテならば瘴気に対する影響を受けずに接近できるが、それをしないということは長距離を移動するのには何かリスクがあるのだろう。



「で、巨人は一体あそこで何をやってるんだ?」



 改めて巨人を観察しつつ、誰に尋ねるわけでもなくつぶやく。



「おそらく何もやっておらんのだろう。あれはきっと坊の世界のひずみに引っ掛かったのだ」

「ひずみ?」

「川面に突き出した石のようなものだ。世界の流れに揺蕩たゆたっていたあの者が、そいつに掛かって動きを止めておるのさ」



 額から手を放し、腕を組みつつリーンシェッテがため息をつく。


 これ以上見ていても仕方ないということだろうか。


 俺も巨人から目を放し、両隣に立つ二人を見やる。



 案の定、フィーちゃんは心配した面持ちで巨人の姿を見つめていた。



「ひずみはいわば同じ世界の境界が集まる点だ。そいつがより多く集まるほど、狭間においては物体に影響を及ぼす」

「この家を固定しているみたいに?」



 「そういうことだ」と言い、リーンシェッテが俺を横目で伺う。



「問題は、引っ掛かっているのが何の変哲もないこの家のようなものではなく、瘴気を放ち続ける根源であるということだ」

「根源……」



 つまるところ、世界に侵食を及ぼすものが俺の世界のすぐ傍に張り付いているというのが現状というわけだ。


 その結果が昨日のニュースで言っていた発光現象なのだとしたら、これは俺が考えていた以上にまずい事態になってきている。


 異なる世界との間というあまりに遠い場所にいると思っていた相手が、よりにもよって最も近い場所にいたのだから。


 悠長にあれこれアイディアを練っている場合ではなくなったのだろう。



 しかし、これに対し俺達ははっきり言って準備不足だ。


 迷宮の基本構想を練り上げたばかりで、規模や内部の構造についてはまだまともな検証すら出来ていない。


 このままではフィーちゃんとの約束を果たすばかりか、俺達の世界そのものが危険に晒されることになる。



 いきなりこんな命運背負うことになるとは……。



「康介様……」

「え? あっ、フィーちゃん」



 相当深刻な顔をしていたのだろうか。


 俺を見るフィーちゃんの顔は、罪悪感と心配で満ち溢れていた。



 大体フィーちゃんに心配させてもどうしようもないし、まだ事態は動き出したばかりだ。


 深刻になることもそれなりに重要だろうが、必要以上に重く受け止めていてもやる気がそがれるだけだ。


 こういうのは、不慮の事態でコンテストまでの締め切りが短くなったつもりで頭を切り替えていくのが一番だろう。



「うん……何とかなる。絶対何とかなる」



 そう、自分に言い聞かせるようにつぶやく。


 胸元を拳で軽く叩き、萎えかけたやる気を鼓舞させる。


 大体俺一人がこの問題に挑むわけではない。フィーちゃんやリーンシェッテだってこの事態を重く受け止めている。


 全員、この状況をどうにかしようと頭を巡らせている最中なのだ。



 改めて、遠くにいる巨人を見つめる。


 今は微動だにせず世界の流れに身を任せ、偶然にも俺の世界の境界に引っ掛かってしまっている。


 果たしてこの先、俺はどんな迷宮であの巨人を押し留めることになるのだろうか。





 巨人の状態を確認し、元の世界へと戻ってきた俺達。


 既に夕食時を少し過ぎていたというのもあり、最初に出会ったときと同じく近所のファミレスの同じ席で集まり食事と話し合いをすることにした。


 とはいっても、現状話し合えることはほとんど済ませてある。


 残るは明日以降の具体的な行動について、軽く予定を決めておくくらいだ。



「ワガハイの見立てならば、猶予自体は比較的長く存在していると判断するな」

「そうなのか? 侵食が始まったらあっという間だと思うんだけど」

「もちろん。だから比較的なのさ」



 バニラアイスが溶けて混ざったメロンソーダをスプーンでかき回しながら、リーンシェッテが俺を指差す。



「件の発光現象の現場と、巨人の引っ掛かっているひずみの位置。あれが座標的に重なるポイントだったために、侵食の兆候が見られたというのが妥当なところだろう」

「ですね。なので今のところ、あの場所以外での侵食の兆候は確認されていません」



 食べる手を止め、フィーちゃんがうなずく。


 鉄板の上に鎮座する大俵サイズのハンバーグは、小柄なフィーちゃんにはなかなか不釣り合いな感じだ。



「だからといって、悠長にサンプルを作っている余裕があるわけではないんじゃないか?」

「ああ。しかしぶっつけ本番で完成品を作るわけにもいかんだろう。少なくとも全体の基礎になる試作は必要だ」



 それを言われるとぐうの音も出ない。


 俺はリーンシェッテの言葉にうなずき、フライドポテトを口に放る。


 そして塩気のあるほくほくのジャガイモを味わいつつ、すっかり夜の帳が落ちた外の風景を眺める。



 今日はやけに車通りも少なく、静かな夜だ。


 だがもし目の前で紫色の光が浮かんだらと思うと、不安が胸の中を渦巻く。



「あの、私考えたんですけど」



 その時、フィーちゃんが遠慮がちに声をかけてくる。


 俺とリーンシェッテの視線が彼女の方に向き、少し肩をすくめたフィーちゃんが上目遣いで俺達の様子を伺う。



「多少の猶予があるとは言いますが、ある程度時間を稼ぐようなことは出来ないでしょうか?」

「時間を?」



 俺の言葉に対しうなずくフィーちゃん。



「はい。狭間から直接の干渉は出来ませんが、こちらの世界から侵食地点へ何らかのアプローチが出来たらなと思いまして」



 この世界で侵食を受けている場所。


 すなわち、あのニュースでやっていた紫色の発光現象が起きた辺りだ。



 俺はスマホを取り出し、件の現場の場所を調べる。


 するとどうだろう。この町から比較的近く、バスだけで行くことのできる利便性のいい場所だ。


 これならば、狭間の世界だけではなくこの現場の確認もしておいて損はないかもしれない。



「侵食を遅らせる対処療法か」



 向かいの席から身を乗り出し、俺のスマホを見つめるリーンシェッテ。


 対処療法……きっとフィーちゃんの言うアプローチというのは、この魔女にしか出来ない所業だ。


 フィーちゃんもそれを分かったうえで、やや遠慮がちに提案を口にしたのだろう。



 そして幸いなことに、口元に笑みを浮かべるリーンシェッテはその提案に乗り気のようだ。



「ふむ、面白い。ならばこの場所に行ってみようではないか」



 リーンシェッテのやる気を受け、安堵の表情を浮かべるフィーちゃん。


 というわけで、世界を守らんとする俺達の次の予定は決まりだ。



 子供の頃にやった探検を思わせる展開に、俺の中の少年心がうずくのを覚えてしまった。

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