第6話 6日目・8月10日 ラグーソースパスタ
連休1日目。
土曜日。
幹也は7時頃に目を覚ました。
顔を洗い、そのついでに洗濯をしようとして、躊躇った。
カゴには朋子の下着が入っていた。
これまでは何とも思っていなかったことである。
結婚を決める前、試しに何度か互いの家に寝泊まりしたが、そんな気が起きたことは1度もなかった。
きっと過去の朋子と、今の朋子が、幹也の中で繋がってしまったのだと思う。
とりあえず朝食を準備すべきかどうか悩む。
朋子はいったい何時に起きてくるのか、分からなかった。
自分の分の紅茶を入れ、その湯気の香りを楽しむ。
煙草の代わりにと飲み始めた紅茶だが、これはこれでかなりリラックス効果があって幹也は気に入っていた。特にアールグレイの柑橘系の匂いが好きだった。
寝室を覗くと、朋子は毛布を頭まで被ってまるで起きる気がなかった。
幹也はさっとシャワーを浴び、簡単な外出着に着替えて外に出た。
土曜日、それも連休初日ということもあり、住宅街の道路には車も人も少なかった。
妻が亡くなってからよくしていた朝の散歩も、近頃は全くしていなかった。早めの出勤がてら、それを散歩の代替としていた。
早朝のアスファルト、その硬い感触が好きだった。
まだ日中の太陽の熱に絆されていない、冷えて締まったそれは、どこか安心感をくれる。まだちゃんと立てているという実感。人間の感情の機微など知らぬというような物質の素朴さ。
その時、プライべートのスマホのバイブレーションが鳴った。
表示された名前を見て、
「お久しぶりです」
「おお、元気してっか?今年も瓶の生うに送ったからはー、けー」
けー、とは「食べなさい」ということだろう。
せっかちな、用件だけを伝えるその言葉は、かえって幹也には心地よかった。
それこそ、ぐだぐたとした夕方の熱気ではなく、朝の洗練された空気のような声。
「あの、前伝えましたけど、僕住所変わってて、、、」
「おう、わかってるさ。そっちに送ったからは」
「すみません、もう、、、あれなのに」
「なんだ、
「はい、すみません、、、。僕も宅配送ったので」
「おう、気ぃ使うなよ。またこっちさこ」
「はい、必ず顔出しますので」
そこでばつっと電話が切れた。
元義父はすでに船は降りたが漁師だった。だからこうしていつも早朝に電話が来る。
耳に義父のなまりの強い声が残って、それが妻の地元の久慈市の波音と記憶の中で重なる。また会いたいとそう素直に思った。
そのまま1時間ほど散歩して、家に戻ると、
「お帰り、台風やばいらしいよ」
と、テレビの前で部屋着のままの朋子が、ソファに体育座りをしながら言う。
どこに行ってたのか、とは聞かなかった。
「そうなんだ」
「岩手が特に危ないかもって」
お義父さんは特に何も言ってなかったな、と幹也は食卓につきながら、
「地震もあるし、大丈夫かな」
と、朋子は振り返りつつ言う。
「帰省?」
「そう、13日に出発で良いんだよね?」
「うん。仙台は大丈夫なんじゃないかな。東北道が止まらなければ」
2人で帰省の日程を確認し、幹也が簡単な朝食の準備を始めると、
「幹也、なんか携帯鳴ってる」
「え、スマホはここにあるけど」
「会社の方じゃない?」
幹也は慌てて手を洗って、朋子からスマホを受け取る。
着信履歴には、「第1編集部 3課 田上心寧」と記されていた。
「えーなんだろ」
「緊急事態なんじゃない?」
「だよね、ちょっとかけ直す」
と、幹也が耳にスマホを当てると、朋子はテレビを消音にした。手でありがとうと幹也は示す。
着信音が数回鳴った後、田上心寧が申し訳なさそうな声で、
「お休みのところ大変申し訳ございません、田上です」
「いやいや、全然おっけーだよ、どうした?」
「本当すみません。端的にお伝えすると、著者からのクレーム案件です」
「誰?」
「
「ああ、なるほど。でもそれなら二編担当じゃ?」
「二編の担当者が携帯出ないみたいで、会社にも連絡したみたいなんですけど、機械音声が流れたって。それでおかんむりで、、、。結果、元担当の私の方にって感じです」
「まぁ休みだしね、二編の課長たちは?」
「あいつら、部長や社長と一緒にゴルフ行ってるみたいです。社内カレンダーにも偉そうに書いてますよ。仕事しろよ仕事、生産性ゼロ軍団、損益圧倒的マイナス集団め。最悪ですよほんと。私、今日マッチングアプリで繋がった、ベンチャーIT社長でCEOの筋トレが趣味な白T激似合いイケメンと会う予定だったのに」
心寧が猛烈に毒づく。
多分、それは行かない方がいいかもしれないとは言えなかった。
「そっか、着信とかメールは部長に入れちゃった?」
「いったん、担当の子の課長にだけ」
「ナイス。部長の耳に入るとメンドクサイからね、さすが。連絡来たのが田上さんで良かったよ」
「あ、、、ありがとう、、、ございます」
心寧は少し恥ずかしそうに、電話越しでもぺこりと頭を下げたのが分かった。
幹也の視線の先で、朋子が薄っすら目を開けながら、「へぇ」と言ったのが若干気になる。
「で、先方の要求は?」
「とにかく来いって」
「大学?」
「いや、あの人もう今年から特任教授なんで、学校にはあんまいないはずです、ご自宅かと」
「住所知ってる?」
「何度か行ったことあるんで」
と、心寧はざっくりとした場所を言う。
「あ、それ近所だ」
「そうなんですか?先輩、良いとこ住んでますね」
「いやいや、中古マンションだから」
「近頃のマンション相場を私が知らないとでも?婚活市場では必須の情報ですよ」
よく分からないマウントを取られたが、結局近くの駅で落ち合うことになった。
心寧は最後まで「電話したのは判断を仰ぐためであって、1人で行きます」と主張していたが、やんわり断った。
電話を切って、幹也はスーツを取り出す。
「出勤?」
「ちょっとそこまで、どれくらいかかるか分かんないけど、、、」
「分かった。特に用事ないし、ここで待ってまーす」
「ありがとう。、、、なんか、えっと、どうした?」
「いや、別に?人が変わったようだなぁって思っただけ」
「そうかな?」
「優しいのは昔からだけど、人のことあんま褒めなかったじゃん、興味ない感じで」
「そうかな?でも、それならいい方に変わったって受け止めて良い?」
「う~ん、まぁ、うん」
朋子は生返事をして、すぐにテレビの録画欄を開く。撮り貯めたドラマでも見るのだろう。
駅前の喫茶店で待っていると、心寧が首を伸ばしながら入ってきた。
「あ、先輩。本当ごめんなさい」
「いやいや、田上さんもとばっちりでしょ」
「でも、本当に良いんですか。私1人でも対応できる案件ですけど」
「ほら、休みなのに1人でこういう仕事すると、結構心にダメージ来ない?なんで自分だけって。それに近くだったし」
「神だ、、、全ての上司が先輩になったら良いのに」
「いやいや、大袈裟な。それに、仕事があった方が僕も、、、」
と言いかけて幹也は口を噤んだ。
休日1日を朋子とどう過ごしたら良いか、正直分からない。先週は引っ越し作業だったから問題なかったが、出かけようと誘うべきか、それとも別々にゆっくり過ごすべきか、昨日のこともあってなお分からなくなっていたところがある。
「え、先輩、もう奥さんと上手くいってないんですか?」
と、心寧がコミカルな動きで体を半身にして、口元に手を当てて後ずさる。
「いやいや、そういう訳じゃないけど」
「仕事人間って、家に居場所ない人多いですからね。部長とか部長とか部長とか。知ってます?あの人、奥さんと子どもからめちゃくちゃ嫌われてて、だからずっと会社にいるんですよ。先輩と違うのは、あいつは仕事すらせず部下をいびるだけですけど」
「あいつとか言わない。それに僕は別に居場所がないわけじゃないから」
「先輩、僕って言いました!家だと僕なんですね!なんか、ちょっとかわいい」
「あ、えっと、、、ほら、行こう。クレーム対応の基本は迅速な対応だよ」
「ふふっ、レッツゴー、ですね」
2人、並んで歩く。
橋上先生の自宅は、駅から少し離れた高台の団地にあるらしい。
土曜日ということもあり、バスの本数が少ないため徒歩で向かうことになった。
「あっついすねー」
心寧がハンカチで首元を拭きながら、太陽を見上げる。
彼女のトレードマークである長めのピアスが煌めく。
「そういえばそのピアス、綺麗だね。高そう」
「お、お目が高い。20万しました」
と、ブランド名を言う。
「そっか。先輩に言われると素直に嬉しいな」
「それはどうも」
「だって聞いてくださいよ。私、部長にめちゃくちゃ目つけられてて、あいつは仕事ができないとか、同期を悪の道に引き込んでるみたいに課長たちに言ってるらしくて。その理由が、派手なピアスしてるからってことらしいですよ。でも、実際に目の前で会うと、今日も綺麗にしてるねってへらへら笑ってきやがるんです。なんであんな陰険なんですか?あれでしょ、絶対学生のときクラスの端の方にいて、ねちねち運動部のかっこいい人の悪口とかノートに書いてたタイプですよ、きんもっ。童貞かよって」
文字通り立て板に水と言った感じで、愚痴を零す。
幹也はどこか懐かしい気持ちになる。
朋子は仕事を家に持ち込むこともないし、こうして縷々愚痴を言うこともない。
「まぁ、田上さんは誤解されやすい気はするね」
「えーなんでですか?改めます、、、いや、それも納得いかないな。このままでいきますけど、先輩の所感は気になります」
と、心寧は歩きながら幹也の方を見る。
胸元まで伸びた、軽く巻いた髪が歩く振動にともなって、ふわりふわりと浮く。
「んー、ピアスとか関係なく、田上さんは派手というか、綺麗だから。それに入社前、結構盛り上がってたからね」
「初耳です。そしてありがとうございます。私、なんて言われてたんですか?」
「聞きたい?」
「そこまで言ってそれはなしです、私、メンタル鬼強、自尊心の塊なんで大丈夫です」
「アナウンサー崩れが来るぞって。それにミスコンの画像も出回ってた」
「ま、そりゃそうですよね」
「アナウンサーには何でならなかったの?選考も進んでたって話だけど」
そこで心寧はにやりと笑って、
「私、気づいたんです。最近はロリ系というかタヌキ顔っぽい、ゆるい感じの顔がはやりじゃないですか」
「そうなんだ」
「です。それに比べて、私って綺麗系というか、顔面強い系じゃないですか。平成初期感がある顔というか、えびちゃん系?えびちゃん知ってます?」
「懐かしいな、知ってるよ。むしろ田上さんが知ってることに驚く」
「オジサンたちに良く似てるって言われてて。だから、これ微妙だなって。それにアナウンサーになる子って、別にそんな頭良くないんで、なんかノリ合わなくて。だから出版にしました」
心寧は幹也の前にすっと出て、腰に両手を当て、モデルのようにポーズを取った。
「私、中身が薄いと思われるのが一番腹立つんで。顔は親のおかげですけど、ここは半分以上自分の努力なんで。親どっちも高卒だし」
と、自分のこめかみのあたりを指さす。
幹也にはその姿が眩しいように見えた。
「うん。素晴らしいことだと思う。でもあれだね、多分事務系の仕事とか申請が遅いのも、多分部長の気に障ってるんだと思うけど、、、。そっちで評価を落としてるから、本筋の仕事も認められないんじゃ?」
「先輩、カッコつけてるときに正論言うのやめません?」
橋上先生の自宅につき、心寧が手土産を渡して玄関先。
先生が怒っているのは献本の件であるということは事前に聞いていた。
橋上先生執筆の書籍が、ある他大学の先生に献本として届いていなかったと。
それで昨日の夜、その先生から書籍を購入したいと連絡があり、恥をかいたという流れだった。
「先生、この度は誠に申し訳ございませんでした。以後気を付けます」
と、心寧が幹也の前に出て頭を下げる。
先生がそれに応じて不満をつらつらと述べるが、心寧は相手の話が終わるのを待って、満面の笑みを拵えながら、
「はい。仰る通りでございます。ですが先生、お忙しいところこのようにご連絡いただき、貴重な勉強の機会を頂けたこと、大変感謝しております。私もまだまだですので、今後もご教授いただけると嬉しいです。先生ぐらいですよ、こんな丁寧に社会のいろはを教えていただける先生は」
その一言が決まりとなって、橋上先生の怒りは収まった。
その後、少しお茶を頂き、次回の執筆の話なども頂いて帰宅となった。
丁度昼頃であった。
駅に向かう坂道を下りながら、
「どうですか私のクレーム処理能力」
と、心寧は明らかに褒めて欲しい感じを出しながらだった。とても分かりやすい性格に、幹也は苦笑しながら、
「やっぱり僕、いらなかったね。すごいよ」
「だから言ったじゃないですかぁ。でも感謝感謝です。1人だったら最悪の連休開始になってましたから」
「田上さんを1編に移動したのはやっぱり正解だったんじゃないかな。執筆者とのやり取りは2編より多いわけだし。そういう意味では真っ当な評価もされてる気がするね」
「そうですかねぇ。ま、特に年上の男性執筆者は余裕ですよ。この顔があれば」
と、汗をかいたはずなのに全く崩れていない顔を幹也に向ける。
「事実だからなんとも言えないのがあれだね」
「あれ、事実って認めてくれるんですか?」
「最初から綺麗だって言ってるよ、僕は」
「先輩って、意外に女性慣れしてますよね。うちの編集オタクチックな人が多いのに、恥ずかしげもなく女性に綺麗って言えるとか」
「まぁ、、、えっと、僕の妻もちょっと田上さんに似て鋭い系の美人だったから慣れたというか。それに、綺麗っていうのは客観的事実でしょ?ほら、顔のバランスとか、目の大きさとか、数値化できる。だから別に綺麗って言うのは恥ずかしくなくなったというか。それに比べてかわいいって言う人いるけど、そっちの方がしんどいかな。主観が入ってる気がして、好意が表に出てると言うか」
幹也はつらつらと言って、それからはっとして心寧の顔を見る。
心寧は若干訝し気な表情をして、
「理屈っぽくなるところはオタクっぽいっすね。それに惚気ありがとうございます」
と、興味を失ったようにすたすたと歩き始めた。
高台の団地は、迷路のようにくねくねと、同じような風景を繰り返しながら下っていく。小さな十字路に差し掛かった時、1台の車が一時停止を無視して侵入してきた。
「危ない!」
と、幹也は少し先を歩いていた心寧の腕を引く。
何やら考え事をしていたような彼女は、狐につままれたように、
「わっ、ありがとうございます」
セダンの車はそのまま去って行き、心寧が感謝を言うのが早いか、彼女の体がぐらりと傾いた。
幹也は掴んでいた腕に慌てて力を入れ直して体を支える。
「ああああああ!最悪!」
心寧は幹也に体を預けながら、右足のヒールを手に取る。
「折れてるね」
「折れてます、、、。これ高かったのにぃ!」
「ごめん、僕が急に引っ張ったから」
「いや、悪いのは一時停止無視の車です。生命に関わらない程度の事故起こしちまえ!」
「物騒な。きっとトイレ漏れそうだったんだよ」
「はえ?」
「ああいう車を見た時は、大きい方のトイレが漏れそうなんだって思うことにしてるんだ。そう教わった」
「教習所の先生に、ですか?確かに堅物の先輩の発想ぽくないですね」
「まぁ、そんなとこ。堅物は誉め言葉と受け取っておくよ。で、どうしようか」
まさかおぶって行くわけにもいかないし、近くにスーパーや靴屋があるわけでもない。
「もう片方も折ればいけるかな」
と、心寧が言う。
「直せる可能性もあるんじゃないの?」
「綺麗に治るならいいんですけど、私がボロ履いているといろいろ言われるし、買っちゃった方がいいかなって」
そこには心寧なりの矜持のようなものがあるのだろう。
幹也にはあまり深いところは理解できなかったが、
「いずれにせよ、駅まで歩くのはきついだろうし、迎え呼ぶよ」
「タクシーですか?」
「経費下りないのにタクシーは悔しいから、妻を呼ぶよ」
「えー、それは申し訳ないですよぉ」
「申し訳ないと言いつつ、嬉しそうなのは何でなの?」
「だってぇ、先輩のプライベートの顔を見れるってことでしょ?ラッキーだなって。私先輩のファンなので」
近くの公園で朋子を待っていると、10分もかからず見慣れた車が横付けした。
「ごめん朋子、休みなのに」
「休みなのは幹也もでしょ」
と、朋子は無地のグレーのパーカーにショートパンツというラフな格好だった。
急いで出て来てくれたのだろう。
「本当に申し訳ありません。私、幹也さんの会社の後輩で田上心寧と申します。ご迷惑をおかけします」
「いえいえ、いつも夫がお世話になってます。どうぞどうぞ」
幹也と心寧は後列に座る。
「で、どうしよう。靴は持ってきたけど、サイズ合うかな。それか靴屋さんに行く?」
「本当に申し訳ないです。多分私、足のサイズ結構おっきいので、靴屋さんに連れてっていただければ、、、」
「でも、田上さんはそういうのこだわりあるんじゃないの?この辺の靴屋で適当に買うのは嫌なんじゃない?」
幹也の言葉に、心寧はちょっと不満げな顔をする。
「先輩、そのお言葉、非常に嬉しいですが余計ですよ」
「確かに、でもそれが幹也の良いところだからね」
と、朋子がフォローする。
「余計?なんで?」
「私がせっかく新婚の休日の邪魔をしないようにと、今後一切履くことがないかもしれない靴を買おうと決心したのに」
「え、だからそれが嫌なんでしょ?」
幹也が真剣な顔で言うと、心寧は吹き出すようにして笑った。釣られて朋子もだった。
「じゃ、お家まで送るのは?運転は幹也に任せて。私ペーパーだからここまでが限界かも」
と朋子が提案する。
幹也は仕事用の手提げ鞄を漁り、
「ごめん。免許証入ったカードケース、家だ。散歩の時、ポケットに入れたままかも」
小銭入れとカードケースが一体となっていて、自販機で飲み物でも買うかもしれないと鞄から出していたのを忘れていた。
「そしたらどうしようか、いったん家に行く?」
「本当申し訳ないです」
「そうしよう、小腹も減ったし、お昼も食べてったら?」
幹也の提案に、心寧はびっくりしたように両手を顔の前で振って、
「そんな、家まで送ってもらうだけでも申し訳ないのに」
「さっき、プライベートの姿見れて嬉しいとか言ってなかった?それとも外食がいい?テイクアウトとか」
「しーっ、奥さんの前でなんてこと!!違いますからね奥さん、頼れる先輩のちょっと抜けたところを見たいという願望でして、決してやましい意味じゃないですからね?」
「モテモテだね、幹也。それじゃあ幹也の美味しい手料理振る舞うしかないね」
「奥さんまでなんてことっ!先輩の手料理は気になるけれども!」
「じゃぁ朋子の運転リハビリも兼ねて、スタバのドライブスルーにでも寄ってから帰ろうか」
「ええ、ドライブスルーなんて幅狭いし一番嫌なんけど、、、」
結局、ドライブスルーではぎゃーぎゃー騒ぎながら、コーヒーを買って家に戻った。
幹也は昨日失敗したハンバーグを、炒めた玉ねぎ、人参、セロリと一緒にほぐしつつ、ワイン、トマトを入れて煮込む。
煮込んでいる間、朋子と他愛ない会話をしていた心寧が、
「先輩、料理男子なんですね。なんかイメージには合いますけど」
「そうかな、朋子は意外だって言ってたけど」
「そうなんですか?」
「高校生のときは、勉強とスポーツしかしませんって感じだったからね」
その朋子の解答に、心寧は頭痛がするように頭を押さえ、
「え、ちょっと待ってください。高校生から付き合って今結婚ですか?先輩って今何歳でしたっけ?」
「29、30になる年だね」
「10年以上待たせたんですか!?ありえないんですけど」
心寧が大きい声を出すと、朋子が首を振って、
「私たち、高校卒業するとき1度別れてるの。幹也は地元の仙台の大学で、私はこっちだったから」
「なるほど、そういうことなんですね。びっくりしました。先輩が甲斐性なしになるとこでした」
朋子が幹也の方を見てウィンクする。
上手くごまかしたでしょ、ということなのかもしれないが、朋子が言ったことは全て事実だから上手いも下手もないわけで。意図的に事実を抜いて話しただけだ。
「はい、お待たせしました」
幹也は出来たパスタを朋子と心寧の前に出す。
「これ、ミートソースパスタですか?あれ、ボロネーゼ?」
「うーんどっちでもないから、ラグーソースのパスタかな」
「ラグーって挽肉とかそういう意味でしたっけ?」
「いや、煮込むって意味だね」
「あ、そうなんですか、これまで勘違いしてました。大体挽肉系が出てくるので」
それから3人揃って頂きますをする。
「美味しすぎるんですけど、これがちゃっちゃと作って出てくるレベルですか?全ての女子を敵に回しますよ」
「いや、本当に簡単だし」
「奥さん、どうしたらこんな良い男と結婚できるんですか。あ、奥さんが良い人だからか、、、」
「いやいや、私もラッキーだよ、いつも感謝してる」
「おお、惚気ですねぇ」
心寧も朋子もコミュニケーション能力が高いからか、すでに馴染んでいた。
心寧があまり恐縮しすぎないのも作用しているのだろう。
お昼を食べた後、心寧の自宅まで幹也が送る。
お腹がいっぱいになったからか、心寧は助手席で若干うとうととしていた。が、決して寝るまいとその大きな瞳を強いて開いてる姿に、見た目とは違う彼女の真面目さを感じていた。
心寧の住むアパートまで着き、彼女を降ろす。
「このお礼は後日必ず、お昼まで頂いちゃって。奥様にもよろしくお伝えくださいませ」
「いやいや、気にしないで。良い休日を」
「はい、改めて良い休日を」
信号を曲がるまで、心寧は幹也の車にお辞儀をして、顔を上げる。
朋子に借りた、少し小さいサンダルをぶらぶらとさせながら、アパートの鍵を開ける。
「それにしても良い人だったな、奥さん」
幹也が料理をしている間、朋子とした話を思い出す。
「田上さんは美人ですね」
「えへへ、結構言われます。でも、奥さんもじゃないですか。相手が私じゃなかったら嫌みに取られますよ」
心寧のちょっと攻めた冗談に、朋子はふふっと笑って、
「そう?私、友達によくたぬき顔って言われるんだけど、褒められてる気がしなくて、顔が丸いってことでしょ?」
「誉め言葉ですよ、最近はたぬき顔が一番モテるって言いますし」
心寧の感じた違和感。
先輩は、確かにこう言った。
「まぁ、、、えっと、僕の妻もちょっと田上さんに似て鋭い系の美人だったから慣れたというか」
だったという過去形。
それから、誰がどう見ても私と先輩の奥さんは似ていない。
先輩の奥さんは鋭さなんて皆無の、どちらかというとアイドルに多いような曲線の目立つ柔和な顔だった。
ラグーソースを思い出す。
私は「ラグー」いう言葉が、なんとなく肉の種類を指すものだと思っていた。
牛の挽肉とか、合い挽きとか。
だけど、それは勘違いだった。
先輩も、「たぬき顔」とか「鋭い顔」を勘違いしている?
それから、ミートソースもボロネーゼも同じ「ラグーソース」の仲間だという。
私とあの奥さんとの違いも、先輩の中では大きく見て「綺麗」として同じなのだろうか。
小さな違和を感じたまま、心寧はピアスを外して木を模したスタンドに掛ける。
「ま、私もちょっと嘘ついたし、先輩にもいろいろあるんでしょ」
と、ソファーに寝そべって幹也夫妻にお礼として返す品物をスマホで探し出した。
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