第4話 4日目・8月8日 グラッパ
「私、メンドくさいこと嫌いなの、人への配慮とか」
朋子は他部署の同期であり友人の
昼食にと訪れた会社近くのイタリア料理店で、席に案内された途端だった。
「営業マンがそれ言う?」
「今日は内勤だから営業マンじゃないしー、それに営業ウーマンだし」
ふざけているような声音だが、彼女の瞳の気色は全く持って真剣であった。
有名国立大学を出たにも関わらず、一般営業職で入職してきた彼女は、皆から一目置かれている。それは彼女の能力以上に、その自信に満ちた立ち振る舞いによるところが大きいだろうと、朋子は思う。
「で、その趣旨は?」
朋子は若干構えて聞く。
「再婚したってことは、吹っ切れたってことで良いってことだよね?」
やはりそのことかと、瓶入りの水をコップに注ぎながら、頭を巡らす。
「吹っ切れなきゃ、再婚しないでしょ」
「んん~、それちょっと言葉のニュアンス違くない?」
「ニュアンス?」
「その言い方だと、再婚したんだから、当然吹っ切れてることは前提としてよね、って暗に言ってるってことでしょ?」
「これだから営業マンって嫌い」
朋子の言葉に、瀬里奈は全く笑わなかった。
「吹っ切れたので、再婚しました。吹っ切れていないので、再婚しません。再婚したので吹っ切れてます。再婚してないので、吹っ切れていません」
「勘弁して、本当に」
「はは、ごめんごめん。でもさ、めんどくさくて。聞いちゃった方が早いじゃん、こういうのって」
「友達なくすよ?」
「別に構わないけど?」
瀬里奈の怖いところはそこだった。
必要なのは自分だけ。他の人間は別にいてもいなくても構わないというスタンスを隠す気がない。それでいて孤立することがないのは、彼女の美しさだったり、スペックの高さゆえだろう。
「降参」
朋子は急に頭が重くなったようにがくりとテーブルに頭を落とす。
食前のサラダが運ばれてきて、瀬里奈は「いただきまーす」と朋子のことなど意に介さず、食べ始める。
「白状する気になった?」
「誰にも言わない?」
「いや、言う人いないし、私ほぼ直行直帰、会社に出てくるのなんて数日なんだから」
「分かったよ。えっとね、、、」
「あ、結論だけ言って。時系列で言わなくていいから。時系列で話されて耐えられるとしたら酒とタバコがあるときだけ」
サラダのルッコラを刺したフォークをひらひらとして、瀬里奈がそう忠告してきた。
その無作法な行為も、やはりどうしても絵になってしまうところに、彼女の魔的な魅力がある。
「ったくもう。はい、吹っ切れてません。まったく、全然」
「再婚相手は知ってるの?」
「あー、えっと」
「黙っとくから」
「でもなぁ、人のことだし」
「夫のことでしょ、身内の」
「身内でも他人だしな、、、勝手に言うのは、、、」
「律儀だねぇ。まぁ配慮する価値があるぐらいにはいい奴ということか」
「良い人だよ」
そこでパンとパスタが運ばれてきた。二人ともオイルベースのものだった。
それをフォークのみでクルクルと手際よく巻いて口に運ぶ瀬里奈。
朋子は観念したように、訥々と、
「相手も奥さん、亡くなった人なの」
「はぁ、へぇ、なるほどね」
「なに、その興味なさそうな感じ、言わせといて」
「いや、私ゴール見えると途端にやる気なくなるタイプだから」
瀬里奈は本当に興味がなくなったことを隠さず、パンをソースにつけて1口で頬張った。
「だからいつも目標数字ぎりぎりなのね」
「数字さえ出しときゃいいの、それを昨対120%とか実績出してみなさい、来年の自分が苦しむだけでしょ」
「で、そんな聡明な瀬里奈様にはどこまで分かったと?」
「もうメンドくさくなってんでしょ、何もかも。だから再婚っていう体裁だけ欲した。それを朋子が欲したのか、旦那の方か、それとも二人か」
「、、、ご明察ね」
「仮面夫婦ってこと?なんかドラマで1クールに1本ぐらいあるよね、私嫌い」
「それはすみませんでしたね」
「あれって結局、ストーリーの起伏でそれっぽく見せてるけど、結局単純接触効果でしょ?文字通り単純なんだから面白くもない」
オイルに滑って、なかなかパスタを上手く掬えない。
朋子は瀬里奈のマネをするのをやめ、スプーンを取った。
ニンニクの香りが鼻孔を通って、頭の中をぼんやりとさせる。
「心配されるのも、遠慮されるのも、嫌だったの。ほっといて欲しかった」
そう。
それが朋子と幹也の共通点だった。
瀬里奈と仲が良くなったのも、そういえば夫が亡くなってからだと思い至る。
是々非々で直球の瀬里奈の態度が心地よかったのだ。
「それ、理由足りてないね。傷心の
「自分で言いたくなかっただけ」
「営業部の男でもいたでしょ、メシに誘ってきたやつ」
「うん」
「まぁ、いいんじゃないの」
「ほんとに?」
「お互い好きだから結婚した、結婚したからお互いに好き。これも違うでしょ。どっちも別に論理的に正しい訳じゃない。私はそういう人間の微妙な機微、嫌いじゃないし。別に朋子の味方でもないし応援もしないけど、好きにしたらいんじゃないの?」
「自分で聞いといてその結論?」
朋子は思いがけず笑っている自分に驚きつつ、瀬里奈に感謝した。
まだ幹也との生活を評価するには自分にも早すぎる。
だから、こうしてその良し悪しを保留してもらったのは嬉しかった。
「あ、この店グラッパあるじゃん」
と、瀬里奈がメニュー表を見ながら言う。
「何それ」
「ワイン、というかブランデーと言うべきか」
「まさか飲む気?」
「今日営業出ないしぃ、それにワイン1杯ぐらい飲んだ方が頭の回転が最適化されるって研究もあるって聞いた気がする。すみません、このグラッパ、昼も出せます?」
朋子はつくづく営業の人間の胆力には驚かされると思った。
こう、同じルールの元では生きていない感じがする。
朋子は注がれたグラッパを1口飲んで、それをちょっと掲げた。
「あんたの元旦那に」
「なにそれ」
「1回同行訪問で出張したとき、飲んだんだよ。面白い先輩だった」
「そういえば、そんなこと言ってたような。ああいう人間が干されたらうちの会社も終わりだって言ってた」
「おお、どうせなら生きてその意見を上司に言って欲しかったな」
それから瀬里奈はもう1口飲んで、
「グラッパってさ、元はワインを作った後の大量の搾りかすで作った飲み物なんだよ。庶民がワイン飲めないから。今じゃその辺のワインより高かったりするけど」
「そうなんだ」
「だから、搾りかす同士にしか出せない、熟成した美味しさもあるわけ」
「ねぇ、私、搾りかすって言われてない?カスって」
「そんなこと言ってませんけど」
朋子はなんとなく、手を瀬里奈の方に差し出した。
瀬里奈はにやっと笑って、グラスを差し出す。
1口飲んで、
「何これ、度数高いじゃん!」
「会社に戻ってもバレるなよぉ?」
朋子は一瞬くらっとした頭を振って、グラスを瀬里奈につき返した。
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