第3話 3日目・8月7日 サルサソース

「販促部長め、絶対労働組合に言いつけてやる」


田上心寧たがみここねが堰を切ったように叫ぶ。


「気を付けた方が良いよ、組合にも部長に通じてる人いるから、誰が言ったとか筒抜け」

「そうなんですか、、、でも先輩、ひどくないですか、類似書籍の実績ないから出版できないって。そんなことしてたらジリ貧じゃないですか、ただでさえ出版業界は斜陽なのに」

「そこは次回うまくやろう。寄せられるとこは寄せて、ほら第3章をもうちょっと膨らませれば、似たような本ありそうだし」


自販機スペースで幹也は後輩をなだめる。

その時、プライベートのスマホに1件、メッセージが届いた。


┗(今日の夜はデリバリーにしましょう、昨日迷惑かけたので、ピザとかどうですか)


メッセージだと敬語になるのが今の朋子だった。


┗(了解)

┗(予約はこっちでしときます)

┗(ありがとう)

┗(希望ありますか?)

┗(コーン系はなしで)

┗(了解。←幹也のマネしてみました)


「奥さんですか?新婚いいなぁ」


と、心寧がミルクティーのプルタブを開けるのに苦戦しながら言う。

幹也が無言で手を差し出すと、ぺこりと頭を下げて缶を渡してきた。


「違いますからね。女子アピールとかじゃないですから。本当に開けられなくて」

「分かってる」


ぱこっと開けて、心寧に戻す。


「ありがとうございます。はぁ、なんか最近、自分ってつくづく仕事できないなぁって落ち込んでるんですよ」

「そうかな?2年間見てきたけど、事務仕事以外はできていると思うけど」


心寧は揺れるピアスを少し弄りながら、痛いところを突かれたといった感じで、


「マジすいません、事務系苦手で、後回しにしちゃうんですよね」

「誰にでも得意不得意はあるよ。得意なところで貢献すればいい。多分、細々したことが苦手っていうのは、その分、おおらかというか、ほら後輩の面倒見とか田上さん、そういうのはすごく上手だから、裏表だよ」

「あざす。そういえば、先輩うちに転職してきてもう2年ですか?」

「そうだね」

「なんかベテランの空気感すごいっすよね、、、社歴的には私の方が圧倒的に先輩なのに。私も朝早くこようかなぁ、いつも何時に来てるんですか?」

「7時くらいにはいるかな、でも無理する必要ないよ」

「でもそれくらいしないとダメなんですよね、しかも先輩がそんなに早く来てるのに、私ぎりぎりなんで」

「いやいや、仕事なんてしたい人が頑張ればいいんだよ。最低限のことしてればいいと思うよ」


それは幹也の本音であった。

会社から見れば、自分は頑張っているという評価になっているのかもしれない。

ただ、たった1つの場所で努力していることが、その人間全ての評価であるはずがない。


「現代的ですね、先輩」

「他の大切なことがあるときは、そっちを優先した方がいいから」

「ま、うちは出版業界にしては残業少ないのが唯一のいいとこですから、朝ぐらいは早く来ます!やります、私!」

「無理せずにね」


心寧は空き缶を捨てながらそう宣言した。


家に帰って、今日は料理をする必要がないと思うと、少し胸が苦しいようだった。

ソファに座ることも憚られて、意味もなく台所に立って、冷蔵庫を開けては閉めるを繰り返した。


そういえば、万願寺とうがらしと一緒に、ハラペーニョも買ったことを思い出した。

「小林さんちの野菜」とバーコードに書いてある。

近くの農家さんだろうか。


ピザを食べるなら、サルサソースがあってもさっぱりするかもしれない。

そう思って、ハラペーニョとトマト、玉ねぎを刻み、ニンニクを擦る。

ニンニクは青森産だから、少し多めに入れてもいいだろう。

朋子は匂いとか気にするだろうか。


「平日はNG!その代わり、金曜夜と土曜日はニンニクフルコースでお願い!」


幹也はこれぐらいなら問題ないだろうと判断する。

オリーブオイルとクレイジーソルトを入れ、ちょとだけ砂糖、それからレモン果汁を垂らす。


「レモン果汁って、少ししか使わないからいつも冷蔵庫の遺産と化すよね」

「ピザはプルコギしか認めない!」

「サイドメニューの激辛ソースも絶対買ってね」

「1人1本に決まってるじゃん」

「ピザにはケンタとコーラは必須でしょう!?」


今日はよく思い出す日だ、と作ったサルサソースを冷蔵庫に入れて、外に出る。

マンション向かいのコンビニに入り、パーラメントとライターを買う。

それからコンビニの灰皿で1本、火を点ける。


思い出は、雪だるまのように、徐々に大きくなりながら迫るということを、この年になって初めて知った。

普段は池に渡された飛び石のように、象徴的なことしか覚えていないのに、離散的なその記憶が、連続して波濤のように襲う時がある。


今日のきっかけは分かり切っていた。


「あ、幹也。いけないんだぁ」


びっくりして顔を上げると、そこには朋子がいた。


「お帰り」

「ただいま、コンビニで明日の分のおやつ買おうとしたら知った顔があってびっくりしたよ」

「やめてたんだけどね」

「どれくらい?」

「半年?」

「それやめてたかどうか微妙なラインだね」

「確かに」

「あ、えっと、ちょっときつくなった?」

「何が?」

「私との生活」


配慮が足りなかったと幹也は反省した。まだ共同生活3日目だからきついも何もない、と言いかけて、それも違うと思った。


「いや、全然そんなことないよ。きつくなったらちゃんと言う」

「ま、幹也は本当に言いそうだし、信じるよ。別に結婚したからといって一緒に住まなきゃいけないわけでもないんだし。ちなみに私はいまのところ快適かな」


それから、2人で車に乗ってピザを受け取りに行った。


「帰りちょっとスーパー寄っていい?」


幹也は助手席の朋子に言う。


「いいけど、何買うの?」

「コーラ」

「お、いいね。できればゼロでお願いしたい」

「了解」


家に帰って、また2人並んで食卓につく。

ピザはマルゲリータだった。


幹也は缶コーラのプルタブを開けて、朋子に渡す。


「あら、ありがとう、気が利くね」

「うん。世の中には、人生で1度もフタを開けずに飲み物を渡されたことがない女性もいるからね」

「どういう意味?というか、それどこのお嬢様?」

「だよね」


ピザはやっぱり味が濃く、最初は美味しかったが、2枚目にはどうも飽きがきた。


「これかけていいの?」


と朋子がサルサソースの入った器を指さす。


「お口に合えば」

「試してみよう、、、うん、辛いけど、さっぱりして美味しい。これ必須かも」

「でしょ?」

「みじん切り大変なんじゃない?フードプロセッサーないし、買おうか?」

「僕、包丁でみじん切りするのが、結構調理過程の中だと好きなんだ。プロセッサーだと水っぽくなるし」

「どこのシェフ?」

「2人の?」

「あー、私いま、口説かれてる?」

「まさか」


そう言って2人で小さく笑った。

それから朋子はすっと神妙な顔になって、


「幹也がペットボトルじゃなくて缶コーラ買った意味、ちょっと分かったかも。そういう自傷行為みたいなの、必要なときもあるしね」

「気、悪くした?」

「そういうのは、お互い様だよ」


サルサソースは、赤と緑、それから白と鮮やかで綺麗に見えた。

色彩だけでなく、辛味も、酸味も、甘味も苦みも、それぞれバラバラなようで一体であるのが、幹也にはひどく憧れの対象だった。


「私、飲み物そのまま渡されたのあなたが初めて、信じらんないんだけど」


辛くて、酸っぱくて、甘くて、苦い。

鮮烈な色彩。

そのどれもが、いずれ僕のせいで枯れたものになっていく。


その事実が、幹也にはどうにも責め苦のように感じてならなかった。


「私もタバコ、吸ってみようかな」


朋子が幹也をからかうようにそう言って、本当に二人で食後、外に出た。

わざわざコンビニまで行き、朋子は挑戦したが、


「っげほっ、っげほっ、これ、本当に美味しいと思って吸ってる?」

「いや、もう美味しいとかじゃない」

「中毒だね」

「そう中毒」


朋子はタバコが上手く吸えず、副流煙ばかりがもくもくとした。

コンビニの照明の強さも相まって、彼女の顔が煙の向こうで朧になる。

幹也は、自分が誰と一緒に生活しているのか、一瞬不明瞭になった。


夜に星は少なく、車のテールランプの方が余程身近で、意味のあるものに見えた。

死者を星に例えるのは、己から遠ざけたいという気持ちと、常に身近であって欲しいという思いの、その折衷のような気がしてならない。それこそ自傷行為のように。


外気に触れて、幹也は少しだけ頭がすっきりしたような気がした。

記憶が、口から吐き出された紫煙の昇るにまかせて、霧散してどこかに帰っていくようだった。





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