第2話 滅びの街『アクバール』
シエナが扉を押すと、扉はポロポロと音を立てて崩れ落ちた。腐った木がシエナの力に耐え切れなかったようだ。
封印されていた街並みの光景を前に、シエナはぶるっと体を震わせた。砕けるように壊されたレンガ調の家。至るところに飛び散った黒々とした血痕跡。そして、崩された外壁にはとても人為的にできたとは思えないような巨大な引っ掻き傷。そんな絶望的な光景が広がっていた。無論、人の気配はない。
全身の毛穴という毛穴が開くほど鳥肌が立っていたが、シエナはおもむろに歩み出した。いや、街に吸い寄せられたというのが正しいかもしれない。
しかし中に入れば入るほど、この街の悲惨さを目の当たりにしてしまう。
なんせ、街のあちらこちらに人骨が散らばっているのだ。骸だけが残り、手足や肋骨が跡形もなく砕けたものや逆に噛みつかれたのか頭蓋骨がぱっくりと歯型が残るかのように持っていかれているものなど、形は様々だ。
それに加え、飛び散った血液がまるでペンキのように黒黒と壁や地面にべっとりと付着している。ここまで付着していると、この強雨ですら洗い流すことはできない。何かに襲われたところ、逃げ遅れてしまったのだろうか。この光景を見ているとそんなことがシエナの頭によぎる。
こんなにも悲惨な状況なのに、死臭がないのがシエナにとってせめてもの救いだろう。
骨になるくらいだから、この街が滅んだのは気が遠くなるほど昔だ。だからこそシエナは緊張していた。
こんな場所だ。幽霊の一人や二人出てきてもおかしくない。いや、もっと最悪なことを考えると、この街を「こんなことにした」何かがまだ残っているかもしれない。
そんな得体の知れない「何か」とすぐに戦えるよう、彼は腰に差している護身用の剣に手を置き、全神経を集中させながら探索していた。
だが、こんな不気味な街に迷いこんでも天候は彼に容赦なかった。
空が光り、雷鳴が鳴るたびにシエナの肩が竦み上がる。
雨も雷もやむ気配はない。それに、体も冷え切ってしまった。街の探索はひとまず雨がやんでからだ――そう考えたシエナは雨風が除けられそうな比較的被害が少ない建物を探し始めた。
街のメインストリートを歩いていると細い路地を見つけた。
路地の奥へ行くと木造の一軒家があった。家の前には看板が建っている。文字はもう読めないが、どうやら飲食店だったようだ。
こんな街の外れにあったおかげか、他の家よりも廃れていなかった。窓も壊れていないし、目立った損壊もない。
ドアノブを握ると鍵がかかっていなかった。おそるおそる扉を開ける。
最初に目に飛び込んできたのは数々のテーブルと椅子だった。端にはカウンターもある。飲食店というよりかは、酒場だったらしい。
食器棚には皿もコップもあるし、テーブルも椅子も倒れていない。どれもこれも埃がかぶっているだけだ。襲撃されなかったおかげか、ここだけ時がとまったように見えた。
幸い雨風は凌ぐことはできるので、ここを探索の拠点にできそうだ。最悪、ここで一夜くらいなら過ごすことができるはずだ。一夜、なら。流石に何日も外にいる骸たちといるのはシエナも憂鬱だった。
野宿は避けられそうだが、まだ問題はある。食料だ。食料と水がないのはシエナも厳しいと考えていた。
カウンターの裏に蛇口があったので捻ってみたが、水路が廃れているらしく水は出てこなかった。勿論、何年も放置されているのだから食料も期待はできない。どうしようかと辺りを見回していると、カウンターの横に扉があった。
扉を開けると短い廊下があったので、シエナはさらに奥へと進んだ。
屋根を叩く雨音と共に、ミシミシと床が軋む音が静かに響く。
廊下の先を行くとリビングらしき部屋に出た。ソファーやテーブルの他、食器棚とキッチンもある。ここがこの酒場のマスターの居室らしい。
ちょうど暖炉があったので木材があれば火を点けられそうであった。「何か燃やせるものはないか」とシエナはさらに部屋の奥へと進んだ。
奥の部屋はマスターの寝室で、ベッドと本棚が置かれていた。どれもこれも埃かぶっていたが、荒らされた形跡もなく、当時のまま残されている。
──もう、このベッドで寝てやろうかな。
ベッドを見つめながらシエナは深く息をつく。
ふとベッドの脇を見ると、一冊の本がポツンと落ちていた。
シエナは本を拾い上げ、ついていた埃を払い落す。表紙の文字はすっかり消えてしまっているが、ページをめくってみると頭に年号と日付らしき数字が書かれていた。日記である。
さらにページをめくる。ところどころ字か消えて読めないところもあったが、なんとか内容は把握できた。そこには震えた文字でこう書かれていた。
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