ありのままの姿
増田朋美
ありのままの姿。
とにかく暑い日であった。本当に暑いので、かき氷ばかりが売れてしまいそうな日々であるが、それだけではなく、鳴沢氷穴に大量の観光客が押し寄せて、入れなくなるなどの事態も起きているらしい。夏といえば、それだけでなく、夏はもう一つ名物になっている物があった。それは、なんだろう?
その日は、一学期が終了する日、いわゆる終業式の日であった。みんな明日から夏休みだと言って、学校にいかなくていいことから、大喜びで学校から帰っていく。そんなときに、田沼ジャックさんは、なぜか学校から呼び出された。一年四組の担任教師が、ちょっとこちらにいらしてくださいと言って、職員室へ彼を連れて行った。
「実はですね。今日呼び出したのは、武史くんの描いた絵についてです。」
と、担任教師は、そう言って、一枚の画用紙をジャックさんに見せた。
「実は、図工の授業でですね。一年四組のみんなで写生遠足に行きました。そのときに武史くんが描いた絵です。これを見てどう思われますでしょうか?」
ジャックさんは、その絵を見た。確かに、公園の風景を描いた絵である。そこははっきりしている。だけど、きちんとその通りの色で描いているわけではない。空は青空ではなく、灰色に塗られていて、工場を示す建物も、なんだか灰色と黒の中間のような色で塗られていた。しかし、太陽の絵はちゃんと描かれていて、赤い光のようなものが、地面に突き刺しているような、そんな描写がされていた。
「お父さん、これを見てどう思われますか?これは武史くんが描いた絵です。本人の話では、工場が見えた風景のありのままを描いたと言っていますが、これはどういうことでしょうか。なにか心当たりはありますでしょうか?」
担任教師は苛立っていった。
「心当たりって、武史がこのような絵を描いたのでしょうか?」
ジャックさんがそう言うと、
「何も知らないんですか。武史くんは、こんなふうに困った絵ばかりを描いて、我々教師一同、頭を悩ませております。それで、夏休みの宿題として、武史くんがきちんと絵を描いてくれるように、ちゃんと指導をしてくれませんかね。」
と、担任教師は、そういった。
「そうですが、武史がこのような絵を描くということならまず初めに、武史が、このような絵を描いたことを、認めてやるというか、それをしてやってから、修正するべきではありませんか。それをいきなり、だめだとか、困るとか、そういうことを言わないでもらえないでしょうか?」
ジャックさんは、海外の人らしくそういったのであるが、
「はいはい。又イギリスの教育方針とかそういうことを持ち出すんですね。それは、郷に入っては郷に従えで、それをちゃんと守ってもらわないと困ります!」
そう担任教師は言うのであった。
「それでは、夏休みの宿題として、読書感想画を描いてくるようにと指示を出しましたから、そのときはちゃんと絵を描くように言って上げてください。」
ジャックさんは、そう担任教師に言われて、困ったなあと思いながら、職員室をあとにした。一年四組の教室に行ってみると、武史くんが、クラスメイトの庄司千代子さんという女子生徒と、なにか話をしていた。二人は、なにか、勉強を教え合っているらしい。千代子さんに武史くんが、勉強を教えているようなのだ。本当に上手に勉強を教えているので、先程の担任教師に、この有り様を見せたら、又変わってくるのではないかと思われるほど武史くんは丁寧に勉強を教えてやっている。
「武史。」
ジャックさんが声を掛けると、
「今千代子ちゃんにわからないところを教えてあげてるの。もうちょっとまっててね。」
そう武史くんは言うのであった。そして武史くんは千代子さんに勉強を教える作業を続けるのである。
「そうなんだねえ。武史は、そういう仕事をするのが向いているのかもしれないね。でもね武史、」
と、ジャックさんはそう言ったのであるが、
「それでね、この算数の問題は、これをこうしてこうやって。」
武史くんが楽しそうに教えているのを見て、それ以上言うことができなかった。それと同時に、千代子さんのお母さんが迎えに来た。すごく美人な人で、ちょっとため息が出る人である。
「何馬鹿なことやってるの。同級生に教えてもらうなんて、そんなことは塾の先生に聞けばいいでしょう?」
千代子さんのお母さんは、千代子さんに言った。
「でも、千代子さんが、わからないところがあるって言ったから、それで僕は、」
武史くんはそう千代子さんのお母さんに言うのであった。なんだか千代子さんのお母さんは、刑務所の刑務官みたいな態度だった。
「そういうことなら、塾の先生に聞けばいいでしょ。なんで同級生に宿題を教えてなんて聞くのかしら。ほら千代子、武史くんに謝りなさい。ちゃんと自分で勉強をする習慣をつけないと、勉強ができなくなってしまいますよ。」
「ごめんなさい武史くん。」
千代子さんは、お母さんの方を向いてそれから武史くんの方を向いていった。
「いいんだよ。謝らなくても。」
武史くんはそういってにこやかにしているのであるが、千代子さんのお母さんは千代子さんを無理やり机から立ち上がらせて、そそくさと帰って行ってしまった。
「なんだか、一年生なのに、可哀想だねえ。学校に行ったあとは塾か。それでは、休む暇が無いじゃないか。」
ジャックさんは思わず呟いてしまうのであった。
「そういうことなら武史も帰るよ。いつまでも学校に残っていないで、帰ろうよ。」
今回はそう言って、武史くんとジャックさんは自宅へ戻ったのであるが、先程職員室で、絵について注意されたことを、思い返しながら、どういうふうに、宿題をやらせたらいいか悩んでいたのであった。
その翌日から、武史くんの夏休みが始まった。夏休みということで武史くんはきちんと夏休みの宿題をやっているのであるが、武史くんが読書感想画に取り組み始めたらどうしようかとジャックさんは頭を悩ませていた。読書感想画の題材になる本も決まっていて、武史くんは一生懸命本を読んでいる。もともと本を読むのが好きな子どもなので、本を読むのは苦痛ではないらしく、平気で本を読んでいるのだった。普通の子は漫画ばかり読んでいるが、武史くんは、漫画を読むことはなく、文字だけで描かれた本を楽しそうに読んでいる。その感想画つまり、登場人物の顔とか、ほんの中にあるワンシーンの絵を描くのが夏休みの宿題なのである。題材にされた本は、子牛の花べえ日記という本であるが、これを武史くんがどんな絵として表現するか、ジャックさんは不安で仕方なかった。
やがて武史くんは、子牛の花べえ日記を読んでしまったらしい。すぐに絵筆を取って、絵をかき始めるのであった。何を描いているのかなと思ったら、決定的なシーンではなく、単に主人公の少年が子牛の花べえと遊んでいる様子を描いただけである。それでも、筆使いが荒々しく、不安定な雰囲気で描いているのは、やがてくる別れの予兆のようなものだろうか。そういうところを描けるということは、武史くんはある意味立派なのだが、この、岡本太郎みたいな絵が、学校の先生に受領されるとは到底思えなかった。ああどうしようかなとジャックさんは悩んでいた。悩みに悩んで、
仕方なく武史くんを連れて、製鉄所に相談に行った。
「はあ、そうですか。確かに、夏休みの宿題で岡本太郎の絵みたいな絵を出されたら、先生も困りますよね。武史くんは、武史くんなりに楽しく描いたんでしょう?」
ジョチさんは困った顔で悩みを打ち明けたジャックさんにそういったのであった。
「それなら、学校の先生に相談しても、無意味なこともありますよね。学校の先生は、本当に役に立つのかと思われることは意外に少ないですからね。それはジャックさんもよくわかってらっしゃるのでは?」
「ええ。これまでも武史のことで、何度も注意されてきましたが、まるで、こちらに任せきりというか、本当に何をしてるんだろうなと言う態度なんです。学校って本当は何をするところなんでしょうね。だって、勉強は塾でさせて、他のことは親に任せきりというのでは、ただ、子どもを集めて自分の思い通りにさせてるだけのことでしょう?」
「そうですね。日本人は、あまり良くわからないかもしれないけれど、外国の方から見たらそう思われるでしょうね。前に日本人は、ここがおかしいという番組があると聞きましたが、それだけ日本ではおかしいことも多いと言うことも多いでしょう。」
ジャックさんは、ジョチさんと一緒にそう言い合っていたのであるが、相談の解決策が見えそうも無いので、又困ってしまった。
「まあねえ。どんな力がある人であっても、学校制度は、法律に基づいて出来ているわけですし、それを破って特殊な教育をさせることが出来るような国家では無いですからね。他の国では、自由に特別な教育を受けさせることが出来るところもあると聞きますけど、日本ではまだそれがありません。武史くんは、確かに岡本太郎の絵みたいな絵を描くけれど、とても人に親切で優しい子です。それを摘み取ってしまうのも、なんだか大人として、いけないような気がします。」
ジョチさんは、水穂さんと一緒に遊んでいる武史くんの方を眺めてそういったのであった。
「でも、綺麗事ばかり言っているわけにはいきません。もしかしたら、学校を変わるとか、そういうことを、する必要もあるかもしれません。武史くんは、クラスの中で孤立してしまっているのであれば、返ってチャンスと言えるかもしれませんよ。」
ジョチさんがそう言うと、
「ええ、それが、クラスメイトの、庄司千代子さんという女の子ととても仲が良いようで、勉強を教え合ったりして楽しくやってるみたいなんです。」
と、ジャックさんは言った。
「庄司千代子?」
ジョチさんがもう一度いう。
「ええそうですが、理事長さんご存知なんですか?」
ジャックさんがそう言うと、
「ええ。以前、子供さんの病院を慰問したことがありまして、その時に、庄司と言う女性と話をしたことがありました。確か、名前はなんて行ったかな。かなりかっこいい名前だったのでよく覚えております。確か、庄司佳代子とか、そう言ってました。」
と、ジョチさんは、思い出しながら言った。
「確かに、そういう名前ですよ。その女性の娘さんだったということだったんですか?」
ジャックさんがそう言うと、
「記憶に間違いがなければ、そうだと思います。庄司と言う名前は珍しいので覚えております。だけど、それでも疑問が残ります。女性であれば、改姓するはずです。それなのになぜ、庄司佳代子、庄司千代子と名乗っているのでしょうか?」
ジョチさんは、疑問に思うように言った。
「ええ、僕もそのあたりは良く知らないのですけど、武史のクラスメイトにそういう名前の生徒さんがいるのは確かなんです。」
ジャックさんはそう言ってみた。
その頃、水穂さんのピアノを聞きながら、又岡本太郎のような絵を描いていた武史くんは、水穂さんがピアノを弾き終えると、こういったのであった。
「ねえおじさん。今度ここへ、僕の友達を連れてきてもいいかな?」
「友達ってどんな子?」
水穂さんが聞くと、
「優しくていい子だよ。名前は、庄司千代子ちゃん。彼女もピアノを聞けば、楽になれるじゃないかなと思ったんだ。」
と、武史くんは答えるのであった。
「そうなんだ、武史くんが大事にしているお友達なら、きっと優しくていい子なんだろうね。」
水穂さんが答えると、
「ウン、だから連れてきてもいいでしょう?おじさん。きっと彼女も喜ぶと思うんだ。」
と、武史くんは嬉しそうに言った。
その次の日。
「ほら、ここだよ。何も怖がらなくていいの。一緒に入ろうね。ここの人たちは、とても優しくて、きっと、すぐに怒ったりすることは無いと思うよ。だから、入ろうよ。」
武史くんの声が、玄関ドアの向こうから聞こえてくるのだった。
「本当に、いいのかな、あたしいって。」
と小さな女の子の声も聞こえてきたので、
「どうぞ。お入りください。武史くんが、ここへ着てくれて、嬉しいよ。」
杉ちゃんたちは、そう言って、二人を出迎えたのであった。
「すみません。武史がどうしても、千代子ちゃんをここへ連れてきたいって言うものですから。」
ジャックさんは、すみませんと頭を下げていた、
「いいじゃないか、武史くんには武史くんの世界があるんだよ。だから、ここへ連れてくるんだ。それでいいじゃないか。」
杉ちゃんだけが笑っていた。他の人物たちは、なんだか申し訳ないというか、そういう気持ちを抱えていたが、武史くんはそういうところは平気なかおをしている。武史くんは、千代子ちゃんと一緒に、製鉄所の建物内に入った。そして、ちょっと座らせてくださいと言って、食堂の椅子にちょこんと腰掛けて、夏休みの学習帳を開いて、一緒に宿題をやり始めた。それが目的で製鉄所に来たらしく、一生懸命お互いに勉強を教え合っている。
「上手だね。ふたりとも、楽しそうに宿題をやって、なんかいきの合う、カップルって感じだな。」
杉ちゃんがからかうと、
「僕は、千代子ちゃんの彼氏じゃないよ。友達だからな!」
と武史くんは言った。
「そうなんだ。」
千代子ちゃんは、宿題の手を止めて、そういった。
「そうなんだ。結局あたしは、武史くんにも単なる友達程度しか見てもらってないんだ。あたし、やっぱり一人ぼっちなのかな?」
「一人ぼっち?それどういうことだ?なにか学校であったんか?」
すぐに答えを知りたがる杉ちゃんが、急いで言った。千代子ちゃんは、申し訳無さそうに小さくなっている。
「千代子ちゃん本当のこと言っていいんだよ。僕らは決して、君のことを悪いようにはしないから。」
水穂さんがそっと千代子さんの肩を叩いた。
「だって、あたしは、勉強ができないせいで、みんなからバカにされてて、友達なんて一人もいないの。だから、大事にしてくれる人もいないのよ。」
千代子さんは、小さな声でそういうのである。
「そうなんだね。それをお母さんや他のご家族に話したことは?」
水穂さんがそうきくと、
「話したこと無い。だってママは勉強の話ばっかりするし、学校のテストでは、いつもいい点を取らないと行けないし、宿題の点検もしてうるさいから。本当に私がしてほしいことは、してはくれない。武史くんのほうがずっと良い。優しい人がいて、こうして大事にされてるじゃない。だけどあたしは、何もされてない。」
と、千代子ちゃんはそういうのであった。
「それではお母さんに、ちゃんと自分の気持ちを話したことはないの?寂しい、私の方を見てって。」
水穂さんが又いうと、
「そんなこと言っても、意味がないもん。お母さんは、私のことは勉強のことしか見ない。私は、いい点数を取ってくればそれだけでいいのよ。それ以外なんにもしてくれない。お母さんは、そういう人だから。」
千代子ちゃんは、小さな声で言った。
「そういう人ってさ、そういうことしかしないわけでは無いでしょう?ちゃんと千代子ちゃんのご飯を食べさせてくれたり、洋服着替えさせてくれたりするでしょう?」
杉ちゃんがそう言うと、
「でも、そういう人なの。」
千代子ちゃんは言った。
「そういう人ねえ。それって、ある意味、いけないことをしているんだと思うけど。それは、他の大人にいうべきだと思うけどな?」
水穂さんが優しくそう言うと、
「でもママはうるさいけど、私に取っては大事な人だから。ママがいないとだめだって私、知ってるから。」
千代子ちゃんはどこか大人びた態度で、そういうことを言った。杉ちゃんたちは、これは弱った事になったなと思って、顔を見合わせていると、
「千代子、帰るわよ。塾の先生が、今日は塾に来ていないから困っていると言ってたわよ。ほら、ちゃんと塾の先生にも謝らないと。」
という女性の声が玄関先から聞こえてきた。そして、杉ちゃんたちが入れと言う前に、女性はどんどん玄関から入ってきて、製鉄所の食堂にやってきた。
「ああ、やっぱりそうだ。覚えていらっしゃいませんか?庄司佳代子さん。確か、結婚したことで、こちらを出ていって、あれからもう6年も立つんですね。」
水穂さんが、持ち前の記憶力の良さを発揮してそういった。それを聞いて、千代子さんのお母さん、つまり庄司佳代子さんは、ぎょっとしたような顔をする。
「あのときは、本当につらそうな顔で、私は、こういうところしか居場所がないんだって、泣いていらしてましたよね。僕らが、薬物でつながった仲間ではなくて、本当の仲間を作れと指示を出したけど、それもできなくて、苦労しましたね。それで、新聞配達のアルバイト先で知り合った男性と、結婚されて、それでこの施設を出ていった。それであなたのことは解決したのかと思いましたが、そういうわけにもいかなかったのかな。なぜ、千代子さんにそんなに期待を寄せ続けるんですか?」
「結婚したからと言って、幸せになれるとは限りませんよね。水穂さん。」
と庄司佳代子さんは言った。
「あたしが主人と一緒になれたのは、新婚数ヶ月の間だけでした。あのあと、姑がなくなってからは、状況は変わって、主人は仕事ばかりで家に寄り付かなくなって、それで、その時に誓いを立てたのです。家を放置し続ける主人を見下して、千代子を立派な女性にしてみせるって!」
「そうなんだね。でも、千代子ちゃんはそのせいで寂しい思いをしているんだよ。だから、それを聞いてあげてよ!」
と武史くんが言った。ジャックさんが武史くんを止めようとしたが、
「止めるな止めるな。こんなときくらい武史くんに言わせろ言わせろ!」
と杉ちゃんが言ったため、武史くんは更に佳代子さんに言うのだった。
「千代子ちゃんの側にいてあげてください。そして千代子ちゃんの本当の姿を見てあげてください!」
佳代子さんは、机に伏せて泣き出した。千代子ちゃんは、ママ泣かないでといったが佳代子さんは泣くばかりだった。それと同時に、千代子さんが描いたライオンとネズミの絵が、製鉄所の食堂のテーブルの上から落ちた。それを拾い上げる武史くんに、ジャックさんは武史はやっぱりこのままでいいのかなと思った。
ありのままの姿 増田朋美 @masubuchi4996
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