第6話 初恋の彼はやはり少し様子がおかしい
「な、なんなのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
ウッドレイが書き上げたであろう【思い出は宝石のように輝いて、砂上の楼閣のように脆く儚い。そして君が歌い、世界は色付く。】を読み終えた青髪の少女──メイリーが、六度目となる大絶叫をする。
「え? おかしくない? これってウッドレイも絶対私のこと好きじゃん! いやいや、元からそうだとは思っていましたけれど! そういう態度をずっとしてましたけれど! え? じゃあなんで私に近付かないの? もうなんか近付いて抱きしめちゃえばいいじゃん! 抱きしめてキスしちゃえばいいじゃん! ま、まあキスはまだ早いかもしれないけど……」
そこまで独り叫びを繰り広げたメイリーが立ち上がって天を仰ぎ、「別にウッドレイが相手だったらキスの先もいいんだからぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」と叫ぶ。それと同時、自身の下腹部と胸部に違和感を覚えた。なんと言えばいいのか、いつもと違う感触。メイリーが恐る恐るワンピースのスカートを捲ると、そこには今日履いてきたはずの大人びた黒い下着ではなく、純白の下着が
「え? ちょっと待ってちょっと待って!? いつの間にブラとパンツも取り替えられたの!? え? あの時に!? いやいやいや……、どれだけウッドレイさんはテクニシャンなんですか!? どれだけパンツを脱がせ慣れてるんですか!? ホックを外し慣れてるんですか!? 全然まったく気付かなかったんですけど!? 下着取り替えて気付かせないって怖いんですけどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
メイリーはそこまで叫ぶとハッとした表情になり、「いやいやいや……」と焦り始める。
「今私はこの純白の下着を着用していますよね? そうなると黒い下着は? ここにはありませんよね? え? ってことはウッドレイさんが持ち帰ったってこと? 私の少し背伸びしたえっちな黒い下着を? 早足で歩いてたから汗ばんだ私の下着を? ウッドレイさんが握りしめて? ブラとパンツ握りしめてポエって?」
信じられないくらいの独り言を繰り広げるメイリーが、またしてもハッとした表情になり、「もしかして……」と頬を赤らめ、「それはダメだよ……」と恥ずかしそうに呟く。
「お、男の人は下着が好きって聞いたことはあるけど……、そ、そういうことなの……かな? 持ち帰った私の下着をウッドレイが……? 履いたり被ったりぶん回したり……? え? やっぱりウッドレイって変態さんなの? 生身の人間より下着に興奮する……みたいな? 生身の人間には興奮しないけど、脱いで丸まったタイツには興奮する……みたいな? でもリーメイさんとは恋人同士だったんだよね……? ああ……」
メイリーが項垂れ、「まあそういうことなんだよね……」と寂しそうに呟く。そう、なんとなくメイリーも気付いていた。ウッドレイの恋人はリーメイであって、メイリーではない。おそらくウッドレイは今も──
「まあ何となく気付いてた……かな。たぶんウッドレイはリーメイさんのことが忘れられないんだって。確かに私はリーメイさんの体組織から作られたんだろうけど、記憶もなければ性格も違う。見た目は同じだけど、たぶんウッドレイはそんな私を見るのが辛いんだろうな……。だから近付かないんだよ……。だけどリーメイさんから作られた私を守って……、それってつまり
メイリーがとぼとぼと歩き出す。しばらく歩いて五番街を抜け、五番街からほど近いボイガン川の河川敷で腰を下ろした。ここはボロボロの木材や破れたブルーシートで組まれた小屋が立ち並ぶ
五番街と同じで治安が悪く、危ない場所ではあるのだが、このスラムでメイリーを襲う者はいない。なぜなら、この場所はすでにウッドレイが
もちろんウッドレイは五番街でも住民の調教をしているが、五番街の住民は重度の薬物中毒者が多く、何度調教してもウッドレイやメイリーのことを忘れてしまう者が多い。(※五番街で蔓延している薬物は特別なもので、スラムの住民が手に入れるのは難しく、スラムで流行っている安価な薬物は、記憶障害を起こさないタイプのものである)
それに加え、この場所の主である白髪の老人がメイリーに乱暴を働こうとする者に目を光らせてくれている。そう、ウッドレイの書いた【思い出は宝石のように輝いて、砂上の楼閣のように脆く儚い。そして君が歌い、世界は色付く。】に登場する、ウッドレイに親切にしていた白髪の老人である。白髪の老人は自分の名前を言いたがらず、周囲からは「ナナシさん」と呼ばれていた。
そんなナナシさんが河川敷で座り込むメイリーに近付き、「お嬢ちゃん、そんな隙だらけの背中をここで見せちゃいけないよ」と声をかけ、メイリーが「ナナシさん……」と振り返る。
ナナシさんはメイリーから少し離れた場所に横たわる流木に腰掛け、「なんだか泣きそうな顔をしているが、どうしたんだい?」と優しげに問いかけた。
「うん……、ちょっと彼のことが分からなくて……」
「彼ってのはウッドレイのことかい?」
「ナナシさんは彼……、ウッドレイのこと分かる?」
「そうだなぁ……、ウッドレイとは今でも仲良くさせて貰ってはいるが、わしもよく分からん。優しく正しい男だとは思うが……、正直ちょっとおかしいだろう?」
そう言ってナナシさんがニカッと笑ったので、メイリーも「ちょっとじゃなくてだいぶだよ」と言って笑う。
「……ナナシさんとウッドレイってどうやって出会ったの?」
「いや、なんてことはない出会いだったな。今から八ヶ月くらい前の
「ウッドレイが隊長を務めて失敗したやつ?」
「ああそうだ。その作戦失敗から一ヶ月くらいか? ウッドレイがこのスラムの川に流れ着いたんだ。ウッドレイによりゃあ、湖に身投げして死のうとしたらしいな」
ナナシさんのその言葉に、「ええ!? 身投げ!?」とメイリーが驚く。
「だけどウッドレイの恋人のリーメイだったか? のネックレスで死ねなかったらしい。ほら、お嬢ちゃんが付けてたやつと同じネックレスだ。どうやらあのネックレスは身体再生力を向上させるみたいでな、ここに流れ着いた時には瀕死だったが、そのネックレスがウッドレイに死ぬことを許さなかった」
「いつもリーメイさんがウッドレイを助けてくれてるんだね……」
「まあ……ウッドレイにとっては死ねた方が楽だったのかもしれないが……、そのおかげでボイガンは何とか無事だったし、お嬢ちゃんも命を救われた」
「リーメイさんが全部を救ってくれたみたいなものだね……。私じゃ勝てるわけないか……」
そう言って項垂れるメイリーに、「そんなことはないぞ?」とナナシさんが優しく声をかける。
「ウッドレイはここに流れ着いてから、死んだような目で日々を過ごしていた。口癖も『ごめんなさい』『許してください』だったし、笑っているところなんて見たこともなかった。だが……」
「だが?」
「お嬢ちゃんと出会ってウッドレイは変わった。目には輝きが戻ったし、笑顔も見せるようになった」
「へー、ウッドレイって笑うんだ。まだ私の前だとちゃんと笑ったことないなぁ」
「お嬢ちゃんの前では笑わないのかい? ここに来てお嬢ちゃんの話をする時はいつも笑っておるぞ?」
「ええ!? ウッドレイが私の話を!? く、詳しく! そこのところをもっと詳しく!!」
「い、いや、そんなにぐいぐい来られても大した話は──」
ナナシさんの言葉の途中、メイリーが「詳しく!!」と言葉を被せる。
「い、いや、『メイリーは必ず僕が守るんだ』とか……、『メイリーの笑った顔がたまらなく好きなんだ』とかか……?」
「嘘でしょ!? 私のこと名前で呼んでるの!?」
「あ、ああ。ここに来ればだいたいお嬢ちゃんの話で、いつも名前で呼んでい……」
メイリーがナナシさんの話の途中で立ち上がり、「照れ屋さんなんだ!!」と叫ぶ。
「そうだよ! 照れ屋さんなんだよ! 近付かないのも名前を呼ばないのも照れてるだけだったんだよ! うんそう! 絶対にそうだよ! なんだぁ、照れてただけなんて可愛いじゃない! えへへぇ! 今度ウッドレイに会ったら『照れてるんでしょ?』『本当は抱きしめてキスしちゃいたいんでしょ?』って言ってみよっかなぁー。え? もしかしたらそうしたら……、キスしちゃったり? なんならなんなら……その先も? え? そうなの? 一気に進んじゃう感じ? あ、新しくえっちな下着買わなきゃ! きゃーっ!!」
メイリーはウッドレイのことを少しおかしいと思っているが、傍から見ればメイリーのこの独り叫びもおかしい光景だ。そんな独り叫びをするメイリーを見て、ナナシさんが「前から言おうと思っていたんだが……」と少し引き気味に呟く。
「ん? なぁに?」
「い、いや……、お嬢ちゃんはちょっと独り言が多すぎはしないか?」
「しょ、しょうがないでしょ! 軍にいた時はほとんど檻の中で過ごしてたから話し相手がいなかったの! 友達は壁のシミだったの!」
そう、実験体であるメイリーは、実は誕生して半年も経っていない。特殊なカプセルの中で成長を促進され、必要な知識を植え付けられ、今の姿になったのは五ヶ月ほど前。(※リーメイは十八歳だったが、メイリーは十五~十六歳くらいの肉体年齢)
カプセルの中から出た後も、ほとんどを檻の中で過ごしていた。話し相手もおらず、気付けば壁のシミに話しかけ──
今の独り言の多いメイリーが完成した。
「そ、そうかいそうかい」
「な、何よ! なんで少し引き気味なのよ!」
「い、いや、そんなことはないぞ?」
「そんなことあるよ! ちょっと私から離れてるじゃん! 立ち上がって後ずさってるじゃん!」
「い、いや……」
二人がそんなやり取りをしていると、ふとメイリーの視線がナナシさんの後ろに向けられ、「ウッドレイ!!」と声を上げた。ナナシさんの背後にはいつの間にかウッドレイが立っていて、手には小さめの黒い布のようなものを持っている。ウッドレイは何も言わずにメイリーの元まで近付き、その黒い布を渡した。
「え……? これって……」
「君の下着だね。黒い下着も似合っていたから渡しに来たんだ」
「洗って……くれたの?」
メイリーに渡された黒い下着からは、ほのかに優しい洗剤の香りがした。
「いや、君が着用していた下着と同じデザインのものを作って持ってきたんだ」
ウッドレイのその言葉に、「ん?」とメイリーが聞き返す。
「君が着用していた下着は生地があまりよくなかったからね。あれだと肌を傷付けてしまう可能性があった。だから肌に優しい生地で作り直したんだ。洗剤の香りがするのは、
「ウッドレイ……、そんなに私の事を大切に思ってくれてるんだ……」
あまりに常軌を逸したウッドレイの行動だが、恋する乙女であるメイリーがきゅんきゅんしてしまう。いや、この状況できゅんきゅんしてしまうメイリーも常軌を逸しているとは思うが──
メイリーは軍で檻に閉じ込められている間、いちおうだが欲しいものは与えられていた。そんな中、暇つぶしが欲しいと言って差し入れて貰ったのが、「私の彼は
「ありがとうウッドレイ……」
「いや、僕がやりたくてやってることだから。君の大事な部分を守れてよかった」
ウッドレイはそう言うとメイリーに背中を向け、立ち去ろうとする。が──
メイリーにはどうしても確かめなければならないことがあった。
「ま、待ってウッドレイ! これだけは答えて!」
メイリーのその言葉にウッドレイが立ち止まり、振り返る。
「わ、私の元の下着は!? 私の元の下着はどうしたの!? 私の元の下着を見ながらこの下着を作ったんだよね!? ちょっと汗で汚れた私の下着は!?」
ウッドレイはメイリーのその問いかけには答えず、くるりと背中を向ける。そうして聞こえないくらいの声で「大事にする」と呟き、その場を立ち去った。
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