第5話 少し様子のおかしい彼は、小説まで書いている 3


【思い出は宝石のように輝いて、砂上の楼閣のように脆く儚い。そして君が歌い、世界は色付く。】


──後編/色付く世界を君と二人で──



 ***



「本当に最低! 今日まで拘束しておいてここまで運んだら、はいさようならって……」


 「ふざけるなぁ!」と、透き通るような青く長い髪の少女が叫ぶ。ここは湖畔の街ボイガンから、川を挟んだ対岸の先にある草原。今にもH.I.S.ヒスが現れるのではないかというほどに、黒い霧が溢れている。


「ご丁寧に監視用の送像機まで飛ばしちゃってさぁ……。どこに逃げるって言うの? 街に戻ったら処刑でしょ? H.I.S.ヒスと戦ったら死ぬでしょ? 他の場所に逃げたところで……」


 今現在、人類はこの青髪の少女が守ろうとしているボイガンにしかいないと云われている。半年前に壊滅したバリングを含め、他は全て滅んだのだと。つまり戦っても逃げても待っているのは──


 死。


「まあでも……、私が頑張って時間を稼げば、あの戦士グレイスの子達は生き残れる可能性が高くなるんだよね……。軍の奴らが生き残るのはムカつくけど……」


 青髪の少女が拳を握り、「やるしかない!」と気合を入れたところで、黒い霧の中から次々とH.I.S.ヒスが溢れ出す。人間の皮を剥いだような見た目に複眼。現れたH.I.S.ヒス達が人間の真似だろうか、口々に「こんにちは」「私です」「明日は晴れです」と、意味不明な単語を口走っている。気付けばH.I.S.ヒスの数は、ゆうに三百を超え──


「あぁ……来ちゃったよ……。一度くらい恋したかったなぁ……」


 いったいH.I.S.ヒスはどこから来ているのか、なぜ人間を模倣したような見た目で、人間の真似事のように話すのかは分かっていないが──

 青髪の少女に今分かることは、どれだけ自分が頑張ったところで、死の運命からは逃れられないということ。自分は恋も知らずに死んでいくのかと、目が潤む。


「……もう! 本当に最低! 最低だけど……、やってやる! やってやるわよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 青髪の少女の体が淡く光る。この淡い光──神の恩寵を身に纏った状態でなら、H.I.S.ヒスのシールドを粉砕することが出来る。神の恩寵によって身体能力も上がり、H.I.S.ヒスの攻撃を躱す事だって出来る。だが少女は支援系の戦士グレイスであり、H.I.S.ヒスと単独で戦えるほどの身体能力になりはしない。自分で戦う術を持たない青髪の少女に出来ることは──


「そこ……だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 時間稼ぎのヒット&アウェイ。倒すことは無理だが、体力が続く限りは時間を稼ぐことが出来る。それで戦士グレイスの子達が生き残る可能性が少しでも上がるのならば──

 と、決死の突撃を見せる。


 群がるH.I.S.ヒスの攻撃を躱し、殴りつけ、また躱す。その間もH.I.S.ヒス達が「二番目が好きです」「忘れ物です」「前髪が邪魔です」と不気味に呟く。


 必死に躱した。


 必死に殴った。


 だが終わりは唐突に訪れる。


 ゴギンッと、H.I.S.ヒスが無秩序に振るった腕が青髪の少女に直撃し、勢いよく地面を転げた。おそらく鎖骨が折れ、殴られた衝撃で脳が揺れ、景色が回る。痛みなのか悔しさなのか恐怖からなのか──

 青髪の少女が倒れたままその場で吐く。だがまだ時間は稼げていない。折れたのはおそらく鎖骨だけであり、まだやれる。いや、やらなければならない。そう覚悟を決めるが──

 朦朧とする意識の中、ふらふらと立ち上がった少女の目の前に、五メートル級四足歩行タイプのH.I.S.ヒスが近付いて複眼の顔で覗き込み、「今日は大安です」と言葉を発した。



 ああ……

 やっぱり無理じゃん……

 死ぬんじゃん私……

 嫌だ……

 嫌だ嫌だ嫌だ……

 死にたくない……

 怖い……

 怖いよ……

 誰か……

 誰か助け……



 青髪の少女はこの後の展開を知っている。H.I.S.ヒスは人間を。ゆっくりと、じっくりと壊す。恐怖で体が震える。自身に訪れるであろう苦痛を想像し、涙が溢れる。



 ***



 ウッドレイの視線の先、五メートル級四足歩行タイプのH.I.S.ヒスに見つめられ、涙を流す少女の姿が映る。未だ世界の色や形、H.I.S.ヒスの姿も朧気で曖昧だが──


 目の前で怯えて涙を流す少女だけは──


 リーメイと同じ顔、同じ髪色の少女だけは──


 鮮やかに色付いて形を成している。


「こっちだ化け物めぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ゙ぇ゙──」


 ウッドレイが力の限り叫ぶ。


 頬は痩せこけ、白髪混じりの髪はボサボサで──


 あれほど逞しかった身体も痩せ細り──


 頼りないほどに頼りないウッドレイが叫ぶ。


 半年前の作戦失敗から、これほど大きな声を出したことはなかった。久しぶりの大声で声帯が驚いたのか、叫びの後半は掠れてしまう。だがそれでも「来いよ化け物!!」と力の限り叫ぶ。


 そんなウッドレイの叫びに反応するH.I.S.ヒスと青髪の少女。


「え……? なんで……? なんで来たのウッドレイ……?」


 少女の目からは、先程までとは違った意味の大粒の涙が零れる。怖かった。痛かった。死にたくなかった。

 目の前に現れたウッドレイは頼りないほどに頼りないが──


 それでも涙が溢れる。


「なんで来たかって……、それは……、それは!!」


 ウッドレイが青髪の少女にしっかりと視線を合わせ、「君が色付いているからだ!」と叫ぶ。それと同時、ウッドレイの体は眩い光に包まれ、首から下げたネックレスも紅蓮の炎のように赤々と輝いた。


「……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 そうしてウッドレイが叫ぶと同時、ドパンッと轟音が響いて、青髪の少女の目の前にいたH.I.S.ヒスが消し飛ぶ。


 ウッドレイの限界を突破した速度による不可視の攻撃。あまりの速度でもはや目にも留まらないが、ウッドレイが通った軌道には──


 ネックレスの赤く輝く紅蓮の軌跡が残像のように残る。


「大丈夫……だった……?」


 青髪の少女に投げかけられる、ウッドレイの優しい声。


「うぅ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 青髪の少女が堰を切ったように泣き出し、ウッドレイに抱きつく。痛かった、怖かった思いが溢れ出し、ガタガタと震える。そんな青髪の少女をウッドレイがしっかりと抱きしめ──


「この場を切り抜けたとしても未来はないだろうけど……、今この瞬間だけでも君を守るよ」

「わ、私にも……出来ること……ある……?」

「大丈夫、君は頑張った。こんな怪我までして……」


 そう言ってウッドレイが、青髪の少女の折れた鎖骨に視線をやる。


「こんなんじゃ足でまといだよね、私……」


 一体のH.I.S.ヒスを倒しはしたが、周囲を見れば三百を超えるH.I.S.ヒスの大軍勢。先程のウッドレイの攻撃で怯んでいるのか、H.I.S.ヒスが口々に「酸素が足りません」「さあ家へ戻りましょう」「鬼は外福は内です」と意味不明な言葉を呟き、動きを止めている。


「そんなことはないよ。君が僕をもう一度立ち上がらせた。でも君にお願いがあるんだ……」

「お願い……?」

 

 青髪の少女の問いかけに、ウッドレイは「ああ」と短く答え、「……君のネックレスを僕にくれないか?」と、青髪の少女の胸元で輝く赤い宝石のネックレスに触れる。


「ネックレス……? あぁ……リーメイさんの……か」


 青髪の少女がそう呟き、ネックレスをウッドレイに渡す。


「僕の力はあまりにも強すぎて……、全て解放すると筋肉が断裂してまともに動けないんだ。でも……」


 ウッドレイが自身のネックレスと、青髪の少女が渡したネックレスを手に持ち、掲げる。するとウッドレイが元から持っていたネックレスの宝石が、パキンッと音を立てて砕けた。


「リーメイの恩寵を宿した宝石があれば、僕は自分の力を制御できる。だけど宝石も僕の力に耐えられなくてそのうち壊れるんだけどね」


 ウッドレイの恋人であるリーメイは支援系の戦士グレイスであり、能力は指定対象の身体強化と身体再生力向上。さらにリーメイはその力を、宝石へと宿すことも出来た。そのうえ想いの力なのだろうか、恋人であるウッドレイに対しては効果が上がる。


「リーメイさんの大事な形見……」

「そうだね。僕のはすでに一度使っていたからすぐに壊れたけど……、君に貰ったこの新しい宝石なら、ここにいるH.I.S.ヒスを倒す時間くらいはあるさ」

「壊れちゃっていいの……?」

「思い出は大切だけど、そんなの抱きしめて死んだらリーメイが怒ってしまうよ。それに……」


 ウッドレイが青髪の少女の頭を優しく撫でるとH.I.S.ヒスの軍勢に視線を向け、「思い出はいつも僕の中で輝いている!」と叫んだ。そうして宝石を握る手に力を込めると、宝石は紅蓮の炎のように光り輝き──


「君はここで待ってて。すぐに終わらせるから──」


 ズガンッとウッドレイが地面を蹴りつける。

 それと同時、紅蓮の軌跡が宙に舞う。軌跡は群がるH.I.S.ヒスの軍勢を悉く消し飛ばし──


「くそ……だめだ……数が多すぎる……、このままだと先に宝石が砕け──」


 H.I.S.ヒスの大侵攻。それは圧倒的な数の暴力による徹底的な蹂躙。力ではウッドレイが上だが、圧倒的に時間が足りない。前回の作戦でも時間が足りず、失敗した。青髪の少女から貰ったネックレスの宝石にも、ビキビキとヒビが入る。


 残るH.I.S.ヒスの数は百を切ったが、間に合いそうもない。守るんだ、今度こそ守るんだ──と、歯を食いしばるウッドレイだったが、おそらく無理なのだろうと頭では理解している。心が絶望に染まる。また守れないのかと悔しさで涙が滲む。

 だがそんなウッドレイの耳に、唐突に歌声が響いた。

 見れば青髪の少女の体が淡く光り、とても澄んだ歌声をウッドレイに向けて届けている。

 

『歪められた日常──引き裂かれた感情──もう戻れないあの場所に──狂った運命が根を張っている──全て奪われるよう──心まで奪われるよう──動きを止めた私の四肢が──もがくように震えている──』


 それは運命に翻弄される全ての人に向けた歌。


『ああ、なぜ私の四肢は動かない──それはあなたに汚されたから──ああ、なぜ私は叫んでいるの──それはあなたを許さないから──興味の失せた朽ちた玩具──自力で巻けない錆びたネジ──崩れ落ちる前の最後の足掻き──』


 それはそんな運命に反撃の狼煙を上げる歌。歌の途中、青髪の少女が力強い視線をウッドレイに向け、「響いて!!」と叫ぶ。


『roar to break the controlled story──roar to break the chained story──roar to break the controlled world──roar to break the chained world──I wish is a narrative not a story──』


 それは絶望が連鎖する世界へ抗う歌。誰にも支配されず、押し付けられた物語ではなく──自分で物語を紡ぐのだと。


 歌声が響くと同時、ウッドレイが青髪の少女から貰ったネックレスの宝石が砕け散る。だがウッドレイの胸元には、宝石の燃えるような赤い輝きが美しく煌めいて残り──

 ウッドレイの体に、ビキビキと力が漲っていく。限界を突破した速度はさらに限界を突破し、紅蓮の軌跡が踊るように宙を舞う。


 美しい歌声に宙を舞う紅蓮の軌跡。


 それはとても幻想的な光景で──


 ウッドレイが残るH.I.S.ヒスを刹那で屠る。



 ***



「くはっ……はぁ……はっ……」


 力を使い果たしたウッドレイが地面に落下し、倒れ込む。


 そこへ向かって駆けて来る、透き通るような青く長い髪の少女。


「そういえば君は支援系だったね」

「うん……、歌声で身体強化や身体再生力向上ができるんだけど……」

「君の歌声で、僕は力を完全にコントロール出来た。僕の力は生半可な能力では抑えられないんだ。やっぱり君はリーメイの……」

「そういえばまだ名前教えてなかったね。私の……私の名前は……」


 風が吹き、少女の透き通るような青く長い髪が宙を泳ぐ。


「私の名前はメイリー。名前……リーメイさんと似てるね?」 


 そう言って微笑んだ少女の周りが、ウッドレイの瞳の中で──



 キラキラと輝いて色付いていった。




 ──後編/色付く世界を君と二人で──(了)

 

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