第11話 マリ、リュカに告白する
「わたしは、マリーさんじゃありません」
マリは単刀直入に言った。リュカは言われた意味がわからず、ポカンとしている。
「えっと、どういう……?」
マリは順をおって説明した。
自分の本当の名前はマリということ。
ちがう世界で死んだこと。
死んだと思ったら、こちらの世界にやって来ていて、しかもマリーさんになっていたこと。
それはつい二日前の出来事で、リュカに出会ったあの日の夜であること。
この世界が小説の世界であることは、マリは言わなかった。自分が小説のキャラクターであると告げられて、ショックでない者などいないだろうから。
また、言ったところで無意味なことだ。自分が小説の世界のキャラクターでないと証明することなんて、だれにもできないことだ。
「ここまではいいですか?」
「え?あの、えっ……?」
「混乱しますよね。当然だと思います。なにか質問があれば答えますよ」
「……あの、じゃあ、ぼくはマリー様じゃない人に、告白していたということですか?」
「はい」
マリは真顔で答える。
リュカは青くなって、赤くなった。
マリはあやまった。
「ごめんなさい」
「い、いえ……」
マリは、うなだれたリュカの後頭部に向かって言う。
「そのうえでなんですけど、提案があります。聞いてくれますか?」
リュカはその声に顔を上げた。涙目だったが、マリの真剣な表情にうなずく。
「マリーさんが現在どこにいるのかわかりません。探そうにも、現状どう探せばいいのかもわかりません。ですが、二年あります。マリーさんをいっしょに探してみませんか?」
「え……?」
「あと、マリーさんのほかにビビッと来る人を探しておくべきです。せっかくマリーさんを見つけても、断られる可能性もあります」
「ゔ……」
「大丈夫です。この世界は思っている以上に広いと思います。きっとほかに見つかる可能性はあります」
「そうでしょうか……」
その言葉に、リュカは少しむくれる。
「もしも見つからなかったらどうするんですか?」
「その時は、わたしがリュカくんをもらいます」
「えっ!?」
「マリーさんも見つからない、ほかにビビッと来る人も見つからないなら、わたしがリュカくんと主従契約を結びます。もちろん、リュカくんが嫌じゃなければですし、マリーさんじゃない以上、わたしが真の主になれるかは不明ですが。ビビッとも来てないでしょうし」
リュカはとまどった。
「な、なんで……」
そこまでしてくれるのか?と聞くより早く、マリは答えた。
「わたしは、リュカくんが消えるのは嫌だと思いました」
にぎられた手に、力が入るのをリュカは感じる。
「……もしも、マリー様がもどってきたら、あなたはどこへ行ってしまうのですか?」
「わかりません。けれど、返すべきものは返すべきだと思います。それに、十分です」
「え?」
マリは、ほほ笑んだ。
「死んだと思ったのに、こんなに楽しい思いができたんです。これ以上、望むべくもありません」
その瞬間、リュカの頭に電撃がかけめぐり、ビビビビッ!としびれさせた。
耳はピンと立ち、しっぽはブワッ!と広がって立つ。心臓はドクンドクン!と胸がくるしいくらいに動いて、心臓の奥深くまでわしづかみにされているようだ。
「リュカくん、どうしたの?だいじょうぶ?」
マリが心配して、リュカの顔をのぞきこんでいた。すきとおった青い瞳だった。
心の底からなにかが止めどなくあふれてくる。
青い瞳を見つめると、自分のすべてをささげたいと思った。
リュカはマリの手を力強く両手でにぎり返した。
女神に誓いをささげる小さいナイトのように。
「提案に乗ります……!だけど、ひとつ条件があります!」
「なんでしょう?」
「マリ様が消えない方法も探しましょう!ぼくは、マリ様が消えるのは嫌です!」
その言葉は、この世界に来て初めてマリ自身に向けられた言葉だった。
マリはおどろきに目を見開いた。
「だって、ぼくが消えるのはダメなのに、マリ様自身が消えるのはいいって、おかしいじゃないですかっ!そんなの、悲しいじゃないですか……!」
リュカはマリが消えるところを想像したのか、泣き出してしまう。
「リュカくん……」
「ぼくのお父さんも、消えちゃったんです……!お母さんが死んで、ダメになっちゃって、ぼくの目の前で……!だから、もう……!」
マリはリュカを不器用ながらも、抱きしめた。とんでもない失敗をしてしまった気分だった。
「ごめんなさい、リュカくん」
体中が熱くなったリュカからは、お日様みたいなにおいがした。
マリはどこか心が安らぐのも感じていた。
「ところで主従契約とは、具体的にはなにをするのでしょう?契約の仕方ですが、儀式のようなものはあるのでしょうか?結婚とか」
リュカが泣き止んでから、マリは改めて聞く。
「け、けけけ、結婚!?」
「はい。付き合うということでもなく、だけど、性の目覚めが関係しているとなると、それしかないのかな、と」
「け、結婚……、ぼくとマリ様が……」
リュカは赤面し、ぼんやりとつぶやいた。
「お話を聞く限り、お父さんの真の主はお母さんだったようですし……」
「い、いえ、そうなんですけど、お父さんとお母さんが結婚したのはたまたまです!べ、べつになにもしないでもいいみたいですよ!儀式はいりません!お父さんがそう言ってました!ただ認めてくれるだけで、いいんだって!」
「そうなんですか」
告白とその返事が、儀式といえば儀式?認めることで、神話的存在がこの世に固定されるということ?
「そうです!そうです!」
「それでは、契約のあとも特になにをする必要もないということですか?これは、契約の中身の話なんですけど……」
「はい!その通りです!なにも要求したりしませんので、どうかご安心を!」
「……」
これって契約ってよべる?
「あっ、でも、ぼくはマリ様に尽くします。というか、尽くしたいです。さっきも言いましたが、大好きですから」
リュカはまた真っ赤になっていたが、今度はまっすぐにマリの目を見て言った。その瞳には、すこしのくもりもない。
「ありがとう……」
「えへへ……、それに、マリ様ってひとりじゃ生活できなさそうですし!」
元気いっぱいの笑顔で事実をえぐってきた。
「……ありがとう」
「あっ!でも、嫌だったら言ってください!嫌なことはしたくありません!ただ、マリ様が幸せなら、それでいいので、嫌なら、はなれます……!」
リュカはすてられるところでも想像したのか、また涙ぐんでしまった。泣いたばかりだから、感情が不安定になっているようだ。
「大丈夫ですよ。嫌なことは嫌といいますし、リュカくんもわたしにちゃんと嫌なことは嫌と言ってくださいね?」
マリはリュカの犬耳を指でなでる。うぶ毛がちくちくして気持ちいい。
「うゔ……」
「これは嫌じゃないですか?」
「……うれしいけど、恥ずかしいです……!」
リュカは照れて真っ赤になる。
「そう」
マリはほほ笑んで、リュカの犬耳をさわるのをやめた。
「じゃあ、やめときましょう」
「……」
リュカはすこし残念そうだった。
だが、そんな自分を恥じたのか、顔をブルンッと振ふと、自分の犬耳をグイグイと頭におしこめ、しっぽも同じようにしてしまう。犬耳もしっぽもないリュカになった。
「……そんなふうにしまうんですね」
「あ、はい。……マリ様?」
マリは星空を見たときのように、あるいはベルの背中に乗ったときのように、目をキラキラさせてリュカを見つめていた。
「ほぉん!」
長湯していたベルが温泉から上がった。お湯が体全体からしたたっている。
「あ」
リュカは気づいたようだが、遅かった。
ベルの身体が超高速でぶれた。あまりのスピードにベルの残像が見えるほどだったし、周囲の木々までがゆれる。
ベルの体にしたたっていたお湯は完全にはじかれた。
はじかれたお湯は、弾丸となって周りに飛び散る。
マシンガンにうたれたかのように、マリとリュカは、ずぶぬれになったのだった。
「ぐふっ」
ベルが邪悪に笑う。
「……っ!ベェルゥ~~~~!」
リュカが怒りにふるえると、ベルはそそくさと逃げた。そのついでに近くに生えていた果物を食べている。湯上がりにおいしそうだ。
「こらっ!もう!いたずらっ子!ああっ!?マリ様だいじょうぶですか!?」
リュカがふり向くと、マリは前髪からしたたるほどにぬれて、ぼうぜんとしている様子だった。
「ご、ごめんなさい……!」
リュカは何と言ったらいいかわからず、もはやあやまるしかない。
「……こんなにぬれてたら、どちらにしろ同じですね」
「ええっ!?」
マリは服を着たまま温泉に入った。そして、あおむけになってプカプカとうく。
とまどっているリュカに、マリは言った。
「ワンちゃんのブルブルにまきこまれるのも、服を着たまま温泉に入るのも、わたし初めてです。温泉自体が実は初めてなんですが」
「そ、そうですか……」
「どちらも悪くないですよ。リュカくんも、いっしょにどうですか?」
リュカは、今度は顔を赤くしてとまどう。
「……もしかして、服を着たまま温泉に入るのはダメでした?」
「い、いえ、ここにそんなルールはありません!し、失礼します!」
マリとリュカは、服を着たまま温泉にプカプカうかんだ。リュカは顔を赤くし、マリも温泉で上気していた。ふたりは、ぼんやり空をながめている。
マリが言った。
「……手をつないでいいですか?」
「は、はいっ!」
リュカはギクシャクした仕草で手をのばした。マリがその手をつかむ。
「これでわたしたちはラッコです」
「は?」
「ラッコという海に住む生物は、寝るときに仲間と手をつないで寝るそうです。流されてひとりぼっちになってしまわないように」
「……」
なにを思ったのか、せっかく水を切ったのにベルがまた温泉に入ってきて、ふたりの真似をするようにあおむけにうかんだ。
「……マリ様をひとりぼっちにしません」
リュカは真昼の半月に誓った。
「ぼくがマリ様を守ります」
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