第6話 シモーヌはビクビクし、マリはキッパリと言う
シモーヌは大いにとまどっていた。
な、なに……?いつものマリーなら、ひとにらみしただけで子ウサギのように目をそらすというのに……!?
マリーはまだ青い目をそらす気配はなく、シモーヌの心の内までのぞき込まんばかりに見つめていた。しかも、まったくの無表情で。
ま、まるで、猛獣の類じゃない……!
シモーヌはマリーの青い目を見つめていると、大型のネコ科ににらまれているような気分になった。正直、ちょっと怖い。
内なる小さなシモーヌが「ひぇ」と声を出す。
これまでに感じたこともない、まったく異次元の生き物に見られているような気さえするわ……!?
「あー……、シモーヌ?」
「あら!なにかしら、あなた!いたの!?」
シモーヌはこれ幸いとばかりに、いきおいよく首を回し、さっきまで無視していた夫を見た。
「い、いたよぉ……!お前がガツンと言えっていうから、がんばって怒ってたんじゃないかあ……!」
「だまりなさい。そういうことは言わないでいいの!レディは裏で糸を引くものなの!」
「レディはやたらとガンをつけないよ……」
「あぁん!?」
シモーヌはまるでヤンキーのようにドスの効いた声を出す。
とたんに夫はちじこまった。演出上、わざと髪につけた食用油が多すぎたのか、フケツっぽく見える。
うーむ、ワカメを頭に乗っけてるみたいね……。やっぱりプロの演劇のようにはいかないわ。
シモーヌは観劇が大好きだった。
王子から逃げた(しかも、金的をお見舞いして!)悲劇の姫君をしかりつけるというドラマチックな舞台がやってきたので、シモーヌははりきっていたのである。
いつも通り意地悪なおばをカンペキに演じきってみせる!だって、退屈だから!何もないイナカにあって、たったひとつの楽しみがこれなのよ!
そう気合をいれていた。
が、目の前には子ウサギからおそろしい猛獣になった姪の姿が!
私にはわかる……!伊達にいろんな人にガンをつけてるわけじゃないのよ……。そう、この娘はガンをつけてはいけないタイプ……!遭遇してしまったら、なるべく目を合わさずに道のはしっこを歩かなければいけないタイプよ……!じゃなきゃ、急に刺される!
内なる小さなシモーヌが「こわーい!」と言い、警鐘をカンカン打ち鳴らしている。
ちらちらとマリーの方をうかがうと、いまだにシモーヌから目をそらさず、大きな目をまばたきもさせずに見つめていた。
完全にロックオンって感じじゃないのよ……!
シモーヌは血の気が引いた。刺されるかもしれない。これまでいじめてきた罪悪感も手伝って、その予感にはリアリティがあった。
劇的だけど、私はそういうのじゃないのよ……!そういうのは観ているだけでいいの……!いたいのはイヤよお……!
「ふんっ!そうだぞ!姪など出世の道具に決まっている!シモーヌの言う通りだ!」
気を取り直したように、夫がえばって言う。しかも、シモーヌが言ったと強調して。
ちょっ……!ちょっと、何言っちゃってるのぉ……!?
おどろいて夫を見ると、ニヤリとうなずいた。
な、何その顔!?ナイスパスのつもりなの?あとはゴールにたたき込むだけってか!?バカッ!バカなの?私の夫は!?嫁のこの表情を見なさいよ!あー、もう!だからうだつの上がらないイナカ貴族なのよっ!もっと臨機応変に……!
「シモーヌさん」
その時、冷え切った鈴の音のような声がひびいた。もちろんマリーだった。
「ひっ……!?」
「シモーヌさんがわたしを売った、黒幕、ということでよろしいですか?」
表情の無い大きな青い目に見つめられ、シモーヌは囚われたような気分になる。
黒幕って強調した……!怒ってる!怒ってるよ~!いつもはおばさまってよんでくれるのに、名前よびだし……!怒りがこっちに向いちゃってるよ~!
内なる小さなシモーヌの胸には、予見するようにすでにナイフが深々と刺さっていた。
マリはおどろいていた。
アルデンヌ男爵には、男爵と同じような意地悪な妻がいると書かれていたけれど、挿絵もセリフも、なにもなかった。
だからなのか実物を見ると、本当にいたんだなあと、なんだか静かな感動がわいていた。
つい、まじまじと見てしまう。
しかも、いかにも貴族っぽい美人。ムダにえらそうなところがグッド。話を聞くかぎり、アルデンヌ男爵を裏からあやつっていたみたいだし。そんなことは小説には書かれていなかったけれど、実際に会ってみるとこういうこともあるのね。意外な事実、というか。
マリは興味深げにシモーヌの瞳をのぞき込む。
なぜか目をそらされてしまうけれど、意外と人見知り?出てきた時は堂々としていたのに、今は臆病な子ウサギみたい……。本当にこんな人が男爵を裏からあやつっていたの?これは確認が必要。
「シモーヌさん」
シモーヌがビクッ!とおびえたようにふり向いた。タカにさらわれる前にかたまる小動物のようだった。
「シモーヌさんがわたしを売った、黒幕、ということでよろしいですか?」
「いえ、コイツです。すべての責任は、当主であるアルデンヌ男爵ただ一人にあります」
「えっ!?」
アルデンヌ男爵が信じられないという表情で、シモーヌを見た。
「私は無関係です」
「そうですか」
「はい、そうです」
「ええっ!?」
アルデンヌ男爵はシモーヌとマリを交互に見た。話についていけていないようだった。
「シ、シモーヌ?いったいどうしたんだ?お前が第一王子にマリーをあげてしまえば、当家は出世まちがいなし!イナカ暮らしとはおさらば!一気に上級貴族に仲間入りするチャンスだと言ったのではないか!」
アルデンヌ男爵は混乱してなのか、早口でまくし立てる。
シモーヌは真っ青になる。
「な、なんで全部言っちゃうのよ……!?」
「シモーヌさん……?」
「ひえ」
シモーヌの口から小さい悲鳴がもれる。マリの青い瞳が無表情に見つめていた。
「え、ええい!なにをおびえておるのだ、お前らしくもない!」
アルデンヌ男爵はいら立たしげに、雄々しく吠えた。
「これまで育ててきた恩もあるのだ!姪を出世の道具にして何が悪い!何を恥じ入ることがある!それが貴族社会というものだろう!それに王子から求婚されて、貴族の子女にとって不名誉などということがあるものかっ!」
それは常識的な発言だった。すくなくとも、この世界の貴族社会という舞台では。
シモーヌは夫の常識的な発言を、貴族の女性としてうつむいて聞いていた。
「いや、むしろ名誉なことであるはずだ!女の幸せは、家のためになることだ!ましてや王家の繁栄に連なることさえできるのだぞっ!これ以上の幸福が女の身にあるだろうか?」
「あるんじゃないでしょうか。いくらでも」
マリはフラットな調子ながらも、すぐに答えていた。
「はあっ!?」
アルデンヌ男爵はおどろく。
となりにいたシモーヌもおどろいていたが、見開いた目には光が宿った。
「体を動かしたり、草むらに寝転がったり、星空をながめたり」
子どもと話したり、ワンちゃんにさわったり。
「寝付きよくねむったり、目覚めよく起きたり、美味しいものを食べたり。いくらでもありますよ」
「そ、そんなことが貴きものと結ばれることより幸福だというのかっ!?」
「はい」
マリの即答に、アルデンヌ男爵はプルプルとふるえだした。怒り心頭という感じで、さっきの変顔とはちがって、憎しみすらこもっている表情になる。
貴族社会ごと自分を、男をバカにされたと感じたのかもしれなかった。
「ゆ、許さんっ……!そんな幸福は絶対に許さんっ!!」
だが、マリは真顔できっぱりと言った。
「わたしが許します」
「は?」
「わたしが、わたしに許します。わたしの幸福に、あなたの許しは必要ありません」
マリの青い瞳には、静かな怒りが宿っていた。
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