第5話 マリ、昔のことを思い出したり、努力したり、シモーヌに出会う

「はあ、そうですか、だとぉ……!?」


アルデンヌ男爵はマリの反応が気に入らなかったらしく、顔に青筋を立てた。


まわりの従者たちはあわてていたが、マリはやはり変わらぬ表情で男爵を見つめている。


その瞳には、おびえも怒りすらもふくまれていなかった。ただ見ているだけだ。


アルデンヌ男爵は、いつもとはちがうマリーの反応にとまどっているようだった。


その様子を見て、マリはふと幼い頃を思い出した。



小学校でのことだ。


ほとんど入院していたけど、調子のいい時期はたまに学校に行っていた。


当然、なじめない。


たまに来る病弱な部外者というあつかい以上に、学校のノリというものについていけなかった。


なので、いつもひとりで本を読んでいた。


「マリは、感情を学ばなきゃいけないなあ」


本を読んでいると、いつのまにかとなりに出現していた担任の女性教員が言った。机にうでを乗せ、そのうでに自分の顔を乗せてニヤついていた。近い。


「どういう意味でしょう?」


女性教員は、そんなこともわからないとは弱ったな……、という表情をうかべて見せ、教室でガヤガヤと大声でさわいでいるほかの生徒たちを目で示した。


「ほら、みんなを見てごらん。ちょっとうるさいけど、感情豊かでしょう?子供らしくて良い。マリもああならなきゃ!ほら!」


女性教員は、そう言ってマリの口に手をやり、むりやり笑顔になるようにグイッとくちびるのはしを上げさせた。


気持ち悪かった。


「……やめてください」


マリは女性教員の手をふりはらう。


「えー!そんな怒らないでよー。むりやりにでも笑顔になれば、楽しくなるものなんだよ?」


「たとえそうだとしても、他人にそんなことを強制されたくありません」


「他人?担任でしょう?」


「それって他人ということですよね」


「ずいぶん冷たいね……。気取ってるんじゃないの?」


女性教員は、今度はマリのうでを指先でツンツンとしてきた。


マリは鳥肌が立つ。


「とにかく、マリは笑顔から練習だね!そうすれば、他人を思いやることもできるようになるし、人生楽しくなるよ!だから、変なプライドすてちゃいな?」


マリは鳥肌のできたうでをさすった。


「……あの様子を感情豊かと表現し、そのようになることが感情を学ぶ、という理解でいいですか?」


さわいでいるクラスメイトたちをマリは目で示す。真顔だった。


「え?あ、ああ、そうね」


女性教員はとまどう。


「人間はサルです」


女性教員のとまどいは続いた。


「つまりは群れの動物です。感情は伝染します。自分と他人の感情が区別できなくなります。不安が伝染するとか、ありますね。感情を学ぶとは、自分と他人の感情は別物であることを知り、勝手に伝染しないように対処の仕方を学ぶこと。いわば免疫をつけることなんじゃありませんか?先生の言う感情を学ぶだと、むしろ積極的に自分の感情も他人の感情もごちゃまぜにすることのようですね。それだと自分も他人もなくなって、ほんとうにサルになってしまうのでは?それって、教育なんですか?」


女性教員は、言葉の意味はよく分からなかったようでポカンとしていたが、なんとなくバカにされたと感じて、みるみる顔を赤くしていった。


その後、すぐにクラス会が開かれた。


『工藤マリさんは、どうしたらみんなと心をひとつにできるのか?』と黒板にテーマが書かれる。


女性教員は、子供たちに「マリの良くないところを言っていきましょう」と命令した。


つまりは、みんなで悪口を言いましょう、ということだ。


「マリさんは冷たいと思います」


「マリさんは思いやりがないです」


「マリさんはクラスの和を乱しています」


名前も知らなければ、話したこともないクラスメイトたちが口々に言い、女性教員はそれを黒板に書いていく。


「マリさんは他人を尊重できません」


「マリさんはぼくたちをバカにしています」


「マリさんは感情がありません」


「とにかくマリさんが悪いと思います」


マリは机に突っ伏す。


それでますます教室はもりあがった。


クラスメイトたちは一丸となって、マリの悪口を言い続けた。


女性教員の感情が、すっかり子供たちに伝染しているようだ。


「マリ、何か言いたいことはある?」


女性教員が、なぜか勝ったような声で聞いてくるので、突っ伏したマリはモゾモゾとしてから起き上がる。


泣いてるんじゃね?とだれかが言う。みんな、マリがあやまることを期待していた。


が、マリはすこしも泣いていなかった。


それどころか涼しい顔をして、真顔でひとりひとりのクラスメイトの顔と女性教員の顔を見た。


「勘ちがいしないでほしいのは、わたしは感情を否定しているわけではありません。ただ、あなたたちとひとつになりたくないだけです。あ、それと今日したこと、忘れないでくださいね。わたしも忘れません」


そういうと、マリはそでにかくしていたスマホを取り出した。彼らのしたことを録音していたのだった。


彼らは最初あせって、データを消せと命令し、スマホを取り上げさえしたが、データはすでにネット上に保存されてしまっていることを知ると、絶望した顔色になった。


クラスメイトたちはひとり、またひとりとあやまり出した。


女性教員はその場であやまることはなかったが、のちに上司に言われてあやまってきた。


この件で学んだことはいくつかある。


たとえば、だまってやられてあげてるとエスカレートしてくるということ。


それはやはり人間はサルだから。


サルはプライドを許せない。


なぜなら、プライドをこわして、自分と他人の区別をなくしたいから。


もしも人間とサルを分けるなら、自分と他人の区別がきちんとついているもののことでしょう。


つまり、自分のプライドを守り、他人のプライドを尊重できるもの、ということ。


ま、やっぱり人間なんて、そんな上等なものじゃないのかもしれないですけど。本物のサルのほうがマシかも?




「聞いているのかっ!?」


思い出にトリップしている間、アルデンヌ男爵はなにやらずっとどなり散らしていたようだ。髪が乱れ、息が切れている。


「はあ」


イエスともノーともつかない返事に、アルデンヌ男爵はケモノのように歯をむき出しにして見せた。


「私がっ……!私がこんなにまでなって怒っているというのに……!なんだ貴様はっ!怒られている自覚はあるのかっ!?」


怒られている自覚の確認……。ふしぎな確認。怒っているのは自分なのだから、それさえ自覚していれば十分なのでは?他人になぜ怒られることを求めるの?それって図々しくない?


「はあ、怒っているな、とは思います」


「なにぃっ!?」


マリとしてはよけいなことは言わず、事実を確認をしたまでなのだが、どうやらアルデンヌ男爵からしたらバカにされたように感じたらしい。アルデンヌ男爵は目をむいた。


怒れば、怒られてくれる人が必ずいたのね、この人には。


怒られてくれる人のなかには、きっとマリーもいたことだろう。


スマホもなければネットもないのだから、ただ怒られているしかなかっただろう。


マリは自分は運がよかったと思うと同時に、マリーの不運を思う。


こういうことが続けば、きっとやり返せない人間になっていく。プライドをこわされて、断ることさえできなくなっていく。


三人からの求婚を断れなかったマリーさんは、きっとそういう人だったんじゃないか。だとしたら、マリーさんが悪いのか。マリーさんは、悪女なのか……。


マリはため息をついた。


「な、なんだそのため息はっ!?」


アルデンヌ男爵は、今度は鼻を大きくひろげる。目も鼻も口もむき出しにして、怒りを精一杯表現しているらしいが、必死に変顔しているようにも見える。


仕方がない。この様子では、あまり理解をえられるとも思えないけど、努力はしてみよう。


マリは意見を言うことにした。


「そもそもわたしには怒りを向けられる筋合いがありません。アルデンヌ男爵、あなた、わたしを売りましたね?」


「ゔっ……!そ、それは……!」


「昨夜、ガブリエル第一王子がわたしの寝室に勝手に入ってきました。でも、おかしいですね。兵はなにをしていたんですか?」


マリはかべに並んでいた兵たちを見る。とたんに兵たちは、落ち着かない様子になった。


「ああ、べつにあなたたちを責めているわけではないです。命令だったのでしょうから。そうですよね?アルデンヌ男爵。あなたが、ただ一人の姪であるわたしを、第一王子に貢ぎ物のようにわたそうとした。それも二度も。怒りを向けられる筋合いがあるのは、わたしではなく、あなたの方ですよね?」


マリはあくまでも無表情に、事務的に伝えた。


「い、いや、たしかに悪かったとは思っているが、しかたなく……、だって、第一王子だし……」


アルデンヌ男爵はとたんにシュンとして、ブツクサとつぶやいている。古いタイプだから、ただ一人の姪という言葉が案外効いたのかもしれない。


あら?意外とうまくいくかも?


マリは家にもどると決めるまえに、いろいろと考えた。


もしかしたら、このまま家にもどらず、どこかへ旅立ったほうがいいかもしれない。家にもどれば、あの王子はまた来るだろう。


どの程度小説通りの行動をとろうとするものなのかはわからなかったが、なんだか昨夜のガブリエルの感じだとしつこそうだった。


だが、無一文で何の力もない少女が生きていくには、この世界はきびしすぎる。


盗賊の類が出たと小説にあったので、盗賊におそわれるということも考えられる。


魔法やなんらかのチートが使える気配もなかった。


リュカを頼り続ければ、いずれ見つかって、きっと迷惑がかかるだろう。それだけは、さけたい。


問題は、小説に書かれていたことは、この世界の一部でしかないことだった。


マリーの恋愛というか何というかな事情を中心に書かれていたので、この世界で生きていくための情報が決定的に欠けていたのだ。


あるいは、この世界の女性にとっては、それですべてが書かれていたということなのかもしれないけれど……。


いや、とにかくあまりに知らないことが多すぎる。


そうなると、とりあえずもどって、情報をえた方がいいだろうと考えた。


虎穴に入らずんば虎児をえず、という心境ではあったのだ。


へえ……、話してみるものね。


アルデンヌ男爵の苦しそうな顔を尻目に、マリはめずらしく努力して良かったと思った。


さて、これならとりあえず何日間かは時間をかせげるかな……?その間にいろいろ調べて……。




「何を言っているのかしら?姪など出世の道具に決まっているじゃない」


だが、そううまくはいかなかった。


「シモーヌ!」


アルデンヌ男爵がうれしそうに自分の夫人の名前をよんだ。まるで助け舟が来たかのような反応。


シモーヌは夫のことはちょっとも見ずに、マリをにらんだ。


シモーヌは冷たい印象の美人だった。


他人を道具としてしか見ていないえらそうな感じを瞳に宿していたし、なによりそれをかくそうともしない。


彼女に瞳をのぞき込まれるのは、ふつうの人にとってはすこぶるストレスだ。だれもが瞳をそらそうとする。


シモーヌにとっては、それが何よりも快感だった。自分が目の前の相手より格上だと確認できるからだ。


要は、マウントを取るのが何よりも好きなのである。


「ゔっ!」


だが、シモーヌは思わずうめいた。


マリーは、一切目をそらさなかったのだ。


大きな青い目で、逆にシモーヌの目をじっーとのぞき込んでいたのだった。

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