第3話 マリ、リュカとベルに出会う
さて、これからどうしよう……?
マリは森のなかで、毛布をマントのように巻きつけてしゃがんでいた。
さすがは貴族の家というだけあって、広大な庭をもっていた。なにせ庭のなかに森がある。
森のなかに庭があって、家もあると言ったほうが正確?それにしても……。
マリはごろんとあおむけに寝転がった。
走るって、こんな感じなんだ……!
マリは高鳴っている心臓に、ひとり静かに感動していた。息もすこしあらく、自分のはいた空気の熱さが感じられる。
すべてが新鮮だった。
生きてるって感じ……!
目の前の大空には、満天の星空がある。元の世界のように電気的な明かりは一切ないから、星々との遠さがそれぞれ感じられるくらい立体的に見える。
マリはしばらく宇宙をながめていた。
どのくらいの時がたっただろうか。
気づくと、近くにケモノの気配がした。
ハッハッハッとあらい息が聞こえている。
犬……?いえ、オオカミなんかもこの世界にはいるのかも。とにかくまずい状況。いくら感動続きだったとはいえ、やはり見知らぬ世界で油断してはダメ。異世界なわけだから、なにが起こってもふしぎではない……!
マリは急には動き出さなかった。死んだふりがケモノに有効ではないことは知っていたが、かといっていきなり動き出してもあぶないだろう。
だから、ゆっくり……、ゆっくり……、そ~っとあおむけのまま、首だけ動かして、のけぞるように見た。
……わお。
果たして、そこには巨大な何かがいた。
月明かりで見えるそれは、たしかに犬の形をしていた。グレート・ピレニーズという犬に近い。けれど、グレート・ピレニーズよりも巨大で、まるでシロクマだった。
……図鑑にはのってない。
マリは一瞬、病室でながめていた動物図鑑を思い出す。さわったことはなかったが、動物が好きだった。
……ふれてもいないのに、生温かさって感じられるものなのね。
思った以上にそれは近くにいた。生臭い息が、顔のすぐそばに感じられるほどに。
ふんふんとマリの顔に鼻先を近づけ、においをかいでくる。
くすぐったい……。
巨大犬はすこし顔を上げると、あらぬ方向をぼんやり見て一瞬固まった。口を半開きにしてボケっとした顔になっている。
そして、急に思い出したかのようにハッとすると、毛むくじゃらの顔をするどくふり、大きな口を開けて、マリの顔に近づく。
「わっ……!」
べろんっ!と音が聞こえるくらい、力強く顔をなめられた。思わずマリの口から声がもれた。
「えっ!?」
どこかから、だれかの声がした。
それは巨大犬の背中からだった。
声の張本人は、巨大犬の背中に乗っていたようで、ひょこりと顔を出す
「お、お嬢様っ!?」
向こうはマリーのことを知っているようだ。
巨大犬の背中から、彼はあわてた様子でおり立った。
「お、お嬢様!このようなところでなぜ仰向けにっ!?」
マリはまだあおむけのままだ。頭上の巨大犬は、おだやかな目をして、伏せの状態で座っている。
……なんだか、だいじょぶそう。
マリはごろん、とうつ伏せになると、両手で体を起こして座った。
巨大犬の背中からおりてきた人物を見ると、まだ小さな少年のようだった。十歳くらいだろうか。
長めの黒髪が月明かりを吸収し、ツヤっぽい。だからなのか、可愛らしい女の子か妖精のようにも見える。
「こんばんは」
マリはとりあえず、あいさつをしてみた。
「え……!?あっ、はい、こんばんは……!」
少年はとまどいながらもあいさつを返してくれた。
う~ん、お嬢様呼びだったということは、アルデンヌ家の関係者……。けど、だれ?小説にいたかなあ……。
気配を察したのか、少年は自己紹介をした。
「あっ、ぼくはリュカ・モローと申します。モロー家の長子で、アルデンヌ男爵家には代々森の番人として仕えております」
ああ、そういえば森には番人がいるってあった。たった一行だけで、しかもこんな大きなワンちゃんや少年がいるとは書かれてなかったけれど。
「そうなんですね。よろしくね、リュカくん。わたしは、えっと……、マリーです」
「はい!存じておりますとも!」
リュカは元気いっぱいに答える。どことなくうれしそうだ。
「え~と……、で、いったいこんな夜中にどうなさったんですか……?あっ、いや、答えられない事情なんかもあるでしょうが……!」
う~ん、これまた困る。正直にいえば、第一王子に結婚を迫られて逃げてきたんだけど、ちょっと教育上よろしくないかも……。
「そうですね。ちょっと答えられない事情がありまして……」
マリはうつむき加減に答えた。ちょっと寒いから、毛布をかたに改めて巻きつける。
その姿はいかにも頼りなく、弱々しいものに見える。
リュカはなぜか心臓のあたりをギュッ!とつかんだ。なんだかちょっと切なそうでもある。
「……わかりました!ここでお会いしたのもなにかの縁です!せめて夜露を払う栄誉をぼくにお与えください!ささ、どうぞ家へ!ご案内します!」
リュカはキビキビとした言葉とは裏腹に、動きはギクシャクとしている。
その邪気のない仕草や表情は、この世界に来て初めてマリを安心させた。
「……ありがとう。やさしいんですね」
月明かりに照らされたマリのほほ笑みを直視して、リュカの顔はボッ!と音を立てんばかりに一気に赤くなった。
「い、いえ……!当然のことですよ!あはは……!」
その時、マリのえり首がうしろからつかまれ、マリは空中にいきなり投げ出された。
「わ」
一瞬の無重力状態のあと、マリは巨大犬の背中に着地していた。
「ベルっ!?な、なんてことをっ!」
一瞬口をあんぐりと開けて呆然としていたリュカが、あわてて巨大犬をしかる。巨大犬はベルという名前らしい。
「ご、ごめんなさい!マリー様!ベルは悪気はないんですぅ!無礼はすべてぼくの責ですから、どうか罰するならぼくを……!」
リュカは大あわてであやまる。目には涙さえうかんでいた。
「……最高です」
「……え?」
マリは今やベルの背にしっかりまたがって、目をキラキラさせていた。
「大きなワンちゃんの背中に乗れるだなんて……、こんな日が来るだなんて……まるで夢のようです……。ふかふかですし」
「は、はあ……」
「あら?もしかして、こちらの世界ではふつうのこと?」
「え?こちらの世界?ああっ、使用人の世界ってことですか?いえいえ、ふつうじゃないです!ベルはこれでもほこり高きマーナガルムの一族!そうおいそれと人を背に乗せようとはしません!」
マーナガルム……。どこかの神話にそんなオオカミがいたかも。たしかおそろしい魔物だったような……。
ベルは振り返って背に乗るマリを見つめていた。つぶらな瞳だった。口元もほほ笑んでいるように見えて可愛らしい。
マリが手を伸ばして眉間のあたりをなでてやると、ベルは「ぐふっ!」とうれしそうに笑う。
「笑いました……!」
マリはつい声に出していた。
「あっ、はい。ベルは笑います」
「そうなんですね……!」
マリは感動に打ちふるえていた。
こんなおそろしい魔物なら、ぜひ友達になりたいとマリは思った。
リュカは思った。
なんて……!なんて美しいんだろう……!
真っ白なベルの背中にまたがり、月明かりにかがやく銀髪の美少女は、ひかえめにいっても神々しかった。
それに、なんて純心で無邪気な人なんだろう……!ぼくがお守りしなければ……!
リュカはまた胸をギュッ!とつかんだ。
生まれて初めて知る苦しさだった。心臓をわしづかみにされたような、それでいて心の底からなにかが止めどなくあふれてくるような……。
「……くしゅん!」
マリがくしゃみをした。
「あっ!寒いですよね!すぐに家へ案内いたします!」
「……リュカくん、こっち」
マリはベルの背から白い手をのばす。
リュカは半分夢遊病のようにふらふらと吸いよせられ、ほおを染めながらも、マリの白い手を取った。
「よいしょ」
マリはリュカの手をにぎると、一気にベルの背中へとリュカを引き上げた。
「わわっ!?」
「うん。これで寒くない」
マリはリュカを自分のまえに座らせて、毛布でぐるりとふたりとも包む。
「子どもは温かいっていうけど、本当ですね。なんだか熱いくらい……。あっ、ごめんなさい、リュカくん。ベルさんって二人乗りオッケーだった?」
「えっ!?あっ、えええと!?はい!それはもう!余裕のよっちゃんです!」
「余裕のよっちゃん……?」
「水も運んでくれますし、100キロ、200キロは余裕です!ベルはそれはもう強いんですよ!だから、マリー様のようにお軽い方は、あっ、この軽いは体重のことで、あっ、マリー様の体重のことなんてぼくはぜんぜん知らないですけど……!ああっ、ぼくはさっきからなにを言って……!」
リュカは赤面し、もにょもにょと尻すぼみになって、毛布のなかで小さくなってしまった。
リュカはえらく混乱していた。いいにおいがするし。
「ベルさんのこと、大好きなんですね」
不意にそう言われて、リュカはうえを見上げる。
マリがやさしくほほ笑んでいた。
「はいぃ……!」
リュカはくらくらした。
「うぉん」
ベルは出発進行の合図を出すように一声吠えると、だれに指示される必要もなく、リュカの家へと向かって歩き出した。
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