第1話 マリ、憑依転生する
工藤マリは病室のベッドから外の景色をながめている。
マリは色白で、いかにも体の弱そうな女の子だった。歳は十五。ほとんどの人生を病院で過ごしている。
「あら、もう読み終わっちゃった?」
マリの血圧を測っていたナースのサチさんが聞いた。テーブルには真っ黒な本が置かれていて、その上にはしおりが置かれている。
「はい」
マリの声は、歳のわりに静かで落ち着いている。
「速いね。で、ナゾ本の読み味はどうだった?」
マリの入院している草原病院には本棚があって、患者が退院する時によく本を置いていく。
サチさんがナゾ本と呼ぶこの真っ黒な本は、本棚の奥のスキマにかくすようにはさまっていた。
本のタイトルも作者の名前も書かれていない。まさにナゾ本。
「そうですねえ……。何だか、かわいそうでした」
「かわいそう?」
「ええ。小説だったんですけど、貴族の女の子が、王子様とか公爵家の息子とか司祭の人とかに求婚されるんです」
「あら、意外と夢のあるお話」
「けど、女の子は本当は、だれとも結婚したくないんです。だけど、断ることもできなくて、そうこうしてるうちに三股をかけたということになってしまいます。それで、悪女呼ばわりされて、最後はひとりさびしく死にました、で終わりです」
「なあに、それ?ひどい話ね」
血圧を測り終えたサチさんは、あきれたように眉をひそめた。
「ええ。しかも、主人公の名前がマリーなので、なんだか変に感情移入しちゃいました」
「あら、マリとマリーで一字ちがいというわけね。じゃあ、明日お口直しに、もっと面白くて夢のある本を持ってきてあげるよ」
「ありがとうございます。……また異世界転生モノですか?」
「そうよー。楽しみにしててねー」
サチさんはなかなかの読書好きだが、だいぶ趣味はかたよっていると言えた。
しかし、残念ながらこの約束が果たされることはなかった。
その日の夜、マリの容態が急変し、マリはこの世界には帰らぬ人になったのだった。
マリが目を覚ますと、そこはベッドのうえだった。
だが、いつものベッドとはちがう。ふかふかなのである。
病院のベッドのように、うすくてかたくて、ちょっと動いただけでギシギシいう代物ではない。
寝転がっているだけで背中からあつみが伝わり、飛んではねようとも物音一つさせない安定感を感じさせる代物だ。
マリがいるのは、明らかに住みなれた病院ではなかった。
いったい、どういうこと?
いつもは冷静沈着なマリも、これにはさすがにおどろいた。
そもそもわたしは死んだはず……。
マリは自分が死ぬ瞬間を覚えていた。いつもの体がもえてしまうようないたみではなく、体の中心から冷えてこおっていくような感覚。
ああ、ついに来たのかと思った。
自分が近いうちに死ぬだろうことは予測ができていたので、あわてることはなかった。予測内の事実が起こっただけだったから。
でも、案外死んでなかったのね……。早とちりだったみたい。
マリは寝転がったまま手足が自由に動くか確認する。うでを上げ、ひざを上げ、ぐるぐると足全体を回す。
なんだかいつもより全然好調な気がした。
体を動かすことが、気持ちよく感じられている……?
マリはベッドのうえで寝転がりながら、静かに雷に打たれたようなショックを受けていた。
体を動かすことが気持ちいいなんて、生まれて初めて味わう感覚だ。
マリは大の字になり、手足を大きく広げたり閉じたりをくり返してみる。
……爽快。
まちがいなく気持ちがいい。
こんなことがあるなんて……。けれど、ここはどこだろう?
マリは起き上がった。起き上がるにも、いつもより腹筋が強くなった感じがする。
シャキーンという感じ……!もしかして、改造でもされた?
死にかけたあとなのに、体感したことのない体の好調さを考えると、ありえないことでもないように思える。
そのくらい不自然なことがマリの体には起きていた。
それとも、脳内麻薬でも出てる?
マリは部屋のなかをウロウロしてみた。
はだしに感じられる毛足の長いじゅうたん。高級そうな調度品。天井の高い部屋。全体的に西洋風に感じられる。
まるで小説に出てくる貴族の家のよう……。
大きな鏡の前に立った時、そこには見知らぬ女性がいた。
腰よりも長い銀髪が月光のように輝いている。白いナイトドレスからほっそりとした手足がのびている。
肌は人形のように白かったが、病的なものではない。すきとおった青い瞳が、マリのことを見つめている。
絶世の美少女だった。
マリはおどろいた。すると、彼女もおどろいた。
マリが指先でほっぺたにふれると、彼女も反対側の手でほっぺたをさわっている。
マリは自分のものだと思っていた手を、瞳だけ動かして見つめた。その手は細長く、見なれた自分のものではなかった。
自分の体だと思っていたその体は、どこもかしこも自分のものではなかったのだ。
だが、鏡にうつるその姿には心当たりがある。
ナゾ本の主人公、マリーのイメージそのものだった。
「……なるほど。転生、というやつですか」
マリは平静に、真顔でつぶやく。
ひとりごとを言うほどには混乱していた。
その時、急に部屋のドアが大きく開かれた。
ふり返ると、ドアの前に男が立っていた。暗闇でも大きな男であることがわかる。
男は勝手に部屋のなかへと入ってきた。
月明かりが男を照らす。
見た目は、一目で目をうばわれるほどの美青年だった。
月の光をはね返す金色の髪、たくましい体つき。身につけている服は、いかにも高級そうだ。
なにより、両の瞳に宿るパープルアイズが貴種であることを主張していた。
(……ファルシオン王国第一王位継承者、ガブリエル・ファルシオン)
ガブリエルは、熱のこもった視線でじっと見つめてきた。
(……マリーに最初に求婚してくる男)
ガブリエルは美しい顔を邪悪にゆがませた。
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