1-4,神のお口付け
「、、、、、、、、、?」
「、 、 、、、!」
「、、、 、、、 、、、 、 、 !」
(視線)
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(視線)
(視線)
(視線)
(視線)
「……ミィ?ラクシュミィ?」
「……んぅ」
「まぶた」が開く。「目」を覚ます。私は「横たわって」いる。
「ここは、」
「ああ、起きたね、ラクシュミィ……悲しい時間だね、ラクシュミィ」
回らない頭で考える。真っ白い空間、体、そしてこの声。
「……高尾?」
「ん?うん。そうだよ、ラクシュミィ」
「私を……助けたの……?」
「ん?うーん。それはちょっと違うかな。話すから聞いてもらえるかな?ラクシュミィ」
「は、はい」
だいぶ体が重い。ほとんど言うことを聞かない全身に力を込めて体を起こす。この場所に、
体に、何となく違和感を感じる。
「お別れの時間だよ、ラクシュミィ。」
「おわ、かれ?」
「ラクシュミィ。お別れ。概念と神格の決別。幼虫は幼虫のままでいられなくなった。」
「えっと、つまり」
「うん。理解できるかな。君という神格体は、もうじき消える」
飄々と。
「神格が剥がれるんだよ、君から。そっちは今火事だろう?多分それが原因。」
「火事で……?だって―」
「多分だよ。実際分からない。底の神格は突然に剥がれる……ことがある。君は人の信心だ。そっちで君の象徴たるなんかが焼けたか、皆混乱してて一瞬でも信心を忘れているのか、詳しいことは分からないけど。とにかくね、時間が無い。君は単なる概念へと還りつつある」
起こした体がまた揺らぐ。ぽす、と柔らかい床に頭から倒れる。何度も見た、絹の床。なんだかいつもより、でこぼこ。
「たかお」
「なぁに?ラクシュミィ」
高尾が私の元に跪く。顔を覗き込み、タコ指で髪を撫でる。既視感がある。
「ここはどこ?なぜあなたがいるの?」
「あー……仲間意識?って言えばいいのかなぁ。君のとこの地蔵ちゃん達がねぇ、鳥居まで運んできてくれたんだよ、ラクシュミィ。無垢な概念が君を持ち運べる時点で、君の神格は既にボロボロだってことが分かるよね」
「じぞうが、わたしにさわれるなんて」
「でもあの子たちは何でラクシュミィをここまで運んだんだろうねえ、ふふ。意思みたいなのがあんのかなぁ、なんちゃって」
「ここは、どこ?」
高尾が言っていることをどれだけ理解出来ているのか、自分でもよく分からない。ただ、私という神格が消える、と。なんとなくその感じだけが理解できる。ぼうっとする。
「……あんまり、褒められた話じゃないんだけどね、ラクシュミィ。ここはいつもの集合場所じゃない。口の層、底の層、そのどちらでもないってことは一緒だけどね」
私は横たわったまま首を少し動かす。焦点がちょっと合いにくいが、なにか見慣れた、家、のような。
「ここはね、ラクシュミィ。とっても儀式的な場所なんだ。神がお口付けする、神聖な狭間。蛹のための小部屋、とか唇、とか。表現はなんでもいいけどね。君は何を見ている?ラクシュミィ」
「わたしのいえが、吉松院がみえます」
うん、そうだ。
真っ白だが、全て絹でできているが、ここは吉松院だ。急な坂、寺社、地蔵。全部絹糸だが形はいつものまま。ここが、口への入口?
「わたしは、お口付けするのですか」
「しないよ。約束したばかりじゃないか、ラクシュミィ。もう口に来いなんて言わないって。でも……うん、ごめん」
淡々と話す高尾は少し目を細める。
「純粋な概念が君を運んで来た時、君という神格は既に消えかかっていた。最後だと思ってさ……あぁ、悲しいな、一言でも話しておきたいなって、勝手に延命治療をしてしまった。ここなら少しだけ体を保てる。独断だよ、すまない」
高尾の目がさらに細くなる。微笑んでいる。
「懐かしいねえ。玉葱遊、楽しかったねえ、ラクシュミィ。初めのうちはさ、よく骨を折ってこうやって倒れてたよねえ。痛かった?って。こうやって髪を撫でたよねえ。すぐに上達していったけど。楽しかったねえ、ラクシュミィ」
「ラクシュミィ?」
高尾が髪を撫でていてた手を退かす。それは、私が動いたから。動こうとしたから。
「―まだ。消えられません」
「潔く消えます」とか何とか言っていた自分は、今いない。あいつは全く何もわかっちゃいなかった。
真っ白な空間を、絹糸の吉松院の方へ。立とうとしてまた膝をつく。構うものか。這うようにして前へ、前へ。全身の感覚が薄くなっているように感じる。五感を少し感じづらくなっている気がする。
「髪を、撫でさせてよ。ラクシュミィ」
「後でです」
「後はないよ」
「あります」
「うん……ラクシュミィ。惜しまれて、惜しまれて、惜しくも旅立つというのが、この世で最も美しいんだよ?幸福と美の女神。君に相応しい」
「構うっ……ものですかっ。たかお。私はお口付けします」
「…………っはぁ?ラクシュミィ、今なんて」
高尾は私の意思に、その手のひら返しに眉を顰める。倒れかける私の肩をつかむ。
「ラクシュミィ?ものは考えてから言ってよ。今の状態じゃ思考も曖昧だろうけど、いや、それでもさあ。なに、急に消えるのが怖くなったの?」
「はい」
「ぇ」
「急に、消えるのが怖くなりました」
肩についた高尾の手を掴む。意地で立ち上がろうとする。何度も、何度も。
「高尾。私は今、考えてものを言いました。初めて、ちゃんと考えました。私にはまだ……やるべき事がある。やらずに消えるのは、私のっ、エゴです」
体がほとんど言うことを聞かない。表情筋さえも、ほとんど動いていないだろう。ならば。ならば。
「気づきましたっ……幸せのうちに消えゆくのが幸せ。私はもう何百年も底にいます。永遠があまりにも怖い。一番怖いっ!」
目を見ろ高尾。この私の目を。
「っ、ラクシュミィ」
「……でもっ!私はっ、幸せのうちに。人々が幸せのうちに消えることができないらしくてっ!人々が、私という信心の創造者達が苦しんでいるうちに消えんとしている……っ。それが、とても苦しい。知らなかった……あまりにも怖いっ」
力の限り張り上げる声も、か細く頼りない。構うものか。伝われ、奮わせろ。高尾にも、己にも。
「永遠という呪いと、天秤にかけても?」
「かけてもです」
みやちゃんと両親。爺さんと婆さん。村の皆。気がついた。私は気がついた。
「人に、情が移りましたっ。彼らは私の永遠を捧げるに値する。代償を払ってでも私にはまだやることがあります。それには意志と体がないとダメだ……人の情として真っ先にやらなければならない事が、私はまだっできていないっ!」
「人間じゃあるまいし情が移ったって。君は神だよ」
「その前に信心です。人の、情です」
「君のエゴを通す気は」
「神にエゴなんか要りません」
「そう…………じゃあ、分かった。教えて。ラクシュミィ。立ち上がって、教えて」
高尾が手を離す。
「うぁ」
自重に耐えられず、膝をつく。
「君はその意思で何を望む?僕の何十年を、拒み続けた永遠を今更宿して何をする?情のために何ができる?」
私を振り払ったその手が、とても遠くに感じる。
「う……っくぅ」
「ラクシュミィ、何なの?僕にできずに、彼らにできたものは何だったの?」
気合いで前へ数十センチ。絹糸の幹に片手をつく。脚の筋肉だけでいい。立ち上がることに集中する。薄れかける意識を意思で塗り替える。
「私は―」
情が、信心が、するべきこと。私がまだやれていないこと。
私の言葉を聞いた高尾が静かに口を開く。
「後悔は、無いだろうね」
「…………」
「聞くまでもない、か……。ここは、『口』への入口だ。境界……絹糸で張った境。神は知恵の実を口にして向こうに入る。君がもたれているその木が、それだよ」
「これ……?」
高さ六、七メートルほどの木。真っ白い絹で形作られていることに変わりは無いが、周りの景色が吉松院をなぞったものであるのに対して、この木だけは異質だ。低いところで枝分かれした幹をしならせるのは、大量の葉と実。実が、実だけが色をもっている。
「白いのを選んで口に入れな。赤いのと黒いのは駄目」
「はは……禁断の毒リンゴですね」
「エデンの園かい?あっはは、ラクシュミィ。ここは八王子だけど?」
まだ青白い実を引っ張る。ぷつぷつとした小さな実。潰さないように手に取る。
「でもまあ、アダムとイブじゃないんだから分かるよね?ラクシュミィ。食べちゃ駄目だよ。噛んでも、呑んでも駄目」
「あくまでお口付け……ですね」
「そう。知恵の実が君を創り、『お口』へ誘う。後はまあ……やってみれば分かるよ」
幸い蛇は居ないしね、と高尾は一人冗談を飛ばす。
「高尾」
「ん?」
「ありがとう。また」
「うん、またね。ふふっ……次会ったら『はじめまして』をしようね」
「よろしくお願いしますね」
「永遠にね」
「ふはっ、確かに」
「んっふふ……その名の通り、甘美な時間だからさ。せいぜい楽しみなよ、ラクシュミィ」
「そうですか」
高尾は軽く手を振って背を向ける。
「あ、それと」
くるっと振り返った高尾は
「僕との口付けじゃなくて、ごめんね?」
いつも通りに笑いやがったのだった。
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